気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

北海道ツーリング1995(4)

2020-10-29 23:09:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月25日(月)

この日は9時半に起きた。
曇り空だが雨は降っていない。

台風14号は23日に九州を斜めに通り抜けて広島付近に再上陸。
その後は鳥取県付近から日本海に抜けて北東に進み、
24日には青森県に上陸するも温帯低気圧になった。

そのため9月25日は元台風14号の温帯低気圧が北海道南部を
進んでいたため、南部に行くほど天候は悪かった。
道北の天候は曇り。心配していた雨は降らないようだったので、
連泊はやめて移動することにした。

修正した計画では斜里まで移動と書いてあった。
稚内から網走経由斜里って・・・。
めちゃハードやん。
(当初の計画では羽幌スタートで稚内網走経由斜里でしたので、
もっとハードでした~~)


さてさて、稚内YHでの朝食後に荷物をまとめる。
ペアレントに挨拶してから9時過ぎに出発している。



↑稚内YH。こまどりの丘にあり眺めは良かった。
 稚内YHは平成28年(2016年)12月末で閉館。
 もう一軒の稚内モシリバYHも長期休館の後に閉館。
 稚内地区からYHはなくなった。


すぐに網走方面に移動せず、稚内YHから稚内市街に移動。

昨日に駅舎だけ撮影した稚内駅を素通りして、寄れなかった
稚内港北防波堤ドームに向かった。



↑24日に撮影した三代目稚内駅の駅表示。
駅舎全景は撮影していなかった。
(24日の記事に貼り忘れたので、25日の記事に貼りました~)



↑三代目駅舎の写真がなかったので、平成17年(2005年)に訪問したときに
撮影した写真をペタリと貼ります。
三代目駅舎は、平成23年(2011年)に四代目にバトンタッチして姿を消しました。


北防波堤ドームは稚内駅からすぐの所にある。
その名の通り防波堤であるが、古代ギリシア建築風のドーム型の
形態となっており、数々のCMやロケ地として有名な場所だ。


↑北防波堤ドーム。駅ホームから稚泊航路の桟橋への通路も兼ねて建設された。
当時はキャンプ可能で、訪問した時はチャリダーがテントを張って野営していた。
現在はドーム内での野営は禁止されている。


昭和6年(1931年)に建設が開始され、5年後の昭和11年(1936年)に完成。
完成後は稚内港の象徴となり、南樺太から到着する連絡船の
乗客が最初に目にする内地の建築物だったとか。

昭和20年(1945年)8月24日の稚泊航路最終便の乗客はどのような
思いでこの防波堤ドームを眺めておられたのだろうか・・・。

戦後、稚泊航路廃止(正式には休航らしい)後は桟橋の役目を
終えて防波堤となって今に至っている。

資料の一つ>>防波堤ドーム物語

防波堤ドームを出発後、稚内からはR238で宗谷岬に移動。
10時頃に到着する。

宗谷岬は”許可なしに自由に訪れることができる”日本最北端の
地である。
(日本の領土としての最北端の地は、択捉島のカモイワッカ岬であるが、
(ソ連→)ロシアに占拠されている現状では訪問することができない。)


北海道を走るからには、訪れなくてならない岬である。
初北海道ツーリングなのでなおさらだ。

バイクに乗って『日本最北端の地』に到着したときの感動は
ひとしおだった。

駐車場にバイクを停めると、昨日一緒に昼食を食べた
長崎ライダーさんと再会。
なにしろ25年も前のことなので、どういう話をしたのかは
覚えていない・・・。

しばらくすると長崎ライダーさんは出発されたので、
岬周辺は単独でウロウロしていたはず。

で、岬の碑ではこんなことをしておりました。
テンション高かったのでしょう。


↑空中浮遊写真。他に観光客がいるなか一人でタイマー撮影したのだろうか?
長崎ライダーさんに撮っていただいかも知れない。



↑厳密には岬の先にある弁天島という岩礁が最北端。さすがに行けないので
岬が最北端ということになっている。
ちなみに写真に写るのが”日本最北端の”公衆便所と駐車場。


宗谷岬を正午前に出発してR238をひたすら走る。

宗谷岬ではそんなにお腹は減っていなかったので、浜頓別付近で
食べようかと思っていたが、走り始めると止まる気が起こらなく
なった。
たまに写真を撮るために止まるが、ほんの数分だけ。
長時間止まる気がなくなって、昼食を食べることなくR238を
走り続けた。

浜頓別を過ぎると、左側にオホーツク海、右側に原野という風景の
中を走る。
最初は「これが北海道だ。スゲー」と思っていても、走れど走れど
同じ風景の中を走っていると単調な運転となり、眠たくなってきた。

やがて空腹を感じるようになったが、それと共に小便をしたくなって
きた。
進むにつれて「小便がしたい」という気持ちが強くなってきたので、
眠気はどこかに飛んでしまった。

どこかでトイレに寄るチャンスはあったはずなのだが、止まりたく
なくなっていた。
小便するならほんの5分ぐらいなのだがね・・・。
おそらく、夕方までに網走に着かなくてはならないという思いが
強かったのかもしれない。

興部を過ぎると下腹部が痛くなって来た。
限界に近いのだが止まらない。

15時過ぎに紋別到着。市街を通り抜けた先に道の駅があった。
ようやく止まる気になり、道の駅に立ち寄った。
すぐにトイレに駆け込み事なきを得た。


↑道の駅の外れの空き地にあった巨大なズワイガニのツメ。
 高さ12m、幅6mもあるそうで。
 かつては流氷に浮かべていたとか・・・。

 
その後もR238をひた走る。
16時半頃、中湧別の道の駅に到着。
ここはかつての名寄本線と湧網線の中湧別駅跡。
駅の一部が『中湧別鉄道資料館』(当時)として保存されていたので、
もともと鉄畑出身だったので立ち寄った。



跨線橋とホームの一部が残され、わずかなレールに除雪車と
ヨ3500形が4両展示されていた。



他にも現役時代に使われた備品などが展示されていた。



国鉄時代、昭和時代の駅標ですな。

あれこれ撮影していたら時刻は17時頃になってしまった。
もはや網走に向かう気力はなくなっていた。

この付近で宿はないかと探してみると、マップルに『さろまにあん』と
いう民宿があることに気が付いた。

稚内YHで購入した『とほ』という民宿ガイドにも載っていたので、
電話する。
宿泊できるということなので予約して道の駅を出発した。

再びR238を走る。道はサロマ湖畔を進む。
宿を予約していると気持ちは楽だ。淡々と進んで行く。
中湧別から1時間ほどで、今晩の宿である『さろまにあん』に
到着した。

この『さろまにあん』が、初めて宿泊した『とほ宿』となり、
二年後(1997年)からの北海道ツーリング他での『とほ宿』に
ハマるきっかけとなる宿になったのである。

走行距離:296km

>>つづく




北海道ツーリング1995(3.5)

2020-10-25 22:45:00 | ツーリング/ドライブ
現実逃避行とその準備と仕事のため、更新が途絶えておりました。

現実逃避行についてはいずれ記事UPしますが、動画編集がいつ
終わるか分からないので年内にUPできたらいいな~~と思って
おります。

さて先日ですが、北海道ツーリング1995の時に使用した
『ツーリングマップ』が出て来ました。

1997年以降のツーリングではマップルを使用していたので、
1995年のツーリングで使用しただけで本棚行きとなったため
綺麗な状態で残っています。



地図を開いて見てみたら、いろいろと書き込んでおりました。
これで詳しい走行ルートが大体判明しました。
(なので以前の記事を一部修正しています)

ちなみに・・・



なんと深名線が記載されています。

深名線は平成7年(1995年)9月4日で廃線。
私が北海道に上陸するほんの20日前に廃線となっていたのです。
このときにR275でも走っていれば廃線直後を撮影できたかも
知れませんね~。

なお、地図は『1995年5月第19版』なので、この時点では
廃線になっていなかったので記載されているのでしょう。

さて、他にもいろいろ出て来て見入ってしまい、
時間がなくなりました。
ツーレポは後日再開いたします。m(_ _)m

>>つづく

北海道ツーリング1995(3)

2020-10-11 23:47:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月24日(日)

早朝3時頃に目が覚めた。
あまり寝ていない感じがする。

ほどなくして灯りが点いて小樽到着間近のアナウンスが入る。
荷物をまとめて下船準備。

時刻は忘れたが、朝4時過ぎに小樽FTに到着・接岸した。

小樽の街並みを初めて見て、「北海道に来た」という実感が沸く。

今では19時間弱で到着するが、当時は30時間ほどかかっていた。
乗船時間が長いので、到着した時は本当に『遠くに来たのだ』という
感動をより味わえたのだ。

やがて車両甲板に下りて荷物をZRX400に載せる。
ランプが開くと自然とあちこちでバイクのエンジンを始動し始めた。
暖気である。

ランプ近くの車輌が出て行くまで少し待つと、やがて係員がバイクの
下船を指示し始めた。

@管理人の順番が来てバイクを走らせる。
ランプを出ると朝の涼しい空気に包まれた。
北海道の空気である。

ゆっくりと堪能している暇なく、ガタガタするタラップを下りる。
転倒することなく無事に下りた。

午前4時半頃、ついに北海道の地に上陸した。


↑上陸後、フェリー『らいらっく』をバックに記念撮影


下りてから駐車場に移動してフェリー『らいらっく』をバックに
ZRX400を撮影する。
ZRX400での初めての北海道上陸ということで、無茶苦茶
テンションが上がっていたのだろう。

話は逸れるが、このときに乗船したフェリー『らいらっく』。
約9年後の平成16年(2004年)7月、新造船就航により引退。
その後はフィリピンの海運会社に海外売船されて、フィリピンで
活躍していたが、平成20年(2008年)6月に台風6号による荒天中の
航行中にエンジンが故障。さらに高波を受けて転覆し沈没した。

乗員乗客825名のうち、船長を含む773名が行方不明・死亡している。

フェリー『らいらっく』は、戦艦『武蔵』他が眠る同じシブヤン海の
深い海底で眠っている・・・。

----------



一段落してからターミナルビルに行き、帰りの便を
一日遅くして、9月30日晩出発に変更した。
台風14号を考慮してのことだ。

とりあえず今日は稚内方面に行ける所まで移動することにした。
宗谷岬まで行けるだろうと思っていたらしい。

朝5時、小樽出発。
日の出直前だったのでまだ暗い。

小樽からはR5を札幌方面に移動する。
この頃になると日の出を迎えて明るくなってきた。



↑小樽市桜2丁目付近で撮影。
 グーグルマップのストピューで確認したら、
 今のセイコーマート桜町店前付近でした。


予定ではR337~R231と考えていたのだが、
銭函のR337分岐点を行き過ぎてしまい、R337を見失った。

当時のR337はJRの銭函駅北側(海寄り)を通っていた。
今のr225がそのルートだ。
そのR337(当時。現r225)分岐点を行き過ぎて、ルートを
ミスったことに気が付いたのが手稲付近。

そこで手稲からr44に入ってR231に向かうことにした。

走り初めてすぐにミスコースするとは・・・

しかし、記録に『ひたすら直線 感動!』と書いているところみると、
焦ってはいなかったようだ。

どうにかR231に入り、予定コースに復帰。
そのまま淡々とR231を進む。



やがて国道は海岸沿いを進むようになる。
すぐ右側は断崖で、海岸付近のわずかな平地に道路を通して
いた。そして断崖をくりぬくように幾本かのトンネルを通り
抜ける。

北海道の道といえば、広大な大地を走るというイメージがあったのだが、
断崖絶壁が続く険しい地形も通り抜けることを初めて知った。

ちなみにR231は、このときのツーリング以来走っていない。
また機会があれば走って見たい道の一つである。

午前7時半頃、雄冬岬近くの『白銀の滝』前に到着。
道沿いにあるPAで休憩がてら朝食を食べている。



この後はR231をひたすら北上。
午前8時頃に留萌に到着し給油。
留萌からはR232に入り、日本海を左側に見ながらひたすら
海岸沿いを北上する。

羽幌市街を通過し、午前10時前に巨大なオロロン鳥のモニュメント
前に到着。



このオロロン鳥のモニュメントの写真を何故か撮りまくっていた。
謎・・・。

ここで長崎から来たライダーさんと出会う。
彼も北に向かうというので、しばらく一緒に行動することにした。

午前10時半頃に天塩郡遠別町の道の駅『富士見』に到着。
ここであちこちから北海道ツーリングに来ているライダー達と
出会っている。

・会社を退職して日本一周中のライダーさん
・函館を起点に道東→道北と周り夕張方面に向かうライダーさん
・とりあえず北に向かう群馬から来たライダーさん
などなど・・・。

近畿圏での日帰りツーリングでは、こんなに大勢の他ライダーと
話すことはほとんどなく新鮮であった。

皆に共通しているのは『北海道ツーリングにやって来た』という
一点のみ。

それだけで親近感が沸き、どのライダーも社交的になるのだろうか?

いろんなライダーさん達と話している間にお昼前になって
しまったので、長崎ライダーさんと一緒に昼飯を食べた。

正午過ぎ、長崎ライダーさんと別れて単独走行に戻る。

天塩郡天塩町からはr106に入る。
ないもない原野を走る直線道路で、『北海道に来た!』ことを
実感できる。



やがて北緯45度線を越える。
かなり北までやって来たのだ。

この先でr106から一度離れてサロベツ原野に立ち寄る。
道中に広大な牧場があって乳牛の姿を見る。
外で放たれている牛を見て、北海道に来たことを認識する。

r106に戻り再び北上。
時間的に宗谷岬行きは断念してノシャップ岬に立ち寄った。



コンクリート護岸が岬ですか・・・
まぁ、こんなところもあるかなっと。
かなり落胆したのを覚えている。

以後、現在に至るまでノシャップ岬には訪れていない・・・

ふと、今(2020年)はどうなっているのかと、グーグルマップのストビューで
見てみたら、整備されてきれいな岬になっていた。
(写真の岬の標は残っているようです)

25年も経てば変わるものですな。

17時頃、稚内市街に到着。
小樽出発後12時間ほど経過していた。
稚内市内で宿泊することにして宿探しを始める。

最初はライダーハウスを考えていたのだが、場所が分からず断念。
市街をウロウロしている間に日没近くになり焦りだした。

で、ふと思いついたのはユースホステル(YH)である。
幸い当時稚内には二軒のYHがあった。
まず稚内モシリパYHに向かったが、営業しているのかどうか
分からず通り過ぎてしまう。(たぶん営業していたのだろう)

次に市街地から離れて坂を上った丘の上にある稚内YHに
向かった。
こちらは営業しており宿泊できたが、到着した時間が遅かったので
夕食はなし。
荷物を置いてから稚内市街に夕食を食べに出かけた。
どこで何を食べたから覚えていないが、1200円で何かを
食べている。

YHに戻ってから風呂に入る。
相部屋だが、他に宿泊客はいなかったので貸切状態。
記録をつけるなどしたが、疲れから22時ごろには寝たようだ。

走行距離:401km

>>つづく



北海道ツーリング1995(2)

2020-10-11 11:55:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月23日(土)

朝4時頃に近くの乗客の鼾で目が覚める。
今のような個室ではなく、二等雑魚寝ルームだったので、
近隣の乗客の鼾がもろに聞こえてくるのだ。

目が覚めてしまったので、30分ほど船内をウロウロして
5時頃に寝床に戻り再び寝た。


↑乗船したフェリー『らいらっく』
 今はシブヤン海の海底で眠っている・・・
 (フィルムの劣化が進み色がおかしいです)

 

9時頃に起きる。
昨晩のライダーさんと出会い、あれこれと話しながらコースを
考えた。

とりあえず当初の予定が無謀であることを悟ったようで、
ノートには変更後のコースが記してあった。


以下、変更後のコース

三日目(9/24)

小樽~R5~R337~R231~留萌~R232~羽幌(泊)
(約240km)

四日目(9/25)

羽幌~R232~r909(今のr106?)~稚内~R238~
宗谷岬~R238~サロマ湖~R238~網走~R244~斜里(泊)
(約510km)

五日目(9/26)

斜里~神の子池~裏摩周展望台~開陽台~R244~R335~
羅臼~知床峠~ウトロ~R334~斜里~R391~屈斜路湖~
R391~釧路(泊)
(約400km)

六日目(9/27)
釧路~R44~根室~納沙布岬~根室~R44~釧路~R38~
~帯広~R38~新得(泊)
(約440km)

七日目(9/28)
新得(泊)~R38~富良野~R38~滝川~札幌~小樽
~フェリー乗船
(約240km)

以後、同じ。


北海道ツーリング1995(1)

2020-10-08 20:32:00 | ツーリング/ドライブ
初の長距離バイクツーリングなのだが、全く未経験の領域だった。

とりあえず、今は休刊中の『アウトライダー』を参考にしていろいろと
準備をする。

まずはカメラ。
当時はデジカメなんてものは市販されておらず、フィルムカメラのみ。
一眼レフとコンパクトカメラの2つを用意。
さらにカメラ屋で24枚撮りフィルム10本パックを購入している。
カメラ用電池と単四電池も購入。

ちなみに一眼レフはミノルタのα7000。
単四電池を大量に消費したので、かなりの本数を用意していた
はず。

デジカメが当たり前の今からすると、カメラの用意だけでも大変
だったのだ。

ツーリング用バックやカメラバックも購入し、ZRX400に搭載して
固定方法をいろいろと試して検討したりしていた。
この時に購入したカタビラは今も使っている。

あとは乗船券の予約、お金の用意、地図類の用意などなど・・・。
そして準備を終えて出発当日を迎えた。

◆平成7年(1995年)9月22日(金)

記録によると、18時頃に自宅を出発。
阪和道~近畿道~中国道~舞鶴道(当時。今は舞鶴若狭道)で
舞鶴に向かう。

しかし、吉川Jct付近でガソリン残量が少ないことに気が付く。
出発前にチェックして満タンにしておけよと・・・

丹南篠山口IC近くでレッドゾーンにかかりそうになった。
西紀SAのGSが営業しているか分からないので、篠山口ICで
一般道に下りる。
時刻は19時半頃だったので、一般道沿いなら営業しているGSが
あるはずだ。

少し走ると営業しているGSを発見し無事給油。
篠山口ICから再び舞鶴道に入り北上した。

当時の舞鶴道の終点であった舞鶴西ICで下りて舞鶴市街へ。

ところが舞鶴港が西港と東港に別れていることを知らず、
確か西港に行って間違いに気付いて東港に行ったように思う・・・。

給油騒動や舞鶴市街での迷走があったが、21時半頃に舞鶴FTに
到着した。



この日に乗船したのはフェリー『らいらっく』。
昭和59年(1984年)から舞鶴・小樽航路に就航しているフェリー。

乗船手続きを終えたあと、同じく北海道ツーリングに向かう
ソロライダーさんと話し込み意気投合。
以後、小樽到着まで船内での行動を共にすることになる。

22時15分頃にフェリーに乗船。

そして23時30分、フェリー『らいらっく』は定刻通りに出港した。

>>つづく