気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

東の部終了

2013-08-24 01:43:00 | ノンジャンル
今週はめちゃ忙しいのです。
仕事ではなく趣味の方ですが・・・。

とりあえず東の部終了。

御殿場まで行って用事済ませてすぐ帰阪。
約29時間の強行軍でした。

まぁ、なんですわ。

生ヒトマルはイイ! (・∀・)b

で、土曜日の夜から今度は西の部が始まります。
天候が回復することを祈っております。

昔の戸籍謄本がでてきますた

2013-08-04 11:17:00 | ノンジャンル
実家でとある書類を探していたら、親父の遺品の中から
かな~~り昔の戸籍謄本が出てきました。

発行されたのは大正10年5月のこと。
おそらく祖父が何かで提出するために謄本をとったのでしょう。
それがそのまま残っていたのでしょう。


これがその戸籍謄本。
今のようにプリンターで印刷ではなく、
一枚一枚原本を見て、一字一句間違いなく書き写していた
ようです。
さぞかし手間と時間がかかったことでしょう。




戸籍謄本をみると、
主は曾祖父となっております。
驚くことに、曾祖父の亡父、すなわち高祖父の名前まで
記載されています。

曾祖父(3代前)の名前は知っておりましたが、
高祖父(4代前)の名前を知ったのは初めてです。

明治34年生まれの祖父は曾祖父の四男でした。

曾祖父の出生は文久時代(1861.3.29~1864.3.27)
曾祖母の出生は安政時代(1855.1.15~1860.4.8)

ともに江戸時代末期の生まれ。
幼少時代は刀を持ったお侍様がうろうろしておられた時代。
黒船来航~桜田門外の変~明治維新の激動の時代を
リアルで過ごした世代です。

そして日清・日露戦争も体験されたわけですな。

曾祖父の長男さんが、明治38年2月に22歳で亡くなられて
いるのは興味深いところ。
黒溝台の戦いの後か・・・。
散華されたのかもしれません。

この時代は家基本の戸籍制度なので、祖父の兄弟と従兄弟も
同じ戸籍に入っています。
なので他にもいろいろ記載されていますが、ちと書けない話なので
割愛しますです。

戸籍からいろいろと想像できるのはおもしろいです。


さて、この戸籍によると明治9年(1876)に曾祖父が戸主になって
いるので、その頃に高祖父は亡くなった模様。

謄本が発行された大正10年(1921)において、曾祖父は61歳、
曾祖母は63歳。
当時としては後期高齢者(終末期か?)に入る年齢で、
おそらく大正後半~昭和初期には亡くなれていると思います。
(意外と長生きしたかも・・・)



こちらは謄本であることの証明。
島根県簸川郡(ひかわぐん)荘原村とあります。
(公的な記録にお名前が残っているので、村長さんのお名前は
消しておりません。)


JR山陰本線に荘原という駅がありますが、その付近にあった
村です。
昭和30年に付近の村々と合併して斐川村のちに斐川町となり、
平成23年に出雲市と合併、出雲市斐川町となっています。

宍道湖の南側か。
この付近は訪れたことないなぁ。

ちなみに母方の祖先を辿ってゆくと鳥取県に辿り着きます。

私のルーツは出雲にあるようです。

なにはともあれ、あめふらし@管理人の3代前までは
日本人であることが判明したわけです。

ちなみに今の戸籍制度の元になった制度ができたのは
明治5年(1872)のこと。別名壬申戸籍というそうです。
これ以前はお寺や神社などにある過去帳などを見ないと
分からないようです。

およそ150年ほど昔にまで遡って家系を確認できる
戸籍制度はすごいですね。
少なくとも日本人であるかどうかが分かります。

この制度を壊そうとした連中、何を狙っていたか分かりますね。

とりあえず、残っている私の戸籍謄本や原戸籍謄本は
大事に保管して、子孫代々受け継げさせます。
いつ記録が無くなるか分かりませんからね。