気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

バイパスと極悪路

2017-11-19 11:01:00 | 道ネタ
海南市のR424木津バイパスが今年3月に供用開始になりました。

で、約8ヶ月経過してやっとこさ走りに行ってきました。



R370とR424との野上新橋西詰交差点から直進する2車線道が
今回開通したバイパス。

現在建設中のR370阪井バイパス交差点まではR370バイパス扱い。
R424との重複区間ということになります。

道路は快適な二車線道で、ふつ~の国道でした。



バイパスの南側起点はr169との木津交差点。
今回のバイパス建設に合わせて前の位置より南東に移動。
周辺はR370阪井バイパスの建設に合わせて道路の改良工事が
行われています。



海南市木津地区内のR424旧道。
旧街道の面影を色濃く残す狭路国道区間でしたが、
今回のバイパス供用開始により旧道となりました。

R424の国道標識は残っていたので、まだ国道指定されている
ようです。
R370阪井バイパスが供用開始されたら指定解除かな?


バイパス走ったあと、ついでなので木津地区からR424を南下。
海南市と有田郡有田川町の境まで往復。

改良工事が進んでおり、二車線区間が延びています。



サイトの【海南市~有田川町】にある写真18の付近。
ご覧の通りの風景に・・・。

カーブの付近から別ルートで進むと思ってましたが、
この通り急カーブで二車線化。

う~ん、改良前の線形に近い状態で二車線化するとは思わなんだ。

この先の狭路区間は以前のままですが、いずれ拡幅されるの
でしょう。

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この後、R424バイパス走行後、R370でかつらぎ町方面に向かう
つもりでしたが、ふと広域農道を走りたくなりそちらへ移動。

アップダウンの続く農道を楽しんで、R480で大阪に戻ろうと
しましたが、ふと伊都郡かつらぎ町短野地区にある展望ポイントに
行きたくなり、広域農道経由でr61へ。

展望ポイント先にある悪路入口・・・。



再び広域農道に戻りR371経由で河内長野に抜けようとしましたが、
戻るのが面倒になり・・・



「悪路成分が足りない・・・」と来てしまいました。蔵王峠。

日没前でしたが、このまま河内長野に抜けます。

大阪府道有数の悪路。
一車線以下の狭路と急坂続く怖道です。

KSRⅡでランクルとの事故に遭ってから走った記憶がないので、
おそらく15年ぶりぐらいの走行です。



路面一杯に落ち葉が積もっており、しかも前日の雨では濡れて
います。

なので、後輪が滑る滑る・・・。

ランクルとの事故のトラウマもあり、めっちゃ緊張して
狭路を下って行きます。

幸いなことに対向車に会うことなく、転倒することもなく、
無事に滝畑キャンプ場入口に到着。

休憩の後にR170に向かいます。

塩降トンネル経由でダート区間を走って和泉市善正町に抜けようと
しましたが、うちのお客さんから、先日の台風での大雨による土砂
崩れで善正町内で通行止めという情報を得ていたので今回はパス。

サイクルセンター前経由でR170に出て自宅へ向かいました。

快走路と極悪路という両極端な道を堪能(?)した一日でした~。

年内はあと1回近場を走れるかな。
暗峠は来シーズンやなぁ・・・。




芸予要塞(1)

2017-11-05 10:26:00 | 軍事ネタ
10月にしまなみ海道ツーリングに行ったときに、芸予要塞に
寄りました。

芸予要塞は、日清戦争後に対露戦争を想定した帝国陸軍が、
瀬戸内海へのロシア艦隊の侵入を阻止すべく建設された要塞の
一つ。

広島県の大久野島とここ小島(おじま)に要塞が建設されています。



糸山公園から見た小島の全景。
この小さな島が丸ごと要塞となっていました。

ご覧の通り、連絡橋はなくバイクではいけません。

波止浜港にバイクを止めて渡船で向かうことになります。



釣り人のおっちゃん達と一緒に小島へ。
聞くと、小島周辺は絶好の釣りポイントとのこと。
暇さえあれば小島へ釣りに出かけているらしく、渡船の乗組員とは
顔なじみになっています。

来島経由で約10分で小島に到着。
釣り人のおっちゃん達も含めて乗客全員が下船。



我々を残して渡船は馬島目指して出港。

島から脱出する手段は泳ぐこと以外になくなりました。

島に上陸した釣り人のおっちゃん達は、それぞれの釣りポイントに
向かって移動していったので、港というか桟橋に残されたは私ら
だけ。



とりあえず桟橋近くにあるコレが気になったので見に行きます。



二十八糎榴弾砲・・・・・・のレプリカ。

実物ではなく、NHKのドラマ『坂の上の雲』で使用された、
実物を忠実に再現した撮影用のレプリカで、それを譲り
受けて置かれています。

二十八糎榴弾砲は帝国陸軍が開発した榴弾砲で、
明治25年(1892年)に制式化された砲。

対艦用の榴弾砲として日本の海岸や島の要塞などに配備され、
この小島にも6門が配備されていたとか。

日露戦争が勃発すると、バルチック艦隊の日本近海への派遣が
現実味を帯びてきたので、朝鮮海峡の防備のために二十八糎榴弾
砲を転用することになり、芸予要塞から撤去されることに・・・。

しかし旅順要塞総攻撃が失敗したことから、攻城砲として用いら
れることになり、榴弾砲は乃木大将の第三軍に送られ、旅順攻略戦
に投入され、露軍に大きな被害を与えました。

一説には小島から撤去された6門のうち2門が旅順に送られた
そうです。

ちなみに本物の二十八糎榴弾砲は、昭和14年(1939年)秋まで
実戦に参加していたとのこと。

<<続く