母親は立教(築地)? に通学していました
自宅、新富町から築地の学校まで
少女の母親にはそう遠くなかったのでしょう
卒業した母親は、親父さんに
「新しくできた帝国女子医専へ行け…」と
云われました
「これからの女は手に職をもたなくては…」とも
云われたそうです
また、母親は小学生のころ
親父さんの命令で近所の柔道場へ稽古に通わされ、
近所で評判になって、嫌だったとも聞きました
… … …
親父さんは最初の子供に
男の子が欲しかったのかも知れません
英文科か国文科へ進学したいと思っていたのに
医者の学校へ行けとは…,
母親は反対したのでしょうが
結局、医専へ進学することにしたようでした
嫌な医専へ進学することになった母親は
ようし卒業してやろう…と心機一転、
勉強することにしたようでした
帝国女子医専は大森にありました
… … …
母親は最寄りの有楽町駅から
省線電車(しょうせん)で
大森(おおもり) まで電車通学になりました
… … …
省線とは東京首都圏や大阪など、近距離の
国電(こくでん=日本国有鉄道)のことで鐵道省の
省から省線といっていました