Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

豚汁の味

2012-09-25 18:24:10 | Weblog
昼間っから(現在13時11分)ネットをやるのもどうかと思うのですが、お昼に食べた豚汁の味があまりにも感動的だったので、ここにその気持ちを残しておこうと思います。

毎日お昼はパンばかりで、さすがに飽きてきて、ああカレーが食べたいよう、ああカップ麺が食べたいよう、と嘆いていたら、ふと日本から持参した豚汁のことを思い出して、でも数が少ないのでどうしようかと悩んだのですが、いま食べなければいつ食べるのだ!という毎度のクシャナの精神を発揮して食べることにしました。

固形スープをコップに入れて熱湯を注ぐだけで、こんなにも美味になるなんて!発明者は天才ですよ。ぼくはこの人にノーベル賞を与えたい。ぼくみたいにぐうたらしながら色んなことを悲観しているだけの人間は、この商品の発明者に比べたら、この豚汁の一滴だけの価値もないですね。いや豚汁と比べようなんて、そもそも豚汁に失礼だ!

2年前、モスクワに3週間ほど滞在した際は、とにかく秋刀魚が食べたくて、秋刀魚に大根おろしを付けて、そこに醤油をちょびっと垂らした奴を味わいたいなあなんて夢想していたものですが、いまは日本に帰ったらお腹いっぱい豚汁を食べたいなあ!

いやあ、おいしかった。

逃避行

2012-09-25 03:51:30 | Weblog
「死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった/そんな僕らの長い旅の先はまだまだ遠いみたいだ」。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げまくって、どうだおれは死んでやるんだと嘯いて、でもいつしかその逃避行を生きていることに気が付いて。「僕の場合は逃げ出したいから なのに今も戦っているよ/それでいいだろ」。それでいいだろ?逃げたっていいじゃねえか、それでぼくらが遠くまで行けるんなら。どこまで逃げられるのか、見せてやるよ。

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amazarashiの『千年幸福論』がリリースされたときのぼくの感想は上記の通りですが、今でもそれは変わりません。

不確かで且つ曖昧な情報で申し訳ないのですが、『もののけ姫』の制作過程を追った番組で、アニメーターの描いた作画を宮崎駿は修正しながら、こんなニュアンスのことを言っていたような気がします。「腰が引けている絵を描いている奴は、人生から逃げている」。アシタカが森の中を走るシーン、そのアニメーターの描くアシタカは、宮崎駿から見たらへっぴり腰だったのでしょう、アシタカというのはそういう人間ではないのだと、宮崎駿は憤慨しているように見えました。

人生から逃げている――。ぼくは昔から宮崎駿の発言に影響されることが多くて、少なくとも20歳くらいまでは、逃げることは悪だと思っていました。「一旦逃げてしまえば、あとはずっと逃げ続ける人生になる」。これは誰の発言だったかもはや記憶にありませんが、宮崎駿の発言に触れたのと同じ頃、やはり中学生くらいのときに知った言葉です。一度逃げたら、あとは逃げるだけの人生になってしまう。ぼくはそれを恐れていました。

たぶんぼくは、小さい頃から逃げ続けていたのだと思います。スイミングスクールに行くのが嫌で、家の玄関から動こうとしなかったりね。でも、はっきりと「逃避」を自覚したのは、中学3年生の秋です。ぼくは運動会に出なかった。一応それには怪我という公的な理由があったのですが、でも自分の中では、逃げであることに他ならなかった。

ぼくは当時走るのが速かったのですが、ちょうど3年生くらいのとき、腰を痛めた影響もあってか、伸び悩んでいました。2年生のときのように楽しく走ることができないばかりか、速く走ることもできないのでした。周りには、中学生って成長期ですから、ぐんぐん実力を付けていっている人もいました。運動会が開かれようとしていたのはそういう頃です。ぼくは200メートルの選手になりました。そして初めての運動会練習のとき、200メートルの各クラスのメンツが顔を揃えました。そこにいたのは、いずれもクラスを代表するようなスプリンターたちでした。皆がぎょっとした顔をしていたのを覚えています。でも、去年までのぼくなら、決して怯むような相手ではなかったのです。去年までなら、ぼくは確実に1・2番になれた。しかし現時点においては、ひょっとすると最下位の可能性もある。ぼくは恐れました。学校で速いと評判の自分が、運動会で最下位になってしまう。これほどの屈辱・恥辱は、想像することさえ躊躇われました。そうしてぼくは、腰の痛み/怪我を理由に、運動会を欠場したのです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これがぼくの自覚している最初の逃避でした。それからぼくは、事あるごとに、これは「逃げ」ではないか違うか、ということに思い悩んできました。一度逃げたら後は逃げるだけの人生。この言葉が、今となってはもはや誰が発した言葉かも思い出せない言葉が、ぼくを縛り続けていました。

ぼくは色んなことから逃げてきたし、また向かい合ってきました。その選択の根幹には、「逃避=悪」という発想がありました。逃げてしまえば罪悪感に囚われ、たとえ向かい合っても、「次には逃げてしまうかもしれない」という予感に苦しめられました。ぼくはあの中学3年の運動会から逃げたことを、いつまでも後悔しているのです。しかしだからと言って、仮に出場して最下位になっていたとしたら、そんな自分をぼくは認めることがいつまでもできなかったでしょう。では逃げて正解だったか?いやその行為が長年の苦しみを胚胎したのです。



逃げる人生もアリだって思うようになったのは、いつからでしょうか。前進するばかりが人生ではない。留まる生き方もあるし、逃走に逃走を重ねる生き方もある。確かに、中学生の理想とは違うけれども、でもそういう生き方だって、けっこう粋なんじゃないのかな。こういう発想自体が既に「逃げ」なのかもしれないけれども、でもたぶん、そういう人の方が少しだけ優しい人間なんじゃないのかなと、誠に勝手ながらそう思っています。