関東大震災の結果、私の父親は
関西で映画制作の仕事を始めます
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当時は、出来上がった映画フィルムを
映画館に運ぶ仕事が時々、あったようなのです
私の父親は映画フィルムを東京の
映画館に運ぶのに,銀座、新富町の
母親の家に泊まった?と
聞いたことがありました
私の父親の実家は静岡県浜松市の
歯科医で歯科医院を開業していました
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一方、母親の実家も東京銀座の
新富町で同じく歯科医院を開業しています
当時、歯科医師会のような席上で
両方の親はなんとなく、
知り合いだったのかも知れません
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となると、私の父親も母親もお互いに知らない
間柄だったわけでもないことになります
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映画フィルムを携えた映画青年(私の父親)が
「お世話になります…」と銀座・新富町の
歯科医院、母親の実家へ訪れたとすれば
なんとも可笑しいことです。
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この辺りの話は全くの謎?です…