昨年の7月から,原則として毎朝,体重計で自分の体重をチェックしている。
体重を量るときのポイントは,おそらく「毎日同じ時刻に量る」という同時刻性であるが,僕の生活リズムは不規則なため,「朝起きてシャワーを浴びる前に量る」という同イベント性とでも言うべき,一日の作業の流れの中で,体重を量るという行為が定位置を占めるという形式でやっている。
現在,僕は太り気味なので,体重が減っていると嬉しい。
そのため,現在の体重の「最小値」に出来る限り近づけるため,室温が5℃を切っていようがいまいが,パンツ一丁になって体重計に乗る。
(さすがに室温が2℃や1℃くらいのときは,仕方無しに寝巻き姿のまま量ったこともあるが。その際は測定値を補正するために,寝巻きの重さをあらかじめ量っておく必要がある。)
さらに,体内の不要物(ありていにいえば排泄物)を出来るだけ排泄した状態で量るように心がけている。
もっと体外に排出できるものはないだろうか?
そうだ,息を出来るだけ吐いて,肺の中の空気分の重さだけでも減らせばよいのではないだろうか!
この考えは最近思いついた。
ところで,肺の中の空気の重さはどのくらいなのであろうか?
肺の中の空気の重さを量る方法として,次のような測定法を考案し,実行した:
『息を限界まで吸い込んだときと,息を限界まで吐き出したときのそれぞれの状態での体重を測定する。』
このとき,息を吸い込んだ場合の体重と息を吐き出したときの体重の差が,肺の中の空気の重さになる。
(もちろん,肺の中の空気を全て吐き出せるわけではないだろうが,肺の中の空気の重さの目安にはなる。)
結果はどうだったかというと,どちらの場合も同じ数値であった・・・。
まあ,そりゃそうだわな。
なお,僕の場合,空気なんかに気を使うよりも,もぐちゃんの動向に注意を払う必要がある。
お,体重が急に2kgほど増えてしまったぞ?!と思ったら,体重計にもぐちゃんが前足を乗っけている,なんてことがしょっちゅうある。
だからときどき,もぐちゃん+僕の体重を量ってしまう。
もぐちゃんを牽制しながら体重を量るのは一苦労である。
体重を量るときのポイントは,おそらく「毎日同じ時刻に量る」という同時刻性であるが,僕の生活リズムは不規則なため,「朝起きてシャワーを浴びる前に量る」という同イベント性とでも言うべき,一日の作業の流れの中で,体重を量るという行為が定位置を占めるという形式でやっている。
現在,僕は太り気味なので,体重が減っていると嬉しい。
そのため,現在の体重の「最小値」に出来る限り近づけるため,室温が5℃を切っていようがいまいが,パンツ一丁になって体重計に乗る。
(さすがに室温が2℃や1℃くらいのときは,仕方無しに寝巻き姿のまま量ったこともあるが。その際は測定値を補正するために,寝巻きの重さをあらかじめ量っておく必要がある。)
さらに,体内の不要物(ありていにいえば排泄物)を出来るだけ排泄した状態で量るように心がけている。
もっと体外に排出できるものはないだろうか?
そうだ,息を出来るだけ吐いて,肺の中の空気分の重さだけでも減らせばよいのではないだろうか!
この考えは最近思いついた。
ところで,肺の中の空気の重さはどのくらいなのであろうか?
肺の中の空気の重さを量る方法として,次のような測定法を考案し,実行した:
『息を限界まで吸い込んだときと,息を限界まで吐き出したときのそれぞれの状態での体重を測定する。』
このとき,息を吸い込んだ場合の体重と息を吐き出したときの体重の差が,肺の中の空気の重さになる。
(もちろん,肺の中の空気を全て吐き出せるわけではないだろうが,肺の中の空気の重さの目安にはなる。)
結果はどうだったかというと,どちらの場合も同じ数値であった・・・。
まあ,そりゃそうだわな。
なお,僕の場合,空気なんかに気を使うよりも,もぐちゃんの動向に注意を払う必要がある。
お,体重が急に2kgほど増えてしまったぞ?!と思ったら,体重計にもぐちゃんが前足を乗っけている,なんてことがしょっちゅうある。
だからときどき,もぐちゃん+僕の体重を量ってしまう。
もぐちゃんを牽制しながら体重を量るのは一苦労である。
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