バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

満ち足りる秘訣

2014-03-02 19:23:02 | 礼拝説教

  2014/3/2WS礼拝説教
【テーマ】  真の豊かさ
【説教題】  「満ち足りる秘訣」
【聖書箇所】 マタイ5:6
5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

○ マザー・テレサが初めて日本に来られた時、一番ビックリされたのは、「きれいさ」だったということです。町並み、建物、服装のすべてがきれいで驚かれたそうです。しかし、こうも言われたのです。「きれいな家の中に、親子の会話、夫婦のいたわり合い、ほほえみがないとしたら、インドの小屋の中で仲睦まじく暮らす家族の方が豊かです」と。豊かさ、満ち足りた生活・生き方とは何でしょうか?

Ⅰ.飢え乾くこと
  A.どれくらい求めるのか
    1.山上の説教「幸い」のお話の四つ目は 義に飢え渇く者は幸いです。 です。「義」とは正しいことであり、何に対して正しいことなのかというと、神様との関係が正しいことをいいます。神様との関係が正しくないと真の幸福は無いのです。
    2.皆さんは神様との正しい関係を求めているでしょうか? それも 飢え渇く者は幸いです。 というほどです。飢え乾くほどに求めているでしょうか?
   
  B.飢える経験
    1.現代は飽食の時代で、飢える経験が無いです。私たちが自主的に断食でもしないとお腹が空いてたまらないという経験はなかなかできません。
    2.戦時中の話をお聞きすると、それは悲惨で、食べられそうも無いものさえ食べて飢えを凌いでこられましたので、そういう年配の方々には「飢え」がわかるかも知れません。
   
  C.渇く経験
    1.「渇く」という方は、私の場合、陸上部で夏の昼間に練習を指導していた時などには感じました。口の中がくっつくのです。早く水道の所に走って行きたいと。その時に飲む水はどんな飲み物よりも美味しかったです。
    2.そのように神を求めるというわけです。聖書にも美しい歌があります。 詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 です。

Ⅱ.聖書に従うこと
  A.人の基準は変わる
    1.神との正しい関係が大事といっても、その正しさは何によって知るのでしょうか? 私たちは往々にして自分が判断基準になっています。
    2.かつてのオウム真理教の大問題。間違った教えを信じ込んで殺人を犯してしまいました。死刑囚の中には当時の自分が正しい判断ができなかったことを認めています。
    3.どんなに正しいと思い込んでも人間は完璧では無いので、人間の基準というのは気をつけなくてはなりません。
   
  B.聖書は変わらない
    1.人の判断は変わりますが、変わらないのは聖書です。聖書は神との正しい関係を教えてくれています。単純に戒律が書いてあるだけでなく、人と神様とのやりとり、歴史も書かれていて、それを通して神様のお気持ち、お考えがわかります。
    2.聖書だけが正しいからといって律法主義になっては間違いを犯すのです。文字・言葉というのはその背後にあるその方の気持ちを知る必要があります。そうで無いと、正しい言葉は人を殺します。
    3.入ってはいけない池があったとして、そこにもし幼子がはまり込んだら、助けに入ると思います。聖書は人を救いたい神様の気持ちが溢れた書物です。つまり、神様の変わらない愛が書かれています。

Ⅲ.神様に照準をあわせること
  A.何を切に求めるのか
    1.イエス様は 飢え渇く者は幸い と言われたのですが、人は満ち足りたいのです。飢え乾きとは反対なのですが、飢え乾くことで満ち足りるようなのです。またも逆説的な言い方をされるイエス様です。
    2.水道の無い国の方が日本に来て、水道を見て驚かれたのです。そして、蛇口を買って帰られたのです。「これをひねると水がどんどん出てくるのですよ」と壁に取り付けたものの、一滴も水は出てきません。あたりまえのことですが、このようなことをしている人は結構いるのです。これを持っていると幸せになるとか言って、お守りだとか・・・
    3.飢え乾くことはあり、それが宗教心を呼び覚ますこともあります。しかし、その時に何を求めるかです。蛇口では無く「水」です。私たちは神様との正しい関係「義」を飢え乾くほどに求めるのです。
   
  B.止まることの無い水
    1. ヨハネ4:13-14 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 とイエス様は聖霊のことをこのように言われました。
    2.「義」というのはこの世から得ることのできないものです。神様との正しい関係ですから。求める方向を世では無く、神にあわせる、天にあわせることで、不思議な満ち足りる体験をします。
    3.金庫のダイヤルがピタッと合った時、扉は大きく開くのです。いくらダイヤルを回しても合わない限り開きはしません。神様にダイヤルが合うと生ける水が溢れ出てくるのです。これが満ち足りるという体験です。

● 相田みつおさんは「うばい合えば足らぬ。わけ合えばあまる」と書いておられます。人間は満ち足りたくて奪い合うのですが、それはまた欲を湧き起こすだけです。逆説的かも知れませんが、分け合うと余るのです。

★ 満ち足りることとは反対に思える、義に飢え渇くということが、天の門を開いて私たちに真の満たしを与えるのです。


最新の画像もっと見る