『ましゅまろ』にて
旅人の宿『ましゅまろ』。
『ましゅまろ』はユースホステル(YH)形式の宿。
簡単に書けば男女別相部屋(ドミトリースタイル)でリーズナブルな料金で宿泊できる宿である。
”旅人の宿”ということで、アットホームな雰囲気のある宿で、宿泊客同士が気軽に会話を楽しみ情報交換する、旅人同士の出会いのある宿なのだ。
宿主さんは、かつて旅人として日本各地を旅していた方々が多い。
YHや他の旅人宿などでヘルパーとして働いたりしてノウハウを取得して、後に気に入った土地で開宿している。
『ましゅまろ』の宿主さんもそん方々のお一人。
@管理人が初めて『ましゅまろ』を訪れて宿泊したのは、平成10年(1998年)9月のこと。
当時はSNSなどはほとんど普及しておらず、宿情報は情報誌や口コミで手に入れる時代。
今は無き稚内YHで購入した情報誌『とほ』という宿情報誌で『ましゅまろ』の存在を知って泊まりに行ったのだ。
もう25年前(2023年基準)のことだ。以来道東に来る時は必ず宿泊していた。
最初は1人。
それが@嫁さんと一緒に通うようになり、気が付けば家族4人で訪れるようになっていた。
なぜそんなに通ったのだろうか?
おそらく宿主夫妻の人柄と宿の雰囲気に惹かれたのだろう。
居心地が大変良いのだ。
気軽に泊まりに行くことが出来るところで、”道東の隠れ家”とも言える宿なのだ。
そんな宿なのだが、宿主さんの事情で今年(令和5年)秋で閉宿されることになった。
宿の営業が困難になったとか宿主さんの健康上の理由とかではなく、あくまでも個人的な事情によるものだ。
昨年8月に家族で泊まりに来た時、閉宿することをなんとなくだが話されていたが、まだ先のことだろうと思っていた。
しかし、冒頭で書いた通り突然やって来たのだ。
『ましゅまろ』では・・・
・宿で初めて会った同泊のお客さん達と一緒に輓馬競馬でのイベント『人間ばんば』に出場して入賞して米5kgをいただいた。
・同泊の他のお客さんの車に相乗りして夜のコタン温泉の露天風呂に行った。(共同浴場の脱衣所と露天風呂の間を全裸で全力で走ったなぁ・・・)
・たまたま同泊したプロのミュージシャンの方(御名前は明かしてくれなかった)の生ギターの演奏で、宿泊客皆で晩遅くまで歌った。
・『ましゅまろ』に泊まった同じ日に、あの賀曽利隆氏が近くに宿泊していることを知り、翌日砂湯で4時間も待って会えた。
・トロ(昔宿で飼っていた犬さん)を散歩に連れて行ったはずなのに、気が付けばトロに散歩に連れて行かれていた・・・。
翌日に嫁さんがトロを散歩に連れて行ったら、トロは素直に嫁さんに従って歩いていた・・・。なんでやねん・・・。
・うちの娘が小さい頃、初めて見た二段ベットに大興奮して梯子から落ちかけた。
・・・などなど、沢山の思い出がある。
なので閉宿はショックだった.。
しかし宿主さんが決められたことなので、私がどうこう言うことはできない。
沢山の想い出を頂き、そして約25年もの間お世話になったので、挨拶とお礼を言わなくてはと思い立つ。
閉宿までに電話でお礼を言おうと思っていたのだが、日が経つにつれてどうしても宿に泊まって直に言いたくなった。
11月までに北海道に行って『ましゅまろ』に行かねば・・・。
しかし仕事が・・・
あ~~、でも宿に泊まれるのは秋までだ。
今回行かなければ二度と泊まることは出来ない。
談話室にあった『デビルマン』の単行本(最初のコミックス版)を始め、今は絶版となっている漫画も読むこともできない。
仕事が・・・
いや二度と泊まれないゾ・・・
・・・と、かなり迷ったが、今行かなければ後悔するのは間違いないので仕事を休んで訪れたのだ。
『ましゅまろ』に着くと宿泊客は私ともう一人の方だけとのこと。
なので4人部屋に1人だけで泊まることになる。貸し切りだ~。
平日なのでこんなものだろう。
しばらくするともう一人の方も到着された。
名古屋から来られた常連さんだった。
風呂に入りさっぱりする。
夕食までの間に、今日撮影した走行動画のデータをバックアップする。
バックアップしないと、明日撮影に使えるディスクがないのだ。
夕食後は談話室で宿主夫妻と宿泊客2人の4人だけで夜の宴会。
閉宿のことは分かっていたのであまり触れず、毎回のように雑談話が中心となる。
阪神タイガースのリーグ優勝にまつわるいろいろな話題で、宿主夫妻と私の関西勢だけが
盛り上がったりもした。
いつもと同じ宴会の光景だった。
やがて23時を過ぎたので宴会はお開き。各自部屋に引き上げる。
これもいつもと同じであった。
私にとって『ましゅまろ』最後の夜は今までと同じであった。
翌日、朝の6時頃には目が覚めた。
だらだらして着替える。
朝の7時半から宿主夫妻と宿泊客2人の4人で朝食。
ここでもいつも通りのワイワイと話しながらの朝食だった。
朝食後は部屋に戻り荷物をまとめて車に載せる。
出発前に少し談話してから、宿の前で4人で記念撮影。
これもいつもと同じ光景である。
撮影後、少し談笑してから宿主夫妻と宿泊客の方に見送られて出発するのだが、今回は少し違った。
宿主さんに今までのお礼を伝えてからの出発となった。
皆に手を振られて出発。
ゆっくりと車を走らせR391に出て左折すると、『ましゅまろ』も宿主さんも見えなくなった。
『ましゅまろ』との最後の別れとなった・・・。
*この記事を書き上げたのは令和5年11月下旬のことです。
とほ宿『ましゅまろ』さんですが、令和5年11月6日をもって閉宿しました。
**『ましゅまろ』さんの建物ですが新しい方が購入され、令和6年6月より『GUEST HOUSE YOLO』として
再出発しています。
西へ・・・
『ましゅまろ』を出発して15分ぐらいで弟子屈市街に到着する。
弟子屈まで来たら計根別まで足を伸ばして
計根別飛行場掩体壕を見に行くことにする。
掩体壕群を30分ぐらいで回ることにしていたのだが、気が付くと現地で1時間ほど滞在・・・。
で、標茶駅前のコンビニは正午前に到着。
予定では釧路市街にいるはずなのだが・・・
予定通り釧路に向かうのは時間がかかるので、予定を変更してR274で阿寒に向かうことにした。
昨日は日没後の走行だったので日中の走行をしたかったのだ。
標茶駅前からまっすぐに進むとR391との交差点に至る。
ここがR274終点。
昨日とは逆方向での走行となるが仕方が無い。

↑標茶のR274とR391交差点。札幌起点のR274終点。
R274は標茶市街を抜けると丘陵地帯の牧場地帯を進むようになる。
アップダウンが続くローカル国道をのんびりと走って行く。
20kmほどでr53(釧路鶴居弟子屈線)との交差点に到着。
ここからは昨日走った区間を逆方向で走ることになる。
日中の走行なので見通しは良い。
牧草地帯を進むアップダウンの続く2車線道を淡々と走り、標茶から1時間ほどでR240との交差点に到着。
R240には入らずに直進して10分弱で布伏内のr222交差点に到着。
ここから先のR274は未開通なのでr222(雄別釧路線)を南下。
R240との交差点にあるコンビニで休憩。
予定を大幅に変更して道東道で移動することにした。
ところが阿寒IC近くに到着すると電光掲示板に・・・
『十勝清水~トマム間 事故通行止め』
・・・との表示が。Σ(゚Д゚;)
昨日に続いて今日も事故通行止めに遭うとはツイていない。
その区間が通れないということになれば、十勝清水ICで下りてからR274日勝峠もしくはR38狩勝峠~R237経由で
トマムICに迂回しなくてはならない。
どちらにしろ時間的にかなりのロスになってしまう。
夜の22時までに苫小牧東FTに到着すればいいので、いっそのこと帯広から襟裳岬経由で移動するかとも考えた。
悩む・・・。
ま、どこを走るかはあとで考えることにしよう。
走っている間に通行止めが解除されるだろうと気楽に考えて道東道に入った。
ちょっと寄り道
道東道に入って西に向かうが白糠ICで下りてR392に入り、北上して白糠郡白糠町二股に向かう。
今度はいつ北海道に来られるか分からないので、気まぐれで走れる今回しか寄り道できないのだ。
二股地区には数年前にも訪れたことがあるのだが、町はさらに寂しくなっていた。
以前は民家があった場所が荒れ地になっており、白糠町営バスの車庫(?)が撤去されていた。
町営バス路線は廃止されていたのだ。
(平成30年(2018年)4月からはオンデマンドバスに変更になったとのこと。)
昭和58年(1983年)10月に廃止された国鉄白糠線北進駅前(となるのか?)付近にある、
R274分断区間の西側端点付近を撮影する。(地点は国土地理院地図から判断)
撮影後、R274で本別に向かう。
対向バイクや車とは数台すれ違ったが、先行車に追い付くことも後続車に追い付かれることも無く、
山間の2車線道をマイペースで淡々と走った。
釧勝峠のトンネルを過ぎてしばらく走ると牧場が現れた。久々の人家だ。
本別の町に向かうにつれて人家は徐々に増えて行った。
走る車も増えてきた。
そして道東道をアンダーパスして急カーブの坂道を下ると本別の町中に至った。
道東道
R242沿いにあるPAで休憩。
ここで道路情報を確認すると、道東道の通行止めは解除されていた。
これで道東道経由で千歳に向かうことができる。
帯広では寄りたい場所があったのだが時間的な都合もあり諦め、本別ICから道東道に入った。
道東道はIC付近など一部に4車線区間があるものの、ほとんどが対向2車線。
最高速度は70~80k/hである。
でも実際にその速度で走っている車は少なく、全体的に流れは速いように感じた。
流れに合わせて走るのだが、IC前後で追い越し車線が現れた途端に100k/h以上で追い越して行く車が後を絶たない。
先の車列を見ていないドライバーが多いようで、追い越し車線が終わる間際に無理矢理割り込む車が目立った。
つーか、私の前にも割り込もうとして来た車がいたが、なんやかんやで後ろを走ってもらいました~。
他にも『急な割り込みで後続車が急ブレーキ→その後ろを走っていたトラックが緊急回避で追い越し車線に車線変更
→追い越し車線を走っていた車も急ブレーキ→その後ろを走っていた私も急ブレーキ・・・』という場面にも遭遇した。
もうね、滅茶苦茶。
運転の荒っぽい大阪南部の道路をほぼ毎日走っているので、割り込もうとする車の動きは経験上分かるので、
ギリギリ回避できる車間距離で走っていたのだが、道東道を走る車は車種に関係なくやや狭めの車間距離で走っているように
見受けられた。
よく分からん運転するのはレンタカーが多いようにも感じた。
なんとなく事故が多いのも分かるような気がする・・・。
冬期はそれらに路面凍結や視界不良が加わるわけだから、さらに事故の発生が多くなるのだろう。
ツーリングや車のドライブで走るなら、道東道より一般道をのんびり走る方が良いかもしれない。
新千歳空港
本別から3時間ほどで新千歳空港に到着した。
バイクツーリングも含めて、飛行機を利用する旅行以外で新千歳空港に来ることはなかった。
それが数年前の家族旅行で、苫小牧東FTに向かう前に夕食を食べようとしたが飲食店がなく、
ふと思いついて新千歳空港に来たら、土産物の購入にも食事にも困らないことが分かって以来寄るようになったのだ。
ただ土産物屋が19時前後から閉店するので、土産物を買う場合は遅くても18時頃までには着かなくてはならない。
車を駐車場に止めて歩いて空港ターミナルへ。
家族と世話になっている方々への土産をいろいろと購入。
車なのでいくらでも積むことができるので、つい買いすぎてしまった。
いったん車に戻って土産物を積み込む。
再びターミナルに戻って夕食。
ここで食べた帯広豚丼が、今回食べた唯一の北海道グルメだった・・・。

↑帯広豚丼が道内最後の食事。
雨の苫小牧東フェリーターミナル
食後に空港の温泉施設にでも入ろうかと思ったが、入浴料が高いのでやめた。
空港にいてもやることがないので、19時半過ぎに新千歳空港を出発する。
すぐに道央道に入り日高道に乗り換える。
日高道では部分的に雨に遭う。
中途半端な雨雲があるようだった。
厚真ICで下りて苫小牧東FTに向かう。
途中にあるJR日高本線の踏切まで来ると、踏切の警報器が鳴って遮断桿が下りてきた。
しばらくすると苫小牧行きのキハ40の単行列車が警笛を鳴らして通過して行った。

↑すでに『すずらん』が接岸していた。大型車輌の積み込み中。
苫小牧東FTには20時半頃に到着。
埠頭には『すずらん』が接岸しており、大型車輌の積み込みが行われている。
往路の敦賀で乗船手続きと乗船券発行は終えているので、2時間ほど車内で待機する。
到着してからしばらくすると雨が降り出した。
雨はすぐに横なぶりの大雨となった。
車内で音楽を聴いていたのだが、車体に打ち付ける雨音で聞こえないほどだ。
それに車も少し揺れる。
バイク組は早々にターミナルに避難していたが、雨対策をしていないバイクも数台ありヘルメットも含めて
ずぶ濡れになっていた。
気の毒に・・・。

↑かなり強く降った。
雨は20分ほどで弱まり、22時頃には晴れてきた。
やることがないので荷物の整理などを行う。
乗船開始予定時刻の23時になったが、バイク・乗用車の乗船が遅れるとのアナウンス。
大型車輌の積み込みが遅れているのだそうだ。
乗船したのは23時30分。本来の出港時間である。
今回は第三甲板後方にあるバイクが誘導される小さい区画に誘導された。
しかも一番奥で頭から突っ込むような形で止める。
これは出すのが大変かも・・・。
『すずらん』は23時50分に出港した。定刻より20分遅れだ。
北海道を離れて敦賀に向かう。
今度はいつ来ることができるのだろうか?
部屋に入ってから荷物を置く。
運転で疲れて眠たかったので、風呂に入る気になれず早々に寝た。
フェリー『すずらん』(復路)
目が覚めたのは10月1日の朝9時頃。
起きるとお腹が減ったので、昨晩新千歳空港内のローソンで買ったカツゲンと魚肉ソーセージ、
それと阿寒のコンビニで買ったパンを朝食として食べる。
10時過ぎに北行きの姉妹船『すいせん』とすれ違うとう船内アナウンスが流れる。
カメラを持って後部甲板に出てみると甲板が濡れており、小雨が降っている。
空には雨雲が広がっている。
この日は日本海を低気圧が通過しており、『すずらん』は寒冷前線の真下を通り抜けていた。
往路ほどではないが海は荒れておりフェリーは揺れていた。

↑『すいせん』 上下に揺れていた。船内は大変かも・・・。
しばらくすると北行きの『すいせん』とすれ違う。
今回は往復とも『すずらん』となったので、『すいせん』とはすれ違いで見るだけとなった。
部屋に戻ると眠たくなったので昼過ぎまで寝ていた。
13時過ぎに起きてから風呂に行く。
船の揺れは続いていた。窓から見ると波が立っており荒海状態となっている。
内風呂の湯にも波が立っており、波高約4cm、越波の恐れがある状態だった。
露天風呂も同じような状態だった。
荒れた風呂を堪能できた。
その後にフェリーの売店で追加の土産を購入すると、あとはひたすら個室に籠もる。
やることがないので、自宅で観る機会がないまま放置していたDVDをノートパソで観て過ごす。
車だといろんなモノを持って来られるのが利点だが、荷物が増えるのが難点だ。
気が付くと17時となった。
フェリーは福井県沖を航行している。
前線から遠ざかったのか、揺れはあまり感じなくなった。

↑フェリーから見た夕方の日本海。
17時半となると、レストランの夕食営業が始まったとのアナウンスが流れた。
往路では船酔いで食べる気がなく夕食を食べなかったのだが、復路は酔うこともなかったので
レストランで夕食を食べることにした。
新日本海フェリーのレストランもいつの間にかタブレットでの注文となっている。
ホッケ定食やニシン定食を考えたが、何となくカレーが食べたくなったので
三元豚ロースカツカレーを注文した。
タブレットで注文しばらくすると注文の品が運ばれてきた。
うん、美味かった。(゚д゚)ウマー
部屋に戻ってから荷物をまとめて下船準備をする。
19時半にはいつでも部屋を出られる状態にする。
『すずらん』は20時過ぎには敦賀FTに到着。
出発時の20分の遅れを取り戻したようだ。
接岸して車両甲板が開放されたので第三甲板にある車に移動。

↑隅の銀色が私の車。周囲の車が動くまで動かせない・・・。
その後、20時半頃から下船が始まるが、一番奥に止めてあったので下船するまで
15分ほど待たされた。
気が付くと他のバイク・車は既に下船しており、無人航送車とトレーラー以外で残っている車は我が車だけであった。
車両甲板にはいろいろと出っ張っているので、係員の誘導に従って何度も切り返して小区間から出る。
そのままランプウェイを下って敦賀FTに下りた。
本州に戻ってきた・・・。
帰宅。そして旅が終わる・・・
敦賀FTの駐車場に下りると驚いた。
そこかしこに陸自車輌が止まっていたのだ。
高機動車や各種トラックがずらりずらりと。
どこぞの駐屯地に紛れ込んだかと思ったぐらいだ。
我が車を駐車場に停めてターミナルのトイレを利用したが、迷彩服の陸自隊員がウロウロしていた。
往路でも第三師団の車輌と一緒になったので、この時期は陸自の演習シーズンなのだろうか?
帰宅後調べたら、9月下旬~10月下旬まで『令和5年度実動対抗演習』が北海道で実施されていたので、
その演習に参加する第三師団の車輌群ではなかろうかと・・・。

↑敦賀FTにて。左側には陸自車輌が乗船待ちでした。
敦賀FTを21時頃に出発する。
R8に出て敦賀市街方面に移動。敦賀ICから北陸道に入る。
のんびりと走って米原JCTから名神に入ったのは22時少し前頃。
名神を西に向かうが、今日は日曜日なのでトラックはよりも遠出して帰宅するであろう乗用車が多かった。
多賀SAで休憩した後は、ドラレコのディスク交換で草津PAで止まった(下車していない)だけで、
後はひたすら運転し続ける。
京滋バイパス経由で第二京阪道路に入る。
京滋バイパスと第二京阪道路はトラックの姿が全くなく、マイペースで淡々と走ることができた。
近畿道に入り八尾ICには23時半頃に到着。

↑八尾IC到着。自宅までもう少しです。
八尾ICからは地道に下りて夜の大阪市街地を走る。
そして大阪市内某所の自宅に到着したのは24時前。日付が変わる直前だった。
あっという間の北海道旅行だった。
少々無理した日程だったが、”『ましゅまろ』に宿泊する”という目的は果たせた。
諸々の事情で寄れなかった場所があったのだが、またの機会に寄ることにしよう。
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最後になりましたが、
『ましゅまろ』オーナー夫妻さん、長い間本当にお疲れ様でした。
たくさんの楽しい想い出をありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。(=゚ω゚)ノシ
《終わり》