バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

続々とやって来る

2018-07-29 18:45:39 | 礼拝説教
2018/7/29礼拝説教
【テーマ】  リバイバル
【説教題】 「続々とやって来る」
【聖書箇所】 マルコ3:7-12
【新改訳2017】
3:7 それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。また、ユダヤから、
3:8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうや、ツロ、シドンのあたりからも、非常に大勢の人々が、イエスが行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。
3:9 イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、ご自分のために小舟を用意しておくよう、弟子たちに言われた。
3:10 イエスが多くの人を癒やされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押し寄せて来たのである。
3:11 汚れた霊どもは、イエスを見るたびに御前にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫んだ。
3:12 イエスはご自分のことを知らせないよう、彼らを厳しく戒められた。

【新共同訳】マルコ
3:9 そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。

○ 現代は何千人、あるいは何万人のコンサートや大会が持たれる時代です。しかし、昔もたくさんの人が集まることがあったようで、ローマ時代のコロセウムには5万人が収容できたようです。イエス様のところにもたくさんの人が来たようですが、どれ位の人が来たのでしょうか。

Ⅰ.非常に、おびただしい
A.群衆が迫ってきた
1.今日のテキスト最初は それから です。つまり、この前は安息日に会堂で片手の萎えた人を癒され、パリサイ人達に安息日に病気を癒したことで問題視され、殺害計画が始まったところです。
2.一方、イエス様のうわさは各地に拡がり、イエス様の元に癒しを期待したり、イエス様見たさ、あるいはイエス様のお話を聞きたくて人々が集まって来ました。それが群衆となっていたのです。

B.すごく大勢の人たち
1.今回の新改訳2017では 非常に大勢の人々 と訳されているのは新共同訳では おびただしい群衆 と訳されています。口語訳では単に 群衆 、新改訳の前の版では 大勢の人々 でした。
2.つまり、聖書協会訳は 群衆おびただしい群衆 新改訳聖書では、大勢の人々非常に大勢の人々 と、人の多さを強調している事がわかります。この方がより原文に忠実だというわけです。

C.異邦人もいた
1.またマルコは人々がいかにあちこちから来たかを書き記しています。 ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。また、ユダヤから、3:8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうや、ツロ、シドンのあたりからも 人々が来たというのは、相当の広範囲からということです。
2.しかも ツロ、シドンのあたり というのはは異邦人の町です。イエス様を求めてやって来たのは何もユダヤ人だけではなく、異邦人もいたということです。短期間の間にイエス様のうわさはあちこちに広まり、大勢の人がやって来ました。リバイバルです。

Ⅱ.押し寄せてこないように
A.逃げ道を用意された
1.そのすごい人がイエス様に押し寄せてくるのをご覧になったため、 3:9 イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、ご自分のために小舟を用意しておくよう、弟子たちに言われた のです。イエス様に癒していただきたくて、イエス様に触ろうとして多くの人が詰めかけたからです。
2.その数はあまりにも多くて、イエス様は人々から逃れる方法も考えなくてはならなかったようです。湖に出てしまえば人々も近づけませんから。

B.どうしてもイエス様に触れたい
1. 群衆が押し寄せて来ないように のところが、新共同訳聖書では 群衆に押しつぶされないためである とあります。それほどにまでイエス様に迫ってきているのです。どうしてもイエス様に触りたいのです。触れば癒やされるかも知れないと思ってのことでしょう。
2.実際、マルコ5:25~に登場する12年間長血を患っていた女が 5:28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。 とあります。イエス様に触れば癒やされると信じる人が多くいたのです。そして、聖書では多くの人が癒やされ、イエス様に従っています。リバイバルです。

C.私たちもイエス様に触れよう
1.「この時代の人はいいなあ」と思う人がたくさんいます。イエス様に直に触れたのですから。私たちだって直に触って癒やされたいですよね。そのため今も癒しを求めて大勢の人がキリスト教の大集会に集まります。
2.それはイエス様に替わって聖霊がイエス様と同じように働かれているからです。私たちも聖霊に触れればいいのです。聖霊は癒し主です。イエスの名によって癒してくださるのです。

Ⅲ.愛の服従を
A.悪霊もひれ伏す
1.こういう状況の中で悪霊がまたしても イエスを見るたびに御前にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫んだ のです。ひれ伏すというのは自分より権威のある方に対してです。悪霊はイエス様の権威に服しているのがわかります。
2.悪霊を無力にさせ、病を癒やすイエス様はまさしく、私たちの王の王、主の主です。悪霊の働きに服していてはならないのです。また、罪の支配のままに過ごしていたもならないのです。

B.信仰告白かどうか
1.私たちは悪霊のようにではなくイエス様にひれ伏すべきです。イエス様は私たちの王ですが、そのイエス様から私たちは「友」と呼ばれています。そのような近しい関係にしてくださいましたが、イエス様は神様です。愛の服従をすべきです。
2.そういう私たちが「あなたは神の子です」と言うのは悪霊の 「あなたは神の子です」 とは全く違うのです。私たちのは信仰告白であり、その告白は人々をイエス様に向かわせる言葉です。

C.人々は求めている
1.今も人々は癒しを求めて癒し主を捜し求めているのです。そして見つけたらそこに続々とやって来るのです。しかし、癒やしだけを求める人、問題の解決だけを求める人がいます。しかし、イエス様の救いというのは罪の解決です。私たちが悔い改めて神に立ち返ることが大事です。
2.世界に起こったリバイバルは様々な苦しみ、病等から救ってくれる宗教としてキリスト教こそ真実だと知って続々と集まってきて起こったものでした。

● 今の時代、イエス様が目に見えないために、癒しの賜物を持っていると言われる人のところに大勢の人が集まります。確かに癒しの賜物はあります。しかし、癒やされるだけで満足してしまうとリバイバルは起こりません。罪を自覚し、悔い改め、さらに聖霊を受けることでリバイバルは起こるのです。

★ リバイバルを求めるクリスチャンは大勢います。リバイバルのために祈っている教会がたくさんあります。祈っている人がいる以上神様はリバイバルを起こしてくださり、続々とイエス様のところに人がやって来る日が来ます。