稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.19(昭和60年9月30日)

2018年08月26日 | 長井長正範士の遺文


○前項でうそとかけひきは違うという事をもう少し具体的に説明すると、
うそは悪いものを良いというように罪悪を中心にしたかけひきである。

宗教も正しい者を作るための方便である。剣道では技で言える。

例えば甲手にみせかけ面にゆく技は、始めはそれで良いが、
だんだんそれはうそであることに気付かねばならない。
甲手を打ち、これを防がせてから面を打つ。これはうそでなく技である。

○刀剣と日常生活
あの人には刃が立たぬ。あの男は切れる。真剣に考える。鍔ぜり合い。
せっぱつまる。目ぬき通り。つかの間。さや当て。ほこ先を変える。
等々、このことで判るように刀剣と日本民族のつながりの深さを知ることが出来る。

○剣道は互いに命をかけて斬り合う。
この真剣勝負の中にも最高の道徳を乱さない。
その心構え、それを学ぶのが剣の修行である。即ちこれを武士道と言ったのである。

○剣道を指導するのには、立派な賢い人間ににするためやらしているのだから
習う者は強くなりたい勝ちたいと思うのは間違いである。
剣道は剣を通じて立派な道を習うことである。
第一、相手に勝つということでなく、自分に勝つこと、即ち悪い点を直すことである。
悪い点とは正しくないことが悪い。

この小さい日本の国内で日本人同士が叩き合いして、
勝った負けたと喜んでいる時代ではない。
世界に対し立派な日本を作ることが大切。
之が為、剣道を修練し立派な心と立派な体を作ることである。
間違った剣道は剣道ではない。
如何に立派な字を書いても間違った字では駄目であるように。

○昔の古流の形を研究すれば形の大切さが判る。
今の日本剣道形は一本目、二本目というだけで名称がない。
古流には何本目何と必ず名称がある。その名称の中に形の尊い精神が含まれている。

今の形を仮りに名称をつけると

一本目 相上段抜き面
二本目 甲手抜き甲手
三本目 突きの応じ返し
四本目 脇、八相 巻き返し面
五本目 追い込み 表摺り上げ面
六本目 追い落し 裏摺り上げ甲手
七本目 抜き打ち胴

私は形を指導するに当っては上記のように名称を言って、
その名称の精神理合を説明して形をやらせている。

○花は美しい
然し山吹の花よりも梅の花が良い。
何故か?枝が立派で綺麗ばかりじゃいけない。香りがなくてはいけない。
香りこそ長年かかって修業した賜物から出て来るもので、
剣道もつまり、いつまでたっても修業また修業である。
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