『清(ちゅ)らに生きる 伊都子のことば』は、随筆家の岡部伊都子(いつこ)さんが
お書きになった 133冊の本の中から、高林寛子さんがいくつかをひろいあげ、
すくいあげて編集した本です。 28歳から83歳まで、年代順になっています。
特に私の心に響いた言葉とエッセイの一部を引用させて頂きます。
カッコ内の数字は書かれた年齢です。
(1)私は死に直面して、その時の自分の心境、態度を客観し、
自分の真の姿を知って死にたい。 (28歳)
(2)死ぬこともまた光であり美であり
周囲をよろこばせうるものであることを知って、
私は自分の死を心たのしく待つ。 (36歳)
(3)文字をつらねるということは、
口に言うのとはまたちがった、一種の誓いである。 (47歳)
(4)右だとか左だとかいう言葉の魔術にかきまわされて、
大切にしなければならない人間としての魂、人間愛が、
どこかへ沈められてしまったようなもの悲しさを覚えるのです。
(47歳ー1970年)
(5)人間の存在がつづく限り、
寂寥はつづく。 (47歳)
(6)幸福な家庭生活を送っている人でも、個は弧である。
弧なる個の確立がなされていない民主主義はあり得ない。
(52歳ー1975年)
(7)おさな子の色っぽさに、
女ながらも見惚れることがある。 (56歳)
(8)「こんなに汚く老化してきた自分を
見ることができるなんて」
ありがたい。 (56歳)
(9)自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ。 (59歳)
(10)志の仲間は
心のもっと近いところに置く心の血縁だ。 (59歳)
(11)朝早く、やわらかな筆の穂先で
雄花の花粉を、雌花に移した。
そのたびに、すこうし胸がときめいた。 (59歳)
(12)露が消えるように、
気がつけば消えていたい。 (61歳)
(13)年を重ねるにつれて、余分な要素が洗われてゆく。
持ち重りしていた若さから、
一つ、また一つと自己解放されてゆくうれしさ。 (62歳)
2につづく
お書きになった 133冊の本の中から、高林寛子さんがいくつかをひろいあげ、
すくいあげて編集した本です。 28歳から83歳まで、年代順になっています。
特に私の心に響いた言葉とエッセイの一部を引用させて頂きます。
カッコ内の数字は書かれた年齢です。
(1)私は死に直面して、その時の自分の心境、態度を客観し、
自分の真の姿を知って死にたい。 (28歳)
(2)死ぬこともまた光であり美であり
周囲をよろこばせうるものであることを知って、
私は自分の死を心たのしく待つ。 (36歳)
(3)文字をつらねるということは、
口に言うのとはまたちがった、一種の誓いである。 (47歳)
(4)右だとか左だとかいう言葉の魔術にかきまわされて、
大切にしなければならない人間としての魂、人間愛が、
どこかへ沈められてしまったようなもの悲しさを覚えるのです。
(47歳ー1970年)
(5)人間の存在がつづく限り、
寂寥はつづく。 (47歳)
(6)幸福な家庭生活を送っている人でも、個は弧である。
弧なる個の確立がなされていない民主主義はあり得ない。
(52歳ー1975年)
(7)おさな子の色っぽさに、
女ながらも見惚れることがある。 (56歳)
(8)「こんなに汚く老化してきた自分を
見ることができるなんて」
ありがたい。 (56歳)
(9)自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ。 (59歳)
(10)志の仲間は
心のもっと近いところに置く心の血縁だ。 (59歳)
(11)朝早く、やわらかな筆の穂先で
雄花の花粉を、雌花に移した。
そのたびに、すこうし胸がときめいた。 (59歳)
(12)露が消えるように、
気がつけば消えていたい。 (61歳)
(13)年を重ねるにつれて、余分な要素が洗われてゆく。
持ち重りしていた若さから、
一つ、また一つと自己解放されてゆくうれしさ。 (62歳)
2につづく