今日のうた

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ユスフ三部作 「卵」「ミルク」「蜂蜜」

2014-11-02 06:31:16 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
ユスフという詩人の半生を描いたトルコ映画。監督はセミフ・カプランオール。
「卵(2007年)」、「ミルク(2008年)」、「蜂蜜(2010年)」の三部作。

寡黙な映画である。人びとは無口で、ひたすら生きている。
谷川俊太郎さんの次の言葉が、「蜂蜜」の特長を表している。
(「蜂蜜」は、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)

 言葉はためらい 言葉は沈黙する、
 そんな静けさから生まれたこの映画は、
 魂に向かって開かれた透き通る窓。

三部作だが、時間は逆行している。
一切の説明はない。
「卵」でわからなかったことが、「ミルク」や「蜂蜜」で明らかになったりする。

「卵」・・・中年になったユスフが、母の葬儀に5年ぶりに帰る。
      そこで母は、アイラという少女と暮らしていたことを知る。
      繊細なユスフと、凛としたアイラが素晴らしい。
      プロットは平坦だが、ふたりにグイグイ引き込まれる。
      ひかえめなふたりのしぐさに、いつしかふたりを見守っている。
      ユスフを演じるネジャット・イシュレル、アイラを演じる
      サーデット・イシル・アクソイがなんとも神秘的で魅力にあふれている。
      この三部作では、私は一番すきだ。
      ラストシーンでは食器をガチャガチャさせながら、ふたりは食事をしている。
      遠雷が聴こえる。
      エンドロールが流れても、食器のふれあう音と遠雷はつづいている。やられた!

「ミルク」・青年ユスフが、母と二人で牛乳屋をして暮らしている。
      詩へのあこがれ、母との生活における不協和音、将来に対する不安、
      恋、そして病。
      思春期のユスフのこころの揺れを描いている。
      画面から、エンジンの臭いや牛乳・チーズの匂いがする。そして遠雷。

「蜂蜜」・・ユスフ少年は、山の中で父と母と暮らしている。
      先の二作とは趣がすこし異なる。
      まさに映像の詩とよべるほど美しい。
      
      風の音、鶏の声、虫の音、卵をまぜる音、冷んやりした空気、葉のそよぎ、
      みずうみ、空、雲、木洩れ日、樹のきしみ、一枚の葉が地に落ちるまでの時間、
      水面にうつった月をかきまぜ、月が形をとりもどしゆく時間、水のせせらぎ、
      近くで遠くで鳥のさえずり、森の暗闇、台所仕事をする母のスカートの揺れ、
      耳を刺す金属音、そして遠雷。

      光をおさえた室内は陰影があり、フェルメールの絵画のように美しい。
      なんでこんなに映像がきれいなのだろう。
      おさえ気味の赤やオレンジがふんだんに使われている。
      土の色がやわらかい。

      観客はこうした空間に放り出され、分らないままひたすら待ちつづける。
      五感をすまし、待つことで時間を共有させられる。
      音や色や空気や匂い、そしてしずかな時を感じる。これが詩というものなのか。
      やがて父の死がしずかに語られる。

      
      居心地のよい時間だった。
      ただ、詩はもう少しみじかくてもよいのではないかと思った。
      他の二作品に比べ、時間がやや長く感じられた。

短歌では「説明的」という批評を受けることがよくある。
「説明的」という言葉がどうもわからない。
この映画を観て、その意味がすこし解った気がする。
分かってもらおうという、状況説明やせりふがない。

 卵を落とし撮影カメラに命中するシーン(この変換は見事だ)
 水鳥の羽をむしる母の笑み
 少年がきらいな牛乳を自ら飲むシーン など

これらのシーンは多くを語っている。




(画像はお借りしました)
    
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