今日のうた

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長崎の痕(きずあと) ④

2019-08-06 17:52:33 | ①核と人間は共存できない
●俳句で「原子の火ヒトに渡した神の悔い」と詠んだ池田さんの証言を
 引用させて頂きます。

 「1発の原爆が無辜の民を殺傷し、人生を狂わせた。1万発余の原爆を保有しながら、
  人道だ、正義だと。今や人間も絶滅危惧種だと自覚すべきだ」。  (引用ここまで)

●山崎さんの証言を引用させて頂きます。

 「遺骨も分からない両親たちのことを考えると、
  絶対に三度目は許されてはなりません」。   (引用ここまで)

●竹下さんの証言を引用させて頂きます。

 1992年に平和公園に長崎刑務所浦上刑務支所の死刑場の地下室と階段が
 出土したことで、被爆遺構にとの市民運動を起こし活動したが、願いは叶わなかった。
 下の川の護岸工事の時には、元の住宅81軒や人骨が出土した。ここで520余人
 のうち400余人が直撃で家屋もろとも亡くなったが、工事によって沢山の遺骨や遺品、
 住宅跡などが処分された。僅かに残ったなかから許可を得て持ち帰った、
 焼け溶けたビンの破片を手にしながら「埋もれていた頭骨に乳歯が5~6個
 残ったのがあり、涙が溢れ出た」。      (引用ここまで)

●居原さんの証言を引用させて頂きます。

 IPPNW(核戦争防止国際医師会議)会員として大会に参加し、
 ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の主張を聴いて共感した。
 「健康は平和でないと成り立たない。私を含め健康に携わる医師はそれを
 自覚すべきだ。医師が核兵器廃絶や、環境保護への努力を強めないと
 未来は拓けない」。   (引用ここまで)

●松江さんの証言を引用させて頂きます。

 「平和すぎるせいか、若者が考えなくなった。無関係の人を殺し、お金、お金。
  大企業中心の政治。間違っている」。   (引用ここまで)

●〈分断された「被爆」--被爆体験者〉から引用させて頂きます。

 「被爆体験者」という言葉をご存じだろうか。ヒロシマでもナガサキでも、
 原爆で被爆した人は皆その「体験者」のはずだと、誰もが単純に思う。
 実はそうではない。ヒロシマにこの言葉はは存在しない。
 広島では広範囲に降り注いだ「黒い雨」による
 胎内被曝が問題になっているが、行政が歪んだ円での線引きはしていない。

 けれど、長崎では、ほど旧長崎市内にあたる、
 爆心地から半径南北12km、同東西7kmで
 被爆した人たちを被爆者とし、
 その範囲外だと、半径12km圏内でも
 被爆者と認めないと規制したのだ。


 実際にはそうした地域にも、黒い雨どころか閃光も爆風も届き、家屋が壊れたり
 燃えたりしたうえ、地上から巻き上げられた破片なども灰のように降り注いだ。
 地表での爆発ならば山々で遮られたかもしれないが、上空500mでの爆発だった。
 放射性微粒子を含んだ原子雲は、放射性微粒子が「同心円」状に広がって
 地上に降り注ぎ、呼吸や飲食により人びとの体内に取り込まれた。

 原爆の直後から原爆症特有の嘔吐や脱毛、歯ぐきからの出血などが起こり、
 白血病や癌、心臓病、脳症、肝臓病、糖尿病、帯状疱疹、白内障などの病が
 多重に襲いかかってきている。爆心地周辺で被爆した人とも同様に、
 身体的な問題が歳を重ねてから再発するだけでなく、PTSDのような精神的な苦痛も
 歳とともに重くなっていると専門医らは述べる。

 岩永さんは「私たちを被爆者ではないと国や県、市が言う根拠は、内部被曝と
 低線量被曝でもたらされる害はないという点だ。けれど多くの人たちが、原子雲
 が立ち込め、太陽は卵の黄身のような色に見えたと言っているので、原爆の
 影響に違いない」と訴える。

 「被爆体験者」と括られた人たちへの冷淡さは国や県の行政ばかりではない。
 裁判でもまさかの敗訴が続く。結局、私たち被爆国民の一人ひとりとしての
 意識がかれらを救うことになる。  (引用ここまで)   ⑤につづく
 




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