けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

遅ればせながら、国会事故調の報告書を読み込んでみた

2012-07-13 22:25:07 | 政治
前々から気になっていたのだが、やっと時間が取れて、国会事故調の報告書を読むことができた。全体で640ページにも及ぶ資料であり、かなり評価できる内容であると感じられた。その中の幾つか特筆すべきところをピックアップしてみたい。(二日かけて書いたので、少々、長文であることにはご容赦を・・・)

まず最初に、報告書の書き出しの中で資料の位置づけを明確にし、「当委員会では扱わなかった事項」というものも明記して、この委員会に求められている内容の調査にフォーカスしたことを宣言している。非常に中立的な立場で、限られた人員、期間の中で出来ることを考え、委員会の役割ではないことはやらないという考え方は潔い。また、報道でも話題になったが、今回の事故が「人災」であること、及びその背景なども遠慮なく明言し、この辺を今後有耶無耶にして逃れようとしないように釘を刺している。政治家や業界に対する配慮など微塵もなく、彼らにとって痛い所をストレートに突いている。

例えば、「事故の直接的な原因(要旨p13)」において、東電などの報告書では「確認できた範囲では」などの枕言葉と共に津波が直接的な原因と断定していることに対し、「既設炉への影響を最小化しようという考え」が動機として働いたものであり、事故の主因を津波のみに限定すべきでないことを理由と共に明確に宣言している。具体的には、「2.2 いくつかの未解明問題の分析又は検討(p207〜)」において、更に詳しい未解明の課題を明確にしている。特に「2.2.3 津波襲来と全交流電源喪失の関係について(p225〜)」の3).では、津波の到来時刻と少なくとも1 号機A 系の非常用交流電源喪失の時刻の時系列の関係として、津波の到来前に非常用交流電源喪失に至っていた可能性が高いことを具体的に指摘している。さらに、地震発生時に1 号機原子炉建屋4階で作業していた東電の協力企業社員数人が、地震直後に同階で起きた出水を目撃していたこと、その水の出処として合理的な説明が出来るものがない(配管の損傷と考えざるを得ない)ことなどを具体的に指摘している。これらは、東電や原子力ムラの人々が決して認めたくはない不都合な真実であり、この委員会の中立性と誠意を垣間見ることができる。

さらに続けて、p249からの「第3部 事故対応の問題点」は圧巻である。報告は非常に詳細で整理されており、項目ごとに時系列に表形式で整理されている。そして、ここがこの報告書の読み物として興味深いところであるが、ポイントとなるところは報告書を編集する委員会の恣意的な編集操作を排除するため、「作業員など当事者の生の声」をそのまま書き込んでいる。その生の声が報告書の臨場感を高め、信憑性を感じさせるものとしている。例えば、1号機のベントが遅れたことに対して、これをきっかけに首相官邸は非常に不信感を募らせたようだが、p154の生の声の記述を見れば、如何に彼らが必死で作業していたかが見て取れる。また1号機の水素爆発の後、3号機などでの水素爆発の対策に関する会話はp263からp266に書かれているが、ヘリコプターで重たいものを屋上から落下させ、原子炉建家の屋上を突き抜ける穴を開ける作戦などもマジで考えたいきさつや、それ程、事態を深刻に予測して必死で対応を協議していたことが読み取れる。特に、これらの会話からは官邸が横から割り込み、無用なことで時間を割かれたことが明らかにされている。例えば、p269〜p270での給水源確保に関する記述では、官邸が用意した給水用の消防車を使おうとしない現場に東電本店側が業を煮やして「何か使ってくれ」と不毛な指示をするのに対し、吉田所長が「基本的に人がいない。物だけもらっても人がいないんですよ。」と呆れて回答している。オンサイト(第一原発側)では、自らの命がかかった問題として必死で出来ることを優先順位をつけて行っている反面、オフサイト(例えば本店側)では官邸からのヤイノヤイノという不規則な発言に嫌気が差し、それを全て現場に丸投げして顰蹙を買っていることが見て取れる。最近になって、東電は菅前総理が本店に詰掛けて暴言を吐いたとされるビデオ映像を公開することを決めたそうだが、この映像を出し渋っていた背景には、(東電はプライバシーの問題といっているが、その意味は)東電本店側の対応者が如何に無責任な対応をしていたかを明らかにすることになり、それを恐れていたのではないかと予想できる。この報告書の中でかなりの部分が明らかになり、既に隠したところでバレバレなので、だったら菅前総理を道ずれに・・・と考えを改めたのかも知れない。

ちなみに、東電には「フェロー」と呼ばれるその道の権威を示す役職があり、首相官邸や本店でそれなりの役割を果たしたのであるが、私がこの報告書を見る限りにおいて、少なくとも複数の「フェロー」は、福島第一原発の作業員や福島周辺の被害者などよりも、官邸と板ばさみになった自分の立場を優先させた発言を繰り返していたことが読み取れる。この点は、もっと糾弾されてしかるべきであるだろう。

また、3.11の直後にテレビを見ながら、私は「東電はきっと廃炉による損失をきらうだろうから、その下心で海水注入などの適切な判断ができないのではないか?」と思い、首相官邸側が海水注入を指示するなどのアシストは、本来の指揮命令系統を崩してでも、法令で許された権限を最大限に活用すべきであると思っていた。しかし、この報告書を読む限りでは、それは明らかに間違いであることが分かる。先ほども書いたが、オンサイトの人たちは自分の命がかかっているから、本当に必要と判断すれば廃炉の損失などで躊躇することはしない。本店の人たちも、顔見知りの仲間の命を引き換えにすることは出来ないし、彼らが死んだときの責任も取れないから、以外に現場からの提案には下心を出さずに対応していたことが読み取れる。しかし、例えばp262に記載の3号機淡水海水切り替えの経緯に関するやり取りの記録の中(1号炉の水素爆発後である3/13の記録)に、東電は比較的早い段階から3号炉の廃炉の覚悟が出来ていたのにもかかわらず、官邸側が逆に淡水にこだわって、東電の作業に余計な手間暇をかけることになったことが記載されている。

今回の報告書で最も私が注目するのは、p285からまとめられる「3.2 政府による事故対応の問題点」の整理である。ここでは菅前総理の功罪(というか、ほとんど全てが罪)を中心に断罪している。ここでの指摘は至極ごもっともで、指揮命令系統を完全に壊してしまった菅前総理をはじめとする官邸に対し、官邸が本来担うべき役割と実際にとった行動の乖離を明確に指摘している。首相官邸(および政府)が責任もって行わなければならないことは、様々な対応に法的な裏づけを与え、細かな事故対応は東電と原子力安全委員会および原子力安全・保安員に任せ、近隣住民の安全を確保する避難や放射線量のモニタリングと情報公開にあった。だから、緊急事態宣言の発令は全ての行動の前提になるのであるが、菅前総理はその重要性を全く認識しておらず、そのせいで2時間も発動が遅れたことをp304から数ページをかけて非難している。報道でも明らかになっていたが、海江田元経産大臣から緊急での緊急事態宣言の発出を求められていたのに、菅前総理はその議論を有耶無耶にしたまま、野党党首との打ち合わせに出かけてしまった。物事の優先順位が全く理解できていないことを象徴的に示した出来事である。また、p310には3/12の原発の現地視察に関連したやり取りが示されており、報道でも話題になった枝野前官房長官が現地視察を反対した逸話なども記されているが、視察を良しとした寺田補佐官の対応も含めて、それらは全て「政治家としての評価につながる懸念」を示しただけであり、決して首相官邸が空になるリスクなどの危機管理上の問題点を突いたものではなく、危機管理の中心にある政治家としての資質に問題があることを明確に指摘している。

そして、これらを総括した内容はp323以降に「3.4 官邸及び政府(官僚機構)の事故対応に対する評価」に整理されている。特にp324からp330にまとめられた(1)危機管理意識の不足、(2)指揮命令系統の破壊、(3)政府・官邸の役割に関する認識不測、(4)総合力発揮のための組織運営のノウハウの欠如、(5)問題の多かった政府内の情報収集・伝達体制、(6)東電との間の意思疎通の不徹底、(7)危機管理に必要な「心構え」の不足、の7点は非常に説得力のある内容である。特に(7)に関しては直接これを意図した記述ではないと思うが、「3.4.2 官僚機構に関する評価」の中で、p333に「5). 危機において持つべき使命感の不足」に面白い記述がある。

「3月11日、駅に停車中の電車の中で大地震に遭遇したある若い警官は、大津波警報が発令されたことを乗客から聞くと、直ちに乗客全員の避難誘導が必要であると判断し、適切な避難先を選択した上で、津波が背後に迫る中、一人の脱落者も出すことなく避難誘導を行った。また、避難指示が発出された後、放射性物質の拡散の危険を感じながら、住民を全て避難させるまで被災現場にとどまり、避難誘導に尽力した消防団員も多い。マニュアルなき危機に直面した彼らがこのような的確かつ勇敢な行動をとることが出来たのは、住民一人ひとりを守るという自らの使命を、事件、事故に備えた日頃の訓練や教育を通じて叩き込まれていたからである。」

この使命感が、本来、政府・官邸に求められていたのであるが、特に政治家を中心として、その使命感に乏しい人たちが国家の中心を占めていたことが我々にとって最大の不幸であったのかも知れない。

なお、これらの調査報告をまとめるにあたって、委員会は7つの提言を要旨のp20からp22で行っている。
  提言1:規制当局に対する国会の監視
  提言2:政府の危機管理体制の見直し
  提言3:被災住民に対する政府の対応
  提言4:電気事業者の監視
  提言5:新しい規制組織の要件
  提言6:原子力法規制の見直し
  提言7:独立調査委員会の活用
これらに続き、要旨p23においては「提言の実現に向けて」として、「当委員会は、国会に対しこの提言の実現に向けた実施計画を速やかに策定し、その進捗の状況を国民に公表することを期待する。」「ここにある提言を一歩一歩着実に実行し、不断の改革の努力を尽くすことこそが、国民から未来を託された国会議員、国権の最高機関たる国会及び国民一人一人の使命であると当委員会は確信する。」と、この報告書は通過点であり、この報告書をたたき台とした今後の国会を中心とした対応が重要であるとしている。そして「福島原発事故はまだ終わっていない。被災された方々の将来もまだまだ見えない。国民の目から見た新しい安全対策が今、強く求められている。これはこの委員会の委員一同の一致した強い願いである。」と締めている。所々に散りばめられているが、この報告書で安心して「これで終わり」とするのが彼れにとって最悪のシナリオであり、国会、マスコミ、国民が協力してこの思いを実現しなければならない。

今後のたたき台としては、非常に良いものがまとまったと思う。更なる第三者による検証を含めて、次なるボールは国会を中心として我々の側にあることを忘れてはならない。

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