けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

気持ちは分かるが、フェアに行こうじゃないか!

2012-07-17 22:23:12 | 政治
原発や再生可能エネルギーを含む、エネルギー政策を議論するためのふたつの施策が動き出した。ひとつは政府が開催する将来のエネルギー・環境政策に関する「国民からの意見聴取会」、もうひとつは「討論型世論調査」である。後者は8月上旬に都内で開催するが、前者は既に仙台、名古屋等で開催されている。それらの意見聴取会がニュースでも取り上げられており、物議を醸し出している。

既に報道でご存知の方も多いと思うが、この意見聴取会のルールとしては、今から約20年後の2030年時点を想定し、そこでの原発依存度を「0%」「15%」「20~25%」の3つの選択肢に分け、参加者から事前のアンケートで何れの選択肢を理想とするかを把握し、無作為にこの中から3名ずつ抽出して合計9名の意見を聞くこととしている。問題になったのは、この中の「20~25%」に属する発言者の中に、仙台では関東在住の東北電力の執行役員が選ばれ、東北電力としての立場からの意見表明をしたことが「やらせ」ではないかと紛糾し、騒然となったという。また、名古屋での意見聴取会に関しても中部電力の社員が一人選ばれ、「放射線で亡くなった人はいない」とも発言し、名古屋の河村市長が「八百長かも知れない!」とまで発言するに至った。政府の方からも、閣議後の古川元久国家戦略相が「聴取会の趣旨から大きくそれるもので、極めて遺憾」などの発言が出てきている。さらには、野田首相から「聴取会に対するいささかの疑念も生じさせてはいけない」として、電力会社の社員が抽選で選ばれても発言を認めず、別の者に差し替えるとの指示をしたという。

これらの報道を聞いていると、ある種、感覚的に「言わんとしていることは理解できる」一方で、明らかに前向きな議論を放棄した後ろ向きな行動だと糾弾せざるを得ないと感じる。

多分、原発推進派ないしは電力会社関係者たちは徒党を組んでこの意見聴取会に乗り組んでくるだろうことは予想できるが、同様に反原発派の人たちも徒党を組んで乗り込むことも予想される。地方での瓦礫処理問題においては、圧倒的多数派である受け入れ容認派に対し、少数派である断固反対派はやはり徒党を組んで各自治体に乗り込み、半ば暴力的に強硬な主張を繰り返していた。民主主義が多数決の原理に従うべきというのであれば、彼らの行動は非民主的な行為である。しかし、彼らは「少数意見であっても、その声に耳を傾けろ!」と怒鳴りまくる訳である。これに対し今回の意見聴取会に関しては、何ら暴力的なことを行った訳ではなく、単に組織的な動員的なことを意見聴取会に対してかけただけであり、この点は原発反対派の人たちと同様である。その運営のルールに問題があるのであれば、そのルールに限定して異論を唱えればよい。

例えば、電力会社の執行役員が選ばれたのが不自然であるというのであれば、くじ引きの公平性を担保するルールを導入すればよい。具体的には、入り口で通し番号を書いたバッジを配り、それを胸につけると共にそのバッジの番号と同一の番号を書いた紙やボールを「0%」「15%」「20~25%」のかごの中に入れ、意見聴取会の開始と共に全ての人が見守る中でその番号を選択し、その場で読み上げられた番号の人が登壇するようにすれば公平性は保たれる。他にも、「0%」「15%」「20~25%」という分類が気に入らないなら、これに加えて「5%以下」という選択肢を加えて、原発消極派である「0%」「5%以下」の発言者数と、原発積極派とでも言うべき「15%」「20~25%」の人数を揃えればよい。また、遠方からの参加者が発言しては意味がないと言うのであれば、原発賛成、反対に関係なく、免許証や健康保険証などで身分確認を行い、少なくとも仙台開催であれば東北地区の在住者のみに発言権を与えるというルールにしても構わない。

少なくとも、今回の意見聴取会の趣旨は、様々な意見を聞く場であるのだから、その中に電力会社の人が入っていてはいけないというルールは存在しない。出張手当を支給して業務として参加する人がいれば話は別だが、電力会社内の有志が仲間を募って手弁当で参加するのであれば、民主主義の前提に立てばそれを排除する論理的な根拠を見つけるのは困難だと思う。同様に、過激な反原発主義者が加わることも許容すべきである。

更に言えば、この意見聴取会の趣旨に賛同できない、つまり会合の最中に暴言を吐いて議事進行を阻害する輩については、原発賛成、反対の区別なく、強権を用いて排除されても致し方ない。議論の場であれば、不規則発言は議論の進行に悪影響を与えるのであるから、厳に慎むべきである。しかし、今回の報道では電力会社関係者が発言したことに対する非難の声は大きい一方で、これらの不規則発言を糾弾する声は一切聞かれない。八百長の可能性は否定しないが、少なくとも自治体の首長という公の立場の人間が、自分と意見が異なるというだけで「八百長かもしれない」と切って捨ててしまえば、意見聴取会の存在自体を否定するものにつながる。

こんな方式で意味のある議論ができるのかは些か疑問だし、仮に有意義な成果が得られてもそれが意に沿わない結果なら反原発派の人達は「ヤラセだ!許さん!」と認めないだろうからあまり期待はしていないが、前向きな取り組みをこの段階で否定する必要はない。しばらくはお手並み拝見と言ったところである。

正々堂々と議論するのではなく、単なるイデオロギーのぶつけ合いの姿を嫌というほど見せつけられることで、「これではいけない」と学習するならば、それはそれで良いかも知れない。

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