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南スーダンPKOの現実  (1)

2016-10-31 15:05:34 | ②一市民運動
2016年10月15日放送の「TBS報道特集・南スーダンの現実と
自衛隊PKO」を観る。
内容が重複しますが、南スーダンの歴史を再度載せます。

この国は、2011年にスーダンから分離独立した。
その後、ディンカ民族出身のキール大統領と、ヌエル民族出身のマシャル副大統領(当時)が
石油利権をめぐって対立し、2013年に内戦状態に陥った。
2015年8月、停戦合意が成立する。
2016年7月8日、銃撃戦が始まり、戦闘ヘリや戦車を使った大規模な
武力衝突に発展する。
2016年7月10日、PKO中国軍の装甲車に砲弾が命中し、中国兵2人が死亡。
AP通信は、「政府軍の戦車が砲撃するのを見た」との目撃証言を伝える。
それ以降も、両民族が対立する状況が続き、市民を含む二百数十人が死亡。
つまり、石油利権や民族問題が複雑にからみ合っているのだ。 (引用ここまで)

7月11日午後に、政府軍の一部・約100人の兵士が、NGOで働く多くの職員が宿泊する
南スーダン・ジュバにあるホテルを襲撃し、殺人や略奪、レイプなどの事件が起きる。
この時のことを、3人の事件被害者が次のように証言しています。
1人はフィリピンNGO職員のリボット。
2人目はアメリカの開発プロジェクトに参加した援助関係者のバンチ。
3人目はNGO外国人職員の女性です。

ホテルの中にいたフィリピンNGO職員のリボット
「兵士たちは午後4時、ホテルのゲートを襲撃した。
 ゲートにはショットガンを持った警備員がいたが、100人の兵士に防ぎようがなかった。
 NGO職員30人は、二階に身をひそめていた。
 兵士たちは建物を取り囲み、廊下の窓に向かって銃撃を始めた。
 割れたガラスが飛び散って、みんなが別々の部屋に避難した。
 部屋に鍵がなかった。兵士は大声を上げて銃を向けた。
 私はベッドの下に隠れて、政府軍の兵士の足を撮影した。
 写っている足は、略奪を行った兵士のものだった。
 兵士たちは国連に対する敵意をむき出しにしていた。
 ある兵士は、『俺たちは国連が嫌いなんだ。国連は反政府軍に肩入れして入る』と叫んだ。
 6時過ぎに建物の外に出されて、兵士たちに責められていた」

ホテルに宿泊していたアメリカ人の援助関係者のバンチ
「4時過ぎに最初に聞こえたのは、怒鳴り声と銃声です。
 兵士たちが建物に入ろうとしていた。
 私たち20人は、みな一緒にいた。息をひそめてアメリカ大使館や警備会社、国連に
 『攻撃を受けている。助けが必要だ』とテキストメッセージを送っていた。
 兵士たちが建物に入ってきた時に、カギを閉めた。

 他の部屋から叫び声や体を床に打ちつける音、壁に投げつけられる音が聞こえた。
 数人の外国人女性をシャワールームに隠れてもらった。
 女性がいることを知られたくなかった。
 殺すぞ、ドアを開けろ、と兵士が言った。。
 午後5時半頃、兵士たちは銃でドアを撃ちぬいて部屋に入ってきた。
(バンチの脚に生々しい銃創の写真が残されている。この時に撃たれたのだ。
 そして証言している今も、脚にえぐられた痕がある)
 兵士たちはみんなに銃を向け、女性たちに『ここで死にたいか』と怒鳴っていた。
 そして女性を一人ずつ連れ出した。
 『この外国人女性たちは、あなたたちの国を助けるために来たんだ。
 傷つけないでくれ』と言うと、ライフルで殴られた」

NGO外国人職員の女性
「私はトイレに隠れました。トイレの外には同僚の男性がいて、兵士たちに『殺すぞ!
 ドアを開けろと脅されていた。そして兵士がドアに向かって発砲した。
 銃弾はドアを貫通して、同僚(バンチ)の脚にあたりました。
 部屋に連れて行かれると、そこには数人の兵士がいた。
 6~7人の兵士がカラシニコフ銃を私たちの頭に突きつけた。
 そして一つの部屋に入るように指示した。部屋に入ると、数人の兵士がいた。
 私は、『お願いです、やめてください。お願いです』と懇願したら、思いっきり殴られて、
 床に押し倒され、首をこぶしで殴られて息ができなくなった。
 その部屋で3人の兵士にレイプされた。(午後6時過ぎ)

 すべてが終わると、下の階に降りろと言われた。
 誰もいない。ジョンの遺体だけがあった。自分も殺されると思った。
 (地元のNGO職員・ジョン・ガトルアクは政府軍と敵対する前副大統領と
  同じ部族(ヌエル族)というだけで、その場で射殺された)

 そして別の兵士に、部屋に押し込められた。
 そこには友だちの外国人女性がいた。彼女もレイプされていた。
 床に押し倒された時に、その友達と目が合った。
 言葉は交わさなくても、『殺されないためには、抵抗したらダメ』とお互いに理解した。
 さらに2人の兵士にレイプされた。
 兵士が部屋を出ていく時に、最後の兵士は口笛をふきながら、殺虫剤を私の顔に吹きかけた。
 息ができなくなり、その場で嘔吐した。

 午後6時半頃、私がレイプされている時、間違いなく国家保安庁の人がそこにいた。
 だが、誰も助けに来なかった。
 私を含め3人が一晩、そこに放置された。
 地元のセキュリティ会社と連絡が取れたのは、次の日の朝の8時30分だった」

最後まで国連PKO部隊は動かなかった。        (2)につづく




※毎月3日 13時 全国で「アベ政治を許さない」ポスターをかかげよう! (今日=11月3日)です。



追記1
ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
私事ですが、目の奥の痛みが続いていますので眼科に行きましたところ、
しばらくはパソコン禁止と言われてしまいました。
またマウスの使い過ぎで、右手の関節痛もありますので、
当分の間、ブログをお休みさせて頂きます。
(2016年11月6日 記)


(画像と文をお借りしました)


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