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気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

ブログ移転再び・・・

2025-04-18 00:53:34 | サイトネタ
半年ぶりぐらいの投稿です。
ほんと久しぶりです。
とりあえず生きております。

実は個人的な事情でブログ更新する暇が無いほど忙しい状況にありました。
暇が無いというかそんなことをしている余裕が全くない状況でして、
肉体的にも精神的にもきつい毎日でした・・・。

状況はあまり変化はありませんが、最近ようやく少し落ち着きましたので、
いろいろと再開しようと思っていた矢先に突然のgooブログ終了の通告・・・。

あかんやん・・・。

2022年7月17日にティーカップブログの終了により移転再開した当ブログですが、
突然の閉鎖宣告により三度の移転を余儀なくされております。
二回目のブログ難民となっていまい、新しい移転先を探さなくてはなりません。

ひとまず移転先があるとのことなので、そこも含めて移転先を検討していきます。
しばらくはgooブログを使用することにします。
書き込むネタがないので、ほぼ放置かもしれませんが・・・

北海道強行軍の旅(2)

2024-10-14 23:07:15 | ツーリング/ドライブ
『ましゅまろ』にて



旅人の宿『ましゅまろ』。
『ましゅまろ』はユースホステル(YH)形式の宿。
簡単に書けば男女別相部屋(ドミトリースタイル)でリーズナブルな料金で宿泊できる宿である。
”旅人の宿”ということで、アットホームな雰囲気のある宿で、宿泊客同士が気軽に会話を楽しみ情報交換する、旅人同士の出会いのある宿なのだ。

宿主さんは、かつて旅人として日本各地を旅していた方々が多い。
YHや他の旅人宿などでヘルパーとして働いたりしてノウハウを取得して、後に気に入った土地で開宿している。
『ましゅまろ』の宿主さんもそん方々のお一人。

@管理人が初めて『ましゅまろ』を訪れて宿泊したのは、平成10年(1998年)9月のこと。
当時はSNSなどはほとんど普及しておらず、宿情報は情報誌や口コミで手に入れる時代。
今は無き稚内YHで購入した情報誌『とほ』という宿情報誌で『ましゅまろ』の存在を知って泊まりに行ったのだ。
もう25年前(2023年基準)のことだ。以来道東に来る時は必ず宿泊していた。

最初は1人。
それが@嫁さんと一緒に通うようになり、気が付けば家族4人で訪れるようになっていた。

なぜそんなに通ったのだろうか?

おそらく宿主夫妻の人柄と宿の雰囲気に惹かれたのだろう。
居心地が大変良いのだ。
気軽に泊まりに行くことが出来るところで、”道東の隠れ家”とも言える宿なのだ。

そんな宿なのだが、宿主さんの事情で今年(令和5年)秋で閉宿されることになった。

宿の営業が困難になったとか宿主さんの健康上の理由とかではなく、あくまでも個人的な事情によるものだ。
昨年8月に家族で泊まりに来た時、閉宿することをなんとなくだが話されていたが、まだ先のことだろうと思っていた。

しかし、冒頭で書いた通り突然やって来たのだ。

『ましゅまろ』では・・・

・宿で初めて会った同泊のお客さん達と一緒に輓馬競馬でのイベント『人間ばんば』に出場して入賞して米5kgをいただいた。
・同泊の他のお客さんの車に相乗りして夜のコタン温泉の露天風呂に行った。(共同浴場の脱衣所と露天風呂の間を全裸で全力で走ったなぁ・・・)
・たまたま同泊したプロのミュージシャンの方(御名前は明かしてくれなかった)の生ギターの演奏で、宿泊客皆で晩遅くまで歌った。
・『ましゅまろ』に泊まった同じ日に、あの賀曽利隆氏が近くに宿泊していることを知り、翌日砂湯で4時間も待って会えた。
・トロ(昔宿で飼っていた犬さん)を散歩に連れて行ったはずなのに、気が付けばトロに散歩に連れて行かれていた・・・。
 翌日に嫁さんがトロを散歩に連れて行ったら、トロは素直に嫁さんに従って歩いていた・・・。なんでやねん・・・。
・うちの娘が小さい頃、初めて見た二段ベットに大興奮して梯子から落ちかけた。

・・・などなど、沢山の思い出がある。

なので閉宿はショックだった.。
しかし宿主さんが決められたことなので、私がどうこう言うことはできない。



沢山の想い出を頂き、そして約25年もの間お世話になったので、挨拶とお礼を言わなくてはと思い立つ。
閉宿までに電話でお礼を言おうと思っていたのだが、日が経つにつれてどうしても宿に泊まって直に言いたくなった。
11月までに北海道に行って『ましゅまろ』に行かねば・・・。

しかし仕事が・・・

あ~~、でも宿に泊まれるのは秋までだ。
今回行かなければ二度と泊まることは出来ない。
談話室にあった『デビルマン』の単行本(最初のコミックス版)を始め、今は絶版となっている漫画も読むこともできない。

仕事が・・・
いや二度と泊まれないゾ・・・

・・・と、かなり迷ったが、今行かなければ後悔するのは間違いないので仕事を休んで訪れたのだ。



『ましゅまろ』に着くと宿泊客は私ともう一人の方だけとのこと。
なので4人部屋に1人だけで泊まることになる。貸し切りだ~。
平日なのでこんなものだろう。

しばらくするともう一人の方も到着された。
名古屋から来られた常連さんだった。

風呂に入りさっぱりする。
夕食までの間に、今日撮影した走行動画のデータをバックアップする。
バックアップしないと、明日撮影に使えるディスクがないのだ。

夕食後は談話室で宿主夫妻と宿泊客2人の4人だけで夜の宴会。
閉宿のことは分かっていたのであまり触れず、毎回のように雑談話が中心となる。
阪神タイガースのリーグ優勝にまつわるいろいろな話題で、宿主夫妻と私の関西勢だけが
盛り上がったりもした。
いつもと同じ宴会の光景だった。

やがて23時を過ぎたので宴会はお開き。各自部屋に引き上げる。
これもいつもと同じであった。
私にとって『ましゅまろ』最後の夜は今までと同じであった。

翌日、朝の6時頃には目が覚めた。
だらだらして着替える。
朝の7時半から宿主夫妻と宿泊客2人の4人で朝食。
ここでもいつも通りのワイワイと話しながらの朝食だった。



朝食後は部屋に戻り荷物をまとめて車に載せる。
出発前に少し談話してから、宿の前で4人で記念撮影。
これもいつもと同じ光景である。

撮影後、少し談笑してから宿主夫妻と宿泊客の方に見送られて出発するのだが、今回は少し違った。
宿主さんに今までのお礼を伝えてからの出発となった。

皆に手を振られて出発。
ゆっくりと車を走らせR391に出て左折すると、『ましゅまろ』も宿主さんも見えなくなった。
『ましゅまろ』との最後の別れとなった・・・。

*この記事を書き上げたのは令和5年11月下旬のことです。
 とほ宿『ましゅまろ』さんですが、令和5年11月6日をもって閉宿しました。
**『ましゅまろ』さんの建物ですが新しい方が購入され、令和6年6月より『GUEST HOUSE YOLO』として
  再出発しています。

西へ・・・

『ましゅまろ』を出発して15分ぐらいで弟子屈市街に到着する。
弟子屈まで来たら計根別まで足を伸ばして計根別飛行場掩体壕を見に行くことにする。
掩体壕群を30分ぐらいで回ることにしていたのだが、気が付くと現地で1時間ほど滞在・・・。

で、標茶駅前のコンビニは正午前に到着。
予定では釧路市街にいるはずなのだが・・・

予定通り釧路に向かうのは時間がかかるので、予定を変更してR274で阿寒に向かうことにした。
昨日は日没後の走行だったので日中の走行をしたかったのだ。
標茶駅前からまっすぐに進むとR391との交差点に至る。
ここがR274終点。
昨日とは逆方向での走行となるが仕方が無い。


↑標茶のR274とR391交差点。札幌起点のR274終点。

R274は標茶市街を抜けると丘陵地帯の牧場地帯を進むようになる。
アップダウンが続くローカル国道をのんびりと走って行く。
20kmほどでr53(釧路鶴居弟子屈線)との交差点に到着。
ここからは昨日走った区間を逆方向で走ることになる。
日中の走行なので見通しは良い。
牧草地帯を進むアップダウンの続く2車線道を淡々と走り、標茶から1時間ほどでR240との交差点に到着。

R240には入らずに直進して10分弱で布伏内のr222交差点に到着。
ここから先のR274は未開通なのでr222(雄別釧路線)を南下。
R240との交差点にあるコンビニで休憩。
予定を大幅に変更して道東道で移動することにした。

ところが阿寒IC近くに到着すると電光掲示板に・・・



『十勝清水~トマム間 事故通行止め』

・・・との表示が。Σ(゚Д゚;)

昨日に続いて今日も事故通行止めに遭うとはツイていない。
その区間が通れないということになれば、十勝清水ICで下りてからR274日勝峠もしくはR38狩勝峠~R237経由で
トマムICに迂回しなくてはならない。
どちらにしろ時間的にかなりのロスになってしまう。
夜の22時までに苫小牧東FTに到着すればいいので、いっそのこと帯広から襟裳岬経由で移動するかとも考えた。
悩む・・・。
ま、どこを走るかはあとで考えることにしよう。
走っている間に通行止めが解除されるだろうと気楽に考えて道東道に入った。

ちょっと寄り道

道東道に入って西に向かうが白糠ICで下りてR392に入り、北上して白糠郡白糠町二股に向かう。
今度はいつ北海道に来られるか分からないので、気まぐれで走れる今回しか寄り道できないのだ。

二股地区には数年前にも訪れたことがあるのだが、町はさらに寂しくなっていた。
以前は民家があった場所が荒れ地になっており、白糠町営バスの車庫(?)が撤去されていた。
町営バス路線は廃止されていたのだ。
(平成30年(2018年)4月からはオンデマンドバスに変更になったとのこと。)

昭和58年(1983年)10月に廃止された国鉄白糠線北進駅前(となるのか?)付近にある、
R274分断区間の西側端点付近を撮影する。(地点は国土地理院地図から判断)



撮影後、R274で本別に向かう。
対向バイクや車とは数台すれ違ったが、先行車に追い付くことも後続車に追い付かれることも無く、
山間の2車線道をマイペースで淡々と走った。
釧勝峠のトンネルを過ぎてしばらく走ると牧場が現れた。久々の人家だ。
本別の町に向かうにつれて人家は徐々に増えて行った。
走る車も増えてきた。
そして道東道をアンダーパスして急カーブの坂道を下ると本別の町中に至った。

道東道

R242沿いにあるPAで休憩。
ここで道路情報を確認すると、道東道の通行止めは解除されていた。
これで道東道経由で千歳に向かうことができる。
帯広では寄りたい場所があったのだが時間的な都合もあり諦め、本別ICから道東道に入った。

道東道はIC付近など一部に4車線区間があるものの、ほとんどが対向2車線。
最高速度は70~80k/hである。
でも実際にその速度で走っている車は少なく、全体的に流れは速いように感じた。

流れに合わせて走るのだが、IC前後で追い越し車線が現れた途端に100k/h以上で追い越して行く車が後を絶たない。
先の車列を見ていないドライバーが多いようで、追い越し車線が終わる間際に無理矢理割り込む車が目立った。
つーか、私の前にも割り込もうとして来た車がいたが、なんやかんやで後ろを走ってもらいました~。

他にも『急な割り込みで後続車が急ブレーキ→その後ろを走っていたトラックが緊急回避で追い越し車線に車線変更
→追い越し車線を走っていた車も急ブレーキ→その後ろを走っていた私も急ブレーキ・・・』という場面にも遭遇した。

もうね、滅茶苦茶。
運転の荒っぽい大阪南部の道路をほぼ毎日走っているので、割り込もうとする車の動きは経験上分かるので、
ギリギリ回避できる車間距離で走っていたのだが、道東道を走る車は車種に関係なくやや狭めの車間距離で走っているように
見受けられた。
よく分からん運転するのはレンタカーが多いようにも感じた。
なんとなく事故が多いのも分かるような気がする・・・。

冬期はそれらに路面凍結や視界不良が加わるわけだから、さらに事故の発生が多くなるのだろう。

ツーリングや車のドライブで走るなら、道東道より一般道をのんびり走る方が良いかもしれない。

新千歳空港

本別から3時間ほどで新千歳空港に到着した。
バイクツーリングも含めて、飛行機を利用する旅行以外で新千歳空港に来ることはなかった。
それが数年前の家族旅行で、苫小牧東FTに向かう前に夕食を食べようとしたが飲食店がなく、
ふと思いついて新千歳空港に来たら、土産物の購入にも食事にも困らないことが分かって以来寄るようになったのだ。
ただ土産物屋が19時前後から閉店するので、土産物を買う場合は遅くても18時頃までには着かなくてはならない。



車を駐車場に止めて歩いて空港ターミナルへ。
家族と世話になっている方々への土産をいろいろと購入。
車なのでいくらでも積むことができるので、つい買いすぎてしまった。
いったん車に戻って土産物を積み込む。
再びターミナルに戻って夕食。
ここで食べた帯広豚丼が、今回食べた唯一の北海道グルメだった・・・。


↑帯広豚丼が道内最後の食事。

雨の苫小牧東フェリーターミナル

食後に空港の温泉施設にでも入ろうかと思ったが、入浴料が高いのでやめた。
空港にいてもやることがないので、19時半過ぎに新千歳空港を出発する。
すぐに道央道に入り日高道に乗り換える。

日高道では部分的に雨に遭う。
中途半端な雨雲があるようだった。
厚真ICで下りて苫小牧東FTに向かう。

途中にあるJR日高本線の踏切まで来ると、踏切の警報器が鳴って遮断桿が下りてきた。
しばらくすると苫小牧行きのキハ40の単行列車が警笛を鳴らして通過して行った。


↑すでに『すずらん』が接岸していた。大型車輌の積み込み中。

苫小牧東FTには20時半頃に到着。
埠頭には『すずらん』が接岸しており、大型車輌の積み込みが行われている。
往路の敦賀で乗船手続きと乗船券発行は終えているので、2時間ほど車内で待機する。

到着してからしばらくすると雨が降り出した。
雨はすぐに横なぶりの大雨となった。
車内で音楽を聴いていたのだが、車体に打ち付ける雨音で聞こえないほどだ。
それに車も少し揺れる。
バイク組は早々にターミナルに避難していたが、雨対策をしていないバイクも数台ありヘルメットも含めて
ずぶ濡れになっていた。
気の毒に・・・。


↑かなり強く降った。

雨は20分ほどで弱まり、22時頃には晴れてきた。
やることがないので荷物の整理などを行う。
乗船開始予定時刻の23時になったが、バイク・乗用車の乗船が遅れるとのアナウンス。
大型車輌の積み込みが遅れているのだそうだ。
乗船したのは23時30分。本来の出港時間である。

今回は第三甲板後方にあるバイクが誘導される小さい区画に誘導された。
しかも一番奥で頭から突っ込むような形で止める。
これは出すのが大変かも・・・。

『すずらん』は23時50分に出港した。定刻より20分遅れだ。
北海道を離れて敦賀に向かう。
今度はいつ来ることができるのだろうか?

部屋に入ってから荷物を置く。
運転で疲れて眠たかったので、風呂に入る気になれず早々に寝た。

フェリー『すずらん』(復路)

目が覚めたのは10月1日の朝9時頃。
起きるとお腹が減ったので、昨晩新千歳空港内のローソンで買ったカツゲンと魚肉ソーセージ、
それと阿寒のコンビニで買ったパンを朝食として食べる。



10時過ぎに北行きの姉妹船『すいせん』とすれ違うとう船内アナウンスが流れる。
カメラを持って後部甲板に出てみると甲板が濡れており、小雨が降っている。
空には雨雲が広がっている。
この日は日本海を低気圧が通過しており、『すずらん』は寒冷前線の真下を通り抜けていた。
往路ほどではないが海は荒れておりフェリーは揺れていた。


↑『すいせん』 上下に揺れていた。船内は大変かも・・・。

しばらくすると北行きの『すいせん』とすれ違う。
今回は往復とも『すずらん』となったので、『すいせん』とはすれ違いで見るだけとなった。

部屋に戻ると眠たくなったので昼過ぎまで寝ていた。
13時過ぎに起きてから風呂に行く。
船の揺れは続いていた。窓から見ると波が立っており荒海状態となっている。
内風呂の湯にも波が立っており、波高約4cm、越波の恐れがある状態だった。
露天風呂も同じような状態だった。
荒れた風呂を堪能できた。

その後にフェリーの売店で追加の土産を購入すると、あとはひたすら個室に籠もる。
やることがないので、自宅で観る機会がないまま放置していたDVDをノートパソで観て過ごす。
車だといろんなモノを持って来られるのが利点だが、荷物が増えるのが難点だ。

気が付くと17時となった。
フェリーは福井県沖を航行している。
前線から遠ざかったのか、揺れはあまり感じなくなった。


↑フェリーから見た夕方の日本海。

17時半となると、レストランの夕食営業が始まったとのアナウンスが流れた。
往路では船酔いで食べる気がなく夕食を食べなかったのだが、復路は酔うこともなかったので
レストランで夕食を食べることにした。
新日本海フェリーのレストランもいつの間にかタブレットでの注文となっている。
ホッケ定食やニシン定食を考えたが、何となくカレーが食べたくなったので
三元豚ロースカツカレーを注文した。
タブレットで注文しばらくすると注文の品が運ばれてきた。
うん、美味かった。(゚д゚)ウマー

部屋に戻ってから荷物をまとめて下船準備をする。
19時半にはいつでも部屋を出られる状態にする。
『すずらん』は20時過ぎには敦賀FTに到着。
出発時の20分の遅れを取り戻したようだ。
接岸して車両甲板が開放されたので第三甲板にある車に移動。


↑隅の銀色が私の車。周囲の車が動くまで動かせない・・・。

その後、20時半頃から下船が始まるが、一番奥に止めてあったので下船するまで
15分ほど待たされた。
気が付くと他のバイク・車は既に下船しており、無人航送車とトレーラー以外で残っている車は我が車だけであった。

車両甲板にはいろいろと出っ張っているので、係員の誘導に従って何度も切り返して小区間から出る。
そのままランプウェイを下って敦賀FTに下りた。

本州に戻ってきた・・・。

帰宅。そして旅が終わる・・・

敦賀FTの駐車場に下りると驚いた。
そこかしこに陸自車輌が止まっていたのだ。
高機動車や各種トラックがずらりずらりと。
どこぞの駐屯地に紛れ込んだかと思ったぐらいだ。
我が車を駐車場に停めてターミナルのトイレを利用したが、迷彩服の陸自隊員がウロウロしていた。
往路でも第三師団の車輌と一緒になったので、この時期は陸自の演習シーズンなのだろうか?
帰宅後調べたら、9月下旬~10月下旬まで『令和5年度実動対抗演習』が北海道で実施されていたので、
その演習に参加する第三師団の車輌群ではなかろうかと・・・。


↑敦賀FTにて。左側には陸自車輌が乗船待ちでした。

敦賀FTを21時頃に出発する。
R8に出て敦賀市街方面に移動。敦賀ICから北陸道に入る。
のんびりと走って米原JCTから名神に入ったのは22時少し前頃。
名神を西に向かうが、今日は日曜日なのでトラックはよりも遠出して帰宅するであろう乗用車が多かった。

多賀SAで休憩した後は、ドラレコのディスク交換で草津PAで止まった(下車していない)だけで、
後はひたすら運転し続ける。
京滋バイパス経由で第二京阪道路に入る。
京滋バイパスと第二京阪道路はトラックの姿が全くなく、マイペースで淡々と走ることができた。
近畿道に入り八尾ICには23時半頃に到着。


↑八尾IC到着。自宅までもう少しです。

八尾ICからは地道に下りて夜の大阪市街地を走る。
そして大阪市内某所の自宅に到着したのは24時前。日付が変わる直前だった。

あっという間の北海道旅行だった。
少々無理した日程だったが、”『ましゅまろ』に宿泊する”という目的は果たせた。
諸々の事情で寄れなかった場所があったのだが、またの機会に寄ることにしよう。

------

最後になりましたが、
『ましゅまろ』オーナー夫妻さん、長い間本当にお疲れ様でした。
たくさんの楽しい想い出をありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。(=゚ω゚)ノシ

《終わり》




北海道強行軍の旅(1)

2024-10-14 23:06:50 | ツーリング/ドライブ
平成11年(1998年)9月に初めて宿泊して以来、道東方面に行く度にお世話になっている『とほ宿 ましゅまろ』さんが
今年(令和5年)11月6日をもって閉宿することを知ったのは令和5年5月初めのこと。



昨年(令和4年)夏に泊まった時に宿主さんが閉宿を考えていることを話されたのですが、まさかの今年秋の閉宿・・・。

まだまだ先のことだろうと思っていたので、令和6年(2024年)夏に訪れるつもりでいたのだけれど、
突然の知らせに今年の夏に前倒しして行くことを検討。
しかし今年は家の事情で行くことが出来ない・・・。
仕方がないか・・・。

一度は断念したが、8月末頃になって「これはやはり泊まりに行かねばならぬ」と思い立ち、
急遽北海道行きを計画することに・・・。
で、なんやかんやで9月末に行ってきました~。

20年ぶりの北海道バイクツーリング・・・

今回は『ましゅまろ』に泊まることだけを目的としたので、短期間での北海道旅行として計画。
飛行機+レンタカーでの旅行を検討するも、関空~釧路or女満別直通便の往復分のチケットが確保できず断念。

なのでフェリーを利用することに。
毎度おなじみの新日本海フェリーですな。

今回は私1人だけでの北海道旅行となったので、20年ぶりの北海道バイクツーリングにすることに。
高速を利用するのでバイクはZRX1100一択。
そうなると実家に眠っている40Lのバニアケースを取り付けなくてはならない。
20年ぶりなので果たして使えるのか?なんなら新調するか。
動画撮影しながら走るので、バッテリーも新調しないと。
そもそもどこを走る?コースは?
・・・などなど、ツーリングマップル北海道2023年版を購入して地図を見ていろいろ考える。
この考えている間が楽しいんですわ。

駄菓子菓子、バイクで行くことを告げると嫁さんからStopがかかる。

「歳考えや」

この一言で車(ホンダ モビリオスパイク)での旅行に変更・・・。
残念無念。

まぁなんだ、「車なら雨を気にせずに移動できるから、ヨシ!」
何事も前向きに参りませう。

北海道へ

9月に入ってから台風13号が本州近くまで北上して来てからは台風の発生は無く、
出発日の9月27日(水)の大阪の天候は晴れ。
気持ち良く出発できる。

この日は午前中で仕事を終わらせて帰宅。
晩に大阪を出発。
近畿道~第二京阪~京滋バイパス~名神~北陸道で敦賀へ。

途中、北陸道の神田PA~長浜IC間で車の総走行距離が20万km達成。
新車で購入して約19年で達成。∩( ・ω・)∩



そして敦賀FT到着は22時半少し前。
ターミナル駐車場には多くの陸自車輌が待機中で、迷彩服を着た隊員さん達がウロウロしている。
北海道での演習に参加するのだろう。


↑第三師団の第三後方支援連隊補給隊のトラック。トラックの脇を歩いてEVに向かった。
 新日本海フェリーで陸自車輌と一緒に乗ったのは初めてかも。
 高機動車などは別甲板に誘導されていた。

23時過ぎに乗船開始の予定が貨物車輌の乗船に時間がかかり、乗船したのは24時前頃。
結局10分遅れで28日(木)00:05に敦賀港を出港。
仕事が終わってからの移動で疲れていたので、1時半頃には就寝した。



フェリー『すずらん』(往路)

28日(木)9時頃に目が覚める。
この日、フェリーは低気圧を追いかけるように北上しており、空は曇天で時折雨が降っている。


↑途中ですれ違った姉妹船の『すいせん』。波タカシ状態で雨降っていた。

山形県沖まで来ると大荒れとなりフェリーが揺れ始め、縦揺れ横揺れ、なんでもござれの状態に・・・。
秋田県沖まで来ると揺れはかなり少なくなりホッとしたのも束の間、フェリーが津軽海峡に入ると再び大荒れに・・・。
縦揺れと横揺れに加えて上下動(ヒービング)まで出てくる始末。
さらに微妙な振動も続く・・・

これはやばい・・・

はい。久々に船酔いしてトイレでリバース・・・。
船が多少揺れても大丈夫だったのだが弱くなったか・・・。歳やなぁ。
気分は少しマシになったものの、食欲は全くなし。
結局、船内レストランで夕食を食べずに下船することに・・・。

津軽海峡を抜けてからも悪天候のままのようで、揺れ続けるフェリー。
結局、揺れが無くなったのは苫小牧東港内に入ってからでした~。

28日20:30頃に苫小牧東港到着。
約15分後に下船。
1年ぶりぐらいの北海道だ~。ヽ(・∀・ )ノ


↑下船前。扉が開く瞬間がワクワクする。
 バイクで来たかったなぁ・・・。ちなみにバイクは3台ほど乗船しておりました。


↑苫小牧東FTで撮影。ここはMy定点撮影ポイント。

苫小牧へ・・・

この日の北海道は、日本海から東北を横断するように通過した低気圧の影響で雨。
苫小牧東到着時点で雨雲は東に抜けて雨はやんでいたものの路面は濡れたまま。
気温は24度ぐらい。30数度あった大阪と比べるとかなり涼しい。
生き返る。

さて苫小牧東港からは日高道~道央道で苫小牧まで一気に移動。
今日の宿となる苫小牧駅前のルートインホテルには21時半頃に到着。
夕食を食べないまま運転してきたのだが、落ち着いたらお腹が減った。
近くのコンビニまで買物に出掛ける。

道中、前から歩いてきた外国人の二人連れが痩せた犬に手を差し伸べていた。
痩せているから哀れだと思ったのだろうか?
しかし餌は持っていないと分かると犬は離れて今度は私の所に近づいて来た。

市街地で野良犬を見るのは珍しいなと思って痩せた犬を見てみると・・・

キタキツネだった。

慌てて少し遠ざかる。
危ね~~。

エキノコックスのことを知らない観光客なら、ふつうに手を出しかねない。
つーか、先ほどの外国人二人組は大丈夫か?

近くでキタキツネを見るのは吹上温泉の駐車場で会って以来20年ぶりぐらいだ。
なんだか久しぶりに近くで見たな~
・・つーか、なんで市街地をキタキツネがウロウロしているんだ?
当たり前になっているのか?

大阪の都市部や郊外では狸やアライグマの姿を見かけるし、神戸市街地の某所では猪、奈良市街でも鹿が町中をふつうに歩いているから、
苫小牧市街地というか北海道の市街地でキタキツネを見かけるのは珍しいことではないのかも知れない。
もしや北海道では日常風景の一部になっているのか?
・・・などと考えながらコンビニに向かった。


↑コンビニに向かう途中でキタキツネと遭遇。
 人慣れしていて足下まで近寄ってきたが、食べ物をくれないと分かると去って行った。

コンビニからホテルに戻り、買ったおにぎりを食べて、24時頃には就寝する。
明日は『ましゅまろ』へ向かう。

道東へ

旅に出ると買ってに旅モードになるのか、単に歳のせいか、朝4時には目が覚める。
ダラダラしている間に6時になったので起床。
ホテルの無料朝食を食べて7:50頃に出発。


↑今年もお世話になったホテルルートイン苫小牧駅前。
 苫小牧の朝は快晴でした。

まずは道央道の苫小牧ICまで移動。世の中は平日なので通勤の車が多い。
R276を支笏湖方面に走ると、IC手前で車と接触して怪我をしたであろう鹿が路肩に座っており
二人の警察官が見守っていた。
こういう場合は保健所が保護して、大型動物専門の獣医さんの所か動物園に運ぶのだろうか?
北海道は大型動物との事故があるから都市郊外でも注意しなくてはらない。

さて今回は一人旅と言うことで、道東への移動にあたっては趣味優先で走ることに。
久々の道活だ~。ヽ(・∀・ )ノ
日勝峠を越えたいぞ~
R274を走るぞ~
ならば起点となる札幌から走るぞ~
ほんでもって終点の標茶まで走るぞ~

そう、今回はR274がメインとなる。

夕張から東は何度か走っているのだが、札幌~夕張間は20年ぐらい前に走って以来走っていない。
当時とほとんど変化がないけど、私の走行データが古いので更新のためにも再走行しておかないと。
こういう走り方は1人で訪れた時でないとできないのだ。

まずは道央道~札樽道で札幌北まで移動。
R5とR231との交差点であるR274起点から走行開始。
途中でR275を苗場付近まで往復した後、R274走行を続行。
札幌市街は交通量が大変多く、大谷地IC付近では謎の大渋滞・・・。
道央道から離れても大型車の通行が多くペース遅め。
なんやかんやで夕張の道の駅『夕張メロード』に到着したのは11時半頃。
おかしい。予定では日高ぐらいに着いているはずなのに・・・。

悩んでも仕方が無いのでトイレ休憩。道の駅内にあるパン屋でパンを買う。
その後、道の駅到着時から気になっていたド派手なマイロバスを見に行く。


↑『メロン熊』バス。今は道の駅が本拠地らしい。
 この写真を撮影したときは気持ち良いほどの快晴だった。
 実はこの時点で左側の山から雨雲が近づいて来ていた・・・。

”メロン熊”です。
10年ぐらい前に話題になったゆるキャラだ。
なんと道の駅『夕張メロード』は”メロン熊”の本拠地らしい。

・・・はて?
生まれた場所はここではなかったような・・・

などど考えて写真を撮影していると、
新夕張駅の北側にある鬼首山から雨雲が・・・Σ(゚Д゚;)
雨雲はあれよあれよという間に広がり、やがて大雨に・・・。
しかも雷雨ですがな・・・


↑メロン熊バスを撮影してしばらくしたら大雨に・・・。

車に避難して先ほど購入したパンを食べながらどうするか考える。
とりあえず、この天候での走行は危険なのでしばらく待機する。
ツーリング中のライダー達も道の駅に避難して雨宿りしていた。
そりゃそうなるわな。

夕張ICまで戻って道東道を走ることも検討したが、
15分ほどすると雨は止んだので道の駅を出発。
先ほどの大雨が嘘のように晴れてきた。

道の駅を出てR274を日高方面に向かう。

少し走ると『北海道物産センター夕張店』が見えてきた。
R274に面してメロン熊の写真が入った大きな看板があった。
そうそう、ここがメロン熊誕生の地のはず。
しかし建物は閉鎖されており営業はしていない。


↑進行方法左手に見えるのが物産センター。
国道沿いにある大きなメロン熊の看板が目印。

ここには20数年前の北海道ツーリングで立ち寄って土産物を買ったことがあるのだが、
その時はツーリングのバイク、観光客の車や観光バスで賑わっていたはず。
2011年(平成23年)10月末に道東道の夕張IC~占冠ICが開通したことで、立ち寄る観光客が激減してしまい
その後に店での営業はやめたらしい。(ネット通販は続けているようです。)

昔訪れたことがある店や施設が閉鎖されている光景を見ると寂しいものがある。

その先、右手にスノージェットが見えると石勝線の楓信号場(旧:楓駅/2004年3月13日で廃駅)横を通過。
ここも訪れることなく廃駅になってしまった・・・。
信号場を過ぎてしばらく行くと石勝線から離れて深い山中に入って行く。
長いトンネルと橋梁をいくつも通る。
人跡未踏の山奥に建設された道なので、深い森の中を淡々と走る。

交通量は明らかに昔より少なくなっている。
観光バスの姿がかなり減った。長距離トラックと時々すれ違う程度。
時期的なこともあるが、ツーリングバイクの姿もほとんど見なかった。
日勝連絡道路の役割は道東道に移ってしまったようだ。

13時過ぎに道の駅『樹海ロード日高』に到着。
15分ほど休憩して出発。
日勝峠区間はほぼ1台だけでマイペース走行が出来た。
バイクだったらさぞ気持ち良いツーリングになったはずだ。(´・ω・`)


↑ここの巨大熊も健在でした。
 この付近から日勝峠目指して少しづつ標高を上げて行きます。

十勝清水には14時半前に到着した。
予定では12時頃に到着予定だったのに、2時間半も遅れている。
流石にこのペースでは宿への到着が遅くなる。
18時までに到着しなくてはならないのだ。
時間的に間に合わないかも知れないので道活を中止し、道東道で阿寒まで移動して弟子屈に向かうことにした。

通行止め・・・

R274を峠方向に戻って十勝清水ICから道東道に入る。
ところが電光掲示板に

『音更帯広~池田間 交通事故通行止め』

・・・と記されていた。
マジですか?


↑マジでした・・・。

ひとまず道東道に入る。
休憩で寄った十勝SAで迂回路を確認してから帯広方面に向かう。
走っている間に通行止めが解除されるかも知れないと一縷の望みに託していたが、
音更帯広ICに着くと本線上にはパトカーが止まってパイロンが並べられて通行止めが続いていた。
希望は打ち砕かれた。
帯広ICを出て池田ICまで一般道で移動することになった。


↑出口に誘導されます。立っているのは警官。お疲れ様です。

帯広ICで下りてからR241を北に向かう。
R38~R242経由では交通量が多いので、道東道の北側を通るr31(道道音更池田線)を走る。
池田ICのすぐ近くに出るルートで最短なのだ。
北海道の主要地方道なので、本州の主要地方道のように未整備の1車線狭路ではないだろう。
予想は当たった。
一部に狭い区間があったが概ね2車線道路。
適度なアップダウンとカーブが連続する、運転していて楽しい道だった。
約30分で池田ICに到着し道東道に復帰。
あとは道東道を阿寒に向けて走る。


↑池田ICへは道道31号線で移動。
北海道らしい風景の中を走る。

道東道に入ってからは渋滞もなくマイペースで淡々と走って行く。
やがて長い新釧勝トンネルに入る。
このトンネルを出てからはトンネルが連続する山中を通り抜ける。

その一つ、カラ里トンネル内で西行き(阿寒→帯広方向)車線にトラックが故障か何かで
止まっていた。
そしてカラ里トンネルを出た付近(西行き車線のカラ里トンネル抗口付近)から
車輌運搬車を先頭に長い渋滞の列が・・・。

これから白糠IC~浦幌IC間の西行き(千歳方面行き)は通行止めだろう。
この日の道東道は東行き・西行きともグダグダだった・・・。

シカーーーー!

阿寒IC到着は16時半頃。
ここからr53(道道釧路鶴居弟子屈線)に出て北上すれば18時前には弟子屈に着くだろう。

駄菓子菓子、1時間半ほど余裕が出来たと思ったら道活をしたくなった。
R274走行の続きということで、R274を走ってr53に出てやろうと思い立った。
出来れば標茶まで出てR391で・・・
うん、北海道の広さを完全に忘れていたね。

R240を北上。
途中でr222(道道雄別釧路線)に入り、R274の標茶側端点の布伏内まで出る。
ここからR274に入って東に向かう。


↑布伏内のR274道東側端点。ここからR274が再開します。
 時刻は16:40頃ですが、かなり暗くなっていました。

北海道の3ケタ国道ではあるが、道路は整備された2車線道で走りやすい。
淡々と走る。
阿寒町~標茶町間のR274は丘陵地帯を進むので、地形の都合で蛇行しながら東に向かう。
アップダウンが多いので、r53まで45kmほどであるが意外と時間がかかる。
しかも9月末になると日没が早い。R240を過ぎる頃には周囲は暗くなってきた。

幸いなのはローカル国道なので交通量はめちゃ少ないことだ。
午前中に走った札幌市街のR274と同じ道とは思えないぐらいのローカル国道である。
実際、R240交差点からr53交差点までの間、すれ違った対向車は数台(5台以下)で
他車に追い付いたりすることなく、貸し切り状態でひたすら一台だけでマイペースで走っていた。

気が付くと周囲は完全に夜になっており、日没後の単独走行となった。
バイクだとめちゃくちゃ孤独を感じるのだが、車だと音楽を聴きながら走れるので気を紛らわすことが出来る。
車の利点だ。

17時半前頃にr53との交差点に到着する。
ここから標茶まで行くと18時までには間に合わないので、このままr53を弟子屈まで
北上することにした。

すっかり暗くなった丘陵地帯を淡々と走る。
付近一帯は牧草地になっていて、明るい時間帯ならば牛の姿を見ることができる。
やがて弟子屈町桜丘に至る。沿道に人家が建ち並ぶようになった。
弟子屈の町まであと少しだと安心すると気が緩む。
弟子屈家畜診療所を通り過ぎる時も「大型家畜の動物病院みたいなものか」と考える余裕ができる。

そして診療所を過ぎたその先に何やら動くモノが・・・
近づくと・・・

シカーーーーーー!



しかも集団。子鹿おるやん。
子鹿は車に驚いて右往左往していた。
驚かしてすまないが、こちらも驚いた。

集団の直前で車は止まる。
何かが視界に入った瞬間に減速していたからぶつかることはなかったが、
減速していなかったら鹿の集団に突っ込むところだった。
あぶな~~~

人家があるので野生動物は出てこないだろうと油断していた。
ここは北海道なのだ。
昼夜問わず、どこにでも野生動物が出ることを肝に銘じておかなくては・・・。

この後、弟子屈市街に無事に到着し、弟子屈にある道の駅『摩周温泉』には17時40分頃に到着した。
阿寒ICから約1時間だった。
ここから宿へはすぐだ。
弟子屈市街から15分弱で『ましゅまろ』に到着した。

昨年来約1年ぶりであり、私にとっては最後の『ましゅまろ』泊である。

>>(2)に続く











放置中・・・ <(_ _)>

2024-03-24 22:35:23 | ノンジャンル
昨年秋から全く更新してませんね。
またもや放置中です。

昨年秋の北海道旅行の記事を書いたところまではやる気があったのですが、
その後に動画から画像を取り出す段階でやる気がなくなり放置してしまった次第・・・。

気が付けば年明け。
仕事が忙しい&確定申告。さらに長女の高校進学で忙しく現在に至ります。
やっと一息つけたところ。

可及的、速やかに更新作業を再開できるよう、前向きに努力して参ります。

計根別飛行場掩体壕

2023-10-12 16:28:37 | 軍事ネタ
9月末に北海道の道東に強行軍で行ってきました。
ご当地グルメも食べず、名所などにも寄らず、苫小牧と道東を往復するだけでした。
それでも道東まで来たので、計根別飛行場掩体壕を見てきました。

初めて計根別飛行場掩体壕を訪れたのは平成16年(2004年)6月のようで、今年で20年近くになります。
その間に撤去されたり倒壊することなく、掩体壕は現在まで健在しています。

>>計根別飛行場
 帝国陸軍参謀本部第一部で計画された航空作戦指導計画大綱に基づき、1942年(昭18年)より現在の北海道野付郡別海町~標津郡中標津町において建設された
飛行場が計根別飛行場。
 この飛行場は攻撃による被害を分散させてつつ飛行場機能を維持させるために、連絡誘導路によって結ばれる5つの飛行場が計画され、
1944年(昭19年)末までに第一~第五飛行場が完成。第一飛行場が中標津町計根別地区に建設されたことから『計根別飛行場』として呼ばれるようになったそうです。

基地司令部は第一飛行場に置かれ、また格納庫や有蓋・無蓋掩体壕が多数建設されましたが、終戦により飛行場は閉港となり農地として払い下げられます。
しかし朝鮮戦争勃発により、1952年(昭27年)に旧第四飛行場が整備されて1600m滑走路を持つ米空軍不時着滑走路として軍用飛行場として復活。
朝鮮戦争停戦後の1958年(昭和33年)に航空自衛隊に返還された後、翌1959年に西春別空港として民間共用飛行場となります。
1965年(昭和40年)、旧海軍標津第一航空基地を前身とする中標津空港に丘珠便の定期航空路線が移転したことで、以後は航空自衛隊管理の施設となり現在に至っています。

ちなみに現在の『計根別飛行場』とは、中標津町計根別から離れた別海町西春別にある陸自別海駐屯地に隣接する、この空自飛行場のことを指します。
前身が計根別第四飛行場という歴史的経緯から今も『計根別飛行場』と呼ばれています。
今回訪れたのは、旧帝国陸軍の計根別第一飛行場です。

>>掩体壕
 計根別飛行場掩体壕は旧第一飛行場周辺に3基が現存しています。
他に無蓋掩体壕が4基確認されているとのことですが、どこにあるのか分かりません。

有蓋掩体壕は、野付郡別海町本別にある別海フライトパーク付近に3基が近接してあります。

①計根別第一飛行場1号有蓋掩体壕



近くを通る道道中標津標茶線(r13)から見える牧草地の中にある蒲鉾形の掩体壕です。
幅約34m、高さ約5m、奥行き約22mのコンクリート製。
正面から見ると垂れ壁のない半円形の入口です。

以下、私有地なので立ち入ることが出来ないため、掩体壕撮影のためだけに持参した300mm望遠レンズで撮影。



正面向かって右端。
築80年近いのでコンクリートの剥離や亀裂がみられます。
後部は倒壊したのではなく、最初から開いています。陸軍掩体壕によくみられる構造です。
蒲鉾型というよりドーム型に近いですね。



正面向かって左端。
入口の高さは5mほどあるはずですが、土砂や草木の浸食でかなり狭くなっています。
奥行きが22mほどあるそうなので、九七式や一〇〇式といった陸軍重爆撃機も収納できたかと。



少し分かりづらいのですが、表面のコンクリが剥げて内部が少し見えています。
大きな石が多く含まれる戦争後半のコンクリです。
石以外にもホタテ貝が入っていたとか・・・。

なお、1号有蓋掩体は令和3年11月に別海町歴史文化遺産16号に登録されています。



②計根別第一飛行場2号有蓋掩体/3号有蓋掩体
1号掩体から道道13号線を挟んで南側には2号と3号掩体があります。
2号と3号は隣接しており、まとめて見ることができます。
注)”2号””3号”と書いていますが、別海町の公式な呼び名は不明です。
  ここでは区別する上で見た順番で”2号””3号”と記載しています。



牧草地の向こうにあるこんもりした森のようなのが2号掩体。
正面をこちら側(東側)に向けています。
2号の向こう側(西側)に3号がありますが、この位置からでは重なって見えません。



上の写真を撮影したポイントで、300mm望遠レンズで撮影。
なんとなく半円形の入口が見えますが、草木が生い茂って状態は分かりません。
2004年6月に撮影した写真では、掩体のコンクリートがはっきり見えていたんですけどね。
20年近い月日は掩体を隠してしまいました。



少し南側から撮影した2基の掩体壕。
右側が2号で左側が3号。共に森のように見えますが掩体壕です。
牧草地に浮かぶ島のようです。



300mm望遠レンズで撮影した2号。写真は少し傾いています・・・。(^^;)
南西から撮影したことになります。
何となく掩体本体の輪郭が見えます。



3号掩体。これも300mm望遠レンズで撮影。
3号は北側に向いているので、こちら側は掩体壕を後方から見ていることになります。
草木で覆われて何が何だか分かりませんが、2004年に私が撮影した写真を見ると後方開口部が見えていました。
現在の状態は分かりません。

ひとまず現時点では3基とも現存してます。

>>格納庫跡
今回は掩体壕群を回るついでに、別海フライトパークにも立ち寄りました。



フライトパークは、誘導路の一部を利用した場外離着陸場として昭和62年(1987年)に開設されました。
モーターグライダーを運航するので、560mの滑走路があるとか。
その滑走路が計根別飛行場の誘導路なのです。

車が止めているのですが、営業している気配が全く感じられないので道路上から撮影するだけで終わりました。



吹き流しがある辺りが滑走路(誘導路跡)?



すぐ近くに有った格納庫の基礎。
かなり広かったので大型機(重爆か?)用格納庫の跡なのでしょうか?
計根別飛行場には満州から呑龍部隊が移って来たらしいです。



道道13号近くの格納庫跡。ちょっとした森になっています。
近づけば基礎が残っているのでしょう。道路からは全く見えません。
牧草地では牛が放牧されていました。

航空撮影写真やグールグマップのストリートビューなどで見ると、格納庫や滑走路、誘導路跡がはっきりと分かります。

>>4号掩体跡?
付近の道路をストリートビューで見ていたときに、”4号掩体跡”というのがありました。
4基目の有蓋掩体壕?
気になったので現地を訪れました。



緑色屋根の建物前にある防風林(?)付近にあるとのこと。
崩壊したか取り壊されて跡しか残っていないのでしょうか。詳細は不明です。

個人農場の敷地内にあり、勝手に入ることができないので道路から撮影しています。
道路から見ても何が何だか分かりません。
ちなみにこの付近には無蓋掩体壕がいくつかあったらしいです。

この後、第四飛行場つまりは現在の計根別飛行場はすぐ近くにあるので訪れたかったのですが、
掩体壕などの撮影に予想以上の時間を費やしたことから時間がなくなり、移動の都合で今回の訪問は断念。
またの機会に訪れることにします。

【終わり】