Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

逃避行

2012-09-25 03:51:30 | Weblog
「死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった/そんな僕らの長い旅の先はまだまだ遠いみたいだ」。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げまくって、どうだおれは死んでやるんだと嘯いて、でもいつしかその逃避行を生きていることに気が付いて。「僕の場合は逃げ出したいから なのに今も戦っているよ/それでいいだろ」。それでいいだろ?逃げたっていいじゃねえか、それでぼくらが遠くまで行けるんなら。どこまで逃げられるのか、見せてやるよ。

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amazarashiの『千年幸福論』がリリースされたときのぼくの感想は上記の通りですが、今でもそれは変わりません。

不確かで且つ曖昧な情報で申し訳ないのですが、『もののけ姫』の制作過程を追った番組で、アニメーターの描いた作画を宮崎駿は修正しながら、こんなニュアンスのことを言っていたような気がします。「腰が引けている絵を描いている奴は、人生から逃げている」。アシタカが森の中を走るシーン、そのアニメーターの描くアシタカは、宮崎駿から見たらへっぴり腰だったのでしょう、アシタカというのはそういう人間ではないのだと、宮崎駿は憤慨しているように見えました。

人生から逃げている――。ぼくは昔から宮崎駿の発言に影響されることが多くて、少なくとも20歳くらいまでは、逃げることは悪だと思っていました。「一旦逃げてしまえば、あとはずっと逃げ続ける人生になる」。これは誰の発言だったかもはや記憶にありませんが、宮崎駿の発言に触れたのと同じ頃、やはり中学生くらいのときに知った言葉です。一度逃げたら、あとは逃げるだけの人生になってしまう。ぼくはそれを恐れていました。

たぶんぼくは、小さい頃から逃げ続けていたのだと思います。スイミングスクールに行くのが嫌で、家の玄関から動こうとしなかったりね。でも、はっきりと「逃避」を自覚したのは、中学3年生の秋です。ぼくは運動会に出なかった。一応それには怪我という公的な理由があったのですが、でも自分の中では、逃げであることに他ならなかった。

ぼくは当時走るのが速かったのですが、ちょうど3年生くらいのとき、腰を痛めた影響もあってか、伸び悩んでいました。2年生のときのように楽しく走ることができないばかりか、速く走ることもできないのでした。周りには、中学生って成長期ですから、ぐんぐん実力を付けていっている人もいました。運動会が開かれようとしていたのはそういう頃です。ぼくは200メートルの選手になりました。そして初めての運動会練習のとき、200メートルの各クラスのメンツが顔を揃えました。そこにいたのは、いずれもクラスを代表するようなスプリンターたちでした。皆がぎょっとした顔をしていたのを覚えています。でも、去年までのぼくなら、決して怯むような相手ではなかったのです。去年までなら、ぼくは確実に1・2番になれた。しかし現時点においては、ひょっとすると最下位の可能性もある。ぼくは恐れました。学校で速いと評判の自分が、運動会で最下位になってしまう。これほどの屈辱・恥辱は、想像することさえ躊躇われました。そうしてぼくは、腰の痛み/怪我を理由に、運動会を欠場したのです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これがぼくの自覚している最初の逃避でした。それからぼくは、事あるごとに、これは「逃げ」ではないか違うか、ということに思い悩んできました。一度逃げたら後は逃げるだけの人生。この言葉が、今となってはもはや誰が発した言葉かも思い出せない言葉が、ぼくを縛り続けていました。

ぼくは色んなことから逃げてきたし、また向かい合ってきました。その選択の根幹には、「逃避=悪」という発想がありました。逃げてしまえば罪悪感に囚われ、たとえ向かい合っても、「次には逃げてしまうかもしれない」という予感に苦しめられました。ぼくはあの中学3年の運動会から逃げたことを、いつまでも後悔しているのです。しかしだからと言って、仮に出場して最下位になっていたとしたら、そんな自分をぼくは認めることがいつまでもできなかったでしょう。では逃げて正解だったか?いやその行為が長年の苦しみを胚胎したのです。



逃げる人生もアリだって思うようになったのは、いつからでしょうか。前進するばかりが人生ではない。留まる生き方もあるし、逃走に逃走を重ねる生き方もある。確かに、中学生の理想とは違うけれども、でもそういう生き方だって、けっこう粋なんじゃないのかな。こういう発想自体が既に「逃げ」なのかもしれないけれども、でもたぶん、そういう人の方が少しだけ優しい人間なんじゃないのかなと、誠に勝手ながらそう思っています。

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4 コメント

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無題 (マル)
2012-09-25 20:10:44
やっと、あなたに追いついた!

この一週間、あなたの2008年4月13日からずっと走り続けて、そして今日やっとあなたに追いつきました。

はじめまして。
amazarashi『闇の中 ~ゆきてかへらぬ~』を検索していて、わたしはあなたを見つけました。
なんだか、あなたのことがとても気になって、ずっと最初から読み続けてしまいました。

この4年と5か月の間には、あちらこちらにamazarashiが転がっていて、「あれ、この時には、まだamazarashiはデビューしていないよなぁ。」とか、「この時は、まだ『逃避行』は出来ていないのに。」とか思うほどに、あなたは秋田さんのようで、時には「本人なのか?」と錯覚しながら読んでいました。
あなたの書く文章は、とても心地よくワクワクして、そして食べ物が美味しそうでした。一週間楽しませていただいて有難うございます。

わたしは、amazarashiを聴き、秋田さんの叫びや優しさに涙します。わたしの重い過去や「でも生きたい」という気持ちに涙します。今は、あなたを通してナモナキあなたに泣いてしまうのです。真摯で正直で足踏みをしてしまうあなたにamazarashiを聴いて涙します。

ごめんなさい。唐突にちょっと気持ち悪いコメントでしたね。本文に関係ないし。
運動神経が5㎜のわたしが、やっと追いついた場所がここだったのも、なんだか皮肉だなあ・・・それに気が付いたら、次の『豚汁』がアップされていて早速先に行かれてるし。これからも楽しませていただきますね。

わたしは文章を読むのは、好きだけど書くのは苦手なのでヘンテコな文章になりますが、時々コメントを書いても良いですか?

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奇跡 (ペーチャ)
2012-09-25 21:42:29
マルさん、こんにちは!はじめまして。

とってもうれしいコメントどうもありがとうございます。いつだったか、ぼくは「ブログを通してぼくを見つけてくれる人を待っている」という意味のことを書きました。マルさんがぼくを見つけてくれて、本当にうれしいです。

2008年の記事からずっと読まれたんですか?それは大変でしたね!もう4年以上になりますから、随分記事が溜まっているというのに!

amazarashiの秋田さんではないかと錯覚するというお話、恐縮しきりです。でも、ぼくは初めてamazarashiを聴いたときに、これは自分のことが歌われている、と本気で思いました。ぼくは秋田さんではないけれども、秋田さんが歌っているのは、ぼくのような人間のことなのかもしれません。もしマルさんがamazarashiの歌に涙するのであれば、きっと秋田さんはマルさんに向けても歌っているのでしょうね。

コメント、もちろんこれからも書いてください。いつだってお待ちしていますよ。

それにしても、ぼくの文章から食べ物の美味しさが伝わりますか?そんなに食べ物のことばっかり書いてたかなあ、となんだか照れてしまいますが、たった今も、松山の鍋焼きうどんについてネットで検索していたところでした。ああ、松山に行きたいなあ・・・
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奇跡 (マル)
2012-09-26 00:03:17
『奇跡』と返してくださったこと、とても嬉しかったです。

色々とお話しが出来ればと、思います。

また宜しくお願いします。
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この街で生きている (ペーチャ)
2012-09-26 02:25:12
いえいえ、こちらこそ色々とお話しできるのを楽しみにしていますよ。ぼくは生憎モスクワという街で生きていますけれども、ネットを介せば距離はゼロになりますからね(代わりに時差が生まれますが)。

どうぞよろしくお願いします。
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