稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.34(昭和61年11月14日)花嫁のかんざし

2018年11月28日 | 長井長正範士の遺文


もう一つ、話のついでに、面白い話を書いておく。
「花嫁のかんざし」とでも題しておく。

昔ある村に評判高い親孝行の花嫁がおりました。
最愛の夫は勿論のことですが、姑を大事にすること、それはそれは至れり尽せりの仕えようで、
姑も大変よろこんで、近所へ出かけては、わが家の嫁を自慢するのが楽しみの毎日でありました。

所が何事もうまくはゆかないのが世の中の習いで、年老いた姑が、不運にも眼病になり、
眼がかすみ、物がボーッとしか見えず、立ち居ふるまいが不自由になりました。
幸いにも近くに眼医者が居るのですが、
当時は治療代や薬代が大変高いので貧乏な家では医者にも行けず、
困った挙句借金して診て貰うような有様で、姑の家も夫の収入は少なく、
急にと言って、大金を都合つけるわけにもいかず、夫がどうしたらよいかと、
いろいろ悩んでいる姿を見て嫁は思い余って夫に『お前さんに相談あるんですが、
実は、わたし、ここえ嫁入りする時、さとの母から貰いましたお金があるんです。

母が言うにのには「若し旦那さんに若しもの事があった時に使いなさい。
お前が旦那さんの為にお役に立つ時まで、黙ってしまって置きなさい」と言われ、
今日までお前さんに黙ってかくし持っていたのですが、
どうでしょうお母さんを見ていると如何にも可愛そうに思いますので、
お前さんさえ承知して貰えばこのお金をお母さんの眼薬代に使おうと思うんですが』
と言いましたところ、夫は「すまん、自分が甲斐性ないばっかりに、
折角お前が持参したお金を使わせてもらうなんて申訳ない。
すまんが母のため、自分の方から頼まにゃならん立場、よろしく頼む」と頭を下げられ、
嫁は『まあ頭を上げて下さい勿体ない、お前さんの大事なお母さんは、
わたしにとっても大事なお母さんですもの、このお金をお母さんの為に使わして貰います』と、
よろこび勇んで、明くる日、おばあさんを連れて眼医者さん所へ行きました。

医者はお婆さんのみすぼらしい風体を見て『お婆ちゃん、お金持って来たか』
と尋ねましたがお婆ちゃんは耳が遠いので何だか判らんがふんふん言うて、
後ろの嫁の方を向いて指ざしたので、
医者は成程、嫁がお金を持って来たのかと判断して早速お婆ちゃんの眼を薬で洗い、
あとで医者が言うのには

「お婆ちゃん、あんた耳遠いようだが、しっかり聞きや、
この粉薬(昔は水薬はなく、粉薬であった)はえらい高いんや(高価)で、
大事に持って帰ってや、そしてなー、あんたとこの花嫁さんのかんざしがあるやろー」

『ふんふん』「そのかんざしのの先に耳そうじする耳かきがついてるやろー」
『ふん判ってる』「その耳かきでこの粉薬を一杯すくって、眼尻にさすんや、
そうしたら直るよ判ったなー、高い薬やから、こぼさんと持って帰りや」と言うて聞かしました。

お婆さんはよろこんで治療室から出て、外で待っていた嫁にお金を払わし、
わが家へ帰るなり、嫁にかんざしを出させ、何を思ったか、姑は嫁に向かって、
尻をまくって向うむいて四つんばいになれと言ったので、
嫁はびっくりして、どうしてわたしが、お尻をまくって四つんばいにならにゃいかんのですか、
わたしは死にたいくらい恥ずかしいですわ、腰巻をまくって、
お尻を丸出しにしてお母さんにお見せするなんて、
今迄は何一つとしてお母さんに、さからった事はありませんでしたが、
こればっかりはおゆるし下さい。

とひたむきに涙を流して頼みましたけれども姑は聞き入れません。
若しお前が尻を

(続く)
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