小島(おしま)は島全体が要塞化されており、砲台や探照灯など
の施設跡があちこちに残っています。
小さい島ですが小さい山のように標高差があって、素人ながら
この島が要塞に適していることが判ります。
要塞の施設跡は遊歩道が整備されているので迷うことなく
散策できるようになっています。
渡船乗り場近くにあった案内地図。
ご覧のような感じで配置されています。
案内にある通り、南→北の順に回ってゆきます。
●探照灯台跡
島の南端にある探照灯台跡。
見えている階段を上がった場所に探照灯があったようです。
こう見ると何かの遺跡の入口っぽいです。
階段下は詰め所というか部屋のようですが、内部は水が溜まり
入ることができませんでした。
石積の壁ですが、同じ形に揃えられ綺麗に積み上げられて
います。
石の間にはセメントが盛られていますが、そのセメントも
綺麗に盛られています。
100年以上前のセメントですが欠けたりすることなく、
いまだに綺麗に残っています。
軍事施設であろうとも、隅々まで綺麗に丁寧に作り上げて
いるところに、”日本人らしさ”を感じます。
訪れた日、探照灯台跡では地元の方々が掃除と伸びた草木の
伐採作業をしておりました。
話を伺うと、夏場はジャングルのように生い茂り、ヤブ蚊や
虫が飛び回るとか。
「訪れるなら夏は避けた方が良いよ」と教えてくださいました。
●発電所跡
少し急な坂道を上った所にあるのが発電所跡。
ご覧の通り煉瓦造りの建物。屋根は修復しているようです。
ここの要塞は短期間で完成していますが、煉瓦を丁寧に積み上げて
います。
煉瓦は舶来品なんでしょうかね?
触った感じはスベスベしていました。
江田島の海軍兵学校の建物に使われている煉瓦と同じ感触で
した。
100年以上前の建物ですが、煉瓦作りの建物は丈夫なんですね。
●南部砲台跡
南部砲台は馬島~糸山間の来島海峡を射程範囲におさめるよう
配置されていました。
ここには12cm加農砲2門が据え付けられていたそうです。
今は木々が成長して生い茂って森になっていますが、
竣工当時は木々はなく視界が確保されていたと思います。
写真のスロープを上がったところが砲の砲座跡です。
砲弾を運ぶためにスロープにしているのでしょう。
南部砲台の地下兵舎。
中には何もありません。
●弾薬庫跡と兵舎跡
兵舎跡と思われる場所は平地になっていましたが、
畑と雑木林になっていて痕跡は見つけることができませんでした。
弾薬庫跡ですが、弾薬庫跡に向かう道が台風21号による大雨で
冠水してしまい行けませんでした。
池というか堀のような場所が通路。
ご覧の通りの状態で向かうことは断念しました。
代わりといってはなんですが・・・
通路入口付近に『陸軍省』の省標がありました。
他の面には
『明治三十二年六月・・・』
『S・2Z藝豫要塞・・地・』
・・・までは判読できましたが、あとは不明。
残る一面は判読できず。
あちこちの旧日本陸海軍施設跡を見ていますが、
省標を見たのは初めてでした。
今までの所は見つけられたなかっただけなのか、
撤去されのか?
まぁ、単に興味がないから気がつかなかっただけなのでしょう。
調べるとあちこちに残っているようです。
これからは陸海軍省標も探してみることにします。
<<続く>>
の施設跡があちこちに残っています。
小さい島ですが小さい山のように標高差があって、素人ながら
この島が要塞に適していることが判ります。
要塞の施設跡は遊歩道が整備されているので迷うことなく
散策できるようになっています。
渡船乗り場近くにあった案内地図。
ご覧のような感じで配置されています。
案内にある通り、南→北の順に回ってゆきます。
●探照灯台跡
島の南端にある探照灯台跡。
見えている階段を上がった場所に探照灯があったようです。
こう見ると何かの遺跡の入口っぽいです。
階段下は詰め所というか部屋のようですが、内部は水が溜まり
入ることができませんでした。
石積の壁ですが、同じ形に揃えられ綺麗に積み上げられて
います。
石の間にはセメントが盛られていますが、そのセメントも
綺麗に盛られています。
100年以上前のセメントですが欠けたりすることなく、
いまだに綺麗に残っています。
軍事施設であろうとも、隅々まで綺麗に丁寧に作り上げて
いるところに、”日本人らしさ”を感じます。
訪れた日、探照灯台跡では地元の方々が掃除と伸びた草木の
伐採作業をしておりました。
話を伺うと、夏場はジャングルのように生い茂り、ヤブ蚊や
虫が飛び回るとか。
「訪れるなら夏は避けた方が良いよ」と教えてくださいました。
●発電所跡
少し急な坂道を上った所にあるのが発電所跡。
ご覧の通り煉瓦造りの建物。屋根は修復しているようです。
ここの要塞は短期間で完成していますが、煉瓦を丁寧に積み上げて
います。
煉瓦は舶来品なんでしょうかね?
触った感じはスベスベしていました。
江田島の海軍兵学校の建物に使われている煉瓦と同じ感触で
した。
100年以上前の建物ですが、煉瓦作りの建物は丈夫なんですね。
●南部砲台跡
南部砲台は馬島~糸山間の来島海峡を射程範囲におさめるよう
配置されていました。
ここには12cm加農砲2門が据え付けられていたそうです。
今は木々が成長して生い茂って森になっていますが、
竣工当時は木々はなく視界が確保されていたと思います。
写真のスロープを上がったところが砲の砲座跡です。
砲弾を運ぶためにスロープにしているのでしょう。
南部砲台の地下兵舎。
中には何もありません。
●弾薬庫跡と兵舎跡
兵舎跡と思われる場所は平地になっていましたが、
畑と雑木林になっていて痕跡は見つけることができませんでした。
弾薬庫跡ですが、弾薬庫跡に向かう道が台風21号による大雨で
冠水してしまい行けませんでした。
池というか堀のような場所が通路。
ご覧の通りの状態で向かうことは断念しました。
代わりといってはなんですが・・・
通路入口付近に『陸軍省』の省標がありました。
他の面には
『明治三十二年六月・・・』
『S・2Z藝豫要塞・・地・』
・・・までは判読できましたが、あとは不明。
残る一面は判読できず。
あちこちの旧日本陸海軍施設跡を見ていますが、
省標を見たのは初めてでした。
今までの所は見つけられたなかっただけなのか、
撤去されのか?
まぁ、単に興味がないから気がつかなかっただけなのでしょう。
調べるとあちこちに残っているようです。
これからは陸海軍省標も探してみることにします。
<<続く>>