人間が作品となるかなしみよ会田誠の肩のふるえは
昨年から観たいと思っていた会田誠の「天才でごめんなさい」が、
体調が戻るのを待っていたら、残り数日となっていた。
あわてて六本木にある森美術館に出かけた。
美術館に行くのは数年ぶりである。
なんだろう、この居心地のよさは。
これでもかというくらい煩雑で残酷な作品にあっても、
清浄で品のあるやさしさ、のびやかさを感じる。
これは少女を描く時に際立つ。
彼のやわらかい筆致や心根、そして男性ということにも拠るのだろうか。
戦争画 RETURNSと呼ばれる 「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」、
パルテノン神殿の上に原爆ドームを配した「題知らず」、
そして「たまゆら」の絵を前に、不覚にも涙が出た。
以前から会田はオサマ・ビンラディンに似ていると思っていたが、
ビデオには日本語を話す、まさにオサマ・ビンラディンが居た。
彼は自分の肉体を作品にしている。会田の容姿はそれに堪え得るものだ。
私が詠んだのは、そのビデオ作品の一つである。
あれから一週間が経っても、作品が私の中から消えない。
まるで彼の体液を飲み込んでしまったように、日に日に沁みてくる。
それは清々しい感触だ。
(画像はお借りしました)
昨年から観たいと思っていた会田誠の「天才でごめんなさい」が、
体調が戻るのを待っていたら、残り数日となっていた。
あわてて六本木にある森美術館に出かけた。
美術館に行くのは数年ぶりである。
なんだろう、この居心地のよさは。
これでもかというくらい煩雑で残酷な作品にあっても、
清浄で品のあるやさしさ、のびやかさを感じる。
これは少女を描く時に際立つ。
彼のやわらかい筆致や心根、そして男性ということにも拠るのだろうか。
戦争画 RETURNSと呼ばれる 「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」、
パルテノン神殿の上に原爆ドームを配した「題知らず」、
そして「たまゆら」の絵を前に、不覚にも涙が出た。
以前から会田はオサマ・ビンラディンに似ていると思っていたが、
ビデオには日本語を話す、まさにオサマ・ビンラディンが居た。
彼は自分の肉体を作品にしている。会田の容姿はそれに堪え得るものだ。
私が詠んだのは、そのビデオ作品の一つである。
あれから一週間が経っても、作品が私の中から消えない。
まるで彼の体液を飲み込んでしまったように、日に日に沁みてくる。
それは清々しい感触だ。
(画像はお借りしました)