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今日のうた

思いつくままに書いています

花びら供養 (1)

2020-06-29 07:00:20 | ③好きな歌と句と詩とことばと
2017年に書き始めたのですが、途中で断念してしまいました。
再度、載せます。

石牟礼道子著『花びら供養』を読む。
この本は2017年8月に出版されたもので、主に2000年以降の
石牟礼さんのエッセイなどが収録されています。
石牟礼さんがお書きになる人たちは、慎ましやかに暮らしていて、
お話になる言葉がていねいで美しく、思いやりにあふれています。
こんな言葉が日本にもあったのだと、思い知らされました。
またエッセイの中には、道子さんとお呼びしたくなるような、
愛くるしい目線で書かれたものもあります。
以前のものと重複する箇所もありますが、私の好きな言葉を
引用させて頂きます。

(1)第一次訴訟派で水俣病語り部の杉本栄子さんが、
   死の一年くらい前に語った言葉

  「道子さん、私はもう、許します。チッソも許す。病気になった私たちを
   迫害した人たちも全部許す。許すと思うて、祈るごつなりました。
   毎日が苦しゅうして、祈らずにはおれん……。
   何ば祈るかといえば、人間の罪ばなあ。
   自分の罪に対して祈りよっと。
   人間の罪ちゅうは、自分の罪のことじゃった。

   あんまり苦しかもんで、人間の罪ば背負うとるからじゃと
   思うようになった。
   こういう酷(むご)か病気が、二度とこの世に残らんごつ、
   全部背負い取って、あの世に持って行く。
   錐でギリギリもみ込むごつ、首のうしろの盆の窪の
   疼(うず)くときが、いちばん辛か。そういうとき、人間の
   仇(かたき)ば取るぞとばかり考えよった。
   親の仇、人間の仇とばかり、思いつめよりました。
   それで、疼きも一段ときつかったわけじゃ。

   許すという気持ちで祈るようになってから、今日一日ば、
   なんとか生きられるようになった」

石牟礼さんは水俣病の被害者の方たちを、
「このような地域ぐるみで拡がっている毒殺事件の被害者たち
のことを」と書いている。毒性が分かってからも有機水銀を
垂れ流し続けてきたチッソ、そしてそれを黙殺し続けてきた国は
毒殺事件の首謀者である。
そして石牟礼さんは次のように続けている。

  「ヨーロッパも日本も含めて『原罪』なる語があるけれど、
   『みんなの罪を、あの世に全部背負って行く』という栄子さんの
   言葉を超える教義があろうとは思えない。
   この言葉に対してはただひれ伏すばかりである」

(2)坂本きよ子さんという娘さんのお母さんから、
  次のようなことを頼まれた。

   「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、
    わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。

    それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。
    私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、
    縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。
    たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば
    拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、
    肘から血ぃ出して、『おかしゃん、はなば』ちゅうて、
    花びらば指すとですもんね。
    花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
    何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の
    桜の花びらば拾うのが、望みでした。

    それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、
    書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、
    花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいません
    でしょうか。花の供養に」

(3)人は何を求めて生きているのだろうか。ここでわが母のことを
  思い出す。祖母が発狂したのはいつごろだったか、
  尋ねたことがある。
  余命いくばくもなくなったのを、ねぎらうつもりだった。
  母ははっとしたようにうなだれ、深い息の底からかぼそい声に
  なって答えた。

   「十(とお)ばかりじゃったろうか……」

   わたしは言葉が出なかった。十になるやならずの女の子が、
   発狂した自分の親とどう向き合ったのか。
   きれぎれの吐息とともに母は呟いた。

   「……自分の方が、親にならんば……ち、思いおった」

   宙をみつめてさまよっている眸(ひとみ)の色。
   発狂した母親を抱えて、自分の方が親にならねばと思ったとは、
   それまでに聞いたことがなかった。
   私は度を失なって絶句していた。死んでゆく母が、五十を越えた
   娘にはじめて言い継ぐ、絶え絶えの魂の声。
   何を思い出し、視ているのか、遠くをさまよっていた視線が
   ふっとわたしを見た。

   「あんまり、よか娘じゃなかったよなあ」

   やっとそれだけ言えた。

八十を過ぎた母上は、畑にゆく人に畑の草に言づてを頼んだという。

   「草によろしゅういうて下はりませ」

(4)渚のことを縷々(るる)と描くのは、この列島の近代と
  いうものが、おのが産土(うぶすな)の風土を、いかに
  骨ぐるみ腐食させ、隅から隅まで再生不能と思えるほど
  化学毒の中に漬けこんできたか、
  おのおの足もとを見ていただきたいからである。
  そこは何よりも今現在、生きとし生けるものたちを
  丸抱えにしたまま息絶えようとしている大地であるから。

   たとえば一個の人体としてこの列島を見てみるとする。
   水俣だけにかぎらない。
   心臓も腎臓も右脳も左脳も、もう血液どろどろではないか。
   ちなみに山つきの棚田のほとりの、水の源、小川のはじまる
   ところを見てまわっていただきたい。必ず、三面コンクリート
   張りのドブに改修され、フナもドジョウもウナギも足長エビも
   ナマズもタニシもシジミも川藻も死に絶えて、
   「小鮒釣りしかの川」は腐臭を発しているはずである。
   少なくとも私の身辺では、そうなっている。
   
   近代教育を受けるようになって知的に上昇したつもりで、
   田舎を見下げ、その山川や先祖の墓地の面倒を
   見てきた村落を見捨ててきた都市の年月があった。
   「都市と地方の格差」は経済のことだけではなく、この国の
   近代の精神史に、異様なゆがみをもたらしている。  2につづく

※ずっとInternet Explorerを使って書いていました。
 ある時からやたらと字が薄くなったので、投稿したものを
 全て太字にしました。
 今朝はじめてInternet Explorer以外を使ったところ、字が太くてでかい!
 これなら太字にすることもなかったと思いました。
 Internet Explorerもガラケーもなくなる運命にあるのでしょうか。
 私は二つとも好きです。

 だがInternet Explorerでは出来ないことが増えています。
 初めてオンライン診療を受けようとしても、Internet Explorer
 では出来ません。ツイッターも出来なくなりました。
 私は小学生の「かきかた」みたいに大きな字が苦手です。
 せめてガラケーだけは今のところ、死守するつもりです。

 そういえば、2018年に「ハタチ基金」に寄付をしようと
 したところ出来ませんでした。他のWebプラウザーを使うよう
 指示されたのですが、その時はその意味が分かりませんでした。
 今思うと、Internet Explorerが使えなかったのかもしれません。


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花びら供養 (2)

2020-06-29 07:00:01 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(5)うっかりテレビをひねると、タレントたちのしぐさ、表情、身につけているものの
   色も形も下品のかぎりである。日本人は世界の水準をこえて、その下卑さにおいて
   群を抜いているのではないか。子どもの学力や躾の無さは親や家のせいだろうから、
   戦後六十年かかってこの国は、精神のたががゆるんでしまったにちがいない。
   あらゆる意味で「美」と「徳」の基準を見失い、倫理社会から失墜してしまった
   としか思えない。政治家たちのむきだしの金銭欲はその象徴と思う。……

   この国の国民的痴呆化現象は、敗戦を機に、長い間の占領政策が功を奏してきた
   結果ではないか。戦前までは、日本的知性が庶民の間にもあったような気がして
   ならない。たとえば他家を訪(おとな)うときの腰のつつましやかさなどに。

(断っておくが、ここに書かれていることは、安倍氏たちが提唱する戦前の教育への
 回帰と全く違うものだ、念のため)

(6)水俣の受難の中にいてやりきれないのは、世界に類例がないといわれる症状に
   苦しむ人々への、地域住民からの惨酷な仕打ちであった。
   ここにいちいち書くにしのびないが、人間というものは特定の極限状況に置かれ
   れば、残虐さを発揮する本質を隠し持っているのかとおもう。
   たとえば戦争を起こすのに兵器産業が動き出す。平和時でも化学産業のある
   ところ、一種の生物兵器ともいうべき環境汚染物質が氾濫する。企業あるいは
   行政側は、たとえ人命がそこなわれようとも、当然出てくる負荷として、はじめから
   計上しているのではないか。兵器産業の目的は生命の殲滅と引き替えに利益をうる
   という意味で現代の悪魔である。これが野放しのまま世界の経済をあやつってきた
   中で、高度成長を押しすすめてきたわが国の拝金思想は民意をあやつって、
   弱者切り捨てが国民性のようになった時代に生まれたのが水俣病である。
   公式確認からでも五十年以上経つのに、原因物質の総量や致死量がどのくらい
   流されたのか、被害者の実態がどうなっているのか、チッソはもちろん国の政策
   でもはっきり後づけられなかった。

(7)後ろずさりしてゆく背後を絶たれ者の絶対境で吐かれたどんでん返しの大逆説が
   ここにある。かねてこの人はこうもいう。
   「知らんちゅうことは、罪ぞ」
   光に貫ぬかれた言葉だと思う。現代の知性には罪の自覚がないことをこの人は
   見抜いたにちがいない。不自由きわまる体で、あらためて、水俣病とそこに生じる
   諸現象の一切を、全部ひきうけ直します、と栄子さんは宣言したのだ。
   皆が放棄した「人間の罪」をも、この病身に背負い直すぞとも言っているのでは
   ないか。自分にむかって、迫害する者たちにむかって、世界にむかって、
   仲間たちに対して。

(8)この地方の無邪気で神話の中にいるような人たちに加えられた残虐この上ない行為を
   どう考えればよいのだろうか。国策としての高度経済成長が背後にあった。
   それはしかし、万を越す弱者たちを供儀(くぎ=いけにえ)とせねばならぬほど必要
   だったのだろうか。経済の成長とは世界に示すべきわが民族の徳目だろうか。
   なぜ人柱を立てた金を握って富裕層になりたかったのか。猫四百号がチッソ付属
   病院細川一氏や、別の猫が水俣保健所長の伊藤蓮雄氏によって発見され、
   熊本大学医学部研究班が重金属中毒という原因もはっきりさせた時点でなぜチッソ
   と国は患者のところにかけつけ、いたわり、治療に集中し、貧苦のどん底に落ちた
   家族の面倒を見なかったのか。それが人情というものではないか。
   一人を名乗り出させて家のほとんどすべてが、家族全員既に発病していた。
   この時点から考えれば、親子、兄弟、じいちゃんばあちゃん、すべての魚好きの
   家族たちが発病しているとみてよい。なにしろ食べる量がちがうのである。

(9)私の親の世代では、「後生(ごしょう)を願いに行く」という言葉があった。
   今の世ではなく、生まれ変わった後(のち)の世を願いに。お寺に詣ることをそう
   表現した。
   来世とは、現世に失望した人たちの考え出した言葉である。近作の二句である。

    来世にて逢わむ君かも花御飯(まんま)

   生まれ変わったら、あの人に逢いたい。その時は花御飯を差し上げましょう。
   四、五歳の女の子が、花をたくさん拾い、つわぶきの葉っぱに盛って客に
   もてなすままごとの歌である。

    闇の中草の小径は花あかり

   ご先祖様も、親の親も、直接の両親も果たせなかった荷物を、来世にゆけば、
   下ろしてよかろうか。こう考えて、暗い野の草の小径を行くと、向こうに幽かに
   一輪の花が見える。それを目指して、命のあかりとして歩んでいる。
   光とは、私にとって、そのようなものである。水俣病の患者さんたちが、
   「水俣病を、自分たちが病み直す。引き受ける」と言われたのも、そういう
   あかりである。それは、もはや生身の人間の言葉ではない。
   仏、菩薩の言葉のように聞こえる。
   生命(いのち)の中の生命が、仄(ほの)あかりになって、遠いところへ行く野道が
   照らされる。そういう草林の原風景を見たい。 3につづく

    
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花びら供養 (3)

2020-06-29 06:59:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(10)水俣病が発生した。聖なる供犠(くぎ)は閾値(いきち)を超えていた。
   チッソの調べでは、水俣市の人口二万七千六百七十一人。死者二千二百七十一人。
   水俣の特措法に基づく申請者三万五千三百九十九人、死者の実数はもっと
   たくさんいるだろう。初発から約半世紀、国も県も根本的な対策を立てようと
   しない。
   末世から地獄への道を示すような夏だった。

(11)不自由な体で、バスに乗って、バス代を払うのにお金を小銭入れから取り出す
   のも不自由で、車掌さんにそのお金をお渡しするのも不自由で、そういう思いを
   してお集りをなさって、月に一回集会をなさって、そんなふうな思いをして何年も、
   訴訟に踏み切って、まあ、ずいぶん隠しておられたそうですけれど、水俣出身で
   あることを。やっと今度判決が出るわけですけれど、人間の絆の崩壊と結び直し
   とがずーっと繰り返されてきて、それで、どういう判決がでるでしょうか。
   お体も不自由ですから、働き口もおありにならないですよね、満足な働き口は。
   この長い年月 ”お前さんたちは、この世にいなかったと思え”と言わんばかりの
   仕打ちでございましたよね、認定審査会の厳しい基準というのは。
   この世にいなかったと思えというふうに受け取られても言い過ぎではないような、
   歳月であったと思うんですよ。一日としてお金がなくては生きていけませんから、
   元気であっても。どんな思いでこの三十年を過ごされたのか、そのことをつくづく
   思います。

(12)私が思いますに、環境の世紀と言いましても、環境を汚すのは人間ですから、
   人間そのものが人類が体験したことのない毒素になっていると思わざるを
   えないんですね、私たち自身が汚染されているのではなくて、私たち人間が
   毒素になってきて、回りを、生物界を汚染していると思うんです。
   この事態をこのまま放置して水俣病はなかったことに、ほんの少し訴訟を
   思い切って打ち出した人以外の方々がいらしたことは、薄々みんな知っていて、
   知らなかったことにしてしまえば、私たちが毒素になっていますから、
   子どもたちが、殺し合うような国になっていくのは当然だと思うんですね、
   このまま放置しておけば。
   よほど、覚悟を決めて、いったい、この水俣病というのは何だったのか、
   何を私たちに示唆しているのか、全貌を全部調べ直すというのは無理かも
   しれませんけれど、いまならば、まだ間に合います。あの地域の、原田先生
   その他、水俣学に参加してくださっている方々の試算によると、それとなく隠して
   亡くなっていった人も含めて、二十万人ぐらいの被害というか、普通でない
   状態の人たちが死んでいったに違いない。それを追跡する最後の機会が、
   いま、来ているのではないかと思うんです。

(13)水俣のことを人さまにお願いするのに、なぜこうも心苦しいのか。ふつうに
   暮している人たちに訴えることで、その平穏をかき乱すにちがいないからである。
   しかしと、心をふるい起して考える。今まで水俣が体験してきた五十年間の
   ことは明日の皆さまの身の上でございますと。     (引用ここまで)



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色のない虹

2020-06-10 16:16:37 | ③好きな歌と句と詩とことばと
石牟礼道子さんの『〈句・画〉集 色のない虹』を読む。
画や俳句はなんの気負いも衒(てら)いもなく、作者を傍に感じることができました。
画はのびやかに描かれていて、句には短いエッセイが添えられています。。
石牟礼さんの句や言葉をPCに打ち込んでいると、まるで写経をしているような
穏やかな気持ちになれます。
だが年には勝てません。すぐに目と腰が痛くなり、長くは続けられません。
心に残る句や言葉を引用させて頂きます。

(1)亡魂とおもう蛍と道行す  (2016年4月9日)

(2)あめつちの身ぶるいのごとき地震くる   (2016年6月18日)

    私たち人間は、大前提として、悠久の宇宙的な時間に包まれています。
   それは、宇宙の摂理に従って生きる卑小な存在であるということです。
   その摂理にいくら反抗しても無駄だし、それは良くないことです。
   でも人間には、その大前提を忘れてしまう癖がある。
    私は天の声をつねに聞こうとしながら、生きてきたように思います。
    地震はとても怖いです。でもはるかな宇宙の時空にくるまれて生きる
   存在であることを感じると、人間の生死は小さな問題に思え、本当の
   意味では怖くなくなってくるのです。

(3)泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声   (2016年10月8日)

(4)わが道は大河のごとし薄月夜   (2016年11月19日)

(5)谷の道いまだ蕾めり梅一輪   (2017年2月25日)

(6)渚(なぎさ)にてタコの子らじゃれつく母の脛(すね)  
  (2017年3月11日)

    かつて、人間はを含むあらゆる生き物は、命の根源である海、山の恵みに
   抱かれ、今では考えられないほど幸福だったことでしょう。しかし近代の
   人間は、海も陸も着々と自分たちのものにし、利用するようになってしまいました。
   その結果起きたのが、水俣病です。

(7)汝(なれ)はそも人間なりや春の地震(なゐ)   (2017年4月8日)

(8)きょうも雨あすも雨わたしは魂の遠ざれき   (2017年6月10日)
           ※遠ざれきとは、魂がさすらって行方不明になるという意味。

(9)戦(いくさ)して赤いクレヨンもなくなりぬ   (2017年8月12日)

(10)朝の夢なごりが原はひかりいろ   (2017年10月14日)

    村人たちは、自分たちはいのちのにぎわいにあふれた世界に生きているという
   自覚があるのです。私は土手に迷い込んでは、その世界と一体化したいと思って
   いました。人間が嫌で嫌で、キツネになりたかったのです。

(11)モスリンの晴れ着着てまた荷を負いぬ   (2018年1月13日)

    年が改まり、また一つ年を重ねていくわけです。ただ、それは同時にまた
   一つ荷が重くなることでもあると、いつからか自覚したように思います。
   パーキンソン病を患ったこともそうですが、生きるとは荷を負うことだと
   実感しています。そういう生き方を私は選んでしまっているのでしょう。

(12)徒然(とぜん)のうなか イルカと漕ぎ出す晩の海   (2018年2月11日)
        ※徒然のうなかとは、寂しくない、孤独でないという意味。

(13)山しゃくやく盲しいの花のあかりにて   
       (可憐な画に、このことばが添えられています)

(14)顔なしの姫が笑えり波すすき   (1984年)

(15)のぞけばまだ現世かもしれず天の洞   (1986年8月12日)

(16)いつの世の声きかんとて花すすき   (1992年12月)

(17)わが海に入る陽昏しも虚空悲母   (1996年元旦)

(18)青梅の落つるや雨に紅さして   (2000年6月21日)

(19)前の世のわれなりや今ゆきし草の笛   (2006年6月8日)

(20)いつもより柿食べており母恋ひし   (2007年12月)

(21)目ざめては童女となりて母を呼びぬ   (2007年12月)

(22)花びらの吐息のごとし指先に   (2015年5月9日)

(23)一輪の緋の花ふるえ白象もゆく   (2015年)

(24)死化粧を嫋々(じょうじょう)として山すすき

(25)向きあえば仏もわれもひとりかな

※人疲れした時は、石牟礼さんのこの言葉を思い出します。
 「人間が嫌で嫌で、キツネになりたかったのです。」

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朗読の時間 中原中也

2020-02-22 10:50:22 | ③好きな歌と句と詩とことばと
図書館で『朗読の時間 中原中也』を借りる。
篠田三郎の清潔感のある声で聴いていると、心が静まりゆくようだ。
好きな詩を引用させていただきます。

(1)生ひ立ちの歌
      I
        幼年時
    私の上に降る雪は
    真綿のやうでありました
   
        少年時
     私の上に降る雪は
     霙(みぞれ)のやうでありました

        十七ー十九
     私の上に降る雪は
     霰(あられ)のやうに散りました

        二十ー二十二
     私の上に降る雪は
     雹(ひょう)であるかと思はれた

        二十三
     私の上に降る雪は
     ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

        二十四
     私の上に降る雪は
     いとしめやかになりました……
        
       Ⅱ

     私の上に降る雪は
     花びらのやうに降つてきます
     薪(まき)の燃える音もして
     凍るみ空の黝(くろず)む頃

     私の上に降る雪は
     いとなよびかになつかしく
     手を差伸べて降りました

     私の上に降る雪は
     熱い額(ひたひ)に落ちもくる
     涙のやうでありました

     私の上に降る雪に
     いとねんごろに感謝して、神様に
     長生したいと祈りました

     私の上に降る雪は
     いと貞潔でありました

(2)盲目の秋
        Ⅳ
     せめて死の時には、
     あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでせうか。
        その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや、
        その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや。

     ただ静かにその胸を披いて、
     私の眼に輻射(ふくしゃ)してゐて下さい。
     何にも考へてくれてはいや、
     たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

     ただはららかにはららかに涙を含み、
     あたたかく息づいてゐて下さい。
     ーーーもしも涙がながれてきたら、

     いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
     それで私を殺してしまってもいい。
     すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径(みち)を昇りゆく、

(3)骨
 
     ホラホラ、これが僕の骨だ、
     生きてゐた時の苦労にみちた
     あのけがらはしい肉を破って、
     しらじらと雨に洗はれ、
     ヌックと出た、骨の尖(さき)。

     それは光沢(つや)もない、
     ただいたづらにしらじらと、
     雨を吸収する、
     風に吹かれる、
     幾分空を反映する。

     生きてゐた時に、
     これが食堂の雑踏の中に、
     坐ってゐたこともある、
     みつばのおしたしを食ったこともある、
     と思へばなんとも可笑(をか)しい。

     ホラホラ、これが僕の骨ーーー
     見てゐるのは僕?  可笑(をか)しなことだ。
     霊魂はあとに残つて、
     また骨の処にやつて来て、
     見てゐるのかしら?

     故郷(ふるさと)の小川のへりに、
     半ばは枯れた草に立つて、
     見てゐるのは、---僕?
     恰度(ちゃうど)立札ほどの高さに、
     骨はしらじらととんがつてゐる。

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地の群れ、IT/イット THE END、夏物語、バイス、記者たち ②

2020-01-08 11:13:00 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(2)「IT イット ”それ”が見えたら、終わり。」を観る。

スティーブン・キングの小説を映画化したものだ。
観始めて15分で一旦停止した。更に10分観て、「このまま返してしまおうか」
と思った。それほど怖かった。(歳をとるとビビり度が増します)
だが試練だと思い、何度も心臓が止まりそうになりながら観た。
何なのだ、観終わった後のこの爽快感は!
「スタンド・バイ・ミー」を観た時のように切なく、また心がほっこりした。

登場する少年たちは、それぞれトラウマを抱えている。
その心の闇に、ペニー・ワイズ(クラウンの姿をした悪霊)が付け入る。
恐怖を膨らませ、破壊へと追いやろうとする。
いじめを受けている黒人の少年は、火事で両親を失った恐怖と呵責(かしゃく)を。
もう一人の少年もまた、弟を死なせてしまった後悔と呵責を。
だが私が一番興味を持ったのは喘息の少年と、父と二人で暮らす少女だ。

少年は発作が起きないようにと、生活のすべてを母親に支配されている。
その母親というのが、身動きするもしんどいくらいに太っていて、
家の中の椅子にすわって多くの時間を過ごしている。
そして「不潔なものは発作を起こす」、「外で仲間と遊ぶと発作を起こす」、と
少年を洗脳する。
”発作”という恐怖で少年をがんじがらめにして、自分の一部にしているようだ。
後に偽の喘息薬を飲ませていたことが分かる。

少女は父親に怯えている。
父親は少女に、「今も自分だけのものか」と常に問い詰める。
恐怖から、洗面所の排水口から髪の毛が逆流し、洗面所を一面真っ赤に
染め上げてしまう。だがこれは少女には見えても、父親には見えない。
その後、父親は少女に性的虐待をしていたことが分かる。
少女の恐怖が、洗面所を血の海にしてしまったのだ。
恐怖を具現化する映像は見事だ。

恐怖に付け入るペニー・ワイズに打ち勝つには、自らの恐怖と向き合って
闘わなければならない。
少年たちと少女は、それをやり抜いたのだ。

(3)夏物語

川上未映子著『夏物語』を読む。
543頁の、その1ページ、1ページが隙間のないほどぎっしり文字で
埋まっている。その分量に圧倒された。
だがのめり込むように読んでいくと、無駄な言葉が一語もないことに気づく。
祖母、母、姉、姪、そして主人公の貧しい暮らしが、まるで目の前で繰り広げられて
いるように感じる。
状況が想像を絶するものであっても、話の進行が普通では考えられないことであっても、
細部を緻密に描くことで、読者はぐいぐい話の中に引き込まれる。
すべての言葉に血が通っている。言葉に生活が宿っている。

『乳と卵』を読んだ時は分からなかったが、今回は川上さんの筆致に
度肝を抜かれ、すっかりファンになっていた。

(4)バイス

ジョージ・W・ブッシュ(子)の下で副大統領を務めた「ディック・チェイニー」を通して
9・11に続く【イラク戦争が間違いだった】ことを訴えている。
たとえ役者が扮しているとはいえ、実在の人物をこれほど赤裸々に描くことの出来る
アメリカ映画の懐の深さに感銘を覚えた。

(5)記者たち 衝撃と畏怖の真実

ロブ・ライナー監督のこの映画も、イラク戦争の大義名分であったはずの
【大量破壊兵器の保有】は間違いだった
、という真相を追い詰める
記者たちの物語だ。
アメリカに追随した日本は、イラク戦争に対してどのような検証を行い、
どのように責任を取り、また今後に活かしたのだろうか!


アメリカは、ベトナム戦争を題材にした映画も数多く作っている。
トランプの出現があるとは言え、日本とアメリカの民主主義の違いを
まざまざと見せつけられた映画だ。

恣意的に間違った情報を流し、愛国心に訴えて国民を扇動すれば、
戦争は簡単に起こり得る
、このことをイラク戦争を描いた
二つの映画は訴えている。

















(画像はお借りしました)

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地の群れ、IT/イット THE END、夏物語、バイス、記者たち ①

2020-01-08 10:57:27 | ③好きな歌と句と詩とことばと
昨年はお読みくださり、ありがとうございました。
今年はこれ以上戦争を起こさない年に、そして一日も早い退陣を願っています。

年末年始のニュース番組は(極端に削られ腹立たしい限りですが)、どの局も
駅で孫を出迎え、見送るおじいさん・おばあさんの姿を映し出していた。
何でこうも毎年、毎年、紋切り型なのだろう。
おまけにコメントは、「今年はオリンピック・イヤーなので明るい年にしたいです」

素直で善良な、前向きで疑うことを知らない人々。
難しいことや、ややっこしいこと、今のところ自分に直接関係のないことには
目を背け、新しいものや楽しいものを追い求める。
その方が楽だ。皆が一つになって応援し楽しむ。
オリンピックが近づくにつれ、ますますこの傾向が強まっていくのだろう。

確かにオリンピックは、世の中にはびこる【臭いもの】に蓋をするには
もってこいのイベントだ。
この白々しさに、あと何ヶ月耐えなければならないのだろう。

年末年始に読んだ、あるいは観た次の作品は、そこにあるものから逃げず、
目を背けず、ごまかさず、真摯に作り上げたものだ。
観るのも読むのも辛くなることがあったが、心をえぐられた作品だ。

(1)井上光晴著『地の群れ』と、熊井啓監督の同名作品を観る。

井上光晴のことは、映画「全身小説家」でしか知らなかった。
この小説は佐世保を舞台に、長崎原爆被害者、被差別民、炭鉱で働く
在日朝鮮人、バタ屋の住民など、差別された人々を描く。
そして差別された者同士が殺しあう。

映画では何十匹ものドブネズミの群れが象徴的に何度も描かれる。
地を覆うドブネズミの群れが、1羽の鶏を奪い合い喰いちぎる。
その上を米軍の戦闘機が悠々と飛び、海には原子力空母エンタープライズが
堂々たる雄姿を見せている。
1970年の映画だが、この関係性は今も何ら変わってはいない。
今年は鼠年だが、私は何度もこのドブネズミの群れの映像を
思い出すことになるだろう。             つづく
(『地の群れ』は、ほるぷ出版『日本原爆文学5』に入っています)













(画像はお借りしました)
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すべての、白いものたちの

2019-12-02 10:19:50 | ③好きな歌と句と詩とことばと
韓江(ハン・ガン)著『すべての、白いものたちの』を読む。
以前、ラジオ番組「荻上チキSession-22」で韓国文学を特集した際に、
この本を翻訳した斎藤真理子さんが初心者向けに薦めていたものだ。
韓江(ハン・ガン)さんは、ポーランドの翻訳家、ユスチナ・ナイヴァル氏に
ワルシャワに招待され、13歳の子どもと一緒に8月の終わりから晩秋までを
この地で生活することになる。

こうした知識は「あとがき」を読んで初めて知る。表紙の白いものも、後になってわかる。
削ぎ落された文章を淡々と描くことで、読者は想像を巡らしながら読むことになる。
 そして後になり、「あっ」とつじつまが合う。
歴史をふまえ、詩のひとつひとつがチェーンストーリーのようになっている。 
「白」を基調にした詩はどれも、つめたく美しく純度が高く、そして深く、
 私の心にすうっと入ってきた。
気に入った詩の中から一部を引用させて頂きます。
(好きな詩はたくさんあるのですが)

 ①白く笑う  
 白く笑う、という表現は(おそらく)彼女の母国語だけにあるものだ。
 途方に暮れたように、寂しげに、こわれやすい清らかさをたたえて笑む顔。
 または、そのような笑み。  
 あなたは白く笑っていたね。
 例えばこう書くなら、それは静かに耐えながら、笑っていようと  
 努めていた誰かだ。
 その人は白く笑ってた。  
 こう書くなら、(おそらく)それは自分の中の
 何かと決別しようとして  努めている誰かだ。

 ②白髪  
 鳥の羽毛のように髪が真っ白になったら昔の恋人に会いに行きたいと言っていた、
 中年の上司のことを彼女は思い出す。すっかり年をとって、一本残らず  
 完全な白髪になったら・・・・・・一度だけ会いたい。  
 もう一度あの人に会いたいときが来るとしたら、きっとそのとき。  
 若さもなく肉体もなく、  
 何かを熱望する時間がすでに尽きたとき。  
 邂逅のあとに残されたことはただ一つーーー体を失い、ほんとうの決別が来る、  
 そのことだけというとき。

 ③わかれ  
 しなないで しなないでおねがい。  
 言葉を知らなかったあなたが黒い目を開けて聞いたその言葉を、  
 私が唇をあけてつぶやく。それを力をこめて、白紙に書きつける。  
 それだけが最も善い別れの言葉だと信じるから。  
 死なないようにと。生きていって、と。       (引用ここまで)

   
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山海記(せんがいき)

2019-06-18 09:37:48 | ③好きな歌と句と詩とことばと
佐伯一麦(かずみ)著『山海記』を読む。
仙台で東日本大震災を経験した作者は、水辺の災害の記憶を訪ねる旅に出る。
次の文章から、日本は災害大国であることを改めて思い知る。

「時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千六百年ほどの間に、
 死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、
 均せば少なくとも十年に一度の勘定にはなると知ると、
 どういう国土に住んでいるんだ、と彼は嘆息を洩らした。
 いっぽうで、曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた
 者たちの末裔である、という思いも兆した」

2011年八月から九月かけて台風12号により紀伊半島を襲った大水害をたどって、
彼は奈良県十津川村へとバスの旅をする。
土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した
場所に付けられる。
かつては東京目黒区にも蛇崩(じゃくずれ)という地名があった。

また次の言葉から、災害はどこでも起こりうることが分かる。

「東日本大震災後に、江戸時代に仙台藩が飛砂や塩害を防ぐために防潮林として
 植えてきた黒松や赤松は、潮風や痩せ地でも根を深く張り、生長も早いものの、
 土壌保持力が小さいために津波には弱かったと言われ、広葉樹が混成する
 森こそが防潮林にふさわしい、という声が上がっていたことを思い出したりした
 ものだが、その後に深層崩壊のことを調べてみて、地殻変動によって生まれた
 日本列島の成り立ちそのものに由来する災害であることを知らされると、
 地震や噴火とともに、自然の猛威を克服することは人知を超えている、と
 思わざるを得なかった。
 そして、この国では、どこに住んでいようとも、一生の間に一度は大きな厄災に遭う
 ことを覚悟しなければならない、という思いを東日本大震災の後に強く抱くように
 なったが、図らずもそれを象徴している場所に、知らず知らずのうちに
 引き寄せられるようにしてやって来た、と改めて痛感させられた」

2011年の台風12号による記録的な豪雨は、紀伊半島に激甚な被害をもたらした。
当時私は短歌をしており、次の歌に息を呑んだ。
吉野の山中に住んでいらした、なみの亜子さんの歌を引用させて頂きます。

 身をかたくしおるか谷は増水の川に全身打撲せられつ  なみの亜子


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ウルジマラ(泣くな!) (1)

2018-09-04 06:04:19 | ③好きな歌と句と詩とことばと
俳句ブームとやらで、図書館には俳句コーナーが設けられていた。
その中で一際目を引いた表紙が、姜琪東(カン・キドン)の句集
『ウラジマラ(泣くな!)』だ。
姜さんは、1937年に高知県で生まれた。その後も日本で育ち、日本人と結婚し、
日本人として生活している。
ハングルも話せないし、韓国には旅行でしか行ったことがない。
それなのに、在日コリアンとして差別を受けながら暮らしている。
あとがきの一部を引用させて頂きます。

「結局、これが在日のおかれている現実なのだ。【在日】という言葉が存在する限り、
 在日コリアンがこころから笑い合える日は永遠に来ないのだ。
 ――いまはそんな心境である。

 『ウルジマラ』とは『泣くな』という韓国語である。朝鮮民族は悲しいとき辛いとき
 拳(こぶし)で大地を叩いて『哀号(アイゴー)』と哭(な)く。
 声を上げて泣くことが悲しみをやわらげる唯一の手段であることを長い歴史の間で
 身につけてきたのだ。差別の壁のなかで彷徨(さまよ)う在日コリアンは、
 これからも『アイゴー』と嘆き『ウルジマヨ』と慰め、唇を噛んで生きていくしかないのだ。
 2006年2月7日」 (引用ここまで)

私は歴史をよくは知らないが、稲作や仏教は朝鮮半島からもたらされたのではなかったか。
日韓併合で韓国を植民地にし、名前や言葉を奪ったのは他ならぬ日本ではなかったか。
産まれた時から持っている名前や言葉を奪われることが、どんなに哀しく、
どんなに屈辱だったかは、普通の想像力があれば解るはずだ。
また、多くのコリアンを強制連行して、炭鉱などで働かせたのは日本人ではなかったか。
日本兵とともに太平洋戦争で戦わせ、負傷しても戦後何の補償もしなかったのは
日本政府ではなかったか。

ネットでは誰それは在日だと、まるで鬼の首を取ったように書く人がいる。
これでは魔女狩りと同じではないか。
お互いに、まずは知ることから始めよう!
次の小池都知事の行為は、公人として赦せないものがある。
偏見に捉われず、まずは学ぶことから始めたらいかがですか。
               ↓
①「小池氏、虐殺にあいまい発言 朝鮮人犠牲者への追悼文見送り
  8月31日 朝日新聞デジタル」

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13658194.html?_requesturl=articles%2FDA3S13658194.html&rm=150

①-2「関東大震災“朝鮮人虐殺”を黒澤明、丸山眞男、志賀直哉らも証言!
   小池百合子はこの紛れもない史実を今年も封殺

    9月1日 LITERA」

http://lite-ra.com/2018/09/post-4221.html


※心に残った句を引用させて頂きます。

(1)  高知にて 二句
   ふるさとは蕗(ふき)の薹(たう)ほどほろにがし

(2)生国(しやうこく)にして他国なり葱坊主(ねぎばうず)

(3)チマの裾触(ふ)れてこぼるる雪やなぎ

(4)  妻は日本人
   味付(あぢつけ)の和風韓国芹(せり)料理

(5)  退職
   職を捨て通名(つうめい)を捨て青き踏む

   ※通名 1939年、日本が植民地支配のため創氏改名を公布。
       朝鮮固有の姓を奪い日本式改名を強要した。
       45年8月の解放後も民族差別等のため今もまだ創氏改名を通名として
       使っている在日コリアンは90%を超える。

(6)春の雪李朝(りてう)箪笥(たんす)のにほひけり

(7)梅漬ける生れたときから在日で

   ※韓国人は梅干を食する風習は無い。せいぜい漢方薬として利用する程度である。

(8)洗濯のオモニに蹤(つ)きて夏川へ

   ※オモニ 母親

(9)初めて聴く祖国の国歌蟻走る

(10)  少年の日
   瘠せつぽの朝鮮瓜(うり)と呼ばれけり

(11)  回想
   貧しくて兄弟(ヒョンジェ)仲よき水遊(みづあそ)び

(12)老爺(ハラポジ)の沖見て涼む長煙管(キセル)

(13)祭笛デラシネわれの独(ひと)り酒
    
    ※テラシネ 故郷喪失者。「根なし草」の意のフランス語。

(14)オモニ逝(ゆ)き真ッ赤に熟(う)るる唐辛子(たうがらし)

(15)玄海を見おろす丘や墓洗ふ

(16)ちちははの出自(しゆつじ)は知らず墓洗ふ

(17)銀漢(ぎんかん)のなだるる真下わが母国

(18)月仰ぐ母国に親旧(チング)あらざりき

    ※チング 友だち

(19)  朝鮮が日本帝国主義の植民地であった時代、朝鮮半島の地図は
      日本列島と同じく赤い色で塗られていた。 二句
    半島地図真ッ赤に塗(ぬ)られ唐辛子(たうがらし)

(20)血の色の半島地図や秋の風            2につづく
               


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ウルジマラ(泣くな!) (2)

2018-09-04 06:03:40 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(21)  わが祖国は……
   「哀号(アイゴー)」と千年哭(な)きぬ白木槿(しろむくげ)

    ※哀号 朝鮮語の感動詞。悲しいとき、嬉しいときなどに「アイゴー」と
     声を上げて感情を表現する。

     木槿 韓国の国花。無窮花(ムグンファ)。一つ一つの花は、朝咲いて
     日暮れにしぼむが、1本の木は次々に花を咲かせることから、滅びる
     ことのない民族の願いをこめたのである。

(22)銀漢(ぎんかん)や名奪(うば)はれしは昨日(きぞ)のこと

(23)日本語を忘れし老女(ハルメ)ひなたぼこ

(24)風雪の皺ふかき顔白菜(ペチゥ)洗ふ

(25)豚の頭(づ)の並んでわらふ冬市場(シジャン)

(26)虎落笛(もがりぶえ)半日本人(パンチョッパリ)は身をすくめ

    ※パンチョッパリ(半日本人) チョッパリとは蹄(ひづめ)の割れた動物
     のこと。下駄をはくとき足の指をひらくことから、日本人を罵(ののし)る
     語として使われる。転じてパンチョパリは日本人化していった”在日”の蔑称。

(27)帰属する国を喪(な)くして日向(ひなた)ぼこ

(28)日本名名のりし悔(くい)の寝酒かな

(29)竹山(ちくざん)の「アリラン」激し雪激し

    ※竹山 津軽三味線奏者の初代高橋竹山。

     アリラン 朝鮮の代表的な民謡

(30)ぬかづくは詫(わ)ぶることなり霜墳墓(ふんぼ)

(31)「棄民(きみん)」てふ語を知りし日や鳥帰る

(32)山笑ふひとつおぼえの「ケンチャナヨ」

    ※ケンチャナヨ 「大丈夫ですよ」「気にしないで」など、
     いろいろな状況で使う。

(33)  ハングル教室
    一語づつウルマルふゆる豆の花

    ※ウルマル 母国語

(34)  慶州(キョンジュ)二句
    いにしへの春月浮かぶ古墳群

(35)巫女(ムーダン)の床(ゆか)叩き哭(な)く春の燭(しょく)

    ※ムーダン シャーマン。霊媒。

(36)韓の血のうすき孫(まご)抱く鯉幟(こひのぼり)

(37)  高知にて 二句
    うぶすなは自国にあらず蝉時雨

(38)うぶすなに友垣(ともがき)のなく草矢(くさや)打つ

(39)焼酎(ソジュ)酌(く)むや前科もつかず生きのびて

(40)母国語に遠く暮して白絣(しろがすり)  3につづく



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ウルジマラ(泣くな!) (3)

2018-09-04 06:02:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(41)倭(わ)の国に生(あ)れしが科(とが)や白地(しろぢ)着て

    ※倭 中国・朝鮮で用いられた日本の古称。やまと。

(42)玄海を祖霊(それい)さまよふ夏の月

(43)  あの日から60年(2005年)
    八月や「もう忘れろ」と誰(たれ)に言ふ

(44)在日は色なき風よひそと栖(す)む

(45)燕(チョビ)帰るアリラン峴(コゲ)の空めざし

(46)永住権更新(かうしん)の日や燕(チョビ)帰る

    ※戦前から日本に居住している在日韓国人・朝鮮人には「特別永住資格」が
     与えられている。ただし7年ごとに「外国人登録証明書」の切替申請
     をしなければならない。

(47)鯊(はぜ)釣りに外人証を携(たづさ)へて

    ※「外国人登録証明書」は常に携帯し、官憲の要求がある場合は提示
     しなければならない。

(48)砧(きぬた)打つて腰の曲がりしチマの婆

(49)寒月や遠吠(とほぼ)えのごと祖国恋ふ

(50)  対馬海峡を祖国では「朝鮮海峡」と呼ぶ。
    海峡に二つの呼び名雪荒(すさ)ぶ

(51)  アポジの回顧談
    片道の玄界灘はしまきけり

(52)雪降つても降つても黝(くろ)き怨(オン)の灘

    ※「恨」と「怨」 「恨(ハン)」は自分の内にこもる感情。
     「怨(オン)」は他者対する怨念。
     韓国の評論家李御寧(イ・オリョン)氏は「怨みは火のように炎々と燃えるが、
     恨みは雪のように積もる」と説明している。

(53)在日の肚(はら)をくくつてちやんちやんこ

(54)「嫌(けん)」と「反(はん)」はざまに生きて屠蘇(とそ)を酌(く)む
    (引用ここまで)


今は戦前か!と読みながら腹立たしくなった。
 もっとも戦前を規範にしたい政治家も多いようだが……。
 在日コリアンの方たちが、今もこのような差別を受けていて、
 何がグローバルだ!と言いたい。

 安室奈美恵さんが、沖縄に対する思いをコメントという形でお出しになった。
 それを読んだ人の信じられない言葉が載っていた。
 歴史も言葉も知らず、ただネットに群れて、流されるのはかっこ悪いよ!
 一人になって、もっと幅広く勉強しようよ。
 
 
①「翁長氏悼む安室さんに【反日なの?】 沖縄を見る目の今
  9月3日 朝日新聞デジタル」

https://digital.asahi.com/articles/ASL80745HL80UCLV00M.html?_requesturl=articles%2FASL80745HL80UCLV00M.html&rm=1291

※記事の一部を引用させて頂きます。

安室さんの言葉
沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた知事のご遺志が
 この先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される
 沖縄であることを願っております


ネット上の言葉
「安室が翁長支持で現れたのは、驚きでした。安室って、反日なの?」(引用ここまで)



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最終獄中通信 (1)

2018-08-22 06:56:30 | ③好きな歌と句と詩とことばと
大道寺将司著『最終獄中通信』を読む。
大道寺さんは、三菱重工爆破事件などで死刑判決が出た人だ。
日本の死刑囚は判決が確定すると同時に、家族、弁護人を除いて
友人・知人と交流が出来なくなるそうだ。
そこで「大道寺将司くんと社会をつなぐ交流誌 キタコブシ」が発行された。
そこには大道寺さんの手紙というかたちで、30年間のさまざまな交流や
社会の出来事とそれに対する彼の考え、そして獄中での生活などが描かれている。

何度も書いているが、私は2012年の第二次安倍内閣まで、政治・経済に
全く関心がなかった。新聞も飛ばし読みしていたので、政治や経済、社会の動きに
対しては断片的な知識しかない。
この本では1997年から亡くなる2017年までを、彼の目を通して
日本のさまざまな出来事が見えてくる。
知らなかったことも多く、日本という国を知る上で役に立つ。
何の雑音もない獄中だからこそ見えてくるものがあるようだ。
驚きや発見の文章を引用すると膨大な文字数になるので、その中の一部と
気に入った俳句を引用させて頂きます。

1、ゲバラ忌や小声で歌ふ革命歌

2、独房の点景(てんけい)とせむ柿一個

3、囚人(めしゅうど)の残飯殖(ふ)ゆる油照(あぶらでり)

4、ここでは、ぼくと同じ立場の死刑囚ロバートとのインタビューで気づいたことに触れます。
 著者が、「死刑囚でも変わることが断定できる?」と問うと、ロバートは、
 「全員とは言い切れない。変われない人だっているさ。
  変わらないという選択をみずからする人がかならずいるものだ。」と答えます。
 同感です。そしてそれは死刑制度があり、彼(女)が、死刑囚とされたが故に
 変われないのだと思います。死刑を宣告されて一切の希望をなくし、
 自己変革の意欲を失ってしまうこと、また死刑を受け容れることで自分の犯した
 殺人の罪悪感を「消し去って」しまうからでしょう。死刑はそうような思想的頽廃を
 もたらすのです。(1999年3月29日)

5、君が代を齧(かじ)り尽(つく)せよ夜盗虫(よとうむし)

6、蟻(あり)地獄後戻りする戦前に

7、余寒(よかん)なほ舎房に響く施錠音(せじょうおん)

8、干蒲団(ほしぶとん)死者に貰(もら)ひし命かな

9、石原慎太郎の「三国人」発言が報じられましたが、失言などではなく確信犯としての
 排外主義です。関東大震災の際の朝鮮人大虐殺という事実を知りながら、
 「外国人が凶悪事件を繰り返しており、大きな災害時には騒擾(そうじょう)事件が
  想定される」から自衛隊の治安出動が必要などというのは、かつての権力者と同じ
 発言です。しかも、漫画家やTVキャスターなどではなく、都知事の発言ですから
 どうしようもありません。そして、石原が日の丸排外主義者であるのが明らかなのに、
 彼を知事に選んだ都民が百数十万人いたわけですからね。
 (2000年4月18日)

10、シンキロウ(森喜朗)というのはマッチョなだけかと思っていましたが、
  「日本は天皇を中心とする神の国」発言には呆れました。
  でも、「第三国人」発言の都知事石原も、ともにかつての青嵐会のメンバーです。
  (2000年5月19日)

(※参考までに青嵐会(せいらんかい)の趣意を付け加えます。weblio辞書より)
  趣意
 1.自由社会を守り、外交は自由主義国家群との緊密なる連携を堅持する。
 2.国民道義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。
 3.勤労を尊び、恵まれぬ人々をいたわり、新しい社会正義を確立するために、
  富の偏在を是正し、不労所得を排除する。
 4.平和国家建設のため、平和は自ら備えることによってのみ獲ち得られるとの
  自覚に則り、国民に国防と治安の必要性を訴え、この問題と積極的に取り組む。
 5.新しい歴史における日本民族の真の自由、安全、繁栄を期するために
  自主独立の憲法を制定する。
 6.党の運営は安易な妥協、官僚化、日和見化の旧来の弊習を打破する)

11、雨の朝捕へられたる五月(ごがつ)かな

12、生くる日の日課をこなす夜の秋

13、右腕に食器口(しょっきこう)より隙間風

14、凍(い)てゆるむ大地に死者の呻きあり

15、風船の黄泉(よみ)から戻る途次(とじ)ならむ

16、それから、辺見さんは、死刑囚は「記憶に日夜さいなまれる者」であるとお書きですが、
  まさしくそうです。娑婆から断ち切れられてしまったのでそうならざるを得ないのですが、
  それだけではなく、どうしても記憶を反芻し、それと向き合わないわけには
  いかないのです。(2001年4月10日)

17、そのうえで、辺見さんから、タイトルが辞世めく、生き抜いて句を詠み続けよと
  叱咤されました。ありがとうございます。安易に刑死に逃げ込むことなく、
  死刑と対峙しつづけます。(2001年5月15日)

18、炎天や愚痴をこぼさぬ毛物(けもの)どち

19、雲の嶺絶顚(ぜってん)にして崩れけり

20、小泉がと言うべきか、日本政府がと言うべきか、実に愚かです。
  米軍による報復攻撃への自衛隊の支援を宣言し、早速、自衛隊の戦艦が
  米空母に随伴しました。あたかも米空母の露払いと太刀持ちであるかのような
  自衛隊戦艦の随伴図は、日本が米軍の衛星国、傀儡であることの反映です。
  米軍への支援は”主体的判断”であると小泉は強調していますが、
  そのように言い立てれば言い立てるほど、日本政府が米国の言いなりになり、
  忠勤を励んでいることを物語るものでしかありません。
  仮に、主体的な判断だとすれば、米軍に随伴してアフガニスタンなどに
  武力攻撃ことが正しいと判断したというわけですから、その根拠をそれこそ
  主体的に示すべきですね。コバンザメのように米軍に追従するのは反日感情を
  煽ることになるでしょう。 (2001年9月22日)   2につづく



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最終獄中通信 (2)

2018-08-22 06:55:47 | ③好きな歌と句と詩とことばと
21、アフガンの秋農民の瘠せ骸(むくろ)

22、寒星(かんせい)や難民の子のひた見詰め

23、有事法制関連三法案が閣議決定されました。これは戦争をするための法律です。
  政府・与党は「戦争のできる国」作りのための布石を着々と打ってきましたが、
  有事法制はその仕上げというべきでしょう。であればこそ、この法律はなんとしても
  つぶさなくてはなりません。これまで負け続けてきたが故になおのこと。
  有事法に賛成の”識者”は、「戦前に戻ることはありえないから」などとおめでたい
  ことを言ってましたが、戦前に戻らなくても戦争は出来ます。なんでもアメリカの
  ようになればいいと思っているのでしょうが、そのアメリカは最も好戦的な侵略国
  であることをわかっているのでしょうか。(2002年4月17日)

24、ふりむけば白虹(はっこう)今し立ちあがる

25、往古より鳴き継がれたる蝉の声

26、窓狭き古き囚獄(ひとや)を西日責む

27、また5人の閣僚が靖国神社に参拝したようです。どんなにきれいごとを並べても、
  かつての天皇制軍国主義を懐かしみ、美化することにほかなりません。
  死者を悼むのであれば、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で行えばいいのですから。
  靖国神社は、あらゆる価値を天皇に一元化する近代天皇制の成立とともに、
  天皇のために忠死した戦没者を神として祀り、顕彰する招魂社から成ったものですが、
  境内で競馬や大相撲の興業が打たれるなど実に俗な場だったことを
  参拝者たちは知っているものやら。(2002年8月15日)

28、空つかむごとからびたる油蝉

29、永六輔氏が、拉致に関連して、「向こうが認めたとき、小泉さんも『むかし
  日本も申し訳ないことをしました』と訴えるべきだった」とラジオ番組で話したら、
  けしからんと反響が殺到したとか。永氏の感覚は実にまっとうなものです。
  この程度の発言さえも認めないというのでは、あまりに視野狭窄です。
  一連の北朝鮮関連報道で誰よりもいたたまれぬ思いをしているのは、
  北朝鮮の現体制を支持するしないにかかわらず、在日の人々であるに
  違いありません。在日の子どもたちを襲撃したり、脅迫するような者たちは
  どうしようもないかもしれませんが、永氏に抗議するTVや新聞で煽られた”正義派”
  には、そのことをよく考えてもらいたいものです。(2002年10月23日)

30、いなびかりせんなき悔いのまた溢(あふ)る

31、死はいつも不意打ちなりし十二月

32、紙小屋に吾も寝(い)ねけむ虎落笛(もがりぶえ) 
                ※紙小屋は野宿する場所のようです。

33、文科省は、インターナショナルスクールの卒業生には大学受験資格を与えるが、
  朝鮮学校や韓国学校などの民族学校の卒業生には受験資格を与えない
  方針とか。愛国教育を推し進めようとしているのだから民族学校を差別して
  構わないということか。アメリカの顔色ばかり窺う外務省に右へならえということか。
  腹立たしいことです。民族学校に通う子どもたちのほとんどは日本で生まれ、
  卒業後も日本で生活します。それなのに受験資格を与えないのは政治的な
  差別以外の何物でもありません。民族学校に通う子どもたちに対する差別や
  迫害をやめさせるべき立場にある者たちが率先して差別するのですから、
  一体なんという国なんでしょうか、日本は。(2003年2月21日)

34、うつろひて高みに消ゆる朧月

35、揺れやまぬ生死(しょうじ)のあはひ花芒(はなすすき)

36、風音(かざおと)の慟哭となり春逝けり

37、青簾(あおすだれ)向かうに若き母の居て

38、一塊の雲に気息(きそく)や秋めきて

39、枕辺に手擦(てずれ)の文庫寒昴(かんすばる)

40、人体のごと綿雪の墜ちゆけり

41、朝日新聞が、NHKが自民党の安倍晋三、中川昭一両議員の圧力で教育テレビの
  放送内容を改変したと報じたことに対し、NHKのラジオニュースは、捏造だという
  安倍の発言も含め、長々と反論コメントを流しています。件の教育テレビとは、
  旧日本軍の慰安婦制度の責任者を裁く「女性国際戦犯法廷」を取り上げ、
  戦時性暴力が「人道に対する罪」として問われるようになった歴史的な流れを
  追ったものということですから、安倍や中川は当然にもクレームをつけたことで
  しょう。そして、NHKの体質からして彼らに屈するのは目に見えています。
  内部告発者の存在とその発言内容については触れないことと合わせ、
  NHKの朝日批判、反論は信用できません。(2005年1月17日)

42、あやまちし人の視線や寒の闇

43、たまゆらの震(ふる)へ青葉の歓喜かな

44、胸底をますほに染むる遠花火  ※ますほ(真赭)=赤い色

45、ぼくも写真のお墓に合掌しましたが、墓誌の「昭和四十九年八月三十日
  三菱重工爆破事件に遭遇し歿す」と刻まれた文字から目が離せませんでした。
  胸が塞がる思いです。
  「加害者は自分の行為によって自己実現をしたのである。しかし、犠牲者のほうは、
   自己実現を望んできたとしても、またいまも望んでいるとしても、加害者の
   行為によってその可能性を奪われている」。これは、『失われた記憶を求めて』に
  引用されているヴォルフガング・シュミットバウアーの言葉ですが、
  被害に遭われた方々の無念さと向き合い続けなくてはなりません。
  (2005年9月15日)  3につづく



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最終獄中通信 (3)

2018-08-22 06:55:24 | ③好きな歌と句と詩とことばと
46、新閣僚の就任会見で死刑の執行印を押さないと発言し、1時間後に
   前言を撤回した杉浦法相は、翌日、親鸞の悪人正機説「善人なほもて往生をとぐ、
   いはんや悪人をや」をあげて、改めて「(死刑囚であっても)命を奪うことは
   許されぬ」と述べたそうです。
   法務官僚は言うに及ばず、死刑在置派からの抗議や非難が集中したでしょうに、
   それでもこうした発言をするというのは彼の信念がなまなかのものではない
   ということです。何とか法相在任中、その信念を貫いてもらいたいものです。
   そして真に改革の名に値すべき死刑廃止に向けて一歩でも進めて
   もらいたいものです。(2005年11月17日)

47、花冷えや罪業(ざいごう)てふ身の火照(ほてり)

48、東京都教委は、公立学校の卒業式で「日の丸」に向かって起立し、
  「君が代」を斉唱するという職務命令に違反したとして教職員33人を懲戒処分
  しましたが、こんなことで停職3か月とか1か月という人がいるのですから
  常軌を逸しています。
  「国旗、国歌法」成立時、政府は教育現場で強制はしないと言っていたのに、
  この有様です。今、政府、与党は「教育基本法」を改定し、「愛国心」を含めよう
  としています。その行きつく先がどうなるか今から見えるではないですか。
  「愛国心」を物差しにして教師や生徒を評価し、また、在日の人たちには一層の
  生き難さを強いるものになるでしょう。
  政府、与党の偏狭なナショナリズムはどうしようもない。(2006年4月12日)

49、共謀罪の件で、せめてフランスの10分の1くらいの規模のデモがあって
  しかるべきではないだろうか、新聞だって遅まきながらその問題が明らかにされて
  いるのにと言ったら、今の学生はほとんど新聞を読んでいないのだとか。
  早大ではビラ撒きで、法大では立て看板取り付けで逮捕される時勢だから、
  せめて新聞ぐらい読んでくれないと。デモひとつだになきぞかなしき、です。 
  (2006年5月12日)

50、刑事裁判に信頼が置けるとは到底言えないし、ひとたび死刑判決を受けたら
  その判決を覆すのは至難の業ですが、だからといって諦めなくてはならないと
  いうことにはなりません。
  冤罪という、あってはならないことに対して、死力を尽くして立ち向っていくべきです。
  そうでなくては光明を見出すことはできないでしょうし、4人の元死刑囚の
  無罪出獄こそ何よりもそのことを証しています。(2006年5月)

51、朝日新聞によると、日中戦争で捕虜になった中国人兵士(国民党軍も
  共産党軍も)を中国東北部(満州)に連行し建設現場で、「特種工人」として
  働かせるため、旧日本軍が1943年に作成した極秘の取扱規定が見つかったとか。
  賃金を各部隊が一括保管して本人に支払わないことを明記するなど、
  中国人強制連行、労働の実態を明らかにするものです。
  折しも、自民党では、強制連行、労働についての「河野見解」の見直しをする、つまり、
  国として責任を負うべきものはなかったとする動きがあると報じられていますが、
  今回発見された文書は、そうした姑息な侵略、強制連行隠しを厳しく批判するもの
  になるでしょう。(2007年1月8日)

52、ひとゆるぎして凍雲(いてくも)の溶けはじむ

53、日本の植民地支配に抗して朝鮮民衆が蹶起(けっき)したのは1919年の
  今日でした。それだからでもあるのでしょうか。当時の朝鮮軍司令官だった
  宇都宮太郎大将の日記、書簡などが公表されたとか。日本兵が30人の朝鮮人を
  教会に閉じ込めて虐殺し、証拠湮滅のために焼いた堤岩里事件について、
  宇都宮日記はその事実を認め、しかしながら影響を考慮して、否認、隠蔽を決めた
  経緯などが綴られている由。第一級の資料と言えるでしょうか。
  堤岩里事件について実際がどうだったかについては既に知られていますが、
  この国では学者も政治家も、強制連行はなかったし、従軍慰安婦は「つくりごと
  などと繰り返し公言し、それがまかりとおるだけに、宇都宮日記の持つ意味は
  小さくないでしょう。(2007年3月1日)

54、頽(くづ)ほれし杭(くい)の墓標や雪しまき

55、民草を国家屠(ほふ)るや春の塵

56、当年の芽立ちも知らず逝きにけり

57、病み伏しの狭き視界や霜の朝

57、国連人権高等弁務官は、日本政府に対し、事前に本人や家族に執行が知らされて
  いないことは非人道的であり、75歳の池本さんの執行は正当化できないと
  批判し、そのうえで、死刑執行の停止を求める声明を出しました。
  鳩山法相は死刑は内政問題だと躱(かわ)しましたが、国際社会からの批判には
  真摯に向き合うべきです。
  死刑執行の速やかな停止を!(2008年2月) 4につづく



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