2014/1/5礼拝説教
【テーマ】 みんなが成長する
【説教題】 「主の教会を建てよう!」
【聖書箇所】 エペソ4:12(11-16)
4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
○ 新年最初の日曜礼拝です。毎年この最初の礼拝では新しい年の教会標語を語るようにしています。今年は「主の教会を建てよう」という標語です。
Ⅰ.教会が教会になるために
A.教会は会堂のことでは無い
1.「教会を建てる」と言うと、「会堂建築」を思い浮かべるかと思いますが、「主の教会を建てよう」とすると、きっと会堂のことでは無く、私たちのこの集まりが、イエス様の似姿としての教会となっていくことだとわかっていただけるでしょう。
2.「教会」という言葉は私たちの団体「アッセンブリー」がまさにその意味で、原語の「エクレシア(集められた者)」は神によって集められたので、「アッセンブリー」となっています。「教会」の本来の意味は建物のことでは無いのです。
B.神が牧師を立てた
1.ですから、パウロはこのエペソ教会への手紙で こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 と言っており、設計士、大工をお立てになったとは言わないのです。
2.教会と言っても色々な教派、団体があります。もっと言うならば、みんな教会は違うというか個性があると言いましょうか。それは神様が人それぞれ個性をお与えになったように違うのかも知れません。この教会を導くのに牧師を立てられたのです。ですから牧師にも個性があって、みんな違うのです。
C.牧師の働きは聖徒を整えること
1.その牧師の働きが 4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 とパウロは言うのです。牧師の仕事は、皆さんのお世話をすることや、訪問すること、週報を作ること、掃除すること、礼拝で報告すること等といったことでは無いのです。(もちろん、しなければなりませんが、それが本筋では無いということです)信徒を整えて、信徒全員が他の方のお世話をし、色々な奉仕をするようにするのです。
2.目的もはっきり書いてあります。 4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 と。牧師は、皆さんをキリストの身丈にまで導く仕事が、神様から託された奉仕ということになるでしょうか。
Ⅱ.信仰と知識の一致のために
A.違うということでの平等と一致
1.一致という言葉は「平等」という言葉と同じく誤解をしやすい言葉です。男女平等、みんな平等という時に、なんでもなかんでも同じにするのが真の平等では無いことはもう分かっておられると思います。
2.「一致」と言う時にも、みんなが同じ考えをもち、同じ事をするのが一致だと思う人がいます。もちろん、根幹においては同じ考えが必要でしょう。その根幹が 信仰の一致と神の御子に関する知識の一致 ということです。
3.信徒みんな違うのですが、違うように造られたのは神様です。みんなが牧師では無いわけです。それは各自がそれぞれキリストの身体の各部分を担う必要があるからです。違うからこそ各部分を担うことが出来るのです。
B.成長するのはかき回されないため
1.私が大阪にいた時、教会員が大学入学して東京に来ました。その時彼が、青年の多い、とても活気のある教会に行っていると言ったので、よかったと思ったのですが、「先生、ぼくの受けた洗礼はどんな洗礼ですか?」と電話してきました。彼は私の授けた洗礼は無効だと言われたらしいのです。それで「ここでもう一度洗礼を受ける」とまで言うのです。その教会を辞めさせました。調べるとカルトっぽい団体でした。彼も「そうですよね」と危なかった自分に気付いたのです。
2.4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、 にあるように、正しい信仰をかき回す者がいるのです。多くの場合は悪意では無く、善意からです。真面目に聖書を実践しようとしてのことですが・・・
3.キリスト教は多くの教派・団体があると言いましたが、救いの点で一致していれば問題無いのです。が、教えにも色々違いがあるのです。単に静かな賛美と祈りの教会、元気な賛美と大きな声で祈る教会というような違いが問題なのでは無いのです。
C.正しい信仰と知識を蓄える
1.黒崎幸吉先生は、「信仰の一致とは信仰箇条の一致にあらず。心を一つにしてキリストに信頼すること、キリストに依り頼まない者のないことを意味す。キリストを知るの知識の一致はキリストの本質、使命、および教会に対する関係等につきて理解の一致を指す。この一致を欠く時教会は分裂する。」と言っています。
2.救いに関する教え、神様に関してそのあるべき玉座から引き下ろしてしまうような教えでは困るのです。つまり「イエス様は神では無い」とか「イエスの十字架は失敗だった」とかいうのは困るのです。
3.こうした進行と知識の一致には、聖書を共に学ぶ必要が出てきます。今年、学びの機会を持ちたいと願っているのです。
Ⅲ.しっかり組み合わされるために
A.聖書を実践する
1.聖書をなにも神学者のように勉強しなければならないのでは無いです。本当に大事な事を学ぶのです。そして、さらに実践です。皆さん、奉仕をされていますか?主の教会を建てるのに「奉仕」が欠かせないのはおわかりだと思います。ただ、勘違いしないでください。みんな同じ奉仕をするのではないということです。
2.前にも言ったことですが、「私は年をとったので何の奉仕も出来ません」というのはあり得ないのです。反対に年をとった人だからこそ出来る奉仕があるのです。若い人生経験の浅い人達には出来ないことがあるのです。もちろん、若い人で無いと出来ない奉仕もあります。
B.全員が奉仕する
1.目標は全員が何らかの奉仕をすることなのです。それは何か奉仕をすれば良いと言うのでは無くて、 4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。 にあるように、愛を基盤として、神様から与えられた賜物を用いることによる奉仕です。
2.賜物と愛は密接な関係にあります。賜物を用いなければ意味がありませんが、愛に満ちて賜物を用いることが出来るように成長したいのです。それは聖霊のなせるわざです。
3.神様は全ての人に賜物を与えておられます。奉仕をする決断をして実行することによって磨きがかかり、愛も増し加わるのです。そこに教会が出来ます。
★ あなたも賜物を活かして、奉仕をする決断をしてください。