けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

朝日新聞の社外委員コメントと安倍総理への中傷に思う

2015-01-06 00:56:19 | 政治
今日のブログは下記の2本の記事をベースにコメントしたい。

朝日新聞Digital 2015年1月5日「社外委員4氏からのメッセージ 朝日新聞信頼・再生委

アゴラ2015年1月5日「安倍首相はヒトラー? 歴史知識のなさを笑う--本当に怖いのは…(石井 孝明)

1件目の記事は、慰安婦問題の吉田証言や福島第一原発の吉田証言に関する捏造記事などについて検証するために設置された3つの委員会の中で、特に社内からの検証を進める為に設置した「信頼回復と再生のための委員会」において、検証が内向きにならない様にと招いた4氏からのコメントを掲載している。その4氏とは朝日新聞曰く、「社外委員は、冤罪(えんざい)など社会の問題を幅広く発信するジャーナリストの江川紹子氏(56)、企業の危機管理を専門とする弁護士の国広正氏(58)、部門の垣根を取り除いたチームの導入などで経営再建を果たした日産自動車副会長の志賀俊之氏(61)、テレビコメンテーターも務める社会学者の古市憲寿氏(29)です。」とある。第三者委員会も人選は微妙だが、こちらはさらに疑問を感じるものであるが、江川氏と国広氏のコメントは中々的を得たコメントであると感じた。

このお二方のご指摘の共通点は(私の意訳によれば)、まずは新聞の役割を「読者が正しく考え判断するための公平・公正な情報提供をすること」と定義し、朝日新聞が道を踏み外した根底には、「読者がどの様に判断すべきか」を新聞の側から押し付ける為に、アンフェアに事実(≠真実)をつまみ食いし、読者が複眼的な物の見方をする機会を奪うことを「正義」と誤解した点にある。国広氏はこの様な初めに結論ありきの朝日新聞の姿勢を「権力を監視しなければならないという過剰な使命感」と表現しているが、私にはその様には見えない。何故なら、民主党政権が誕生したとき、朝日新聞などは手放しで民主党政権を称賛していたからである。勿論、如何にも叩きやすい失敗は叩きまくるが、安倍政権の様な辛辣な誹謗中傷には至っていない。これでは「権力の監視」ではなく、自ら信じるイデオロギーの洗脳に近い。勿論、放送法の様な縛りのない新聞社が社説などで意見を主張するのは構わないのだが、例えばAERAなどで良くある一見「記事」の様に見えて、良く読むと「広告」であるような怪しげなページなどは、ステルス・マーケティングと何ら違いはない。芸能人が自身のブログで「xx(商品)を買いました。中々いいですよ!!」と嘘記事を書いて叩かれたが、それと同列である。新聞においても、客観的な事実(=真実)と思わせる様な記事を装い、実際には「バリバリの社説でした・・・」なんてのは許されるものではない。

さらに言えば、その様な多様な議論を排除するために朝日新聞がとった戦略は、物事を単純化することで論理構築の途中段階をすっ飛ばかし、最初の事実から最後の結論を短絡的に直結した報道に徹したことである。この点は、江川氏が適切に指摘している。

===================
江川氏「エネルギーの問題にしろ、国際関係にしろ、世の中は複雑化しています。なのに、ひどく単純化した物言いが社会に蔓延(まんえん)し、極論が横行している状況です。これでは、改善に向けての建設的議論ができません。」
===================

つまり、私に言わせれば「現実の世界」は100もの変数を持つ100次元非線形連立方程式の様な複雑系の世界で、厳密解を導く公式などは存在しないような世界である。幾つかのパラメータを固定して、偏微分などしてローカルな局所解を近似的に求めるなど、様々な学者や有識者が近似解法を唱えている様なもので、精度の差はあるがいずれも厳密解には成り得ないのである。その様な複雑系を、あたかも2元1次連立方程式の様に簡単な厳密解が容易に求まるかの様に吹聴するのが最近のメディアの傾向である。分かり易く言えば、韓国に譲歩すれば韓国も日本との関係改善に前向きになるだろうと信じてこれまで歩んできたのに、河野談話や村山談話などで「ほぼ満額回答」したはずが調子づき、IMF危機で苦しむ中で救いの手を差し伸べ、2002年W杯も日韓共催にまで譲歩したのに、失われた20年に苦しむ日本を嘲笑い「もはや、日本などライバルではない」とばかりに日本人や天皇陛下の心を踏みにじり、世界に「残虐非道な国家」と宣伝しまくる姿を見れば、中学1年生の数学問題の様な簡単な問題ではないことに気が付くはずである。4、50年前の日米安保問題では、当時はそれでも複雑系と思われていたが、今では日米安保に正面から反対する人などいない。その当時は計算機が幼稚であったために線形の方程式でも解くことができなかったが、コンピュータが発達した今では変数が100個あっても100x100の逆行列演算で容易に厳密解を求めることができるようになった。しかし、であれば現在では複雑な問題でも一瞬で解けるようになったかと言えば、より複雑な問題を扱うようになって、益々、コンピュータのCPUパワーは不足している状況である。気象予測などでスーパーコンピュータが必要とされる状況の背景と似ている。

(なお蛇足だが、その他の志賀氏と古市氏のコメントは、どうも朝日新聞ファンのオーラがまとわりつき、優等生の高校生が書いた作文の様でつまらない内容である)

さて、遠回しにクドクドと書いたが、複雑な問題を単純化して「ほうら、答えは簡単さ!」と訴える戦術は、悪意を込めたレッテル張りがその典型である。石井孝明氏の記事の方は、その象徴的な出来事として、安倍総理をヒトラーと同一視しようとするメディアや政治家の主張を批判している。先日の記事でも書いたが、サザンの桑田佳祐氏が紅白歌合戦の中でちょび髭をつけて出てきたことを取り上げ、「ヒトラーの真似をして安倍政権を批判した」と指摘している。私は前回のブログを書くときにも、その様な主張があることは知っていたが、公平な立場からそこまで桑田氏を批判はしなかった。と言うのも、その時の服装はヒトラーを連想させる様なものではなく、単なるその辺のちょび髭のオヤジだったからである。これに何らかの(つまりヒトラーを象徴的に表したということ)意図があるとするならば、メッセージと言うのは伝えたい相手に伝わってナンボのモノであり、その伝えたい相手が広く有権者(国民)であるならば、その意図が伝わった受け手はごく少数であろう。そして、その少数の人々は所謂「サヨク」と呼ばれるような人たちで、今更、その様な主張などしなくても最初から安倍政権叩きを繰り返している筈なので、桑田氏がその様な人々を相手におふざけをしているのであれば、それは天下の公共放送の年に1回の晴れ舞台でマスターベーションをしている様なものである。逆に、広く一般の国民にその様なメッセージを伝える為の演出としてちょび髭を選んだのであれば、余りにも幼稚で下手糞な演出である。だから、曲自体には安倍政権批判のメッセージが込められているが、あのちょび髭オヤジには実際にはそこまでのメッセージが込められているとは私は感じなかった。

・・・と、大分話が横道に逸れてしまったが、(サザンの話はどうでも良いのだが)安倍総理や次世代の党などにヒトラーやネオナチのレッテル張りをして、ネガティブなイメージを植え付けて相手にダメージを与えようという戦略は、実際には無視できる状況ではない。先の衆院選では、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は次世代の党を「日本版ネオナチ」と呼んでレッテル張りをし、ネガティブ・キャンペーンを繰り広げた。それだけが原因でない事は明らかだが、壊滅的な敗北という結果は余りにもショッキングであった。確かに急進的な右寄りの議員もそれなりの数はいたが、慰安婦問題に対し、「Factベースでの議論を!」と声高に叫ぶことが「ネオナチ」であるという主張は余りにも短絡的である。複雑な方程式(の最小値)を解くのに更に複雑化させてしまう傾向が次世代の党にあるのは確かだが、計算機で複雑な方程式の最小値を求める際に、局所的なローカル・ミニマムへの落ち込みから真の最小解に脱出するためには、多少の揺さぶりを与える外乱要因が必要であったりする。余りにも意見の振れ幅が小さい集団が権力を支配していると、選択肢が狭められて議論が内向きになりかねないから、多少の揺さぶり要因として共産党も次世代の党も、民主主義には必要なのだと私は考える。しかし、それなのに共産党が民主主義を否定するかのような禁じ手に打って出て、しかもそれで成功を収めたというのは許し難い。

石井氏のご指摘は、ヒトラーと安倍総理には類似点がないということを丁寧に語説明されている一方、1点だけ共通点を指摘されている。

===================
石井氏「ただ一点、警戒すべき点があると思う。ヒトラーを生んだ状況と今の日本は、似た点がある。それは「政治が何も決められない」ということだ。
===================

多くのメディアが衆院選の後で指摘していたのは、「自民党が勝利したのは、手段的自衛権や特定秘密保護法、原発問題などの全てに対し、自民党に白紙委任することを意味しない」ということであったが、それは裏を返せば「自民党が政権公約を掲げたことを、そのまま実行することを国民は認めていない(政権公約を実行してはならない)」という意味になる。つまり、「100人が100人、納得する様な政策でなければ実行してはいけない」というスタンスでいると、政治が何も決められなくなり、その行き詰まりの状況がヒトラーを生む土壌になるということである。少なくとも、現時点では安倍総理はその様なドン詰まり状況にはない。民主主義のルールで許された、決断できる政治を淡々と実行しており、これが続く限りはヒトラーは出現できないということになる。

この辺は、大学で習う簡単な微分方程式程度の複雑さだろうが、その程度の複雑さでも文系の方々には理解できないかも知れない。しかし、その難しさを伝えようとする努力は、誠意あるメディアには必要である。その意味で、石井氏の様な解説は必要なのだと思った。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます


最新の画像もっと見る

コメントを投稿