ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

原点

2006-07-08 02:27:29 | つれづれなること
私の原点は、中学一年生の時の担任の先生との出会いにあると思っています。

地元の私大を出て2年目の英語の女の先生でした。特に生徒たちをかわいがるというでもなく、目に見えて熱心に英語を教えるというでもなく、「学校の先生はいいわよ。夏休みあるし。」とサラリと言ってしまうような、若い割には淡々とした先生でした。それでいて、我々生徒を変に子供扱いすることなく、物事をありのまま伝えてくれるような人でした。

その先生が授業の脱線中にしてくれる学生時代のイギリス留学話は、当時の私にはとてもとても新鮮でそしてショッキング。シャワーの水が出ない話。トイレのドアがない話。自分の想像もつかないような遠い遠い国での話。「外国に住む。」というアイデアを初めて手にしたのはこの時だと思います。

その先生が教えてくれたもっとも大きなこと。それは、私たちが今から勉強する英語という言葉は単なる一教科ではなく、世界の人と話せる魔法の言葉だということ。ただ、彼女らしいことに「魔法の言葉」というような飾った言葉ではなく、たしか「ポールマッカートニーとだって、マイケルジャクソンとだって話せるわよ。」というようなセリフだったと思いますが。それからもう一つは、私たちにだって、外交官になったり通訳になったりすることができる可能性があるということ。

これは衝撃的でした。テレビで観ているようなそういうかっこいい職業は東京に住んでいる人しかなれないんだと思っていたあの頃。(今考えれば意味不明だけど)将来何になるとか、どういう人生になるとか全く予想もつかなかったあの頃。明日のテストや今日出た宿題の方が気になっていたあの頃。ぼんやりと、うっすらと、いつか大人になったら英語を使って何かをする人になれたらいいなぁと思い始めたのは今考えてみれば、この頃だったような気がします。

中学を卒業、高校へ進学し、ごく自然にその先生の出身大学を目指しました。大学では4年間、教科書、講義、卒論に至るまで、すべて英語を使って経営学を学び、3年生の時にはアメリカの大学へ留学。就職先でも細々ではあったけれど英語に携わる機会あり。その後のフィンランドへ渡ったことも、帰ってきてからの再就職も、今思えば英語の助けを借りずには出来なかったことだと思います。再就職先でパパちゃんと出会い、結婚、そして渡仏。

初めて英語に出会ったあの時から現在に至までずっと、私にとって英語とは、あの先生が教えてくれた通り学問ではなくとても便利でそしてなくてはならない大切な手段です。あの頃夢に描いたような通訳並のかっこいい英語は残念ながら話せないけれど、英語を使ってお話しした人、お世話になった人、お友達になった人、今までで一体何人いるでしょう?

先生とは、成人式の集まりで少し会ったきり。「あら、元気そうね。」と相変わらずのサラリぶりが印象的。手紙でやりとりをしたり、お世話になりました。と言ったこともないけれど、私の人生にあの出会いがなければ、きっと全く違ったものになっていることでしょう。

久しぶりに英語の国アイルランドに来て英語のおかげで色々自由になるにつれ、そんなことを急に思い、人との出会い、特に良い先生との出会いはとても大切だなぁと痛感しています。


ファーストキス

2006-07-07 00:39:28 | モニョモニョくん
母親にとって息子は恋人同然の存在。いや、それ以上かも??その恋人以上のモニョさん、さきほど目の前で奪われました。初めてのちゅー・・

パパちゃんを集まりの会場まで送っていったついでに、ダブリン大学内に保管してあるケルズの書の展示を見ていた時のことです。私が説明書きをフムフムと読んでいる間にモニョさん、いつものように笑顔を振りまき知らない間に小学校高学年くらいのギャルたちを集めていました。

ふと気がついた時には、すでにギャルズがモニョさんに群がり、みんなでほっぺや手をなでなでしていたところでした。モニョさんは120%の笑顔で対応 心なしか年齢が若くなるにつれて笑顔が良くなっている気がするのは私だけ?

「なんて名前なの?」「いくつなの?」とたどたどしい英語で質問され、答えているうちに、そのうちの一人の女の子が「Oh~~~~~」と感極まりモニョさんのほっぺにムチュ~~~~~~~

「Oh! Sweet.」とか適当なセリフを口では言いながら、内心穏やかではないママちゃん
すでに姑の気配感じるアイルランド6日目のの出来事でした。



ちなみにモニョさんは、笑顔200%にアップ。一体誰に似たんでしょ?

準決勝

2006-07-06 07:57:34 | おフランス
うおぉぉぉ~~~~~!フランス勝った!勝った!勝った!

我々もこっちのパブに行って観戦。燃えました。モニョさんも持参したフランスユニフォームTシャツを着ての応援参加だったので、色々なフランス人に声をかけてもらい、一員として満喫 日曜は決勝です。ここアイルランドでもフランス人が自然に集まって大騒ぎ。日曜は一体どうなることやら。

がんばれジダンかっこいいぞジダン

サダメ

2006-07-04 17:59:24 | つれづれなること
ダブリン4日目です。

別の国に来ているのに、自宅にいるのと同じようにコンピューターを開ければこうしてブログを見たり更新したりできるというのは、分かっているけどすっごく不思議。しかもパパちゃんのこのコンピューター、ワイアレスなのでホテルのフロントでコードを聞きそれを使って入ればお部屋でもケーブルを使うことなく使えるので、さらに不思議度はアップ。すごい世の中になったもんだ。

さて、今回は主にパパちゃんのお仕事で来ているので、我々は適当にふらふらしたりホテルでのんびりしたり、お昼にパパちゃんと待ち合わせてランチをしたり、無理なく楽しく過ごしています。ん~これが憧れの家族同伴年配の方々も奥様同伴でいらっしゃっていて、未来の自分を妄想しトキメクばかり。集まりましょう、そうしましょう、どんどん素敵な国で集いましょう

そんな中、2日目の日に会場の入り口までついていった私とモニョさん。カフェコーナーでコーヒーを飲みながら座っていると、後ろに座った方にモニョさんがいつものごとく愛想をふりまき会話が始まりました。パパちゃんと同じ職業の方の奥様と思われる日本人の方。ウチの母より少し若いくらいとお見かけしました。お年の割にとっても素敵でハイカラ(死語?)な感じモニョさんに話しかけてくださったり、ハンカチを出していないないばーをしてくださったり。

色々お話するうちに、なんとその方は30年以上前に息子さんを生後3ヶ月の時にアメリカのアイオワ州に連れて行き、1年半そこで生活されたとのこと。今よりずっとずっと不便な時代。こんな風に日本のお友達と気軽に連絡を取り合ったり、日本のニュースを簡単に見たり、子育ての不安をネットで検索したり、そんなことの出来ない頃。自分が今こういう状況になっていなければ、「へぇ~かっこいいじゃ~ん」と心のどこかで少しは思ったに違いない。でも、今はあまりに生々しくて、そのことを聞いた途端「大変だったろうねぇ~~~不安だったろうねぇ~~~」と泣き出しそうでした。

実際、その方が「連れていく時まだ小さくてねぇ、飛行機につけるあの箱形のベッドに入れて・・・。」と手でベッドの形を示された瞬間、お互いに思わずウルウルモニョさんも同じくその箱形のベッドに入って来ました。多くの諸先輩方が時代を越えて経験され繰り返されてきたことだったのね・・。

これはサダメ?あの職業の人の妻になったサダメ??


同じ職業の夫を持つ、ゆきっぺ~、いにゃぞ~、ぢょう~、サダメよサ・ダ・メ

生中継

2006-07-04 07:30:13 | おでかけ
なんと、アイルランドにいます

パパちゃんのお仕事の”集まり”がここアイルランドの首都ダブリンで行われているため、先週の土曜日からちっちゃい人と一緒にくっついて来ました。と、言っても我々が今住んでいる街から偶然にも直行便が出ているため、所要時間1時間15分。あっという間。

その上、来る当日の朝までスコットランドと勘違いしていた私。全く予備知識なしです。

着いた感想。街ゆく人が話している何でもない会話の内容が分かる おフランスではすっかりBGM化している人々の会話。ここへ来て、まるで自分の耳の汚れをキレ~~に磨いてピカピカにしたのかと思うくらい、あの人こんなこと言ってるよぉ~~プププ。という感じ。いかに普段テキトーに暮らしてるか・・・がバレますな。

首都の割にはゴミゴミせず、こじんまりとまとまったきれいな街。ホテルもとてもアットホームな感じで落ち着きます。授乳中のため名物のGuinnessビールが飲めないのは無念だけど、今週土曜日までの滞在の~んびり楽しむぞ~