以前に紹介した
義烈挺身隊慰霊碑のその後のお話。
義烈挺身隊については
こちら。
今年5月の時点では、
1.碑は全日本空挺同志会(旧軍挺身隊と第一空挺団のOB並びに
現役で構成)が昭和51年5月に摩文仁の義烈空挺隊の慰霊
碑を建立した際に玉砕の地である読谷飛行場跡にも立てたも
の。
2.現在の木碑は平成13年9月に立て替えたもの。
3.木碑の立つ場所が中学校建設地となったため移設を予定して
いるが、諸般の事情で現在のところ移設先が確保出来ておら
ず読谷村と調整中であるとのこと。
4.同志会でも碑の老朽化は把握しており移設の際は石碑に換え
る予定であること。
・・・という状態で、慰霊碑移設問題は進展しているのか
していないのか分からない状態が続いていました。
そして8月28日、情報を提供してくださった金○さんから
連絡がありました。
慰霊碑移設!ヽ(゜∀゜)ノ
なにはともあれ、慰霊碑の移設は実現しました。
諸般の状況下、移設が実現できたことは嬉しいことです。
移設先は旧北飛行場の掩体壕の近くとのことです。
少なくとも中学校建設時に人知れずに消えてしまうことは
なくなったわけです。
移設に奔走された全日本空挺同志会の方々と、読谷村の
担当者の方々に感謝です。
が、一つだけ問題がががが・・・。
移転時に検討されていた石碑建立は、今回は諸般の事情により
見送られ、前の木碑のまま移転となってしまったとのこと。
木碑のままでは朽ち果ててしまうので、早急な石碑建立をして
欲しいものです。
ただ個人的には、全日本空挺同志会が建立した慰霊碑なので、
石碑にするかどうかは同志会の判断を尊重されるべきではと
思うのです。
場所が読谷村の村有地なので、建立には許可が必要になる
のでしょう。
おおよそ検討がつきますが、諸般の事情により、
石碑建立に難色を示したのではないかと・・・ヽ(`Д´)ノ
石碑にすれば建立の経緯を書けるから、是非とも石碑建立を
して欲しいものです。