気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

北海道ツーリング1995(10)

2020-12-31 22:08:00 | ツーリング/ドライブ
最後までお読みいただきありがとうございました。

本来なら10月中に全てアップする予定だったのですが、
10月下旬の”しまなみ海道ツーリング”が終わってから、
仕事が忙しくなり記事を書く時間が確保出来ない状態となって
しまい、12月末までかかりました。

もともと個人サイトを立ち上げるときに記事にする予定だったの
ですが、後回しにしていたら20年ほど経過してしまいました。

初北海道ツーリングから25年経ったということで、こうして
やっとアップした次第。

25年前のツーリング記を書いていたら、まだ20歳代だったゆえ
めちゃ元気に走り回っていたんだなと気が付きました。

『昔は良かった・・・』と昔を懐かしむ年頃になったんだな・・・。



↑今は無き稚内YHで購入した『とほ』と入会して渡されたYHガイド。いまだに持っています。
この当時のガイドに掲載されたYHの多くが閉鎖されています。
「とほ宿」も閉宿した宿が多くなってきています。
『人と人との交流』が減ってしまうのも時代の流れですかね・・・


さて、この年のバイクツーリングの後、
@管理人は平成8年(1996年)は春に九州・四国、夏に信州を
ツーリング。(ツーレポは未アップ)
平成9年(1997年)初夏に四国をツーリングして経験値を上げて
から、秋の北海道ツーリング1997で再度北海道ツーリングに
向かっています。

以後、13年ほど連続で渡道するほどツーリング&旅行に向かうほど
北海道にハマってしまいました。

その原点となったのが『北海道ツーリング1995』。

当時撮影した写真のネガをスキャンし直して見直すと、
不思議なことに当時の出来事などを繊細に思い出せます。
よほど記憶に残ったツーリングだったようです。

あと5年ぐらいしたら同じルートを辿ってみても良いかもなぁ。

<<終わり>>

北海道ツーリング1995(9)

2020-12-31 21:53:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月30日(土)

小樽出港後、日付が変わる頃に寝てしまった。

翌30日は9時頃に目が覚めた。

日本海のどこかを進んでいるのだろう。
それにしても船が揺れている。
どうやら海は荒れているようだ。

起きてから昨日買ったパンを食べる。
それからダラダラ過ごす。
帰路は長い。
往路は北海道の予定を考えたりしていたが、帰路は何もすることが
ない。

『帰ってからの仕事のことを考えよう!』なんてことはなく、
『昨日の今頃は・・・』
『一昨日の今頃は・・・』
・・・と、楽しい北海道ツーリングの出来事を思い出すだけである。

ダラダラしていたら眠たくなったので、11時頃に昼寝モードに入った。
14時前に目が覚めた。
ダラダラしていたら、北行き(小樽行き)の『しらかば』と
すれ違うというアナウンスが流れた。

カメラを持って急いで甲板に向かったが、着いた頃には
『しらかは』は遙か遠くに去った後だった・・・。(´・ω・`)


↑復路に乗船したのは『ニューはまなす』。
昭和62年(1987年)3月に新潟/小樽航路に就航。
平成14年(2002年)4月に引退後はオリエントフェリーに売却され、日中間の国際航路に就航。
平成27年(2015年)12月に引退となり、平成30年(2018年)に解体された。


その後、昼飯としてカップラーメンを食べてから風呂に入る。
昨晩乗船後すぐに入りにいったが、人が多くて身体を温めただけで
出たので、ゆっくり入りたかったのだ。

浴室に入ると誰も居ない。貸し切りだ。
身体を洗ってから湯船に浸かる。

フェリーは相変わらず揺れている。窓からは荒れた海が見える。
揺れるフェリーに合わせて、浴槽内のお湯に波ができる。
『波のある風呂』である。

時々フェリーが傾くと湯船からお湯が溢れたりもする。
身体も移動する。
そして浴槽波に呑まれる。
その繰り返しだった。
荒れた海を進む時のフェリーの風呂は面白かった。


↑日本海に沈む夕陽。
この日の夜遅くから日本海側は雨が降り出したようだ。

風呂を出てからダラダラして、18時頃に夕食。
その後に甲板に出て小樽で知り合ったライダーさんとビールを
飲んで、北海道の話で盛り上がった。

そして22時過ぎに寝た。

◆平成7年(1995年)10月1日(日)

朝の4時過ぎに起きる。
フェリーは若狭湾内に入っているのだろう。
4時半頃には灯りが点いて皆が起き始める。

荷物をまとめて下船準備を終える。
いよいよツーリングの最終行程である。

5時半頃に車両甲板が開放され、荷物を持って下りて行く。
当時は今ほど厳しくはなく、接岸前でも開放されていた。

雨が降っているのは分かっていたので、荷物を載せた後に
雨具を着込む。

5時50分頃、フェリーは舞鶴FTに入港し接岸。
ランプが開くと、むわ~と蒸し暑い空気が入ってきた。
本州の空気である。

皆エンジンを掛けてバイクに跨がる。
係員の指示で下船。
タラップを下りて埠頭に下りた。
先月9月22日(金)以来、9日ぶりに舞鶴に帰ってきたのだ。


↑雨の中、舞鶴に到着。到着を記念してターミナルビルをバックに撮影。
藤井寺のライダーさんに撮影してもらった。


舞鶴は雨・・・。
気象庁の過去データによると、舞鶴の午前6時台は3.5mmの
降水を記録している。
結構強く降っていた。

甲板で再会した藤井寺のライダーさんとターミナル前で合流して、
6時半頃に舞鶴を出発した。

雨の中、早朝の舞鶴市街を走る。
海自の舞鶴基地横を通り過ぎる時は護衛艦を横目でチラリと見て
過ぎた。

R27を走って舞鶴西ICから舞鶴道(当時。現在は舞鶴若狭道)に
入る。
雨の中を淡々と舞鶴道を南下する。
一人ではないので気が楽だ。

7時半頃に西紀SAに到着する。
休憩中、同じフェリーで舞鶴に着いて広島に帰るというライダーさん
と出会う。
早朝に荷物満載のバイクは北海道帰りである確率が高いようだ。

しばらく雑談してから3台で出発。
全く知らない者同士、バイクで北海道を走ったということだけで
意気投合できる。ホント素晴らしいことだと思う。
バイクツーリングの魅力にハマってしまったのは言うまでも無い。

8時半頃に吉川Jctに至る。
広島ライダーさんは中国道を西向かうので、ここでお別れ。
クラクションを鳴らして手を振って別れる。

再び二人となり、中国道~近畿道を走って9時半頃に東大阪PAに
到着し休憩。
ここで藤井寺ライダーさんと別れる。気を付けて~。

大阪は曇っているが雨は降っていなかった。
雨具を脱いで出発する。

一人になった@管理人。
そのまま自宅には向かわず、八尾ICで下りて大阪市内に向かい
母校の高校文化祭に顔を出した。
クラブの顧問の先生に挨拶して雑談。
11時半頃に母校を出発。

あいにく雨が降り出したので再び雨具を着て出発。
地道を走って正午過ぎに自宅に到着。

9月22日(金)18時頃に出発して以来、約10日ぶりの自宅である。
バイクを車庫に入れて荷物を持って玄関から入る。

「ただいま」と言って居間に入ると、
飼い猫たちは一斉に逃げ出したのであった・・・。

おいおい・・・_| ̄|○

走行距離:193km

>>あと少しだけ続きます・・・

北海道ツーリング1995(8)

2020-12-28 00:19:00 | ツーリング/ドライブ
◆(7)続き

えりも岬YHは『北海道3大○カYH』の一つであった。

『3大バ○』といってもデムパなYHではない。
YH全盛時代に多くのYHでもあった”宿泊者全員参加のミーティン
グ”が色濃く残っているYHのことである。

ミーティングとは、YHのスタッフがギターを弾き、それに合わせて
みんなで唄って騒いだりする親睦会のようなもの。
酒が入るので、巷では宴会ともいう・・・。

その弾け具合がとんでもないことで『3大・・・』と言われている
らしい。

聞く人や年代によっては変わってくるのだが、当時(1995年)では、
桃岩荘、岩尾別YH、えりも岬YHが挙げられていたようだ。

25日~26日にかけて泊まった『さろまにあん』で、宿泊者同士の
宴会に初めて参加して面白かったこともあり、どんな騒ぎなのか見
たくなったのでえりも岬YHを選んだのだが、来る途中に死にかける
とは思わなかった。

宿泊手続きを終えると、ペアレントの「かあさん」がやって来た。
少しの間いろいろと話す。

残念ながら、今晩はミーティングはないそうだ。

どうやら昨晩まで何名かの常連さんが泊まっていたので、三晩連続
ドンチャン騒ぎだったらしい。
その常連さん達は皆出発。今日は宿泊客が少ないし、
(「かあさん」が)疲れたのでお休みするらしいとのこと。

期待と不安が入り交じって来たのだが、ないとなると残念だ。

大広間(?)は大人数で騒ぐには丁度良い広さである。
誰も居ないのだが、そこに一匹の三毛猫がいた。
呼ぶと近寄ってきたので、バイクのキーをジャラジャラさせると
じゃれついてきた。

よく見るとお腹に傷があった。
ヘルパーさんによると、寒いときに車のエンジルームにいたらしく、
エンジンを掛けたら・・・((((;゚Д゚))))

その時の傷らしい。
それから飼い猫になったとか。

聞くと名前は『ミント』という。
他に話し相手もいないので、部屋に荷物を置いてから即席の
おもちゃを作ってミントと遊んでいた。

その後に一人のライダーさんがやって来た。
原付バイクでツーリングしているとのことだが、あの強風の中を
走って来たとのこと。

よくぞ無事で・・・

夕食後は何をしたか覚えていない。
かなり疲れていたので早々に寝たように思う。

明日は北海道滞在最終日である。


↑北海道最後の宿となった、えりも岬YH。
えりも岬YHは、その後YHとしては平成13年(2001年)頃に閉館。
民宿『仙庭』として営業を続けていたが、平成29年(2017年)5月末で廃業となった。

前に記事書いていました。>>元えりも岬YH閉宿



◆平成7年(1995年)9月29日(金)

朝6時頃に起きたようだ。

天候は晴れ。朝から快晴である。
外に出て付近を散歩。
えりも岬YHには犬『トラ』もいたので、トラとも遊んだ。

朝食後、荷造りとバイクに載せて固定する。
もう手慣れたものである。

出発まで時間があったのでミントと遊ぶ。
8時半頃、「かあさん」とヘルパーさんに挨拶して出発した。

出発してすぐに襟裳岬に到着する。

当時は灯台と駐車場と土産物屋などの必要最小限の施設しか
ない”果ての地”らしい岬で、まさしく昔ながらの観光地だったのだ。

『風の館』の姿はまだない。
ちなみに『風の館』は2年後の平成9年(1997年)6月にオープンしている。


↑襟裳岬の標。
先に見える岩礁は日高山脈の続き。
山が海に没している所で、長年の浸食でこうなった。


岬一帯をウロウロして駐車場に戻る。
さて、出発しようとしたら、見覚えのある犬が駐車場でウロウロして
いた。
えりも岬YHにいた『トラ』である。

心配になりYHに電話すると、
「あ~、いつも散歩に行くんですよ。しばらくしたら(YHに)戻って
来るので大丈夫ですよ~」とヘルパーさん。

YHからここまでが散歩コースになっているようだ。
「気を付けて帰りや~」と声をかけて岬を出発した。

襟裳岬からは道道~R336経由で一路浦河に向かう。

さて今日も風は吹いているが、昨日の強風は何だったのかと
思うほどの弱い風だ。(風速5m/s前後)
天気は快晴で気持ちの良いシーサイドランを楽しみながら走る。

幌別からはR236に入る。ほどなくして浦河市街に至る。
この頃の日高本線は様似までの全線で運行されていた。
様似からは日高本線の線路を見ながら走ることになる。

浦河市街を過ぎると道はR235となる。
日高地方と苫小牧を結ぶ唯一のルートとなることから、
交通量が多いが流れは良い。
淡々と海岸沿いを進んで行く。


↑浦河市街からはR235となる。
 ちなみにR235のルーツは明治国道四三号線にまで遡る。

道の駅『みついし』に入り損ねる。
その後も淡々とR235をひた走り新冠に到着。
競走馬の牧場で有名な場所であるが、@管理人は興味が無いので
そのまま通り過ぎた。(^^;)

門別に到着したところで給油。
ホクレンのGSだったようで、ここで初めて旗をもらって旗の存在を
知った。
初日にもらっていれば集めていたのに・・・
仕方ないか。

門別からはR237に入り北上。
海沿いから山間へと入って行く気持ちの良い快走路だが、
大型車の通行が多い。
2日ぶりの山間走行を堪能する。


↑日高からR274へ。
 R237との交差点から少し進んだ辺りで撮影。


13時頃に日高でR274に入る。
ここからは豪快な山岳国道となる。

「こんな所によくぞ道を作ったな」と感心するような深い山中を走る。
大型車の通行が多いが、その分ペースが遅くても煽られることもな
く、初診者ライダーには丁度良いペースで走ることが出来た。

別名『樹海ロード』と呼ばれる、アップダウンと急カーブが続く
山岳ワインディングを走り続ける。

いい加減疲れてきた頃に夕張近くに至る。
夕張物産センター(だったかな?)があったので立ち寄り休憩する。

ここで夕張メロンソフトを購入して食べる。(゚д゚)ウマー

道東道はまだなかった頃なので、夕張からもR274を走る。
調べたら、道東道の十勝清水IC~池田IC間すらも供用開始約一月
前だった。
今では道東道は道央道と直結して釧路近くまで繋がり、
道央と道東を結ぶ主要ルートとなっているのを見ると四半世紀の
時の流れは大きい。

さて@管理人は、R274をそのまま札幌までは走るのは面白くない
と思ったのだろう。
川端からは道道(r462)に入って追分に出ている。
そのまま道道(r262)に入り西に向かい、R337に入って千歳市街に
向かった。


↑道道かR337を走っているときに見かけた光景。
 広大な畑の中に立つ木を見て停まって撮影した。


この頃はR337バイパスは開通していない。建設中だったかな?
今は旧ルートとなる2車線道を走って千歳市街に到着したのは
15時頃であった。

千歳から支笏湖経由で小樽に行こうとしたのかも知れないが、
千歳市街で迷ってしまい、R36を新千歳空港付近まで走って
しまった。
この一件で高速に乗って移動することにし、16時頃に千歳ICから
道央道に入った。

あとは小樽まで一気に走るだけであるが、疲れてきたのだろう、
輪厚PAで休憩している。
この頃になると空は曇ってきた。

曇り空の下、出発。
道央道~札樽道というルートで小樽に向かうが、手稲付近から
ポツポツと雨粒が落ちてきた。
雨になりそうな気配だったので、金山PAに入り雨具を着る。
搭載した荷物も雨モードにしてから出発。

案の定、小樽手前から雨が降り出した。
最後の最後に雨か・・・。

小樽市街に到着したのは18時頃だった。
雨の中、とりあえず小樽駅前まで走る。
駅前に到着すると雨が強く降ってきた。こうなるとどこにも行きたく
なくなる。
そのまま小樽FTに移動する。
小樽運河を過ぎてしばらく行くと新日本海フェリーが見えてきた。
本日乗船する『ニューはなます』だ。

小樽FTには19時前に到着。
これにて北海道での走行は終わりを告げた・・・。

バイク置き場で大阪の藤井寺から来たというライダーさんと知り
合う。この方も北海道を回って同じ便で帰るという。

復路のフェリーの出発までの約4時間の間、この方と行動を一緒に
する。
どこに行くこともなく、ターミナルビル内をウロウロしてお互いの
ツーリングの話をするだけであったが、それが楽しかった。

22時半頃、バイクの乗船が始まる。
タラップを登るが雨で濡れおりタイヤが滑る。
「これで北海道ともお別れだ」という感傷に浸る余裕はなかった。

車両甲板にバイクを停めて荷物を降ろす。
荷物を持って客室へ。


↑フェリーから撮影した小樽の夜景。 ついに北海道ともお別れである。

出港までのわずかな時間の間、外に出て小樽の街を眺める。
6日前に初めてバイクで北海道にやって来てから、あちこち走った。
霧で怖い思いをし、風で死ぬかと思ったりした。
いろんな方と出会い、宿では楽しいひとときを過ごした。

あっという間の6日間だった。(´・ω・`)

23時、フェリー『ニューはなます』は小樽港を出港。
舞鶴に向かった。

また必ずやって来るぞ!

走行距離:384km

>>つづく


北海道ツーリング1995(7)

2020-12-03 23:22:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月28日(木)

昨晩、もう一人宿泊客がやって来たが、部屋に来てベットメイキン
グをするとそのまま寝てしまった。

こちらは翌日(28日)のルートを考えていたが、ほどなくして遅れて
やってきた宿泊客が歯軋りを始めた。
これは眠れるかと心配したが、こちらも疲れ切っていたので
歯軋りを気にしないまま寝てしまい、明朝まで熟睡していた。

朝6時半頃に目が覚めた。
ベットでダラダラしながらコースを考える。

今日は阿寒湖~釧路~根室~釧路(泊)と考えたが、
明日の晩には小樽に着かねばならないため、少しでも小樽に
近づくよう西に向かうことにした。
釧路根室プランは放棄。次回以降の北海道ツーリングで訪れる
ことにしよう。

さて、朝食を食べた後に荷物をバイクに載せて8時半頃に
阿寒湖YHを出発した。



宿泊した阿寒湖エンジェルYH。
雨の中たどり着いた阿寒湖エンジェルYHであるが、数年後に閉館している。
6年後の平成13年(2001年)9月の北海道ツーリングでYH前を
通過した時にはすでにYHの看板を下ろしていた。
この6年間に閉館したのだろう。
今は建物は解体されて更地になっているとか・・・



阿寒湖を出てからR240~R241経由でオンネトーに向かう。

オンネトー周辺は温泉地としても有名で、湯の滝は温泉が流れ出す
滝として有名である。

その湯の滝に入浴できると聞いたのでやって来たのだが、
駐車場から歩いて片道約30分かかるという。

時間的に厳しいので今回はオンネトーを見ただけで出発する。


↑オンネトーは雌阿寒岳の麓にある全周約2.5kmの湖。
 雌阿寒岳の噴火で螺湾川が堰き止められて出来た堰止湖である。
 天候などにより湖面の色が変化する神秘的な湖として有名。


このオンネトー湯の滝であるが、微生物によって酸化マンガンが
生成されることがわかり、現在は入浴禁止になっている。

平成7年頃がどうだったか覚えていないが、たぶんすでに入浴禁止
になっていたのだろう。

で、代わりに滝の下に噴水池のような代わりの露天風呂が
作られた。
滝上から円形の湯船に温泉を引っ張っていたらしい。

しかし、この代わりの露天風呂から流れ出す湯が
酸化マンガンの生成量に影響することが判明。
代わりの露天風呂も入浴禁止となり、平成17年(2005年)以降は
滝周辺での入浴は出来なくなった。

平成10年(1998年)9月にオンネトーを再訪した@管理人は、
この代わりの露天風呂に入浴している。

今ではこの代わりの露天風呂もなくなったそうなので、
大変貴重な入浴をしたことになった。


↑平成10年(1998年)9月に撮影した湯の滝。
滝上から下を撮影。
右の円形湯船が代わりの露天風呂、左の小屋が脱衣所。
今は全て撤去されているとのこと。


閑話休題。

さて、オンネトーを後にした@管理人は阿寒湖に戻り、
バスターミナルの土産物屋で土産物を購入。

その後はR240で釧路に下り、釧路湿原展望台に立ち寄る。
ここでは阿寒湖YHで同泊したオフロードライダーと出会った。
湿原の木道を歩こうかと思ったが、時間的に厳しくなって来たので
歩かずに出発する。


↑釧路湿原展望台から撮影。
展望台から東方向の湿原ではなく、西方向を撮影している・・・


釧路湿原展望台を出発した後はR38に出る。
当時は道東道は影も形もない時。
ひたすらR38を西に向かう。
大型トラックが多いが流れは良い。

この日は晴れていたのだが、風がかなり強かったと記録に書いて
あった。
気象庁の記録で、この日の白糠の気象データを見てみると、
最大風速7m/sの南南西の風が吹いていたらしい。

14時頃に池田ワイン城に到着。
下戸なのに、ブランデーソフトクリームが目的で寄ったのだが
購入できなかった。
人気商品でたぶん売り切れだったのだろう。
なお、ブランデーソフトクリームはこの後販売中止となったそうだ。
理由は知りません。

池田ワイン城を出てから帯広へ。
帯広からはR236に入り広尾に向かった。
相変わらず風が強い。

目的地は愛国駅と幸福駅。
ともに昭和62年(1987年)2月で廃線となった旧国鉄広尾線の駅。
両駅とも縁起の良い駅名ということで『愛の国から幸福へ』と
いう縁起切符が販売されて一躍大ブームを引き起こした駅である。
そんな経緯があることから廃線後も駅舎は保存され、縁起切符も
販売されているのだ。

そんな訳で鉄オタでもある@管理人なので寄らずにはいられ
なかったのだ。

15時頃に愛国駅に到着する。
ローカル線らしい駅である。
昭和54年(1979年)に改築された駅舎とかで、廃止後16年ほど経過
しているが管理されているので綺麗な状態だ。

駅舎とホームが保存され、駅舎は記念館となっていた。
駅前の売店で『愛の国から幸福ゆき』の切符を買ったはずなのだが
行方不明。
実家の元自分部屋の押し入れにあるはず・・・。


↑愛国駅には9600形蒸気機関車19671が静態保存されている。

愛国駅前でこれからのルートを考える。
時間的に襟裳岬まで行けそうなので、えりも岬YHに宿泊予約の
電話をする。
宿泊OKであったが、「風が強いので気を付けて来て下さいね~」と
電話口で言われた。

その後、近くでライダーハウスを経営しているというおっちゃんに
「どこに行くんだ?」と聞かれ、襟裳岬に向かうと答えたら、
「今日は風が強いからやめておけ」と言われた。

風ぐらい大したことないと思ったのだろう。
「大丈夫ですよ~」と笑って答えて出発したが、あとでやめておけば
良かったと後悔することになる・・・

愛国駅から幸福駅に向かうが、何故かその中間にある大正駅に
立ち寄る。
大阪環状線にも大正駅があるので、大正駅繋がりで立ち寄った
のだろう。

愛国駅と幸福駅の中間にある大正駅。両隣の駅があまりにも
有名で完全に忘れ去られた駅となっていた。


↑大正駅駅舎。訪れた2年後に解体されたとのことで今は現存しない。
縁起切符ブームにあやかってか『大正から幸福ゆき』(たいそう幸福)の切符も販売されたらしい。


駅前には土産物屋などはなくひっそりとしている。
駅は開業当初からの木造駅舎だろう。廃駅後16年が経過しているが
綺麗な状態で保存されている。

駅舎内がどういう状態だったかは忘れてしまったが、
駅構内に新幹線の0系先頭車両が保存展示されていた。

当時は「なんで?」と疑問に思ったが、今ググったら経緯が判明。
いや~ インターネットで便利ですね~

この先頭車、昭和42年(1967年)度製の22形56号車だった。
元K34編成の東京方先頭車で、昭和57年(1982年)に廃車。
廃車後、同年7月~9月に開催された『北方圏農林博覧会』で展示。
博覧会終了後は帯広周辺を転々としたのち、この大正駅に
落ち着いたというわけ。
新幹線を東西に走り回って多くの乗客を運び、博覧会では多くの
来場者の目に触れた22-56も、余生は大正駅跡でひっそりと過ごし
ていたのだ。


↑大正駅で保存されていた22-56。下のレールは標準軌に広げられたのだろうか?
なお大正駅の施設撤去後は、先頭だけのカットモデルとなり池田町の
宿泊施設に移設されたが、平成15年(2003年)に撤去されたとのこと。


大正駅を出て南隣の幸福駅に着いたのは16時頃であった。
こちらは観光地と化していた。

駅舎が保存されていたが、駅舎内部の壁一面と外壁にまで切符や名刺や
メッセージ用紙などが貼られており、廃駅となってからも訪問客が
やって来ていることを示していた。


↑平成7年(1995年)当時の幸福駅駅舎。こんな状態でした。
 平成25年(2013年)に老朽化のため建て替えられている。


ホームと線路も保存。
線路にはキハ22が2両(キハ22-221,238)と除雪車が
保存されており、キハ22は今にも動き出しそうな状態だった。


↑帯広方にあるキハ22-221。後ろに除雪車が見える。


↑広尾方にあるキハ22-238。
 レールにプランターがなければ動いていると錯覚しそう。


滞在もそこそこに襟裳岬に向かって動き出す。
R236に戻って広尾に向かう。


↑R238で広尾に向かう。先にある雲がなんか怪しい・・・

17時前に道の駅『忠類』に到着して休憩する。
空は曇りで雨が降ったようだ。
少し風が強いが、雨さえ降らなければ問題ないだろう。
15分ぐらいで出発する。
襟裳岬まで70kmぐらいなので、あと一時間ぐらいで宿に着くはず。

豊似に着いてR336に入る。広尾の町中までは風は強いが問題なく走れた。
広尾の町を過ぎると『黄金ロード』区間に突入する。


↑広尾の町を過ぎた辺りで撮影。この日最後の写真。
雲が大変怪しい・・・。今考えたら引き返せば良かったのだ。
最悪、これが私が撮影した人生最後の写真となりかねなかった・・・


走行当時は、今のような道路改良事業が開始される前のこと。
目黒トンネルやえりも黄金トンネルなど影も形もなかった。
当時のR336は殆ど海岸沿いを進んでいた。

広尾を過ぎるとほどなく日没を迎えて暗くなっていた。
いくつもの短いトンネルと覆道を通り過ぎる。
所々に路面が濡れている箇所があったりしたが、これが越波による
ものであることが分かったのは、実際にその瞬間を目撃したからに
他ならない。

道路左側は太平洋。
今日は風が強く荒海となっており、場所によっては大きな波が
海岸に達しており、それが越波となっていたのだ。

風が強いことは分かっていた。
この日の広尾の気象庁気象データによると、17~18時台の
風は「西の風 風力4.2~5.4m/s」だった。

西の風が吹いているのだが、R336は断崖下を通っており
トンネルなどが連続するので風の影響はほとんど受けなかった。

問題があるすれば海岸線すれすれを走るとき。
たまに越波があるので注意しなくてはならなかった。
越波を喰らったら転倒しかねない・・・。
ここでも北海道の自然の厳しさを垣間見た。

17時半頃に庶野に到着。
ここまでは風が強いがほとんど影響を受けることなく
走ることができた。

目指す襟裳岬まであと15kmぐらいである。

R336からr34に入る。
横風は吹いているが大丈夫だろうと思って走り始める。

ほどなくして庶野の町中を抜けると、r34は原野の中を
進むようになった。
襟裳岬に向かって、右側は丘陵地帯で左側は海岸線なのだが、
走った当時は日没後で周囲は真っ暗で景色など見えない。
見えるのはライトに照らされた道路のみ。

「こりゃ気を付けて走らないと・・・」と気を引き締める。

場所的には百人浜に入っているはず。
百人浜は約10kmの砂浜が続く海岸線。
なだらかな丘陵が海に入って行く地形なので、風がそのままの
勢いで吹いているようだ。

『百人浜』
この名の由来は江戸時代中期にまで遡る。
1816年(文化3年)南部藩の御用船がこの沖合で難破して、多数の
犠牲者のご遺体が浜に流れ着いた。
運良く生きて海岸に辿りついたものの、その後に亡くなった方の
ご遺体なども含めて、約100体ほど見つかったことから『百人浜』と
名付けられた。

船が難破するぐらいの強風が吹くのだ。
バイクなんぞひとたまりもない。

そんなことを考えて走ったかどうか忘れたが、百人浜に入って
しばらくすると、徐々に横風が強くなってきた。
それもかなり強い。
当時バイク歴1年ぐらいの初心者ライダーでも「やばい・・・」と
思った。

第六感というか、虫の知らせというか、「危ないかも・・・」と思い、
Lowにギアを入れて低速でセンタラーライン付近を走り始めた。

そしてしばらく進むと、凄い突風が吹いて一気に路肩まで
流された。


路肩から飛び出す寸前でどうにか止まる。
ブレーキレバーを力一杯握り、右脚で踏ん張ってニュートラルに
ギアを入れる。
そして転けないように左足で必死に踏ん張った。

後部に荷物を満載しているので、どうしても重心が高くなり、
かつ風が当たる面積が広いので横風を受けると倒れそうになる。

左側は海。

ざっぱ~~ん!

・・・と荒れた大波が海岸に到達しているのが分かる。
なんか、水飛沫も飛んできているような気もする・・・。

「やばい!倒れたら海に落ちて死ぬ!絶対死ぬ! 」

動き出そうにも強風で動けない。
左足が痛くなってくる。

幸福駅で声をかけてくれたおっちゃんは、こんなことがあるから
「やめておけ」と言ってくれたのか・・・

地元の方の忠告を聞いておけば良かったと後悔してももう遅い。

相変わらずめちゃ強い横風が吹いている。
動けない・・・。

なんか、車が一台通り過ぎて行きましたけど・・・
助けてくれないんですか~?

やばいんですけど~~~

動けば横風に流されて海に落ちそうなんですけど~

だれか~
た~す~け~て~く~れ~


このときはマジで死を覚悟しました。

実際は道路から海岸線までは200mぐらいあるので、転倒しても
海に落ちることはないのですが、何しろ周囲が真っ暗なので地形が
全く分からず、恐怖心もあって波音だけですぐ左側が海だと思い
込んでしまったわけですな。

止まっていても何も解決しない。
このまま進むか、引き返すか、迷う。
しかし、引き返そうとUターンしたときに転倒しかねないと思ったの
で、このまま襟裳岬に向かうことにした。

少しすると、強いながらも風が少し緩くなってきた。

動くなら今しかないと、意を決して動き出す。

前後に車はいないし対向車の姿もない。

なので対向車線の路肩まで移動し、ハザートを点灯させて路肩を
走り出す。
逆走で切符を切られようが、命を落とすより遙かにマシだ。

時々よろけながらも、どうにか路肩を進む。

「行けそうだ」と思ったら、再び凄い横風を受けた。
次の瞬間、バイクは再び海岸寄りの路肩近くまで流されていた・・・。

あ・・・ ありのまま
今起こったことを話すぜ!

「おれは対向車線の路肩を走っていたと 思っていたら、
 いつの間にかもとの車線の路肩を走っていた」

な・・・
何を言っているのか わからねーと思うが、
おれも なにが起こったのかわからなかった・・・


(以下略、AA崩れるので略

平成7年(1995年)9月時点で、ジョジョは第四部の終盤なので、
第三部のポルナレフのこの名言を用いてもOKですな。

ほんと、まさしくポルナレフ状態でした。rァ゚A゚;)

実際にはそんなことを考える余裕は一切なく、ひたすら転倒しない
よう踏ん張り続けるだけだった・・・。

沿道には牧場があるので助けを求めても良かったのが、当時は
走るのに必死でそんな考えは全く思い浮かばなかった。

風が少し緩くなったので再び動き出す。
同じようにハザードを点灯させて対向車線の路肩を走る。

横風で流されると危ないので、後続車と対向車のライトが近づいて
来たら止まる。通り過ぎたら走り出す・・・の繰り返し。

何度か流されるが、センターライン付近までで、もとの車線の路肩
まで流されることはなかった。

強い横風走行に慣れてきてきたのか、少し余裕がでてきた。

周りを見てみるが真っ暗で何も見えない。
百人浜のパーキングもあったが、止まると二度と動けないような
気がしたので止まらずに通り過ぎる。

この付近がほぼ中間地点だった。
残り約7kmだ。

パーキングを過ぎてしばらく走ると風が少し弱まった。
弱まったと言っても強風には変わりはないが・・・。

雑木林の中を進むようになると、風は木に遮られて幾分とマシに
なった。

対向車線の路肩走行をやめて、元の車線を走ることにする。
それでもセンターラインギリギリを走るようにしていた。

路肩には『○km』という距離標識が設置してある。
たぶんR336分岐点からの距離だろう。
これが15kmぐらいまでカウントすれば襟裳岬の町中に
着くはずだ。

横風を受けて走りながらカウントする。

8,9,10・・・

約1kmの間が異常に長い。
普通なら1分ほどで走り抜けるのに、2分ぐらいかかる。

11,12・・・

やがて12kmの標識を通り過ぎると民家の灯りが見えてきた。

着いた!

あっけとなく着いてしまったが、兎にも角にも生きて
えりも町の町中に着いたのだ。
思わずガッツポーズをとる。

この付近になると強風だが流されることはなくなった。

そして小学校の体育館が見えてきた。体育館は灯りが点いていた。
その向かいが今日の宿となる”えりも岬YH”である。

18時頃、@管理人は無事に生きてえりも岬YHに到着したのでした。

ちなみに、気象庁のデータによると、平成7年(1995年)9月28日の
17~18時におけるえりも岬の風は、
西の風で風速26m/sでした・・・。Σ(゚Д゚;)

風速26m/sって、
『なにかにつかまっていないと立っていられない』
『通常速度での車の運転が困難になる』
・・・ぐらいの風らしいです。



百人浜付近は26m/s以上の風が吹いていたと思うので、
車で運転困難なら、バイクは運転不可能になるぐらいの風速では
なかったかと・・・。

しかし、知らぬ事とは言え、そんな強風の中を荷物満載のバイクで
走り抜けたものだ・・・。
今なら絶対に走らない。

さて、えりも岬YHに入り受付をする。

対応してくれたスタッフさんは、
「まさか、この強風の中やって来るとは思わなかったよ。
 てっきりキャンセルになると思ってた」
・・・と言われた。

「え?そんなに強い風だったんですか?」と尋ねると、

「最大瞬間風速30m/sあったらしいよ」

ひえええええ~~~ ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
よく無事に、五体満足で到着できたな、おれ・・・。

北海道の自然の厳しさ、風の怖さを実体験した@管理人でした。

この体験があるので、以後のバイクツーリングでは少々の横風は
平気になったとかいう話もありますが、それは定かではありません。

走行距離:396km

>>つづく