わが季(とき)をゆく
わが子より我に似る目に笑いたり四十年ぶり会いたる従兄
一九六九年(いちきゅうろくきゅう) 映画のように語りあう受験せしわれ 闘争せし従兄
初めてのデモに終電乗りおくれ深夜喫茶に朝を待ちいき
役者になると母を泣かせし日のありき駅の灯(ひ)に蛾のぶつかりて飛ぶ
広東麺(かんとんめん)のとろみに舌の灼(や)けつきぬ終わりにすると決めし日の夜(よ)は
フライヤーのポテトのごとく人間を押し出し信号赤に変われり
フライヤー=揚げ鍋
Gパンにエイとししむら押し込めて調子はずれのわが季(とき)をゆく
ししむら=肉体
二十二歳の夏
鯉と鯉しずかに淡くすれちがう死者のたましい宿せるごとく
鯉池に投げ込まれたるえびせんの油膜がにじむ ぶり返すいたみ
家族という傷もつふたりが出会いしはサルビアの咲く二十二歳(にじゅうに)の夏
「この人には何を言っても赦(ゆる)される」そう思わせしおのれに怒(いか)る
そののちを知らず逝きたる母さんに「阿呆(あほう)やったね」と呟いてみる
ひとり住みふたりになりてふたり増えいまはしずかにふたりに暮らす
子の家の行きと帰りに買うマスクおひとり様二点限りに
2009年は新型インフルエンザが流行し、マスクが品薄だった
婿の背に毛玉のあまた付いている 怒った顔を見たことがない
手鏡
小(ち)さき耳あまたそばだて炎昼にポンポン・ダリアの白き花咲く
南アより運ばれ来たるパパの声に五歳の孫はチュチュチュと応(こた)う
おばあちゃんと呼べるようになりおばあちゃんに我はなりゆく四年ぶりなれば
「フィギュアかって」と買うまでを泣くおみなごの睫毛(まつげ)の先より涙したたる
フィギュア=人の形をした立体的な像
腐食ある手鏡ソファーの上にあり思春期に子がいつも見ていし
一日の濃度がねんねん変わりゆく紅茶にミルクをたっぷりいれる
七年間毎昼カレーを食べるという儀式のごときイチローの一日
テレビ観てひと日ベッドに臥(ふ)しおれば二十杯ものカフェラテCM
眠られぬ夜にひとりの友おもう ほくろの位置が思い出せない
手脚折りユニット・バスに浸るとき人の体はしみじみ四角
十三回忌
声明(しょうみょう)のごとき数字を聴き分けてちいさき指に珠(たま)はじきけり
白糸のごとく飛びゆく乳汁(ちじる)あり古きお寺のお蔵の絵馬に
黒豆の誤嚥(ごえん)にはじまる父の死は 歳晩(さいばん)につどう十三回忌
姉妹にも陰陽はあり近づけば目眩(めくら)むばかり陽のいもうと
白米がバター・ライスになったよう付け睫毛(まつげ)ながき姪(めい)の笑顔は
職辞すという弟を留(とど)めし日 われのおとうと遠くなりたり
怒らざる文句言わざる父なりき生きてる内(うち)はわからなかった
帳簿には「酒心(しゅしん)を断(た)つ」の父の文字おおきく二箇所書かれてありぬ
酒々井(しすい)という淋しきひびきのふるさとよ父はお酒を愛し憎みき
酒々井=佐倉と成田の間にある町。父は神田須田町から疎開し、
この地に住み着いた
人住まぬ家は荒(すさ)びて色はなし実生(みしょう)の木だけが枝をひろげる
風袋(ふうたい)の目方(めかた)差し引く生き方を厭(いと)いし日ありき 父に似てくる
風袋=包装紙、箱など
湯のなかの柚子をしぼれば油膜いでわれの巡りをゆらりとかこむ
冷たいほっぺ
田の水にうつる日輪(にちりん)どこまでもわが前をゆく 距離を保ちて
突然の雨に濡れたるおみなごの肌はアーモンドの匂いする
形成外科にむすめと待ちぬ眼の痕(あと)のしろく扁(ひら)たき人と並びて
アイス・バーのような木片(もくへん)つみ重ねつみ重ねゆくひとりごの孫
つるつるの冷たいほっぺ撫でやればころり寝返るママがいない夜(よ)
アラブの地に就(つ)くころ傷は癒ゆるだろう砂漠の風に前髪ふかれて
十八歳(じゅうはち)に家を離れて幾たびか 深夜便にてむすめは発(た)てり
「が」が重いから
かき氷を食(は)みたるごとくきいいんと血管しまる大寒(だいかん)の朝
雪のこる畑(はた)より帰り来し夫(つま)の手に白菜は葉さきが透ける
とろとろと金柑を煮るきんかんはこそばゆそうに臀(しり)を浮かせる
いつしらに蚊を飼いており病める日は眼(まなこ)ころがし二匹と遊ぶ
人群れがわれに向かいて押し寄せる白き朝(あした)は過呼吸になる
音を消すラップ・ミュージック鳴り出してМ・R・Iの検査はじまる
ゆるやかに走査しながら上がりきて光がわれの顔を捕(とら)うる
CТスキャンを受けていた
一年で医師は異動すこの先も癒ゆること無きわれを知らずに
ノブ回す、雨戸を閉める、髪を梳(す)く、右の肋(あばら)に直(じか)につながる
咳でひびが入る
羽毛布団の空気みたいに生きてくね お母さんがの「が」が重いから
朝(あした)には必ず会える人のいて『キッチン』読みつつひとりに眠る
『キッチン』=よしもとばななの小説
すかすかの胸は冷たく目覚めたり春の厨(くりや)に牛乳をのむ
菜の花のたばね棄(す)てられたる中にそこより伸びる一本のあり
わが子より我に似る目に笑いたり四十年ぶり会いたる従兄
一九六九年(いちきゅうろくきゅう) 映画のように語りあう受験せしわれ 闘争せし従兄
初めてのデモに終電乗りおくれ深夜喫茶に朝を待ちいき
役者になると母を泣かせし日のありき駅の灯(ひ)に蛾のぶつかりて飛ぶ
広東麺(かんとんめん)のとろみに舌の灼(や)けつきぬ終わりにすると決めし日の夜(よ)は
フライヤーのポテトのごとく人間を押し出し信号赤に変われり
フライヤー=揚げ鍋
Gパンにエイとししむら押し込めて調子はずれのわが季(とき)をゆく
ししむら=肉体
二十二歳の夏
鯉と鯉しずかに淡くすれちがう死者のたましい宿せるごとく
鯉池に投げ込まれたるえびせんの油膜がにじむ ぶり返すいたみ
家族という傷もつふたりが出会いしはサルビアの咲く二十二歳(にじゅうに)の夏
「この人には何を言っても赦(ゆる)される」そう思わせしおのれに怒(いか)る
そののちを知らず逝きたる母さんに「阿呆(あほう)やったね」と呟いてみる
ひとり住みふたりになりてふたり増えいまはしずかにふたりに暮らす
子の家の行きと帰りに買うマスクおひとり様二点限りに
2009年は新型インフルエンザが流行し、マスクが品薄だった
婿の背に毛玉のあまた付いている 怒った顔を見たことがない
手鏡
小(ち)さき耳あまたそばだて炎昼にポンポン・ダリアの白き花咲く
南アより運ばれ来たるパパの声に五歳の孫はチュチュチュと応(こた)う
おばあちゃんと呼べるようになりおばあちゃんに我はなりゆく四年ぶりなれば
「フィギュアかって」と買うまでを泣くおみなごの睫毛(まつげ)の先より涙したたる
フィギュア=人の形をした立体的な像
腐食ある手鏡ソファーの上にあり思春期に子がいつも見ていし
一日の濃度がねんねん変わりゆく紅茶にミルクをたっぷりいれる
七年間毎昼カレーを食べるという儀式のごときイチローの一日
テレビ観てひと日ベッドに臥(ふ)しおれば二十杯ものカフェラテCM
眠られぬ夜にひとりの友おもう ほくろの位置が思い出せない
手脚折りユニット・バスに浸るとき人の体はしみじみ四角
十三回忌
声明(しょうみょう)のごとき数字を聴き分けてちいさき指に珠(たま)はじきけり
白糸のごとく飛びゆく乳汁(ちじる)あり古きお寺のお蔵の絵馬に
黒豆の誤嚥(ごえん)にはじまる父の死は 歳晩(さいばん)につどう十三回忌
姉妹にも陰陽はあり近づけば目眩(めくら)むばかり陽のいもうと
白米がバター・ライスになったよう付け睫毛(まつげ)ながき姪(めい)の笑顔は
職辞すという弟を留(とど)めし日 われのおとうと遠くなりたり
怒らざる文句言わざる父なりき生きてる内(うち)はわからなかった
帳簿には「酒心(しゅしん)を断(た)つ」の父の文字おおきく二箇所書かれてありぬ
酒々井(しすい)という淋しきひびきのふるさとよ父はお酒を愛し憎みき
酒々井=佐倉と成田の間にある町。父は神田須田町から疎開し、
この地に住み着いた
人住まぬ家は荒(すさ)びて色はなし実生(みしょう)の木だけが枝をひろげる
風袋(ふうたい)の目方(めかた)差し引く生き方を厭(いと)いし日ありき 父に似てくる
風袋=包装紙、箱など
湯のなかの柚子をしぼれば油膜いでわれの巡りをゆらりとかこむ
冷たいほっぺ
田の水にうつる日輪(にちりん)どこまでもわが前をゆく 距離を保ちて
突然の雨に濡れたるおみなごの肌はアーモンドの匂いする
形成外科にむすめと待ちぬ眼の痕(あと)のしろく扁(ひら)たき人と並びて
アイス・バーのような木片(もくへん)つみ重ねつみ重ねゆくひとりごの孫
つるつるの冷たいほっぺ撫でやればころり寝返るママがいない夜(よ)
アラブの地に就(つ)くころ傷は癒ゆるだろう砂漠の風に前髪ふかれて
十八歳(じゅうはち)に家を離れて幾たびか 深夜便にてむすめは発(た)てり
「が」が重いから
かき氷を食(は)みたるごとくきいいんと血管しまる大寒(だいかん)の朝
雪のこる畑(はた)より帰り来し夫(つま)の手に白菜は葉さきが透ける
とろとろと金柑を煮るきんかんはこそばゆそうに臀(しり)を浮かせる
いつしらに蚊を飼いており病める日は眼(まなこ)ころがし二匹と遊ぶ
人群れがわれに向かいて押し寄せる白き朝(あした)は過呼吸になる
音を消すラップ・ミュージック鳴り出してМ・R・Iの検査はじまる
ゆるやかに走査しながら上がりきて光がわれの顔を捕(とら)うる
CТスキャンを受けていた
一年で医師は異動すこの先も癒ゆること無きわれを知らずに
ノブ回す、雨戸を閉める、髪を梳(す)く、右の肋(あばら)に直(じか)につながる
咳でひびが入る
羽毛布団の空気みたいに生きてくね お母さんがの「が」が重いから
朝(あした)には必ず会える人のいて『キッチン』読みつつひとりに眠る
『キッチン』=よしもとばななの小説
すかすかの胸は冷たく目覚めたり春の厨(くりや)に牛乳をのむ
菜の花のたばね棄(す)てられたる中にそこより伸びる一本のあり