稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.31(昭和61年10月30日)瓢箪のこと

2018年11月14日 | 長井長正範士の遺文


○瓢箪のこと
私は数年前、自分の畑で瓢箪を作り、その中から形と言い、大きさと言い、
お酒を入れる徳利用として相応しいものを選んで、今日までわが友として愛用している。
こう言えば私は如何にもお酒好きの飲兵衛のように思われるが、
私は元来酒弱く余り飲めない方であるのに、何故瓢箪を愛し大事にしているかを申し上げたい。

それは私が六十二才の時(昭和五十二年)剣道範士の称号を頂いたおり、
吉田誠宏先生が色紙に朱で瓢箪の絵を画き、その胴体の中に墨で
「中に風露の香りあり」と書かれ、祝いとして私に下さった時からである。

即ち長年の間、瓢箪のお酒を愛飲し、これを大事に手入れをし、磨き乍ら今日に至っているが、
瓢箪自身もお酒を吸うて出来て来た何とも言えない良い色つやと
内から発する風雅な此上ない良い香りが外にただよっている。

このように人間も長年の修業により何とも例えようのない品性風格が
備わるような人間にならなければならないと教えられた。
それ以来、私は自分の作った瓢箪を愛すると共に自分の修養の糧としている。
そして瓢箪を磨き、剣道のわざを磨き、
いつの日か相共に光澤を放つように生涯かけて修業して行きたいと思っている。


○無欲の欲について
(前述№20に巽義郎君の社是について詳述したが尚彼の言葉を記しておく)
その前にもう一度彼の会社の社是を記しておく。

『売る商品に心を乗せて、物みなに感謝し、商売を楽しむ無欲の欲』

過日、某メーカーの臨時代理店総会が催された時節柄、
拡販依頼の会合だろうと推察すれば、出席して頂く出足もにぶるでしょうが、
是非にとのことであった。会議には本社から新任の専務が出席し、
形どうり「日頃はお世話になっている」とのお礼の言葉と
新任重役のお目見得の挨拶にとどまり、一席をもうけているので、
よろしく歓談して欲しいと会議はあっけなく終った。

拡販のための代理店を督励する会議だとばかり予想していたが
「拡販」という一言もなく、予想は全く外れ、みごとに肩すかしをくった感じ。

それでは宴会で何かいうのだろうと憶測する。
宴席は乾杯で始まり、なごやかに盃がくみかわされる。
一向に商売の話も要望もない。しびれを切らした某代理店から発言がある。
「只今まではメーカーから何の注文もありません。
無条件でご馳走にあずかってよろしいのでしょうか」

メーカーは「その通りです。日頃のお礼ですので遠慮なく時間の許す限り飲んで下さい」と言う。
では遠慮なくと笑いがおこる。座が和やかになる。
その時さらにもう一社が「ちょっと待って下さい。条件なしと言われるが、
これは大変な責任のあることですよ。お互い腹を決めてご馳走を頂かなければいけませんぞ」
この声に出席した代理店の各社は、一ように無条件の条件というか
無条件の重みをズッシリと両肩に感売上増をめざし「がんばらなくっちゃ」
と意欲に満ちた姿勢が、和やかな雰囲気の中に感じられたのである。

何の作為も無く、然も最大の効果を得たものは人の心を打つ。
以上が竹馬の友、巽義郎君の言葉であった。
私は前に述べた通り巽君の会社経営の方針、統率の非凡な力量と
社員を引きつける温かい人間味にいつも引きつけられ、
彼の生きざまが即ち剣道であるという数々の教えを感謝し、
自分の修養の糧としている。有難き哉。

以上
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