けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

被害者の無念に報いたい・・・

2012-07-10 22:33:12 | 政治
大津の中学2年生が昨年自殺した事件への報道が注目を集めている。別件の埼玉県北本市のいじめ事件では東京地裁で敗訴判決がなされ、今後、この手の虐め問題について明確な方針を決めるべきとの声が高まることが予想される。今日は最後にその点について書いてみたい。

まず最初に大津の事件の振り返りだが、大雑把なところでは新聞やテレビのニュースの報道の通りである。付け加えるとすれば、ネットでは更なる情報が流れており、真偽は定かではないが、次のような怪しい背景があるようだ。まず、主犯格の加害者の一人の親はPTA会長だったそうである。現在は加害者の3人は全員他校に転校しているし、年度も変わっているのでその父兄も既にPTA会長の職を辞しているだろうが、事件後まもなく開かれた保護者会の場では、加害者の両親が相当なモンスターペアレントぶりを発揮し、議論の方向性を捻じ曲げて参加者の父兄も頭を抱えていたということらしい。さらにこれもネットでの情報であるが、保護者会の当日にも加害者の親が「うちの子は被害者」とビラを配っていたともいう。さらに、被害者の親が警察へ被害届を提出しようとして何度も受理を拒否されたとの報道があるが、これも加害者の祖父が警察OBだという情報もネットで流れていた。多分、この辺は全て情報としては正しいのであろうが、警察がこれを理由に手心を加えたかは怪しい。しかし、被害届を受理しないのも不可解であるのも間違いなく、裏に何かあったと勘ぐられてもおかしくはない。

若い女性の大津市長は、最近の取材では半べそをかきながら謝罪していたが、ちゃんちゃら可笑しな話である。泣くんだったら、泣く前にやることがある。市長という重職に就くということは、何かあったら泣けばよいなどという甘っちょろい考えなど許されない。昨年のうちからやるべきことをやり、教育委員会に対してもリーダーシップを発揮し、徹底的な調査の後に亡くなった生徒が浮かばれる状態になって、初めて保護者と手を取り合って泣けばよい話である。泣いている自分に酔っている様なさまは見ていて恥ずかしい。また、つい先日の7月6日には、被害のあった学校の校長が、校内放送で泣きながら「自殺の練習などという報道は嘘だ!」と全校生徒に訴えたという。自殺した生徒は昨年2年生であったから、今年もその虐めを目の当たりにしていた生徒が多数いるのだから、校長が泣きながらバレバレの嘘を訴えるという、教育現場では最悪の事態であると言わざるを得ない。これでは亡くなった生徒は浮かばれないし、残された生徒も人間不信に陥るだろう。自殺した生徒は先生に泣きながら虐めの救済を訴えていたが、先生は適当にあしらい、まともには取り扱わなかった。たまりかねた両親が学校に相談したが、その様な相談があったかの問い合わせの取材に対するその学校の校長の回答は、「家庭内での金銭的なトラブルの相談だった」とのことである。もちろん、確認されている虐めの中にはキャッシュカードの暗証番号を聞き出されてお金を引き出されるという事案があったから、お金の問題についても相談したのであろうが、それが主なる相談でなかったのは明らかである。

==================
※訂正:上記の記述ではあたかも虐めの相談であったかの様に断言したが、(後日の報道によれば)実はこの相談の時点で父親は虐めに気がついておらず、子供が銀行口座から大金を引き下ろしていることに対する相談であったとの話がある。この場合、学校側の説明(金銭トラブルの相談との主張)は正しかったことになり、私のブログでの記述は不適切であった。訂正してお詫びいたします。
==================

更にいえば、自殺の練習や葬式ごっこなどがアンケートで明らかになり、これだけ報道の中でも生徒が匿名でテレビの取材に答えて「相当な虐めがあった」と訴えているのに、今日の夜の市教育委員会の記者会見では、「それでも虐めはなかったと考えている。虐めの確証は得られていない。」と抜けシャァシャァと回答していた。さらに読売新聞の7月6日の報道の中では、市教育委員会は「自殺の練習」の情報を非公開にした理由を、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」と説明したという。しかし、アンケートなどを通して真っ黒けの疑いがあるのだから、「疑いがあるから、事情聴取が必要である!」と相手の言い分を突っぱねれば良いはずである。分かり易く言えば、ある成人男性が暴力団から恐喝され、実際に暴行も受け金品も奪われ、自殺するように散々仕向けられた上でその人が自殺した場合、当然警察は捜査を行い、目撃証言などを多数集めて裁判所に逮捕状を請求(ないしは、まずは任意の事情聴取かも知れないが、暴力団員が素直に聞くとは思えなので)し、逮捕した上で事情聴取を行うのであろう。この際、暴力団員が「お前、ワシのこと疑っているだろう!けしからん!」と言ったら警察は謝って釈放するのかといえば、そんな訳、あるはずがない。議論するまでもない話である。十分に疑わしい疑念があるのであれば、その調査をするのは当然である。

この様に、高々、「加害者が未成年である」というだけで、誰も何も手出し出来なくなるというのは明らかに間違いである。直接は関係ない話だが、山口県の光市母子殺害事件の犯人も、事件当時に18歳と1ヶ月という、まさに「1ヶ月」の解釈の仕方で高裁と最高裁で意見が分かれていた。つまり、罪の大きさには年齢は関係なく、罪の大きさを淡々と評価すれば死刑判決となるところを、年齢ファクタで「おまけ」する、「おお目に見る」という判断が加わった。今回の虐めに関しても、明らかに恐喝・暴行が成立する事案であり、これだけ悪質性が高ければ刑事事件として立件されてしかるべきものであるが、教育委員会、学校長、警察の関係者は、年齢ファクタで「おまけ」する権限を自らが有していると考え、覚悟を決めて腹をくくった決断をしなかったのである。

少々不謹慎であるが、この虐めのニュースを見ていると、今の民主党と瓜ふたつであることに驚く。悪いことをした生徒にはそれが悪いことと自覚できるような、相応の処分を行わなければならない。しかし、民主党における消費税増税法案の造反者に対する処分は甘く、しかも、1度は6ヶ月の党員資格停止処分とした鳩山元首相に対し、離党されたら困るからと処分を半分にしてしまった。しかも、その期間中に選挙があったら公認しないと輿石幹事長も公言していたはずなのに、数日で「公認しないなどあり得ない」と前言を撤回した。つまり「処分といっても形式的なもので、実効的には何ら罰してはいませんよ!ご心配なく!」と宣言しているようなものである。

話を元に戻せば、この様な有耶無耶にして責任逃れをしようとする輩を排除するためには、「対処しなければならないことに対し、ちゃんと対処しないことに対する不作為の罪を明確化し、その罰則・ペナルティを厳罰化する」ことが重要である。だから、警察、教育委員会、学校の校長(及び教頭等の管理職)など、責任ある立場の人たちに、明確な対応義務を課す法律を制定し、不作為の場合には禁固刑なども含む罰則を明文化すればよい。そして、不作為でないことの証明義務を、これらの責任を有する立場の者に課せばよい。そしてその引き換えの措置として、今回の虐め事件を例にとれば、加害者側の生徒から裁判を起こされたとしても、少なくとも裁判費用や慰謝料などを個人が負担せずに済む(国や自治体が補償する)ような制度を導入すればよい。

この提案のポイントは、「罰則を科して、鬱憤を晴らそう」というものではない。この様なペナルティを意識すれば、自然と「まじめに対処しよう」という気持ちが沸いてくる。いったん起きてしまった事件をもみ消すのではなく、起きた後の対処で間違わないようにしようという行動を促すものである。起きてしまった事件の「何故、その様な事件が起きたのか?」の責任と、「起きた後の対応」の責任を明確に切り分け、それぞれに独立の評価・判断を行うことで、少なくとも起きてしまった事件の責任を負わない関係者が、自らが新たな犯罪的な行為(事後に取るべき対応に対する不作為の罪)を行うことで、新たな加害者となることを防ぐ抑止力を働かせるのである。そして、裁判の判決で金銭的な負担を強いられないことを保証する代わりに、全てを正直に話すことを強制するのである。

法制化に関しては、多分、専門の先生方でも一筋縄ではいかないような高いハードルがあるのかも知れないが、この様なルールを明文化できないならば不文律としてでも、社会常識にしていかなければならない。そうでなければ死んだ生徒は浮かばれない。血液製剤によるHIV感染の時も話題になったが、不作為の罪を問わない風潮は絶対に是正していかなければならない。もしその様な是正がなされないなら、多分、ネット上のネチズン達が、法律ではない別の形態での処罰をしようという動きを誘発することになる。その様な流れにならないためにも、自ら正すべきことを正すための具体的な措置が求められる。

少しは被害者の命が社会の為に役に立ったという実感を、遺族の皆さんが感じられるような動きがあることを祈る。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます