担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

実数は実数ではない。

2024-03-24 16:19:33 | mathematics
言葉遊びの一種である。

「実数」とは何かをきちんと規定するのは特に 19 世紀の後半に人類がようやく到達した境地であり,しかもそれなりにちゃんと理解するのは案外大変なので,素朴に「数」と置き換えてもよい。

次のような問答を考えてみよう。

LO : ねぇねぇ,2 って実数?

CC:ええ,実数ね。

LO:じゃあ,-0.57 は実数?

CC:ええ,そうよ。

LO:それじゃあー,うーん,√2 は?

CC:実数ね。

LO:次はちょっと複雑なのいくよ?

CC:そう言われてしまうと答えられるかどうか自信がなくなるけれど,どうぞ。

LO:x が実数のとき,x2 も実数でよい?

CC:そうね。それでいいわね。

LO:じゃあねー,x2=1 のとき,x は実数?

CC:x として当てはまる実数は 1 と -1 の二つあるから,その両方を合わせたものが実数といえるかといわれるとよく分からなくなるけれど,それぞれが実数なのかといわれれば,それははっきり「そうだ」と答えるわね。

LO:ああ,確かにそういう問題は出てくるねー。なら,こうだったらどうかな?

x2=0 のとき,x は実数ですか?

CC:その場合はさっきと違って x=0 の可能性しかないから,迷わずに「そうだ」と答えられるわね。

けれども,一つ指摘させてほしいのだけれど。

LO:いいよー。なあに?

CC:そもそも x がどういったものかが分からなければ,x2 という文字列が何を意味しているのか,あなたと私の間で共通する理解が得られないから,x が何であるかを問うこと自体,無意味になってしまうのではないかしら。

LO:あー,確かにそうかもねー。そっかぁ,ここまでのクイズでそんなところまで話が進んじゃうんだね。

そうなると,とっておきの最後の質問がし辛くなっちゃうなぁ。

CC:いいから言ってごらんなさい。もったいぶらずに。

LO:わかった。せっかく用意してきたんだし,当たって砕けろの精神で質問するね。

CC:どうしてそこまでの覚悟が必要なのか,まるで理解できないのだけれど,どうぞ。

LO:実数は実数ですか?

CC:・・・。何か魂胆がありそうだけれど,率直に言って,答えは「はい」ね。

LO:じゃあ,その実数は正ですか,負ですか?

CC:え?どういうこと?

LO:どんな実数も,それが正の数であるか,負の数であるか,0 であるかの 3 通りの場合のどれか一つだけがいえる,というのは実数の基本的な性質の一つだよね?

じゃあ,実数は実数だというなら,実数は正の数,負の数,0 のどれに当てはまるのかな?って話なんだけど。

CC:待って待って。あなたの言いたいことがわかるような,わからないような,混乱状態に陥っているのだけれど。

LO:例えばね,空欄の□を使って,「□は実数か?」という型の文を考えるとするよね?

CC:ええ。

LO:あたしの最初の方の質問は,空欄の□に具体的な実数を当てはめたものを使用したわけ。

例えば「2 は実数か?」みたいな。

CC:そういえば一番最初の質問はそれだったわね。ここまでの会話を録音したのを聴き直して確認できたわ。

LO:え,ちょっと待って。このやり取り,ずっと録音してたわけ??

CC:そうよ。今のご時世,何があるかわからないから。

LO:・・・。まさか,うちらが出会ってから今までずーっと会話を録音し続けてきたってこと?

CC:全部というわけではないのだけれど,だいたいはそうね。

LO:こっわ!何それ怖すぎるんですけど?!

第一,あたしの許可なく勝手に録音してるとか,信じられないんですけど?!

録音データを何に使われるかわかったもんじゃないし。こっわー!!!!

CC:だから,今後もうかつなことを口にしないよう,気を付けて頂戴。

LO:ていうか,なるべく会話しないようにするわー。あーこわー。

CC:これで会話を録音していることについて情報の共有は済んだから,話をもとに戻してくれないかしら。

LO:うー,仕方がない,録音の件はあとでキッチリ話し合うことにして,実数話を片付けるかー。

CC:それが利口な選択ね。遠慮なく続けて頂戴。

LO:いや,録音されてるってわかった以上,遠慮するし。

とりま,気を取り直して・・・,と。

「□は実数か?」っていう文の空欄□にあれこれ数字を当てはめても,基本的に答はイエスなわけだよね?

CC:そうね。先ほどは出てこなかったけれども,□の中身が円周率だったりしても,答えは「はい」になるわね。

LO:あー,そっちの話も今回の話に関係がなくもないけど,それも後回しにするとして。

空欄に「実数」という言葉を入れた途端,話がおかしくなったわけだよね。

CC:ああ,そういうことね。

「実数は実数か?」という文は,通常は「はい」と答える習わしだけれども,「『 』は実数か?」という文の空欄『 』の中身には「実数と呼ばれるモノ」しか当てはめられないという暗黙の規則で話が進んでいたのに,「実数」という漢字二文字を代入したら質問としてちゃんと機能しているのか,といったような話ということかしら。

LO:うんうん,あーしの言いたかったことはだいたいそんな感じなんよ。

空欄『 』の中身に数値を表す文字列ないしは記号列が代入された場合,「『 』は実数か?」の答えは「イエス」になるんだけれども,「実数と呼ばれる何か」を言い表す,概念を意味する用語である「実数」という文字列を代入すると,それは「A は A か?」という,通常は「イエス」と答える質問文であるにもかかわらず,じゃあ「実数」という文字列の表す数値は具体的に,例えば 0 より大きいのか,小さいのか,それとも等しいのか,数値なんだったらどれか一つの場合に当てはまるはずだから,どれになるの?って質問に進めたわけ。

「実数が実数だというなら,じゃあその値はいかほどか?」っていう,すごくパラドックスっぽいフレーズを思いついたから,今回の話を始めたんだ。

CC:たったそれだけの話題なのに,ここまでくるのにずいぶんかかったわね。

LO:それはあなたが会話を録音しているとか怖いことを言いだしたからでしょう?

CC:さあ,それはどうかしら。そのクイズに対しては「イエス」と答える気はないのだけれども。

LO:お後がよろしいようで。

・・・って,全然よくなーーーい!




言葉って,よくよく考えるとすごく難しいよねー。

中学校の数学で習い始めてからその後の生涯を通じてお付き合いをしていく「変数」という概念も,きちんと捉えようとすると雲をつかむようで,実体がいまいちよく分からない概念である。

補習塾みたいなところでバイトで教えていたとき,文字 x に指定された数値を「代入する」という操作がなかなか伝わらない生徒がいて苦労した。

結局,私の力及ばず,その生徒は代入操作が苦手なままでいるのだと思う。

初等教育というのは,たいていの子どもならいつの間にか習得してしまう,というヒトが元来備えている高い学習能力に頼っている部分はとても大きいのだろうと思う。

そして,「たいていの子ども」ができることがなかなかできるようにならずにつまずいてしまう子どもたちにどう理解させるかは,それこそ教師の力量が問われる場面であろうが,私は己の力不足を棚に上げて,次のように思うのである。


それは無理な望みである,と。


もちろん,簡単に匙を投げずに,時間の許す限り,その子どもが理解できるようになることを願って手は尽くす。

それは前提としても,こちらが思い描いたように相手が概念や理論を理解したり,計算技能を習得できるかどうかは,天に任せるべき運ということになる。

そんな風に受け止めるしかないというのが今の私に導きうる結論である。



それにしても,「x に 2 を代入した時,x は何ですか?」と聞いたとして,わざとではなく,本気で「x は x です。」と答えてくるような生徒がいたとしたら,どう指導したらよいものか。

このような話に限定した場合,コンピュータのプログラミング言語というのは多くの示唆を与えてくれるように思われる。

例えば,ユーザである我々が期待するタイプの解答をコンピュータから引き出すには,適切な問い掛け方という「作法」が取り決められているわけなので,教育現場においては生身の人間である生徒からこちらの期待する答えを引き出すような質問の仕方を周到に考えるべきであろう。

そうすると,まずはお手本を示し,それを真似て答えさせるのが最善のやり方のように思えるが,そうなってくると「〇〇に芸を仕込む」といった側面が強いように感じられて,なんだかなぁ,という気にもなる。

とはいえ,身体を動かすタイプの技能はすべて先生が生徒にお手本を見せ,それをうまく真似させることから始めるわけだから,昔から,そして広く行われているし,理にかなったやり方であるのは間違いないだろうから,私が抱いている妙な嫌悪感は捨てて,「『学ぶ』は『真似(まね)ぶ』ことと心得たり」の精神で「真似させメソッド」を積極的に取り入れていくべきだろう。


あ,今回のメインテーマである「実数は実数であるが,実数ではない」というパラドックスの分析は私の手に余る問題なため,このパラドックスを提示するだけに留めます。
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チューリングはテューリングではないのか,といふ素朴な疑問。

2024-03-23 12:22:23 | 情報系
第二次世界大戦時にナチス・ドイツが使用していたエニグマ (Enigma) という暗号(エニグマは暗号を生成する装置の名称であるが,それによって作り出された暗号もエニグマと呼ぶそうな)を解読したことで知られる 20 世紀を代表する天才数学者 Alan Turing という人がいるのだが,名字の Turing を片仮名で書くときはチューリングと表記するのが一般的である。

ところが,ふと疑問に思った。

Tur という出だしの綴りを見る限り,「チュー」と読むべき要素が見当たらないのではなかろうか。

ひょっとして,もっと硬い印象の「テュー」の方がネイティヴの発音に近いのではないか。


一昔前だったら,ネイティヴの知り合いが全くいない私などはこのような素朴な疑問を解決するのは諦めた方が早かったのだが,現在はインターネットでいろんなことがすぐに調べられる。


つくづく,便利な世の中になったものよのう,と思うのである。


ブラウザの検索窓に turing pronunciation などと打ち込めば,直ちに何人かのネイティヴが発音を吹き込んだ YouTube 動画がヒットする。


数ある中で,Emma Saying さんのかなり若そうな感じの女性が読み上げているのは,はっきり「チュー」と言っているように聞こえる。

ところが,他の人たちのは「ツーリング」に近かったり,「テューリング」の方がしっくりくるものばかりであった。


とりあえず,現在広く用いられている「チューリング」という表記に特に問題は無さそうだと判明したので,私の調査はそこで終わらせてもよいわけであるが,Wikipedia 日本語版にはときおり海外の著名人の名前の読み方が IPA (※)でバッチリ記載されている場合がある。今回のチューリングはまさにそれで,誰がその発音記号を当てがったのかのソースは不明ではあるものの,元ネタと思しき英語版からコピペすると /ˈtjʊərɪŋ/ であった。


(※)IPA は国際発音記号 (International Phonic Alphabet) の略であって,独立行政法人の情報処理推進機構という日本の組織とは別ものの方である。
ちなみに,情報処理推進機構が行っている基本情報技術者試験 (FE) の試験項目の中から,CASL II/COMET II というアセンブリ言語が消えてしまったのは大変悲しいことである。
これも時代の流れ,致し方なし。いつの日か CASL III/COMET III として戻ってくる日は・・・,うーん,望み薄だなー。


そういえば Tuesday(火曜日)はチューズデイと発音するのであったが,こちらは /ˈtjuːzdeɪ/ で,「チュ」のところは同じ記号 tj になっている。

ふむ。

その他,チューター tutor についても調べてみた。それもやっぱり「チュー」と聞こえる。イギリス式だと「ちゅー太」という感じで,ねずみの名前かな,といったところである。アメリカ式だと「チューラ」となり,どちらかというと猫のおやつに近くなる。

綴りは似ているが turn は「チューン」とは言わない。ターンである。

tune チューン は,チューリングでお世話になった Emma Saying さんによると,「テューン オア チューン」と二通りあるようだ。

Cambridge Dictionary という,うっかり踏みそうになる広告だらけのサイトでは,イギリス式が チューンヌ,アメリカ式がツーヌであった。

なお,そちらでは Tuesday は British がチューズデイ,American はトゥーズデイだった。

日本ではアメリカ英語を中学などで教えているのだと思うが,まさかトゥーズデイだったとは。

こうなってくるとオーストラリア式の発音も気になってくるが,今回はそこまで深く探りを入れるつもりはないので,ここらで止めておく。


おまけに,YouTube の関連動画で Fourier の発音のものが目に付いたのでそちらも視聴したのだが,「フーリエィ」と,語尾に謎の小さな「イ」がついていた。

(Jordan Suchow さんのチャンネル。字幕で Foor-ee-ey と書いている。Julian IV さんの落ち着く感じの低い声でも,はっきり「ジョゼフ・フーリエイ」と言っている。

Julian さんの Joseph-Louis Lagrange は「ラゴーンジ」と聞こえる。ラのところにアクセントが来ている。だがしかし,もともとは La Grange とも綴っていたので,「ラ・ゴーンジ」で「ゴ」に強勢を置くのが本来の発音ではないかとフランス語ド素人の私は思うのである。似たケースとして Legendre がある。これも元は Le Gendre だったろうから。)


止めるといいつつ関連動画で気になる人物名を見かけるとついつい手を出してしまう。キリがない。ここらでいったん探求を打ち切ろう。
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お上に盾突く。

2024-03-23 10:28:09 | mathematics
物騒なタイトルにしてしまったが,歯に衣を着せたマイルドな物言いで物言いを付ける。

ISO 80000-2:2019 という国際規格で,自然科学で用いられる数学記号のほんの極一部に使う文字の形などが取り決められている。

例えば,通常数学では導関数を dy/dx のようにイタリック体で表すが,文字 d をローマン体で dy/dx のように書こうね,といった取り決めである。

他には,円周率を表すギリシャ文字の π,自然対数の底として用いられる Napier 数 e,虚数単位の i などもローマン体で書こうね,となっている。

この類の話を私が一番最初に知ったのは,三十年近く前の奥村晴彦先生の『LaTeX 2ε 美文書作成入門』の,第 2 版とかそのあたりの本だったと思う。それで自然対数の底 e を直立したローマン体で表すという取り決めにとてつもない違和感を覚えた記憶がある。

その話を 2020 年頃になぜだか急に思い出し,ネットでいろいろ調べたところ,ISO 80000-2 という規格の存在を知った。

そして JIS(かつて日本工業規格であったが,最近日本産業規格に改名した模様)にはそれに対応する JIS Z 8000-2:2022 というのがあって,ISO/IEC の方の対応する規格との関係は IDT (identical),すなわち“一致“ということで,それの単なる日本語訳だそうだ。

それから昨日まで,なんとか JIS Z 8000-2 の本文を個人的に閲覧できないものかと夢に見ていたのだが,JISC(日本産業標準調査会)というサイトに自分の氏名や email アドレス,住所などの個人情報を明かして登録すれば,web 上での閲覧のみならば可能ということがわかり,さっそく実行してみたところ,あっさり夢が叶った。

いま私の中で熱い話題としては,幾何学における点のラベル(記号)を,P のようにローマン体で記すのか,あるいはイタリック体で P のように記すのか,どう取り決められているかであるのだが,JIS Z ではそのことについて何も書いてない。本家の ISO でもたぶん何も書いてないっぽい。けれども,JIS Z では 9 番目の項目になる「初等幾何学」の表 5 を見ると,線分 AB とか,A から B へのベクトルとか,点と思われる記号はローマン体で記されている。それより前の,「6 集合」にある表 2 では,集合を表すのに A のようにイタリック体を用いているので,規格中で字体を意識的に区別していることは明白である。

というわけで,中学数学や高校数学の教科書で採用されている,「点のラベルはアルファベットの大文字のローマン体で表す」という規則は国際標準であるらしいことが判明した。

ただ,そのようにすべしという明言が一切ない。ゆるゆるな規格である。

積分記号も直立体にすべしとはっきり明言している規格としては,DIN 1338 というヨーロッパ(らしいが,すごくドイツっぽいというか)の規格があるが,それについてわかる範囲で調べた限りでは,そもそも幾何学が話題に出てこないので,点を表す文字の規定など当然わかりっこなかった。

さらに全く期待せずに IUPAC(国際純正・応用化学連合,ちなみに P は pure なので,数学ではそれを「純粋」と訳すのが習わしだが,化学分野では「純正」を用いるそうだ.数学において応用は不純であり,化学において応用は純正ではない紛い物らしい,などというのは穿ち過ぎであろう)の Green Book と呼ばれている,量の単位や数学記号の書き方に関する取り決めのガイドブックの日本語訳(AIST:産業技術総合研究所のサイトにて PDF ファイルが無償で提供されている。大変ありがたいことである!)の「4 推奨されている数学記号」を見ても,そりゃ載ってないよねー,幾何学における点の表し方なんて,といったところである。分子や結晶の構造なんかは図解するのが普通だろうに,幾何学はメインツールではなくサブ扱いなのであろう。


さて,いつもながら,つい一番書きたかった話題を後回しにして,思いつくままにダラダラと書いてしまった。


私が今回物申したいのは,JIS Z 80000-2:2022 の「8 その他の記号」の表 4 にある,2-8.15 ∞ 無限大である。

曰く,これは

限界を扱う様々な式の一部

だそうなのだが,「限界」ってなんやねん。

それってきっと limit の日本語訳なんだと思うけど,「極限」とか「極限操作」でいいんじゃないかなぁ。

極限の話も含んだ,より広い意味での「限界」一般に関する話のところで使われる,という気持ちが込められているのかもしれないが,極めつけはその次の 2.8.16 xaxa に近づく)という表記の説明・事例でも「限界を扱う」という言い回しが使われていることである。


翻訳にあたった方々の中に数学の専門家は一人もいなかったのだろうか。


標準規格を定めようとしている文書なのに,標準的でない用語を平然と用いているのはいかがなものか。
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点と点は足せない。そんな気がしてならない。

2024-03-21 17:56:42 | mathematics
ベクトルについて悩み始めたのは,はっきりとした自覚はなかったろうが,やはり習い始めた高校 2 年のときからだったかもしれない。

ベクトルなるものが満たすべき計算規則というのは,中学時代から馴染みのある文字式の計算規則とほとんど同じであるため,受け入れるのは簡単である。

ただし,ベクトル同士の積の計算は「内積」という特別な名前で呼ばれる,特別な計算規則として導入される。

そのことも,まあ,慣れるのにそれほど時間はかからない。

問題なのは,幾何学への応用である。

そもそもベクトルは平面上の 2 点を結ぶ矢印のようなものとして導入される。

そして「矢印」同士の和や,一本の矢印に実数を掛ける,といった計算を,幾何学的な解釈を頼りに取り決めていく。

そこまでの準備を済ませた後で,「矢印計算」を利用して平面図形の性質を調べる,という応用段階へと進めていく。

ところが,図形の性質の探求にベクトルを利用しようとすると,「位置ベクトル」なるものが出現するのである。

ベクトルというのは,向きと大きさ(長さ)を保ったまま,平面上のどこへでも好きに平行移動させられるものであったはずである。

それなのに,位置ベクトルというのは,平面上のどこか一点から生えた矢印のことを言う。

つまり,根無し草の気ままな放浪者が,地面に打ち込まれた杭に鎖でつながれるかのような劇的な「自由」の損失を伴うのである。

そこかしこに自由気ままに平行移動させられるはずのベクトルが鎖につながれてしまえば,それはもう我々の知っているかつてのベクトルではない。

囚われの身となった,言い換えれば地に足を付け,落ち着いた人生を歩むと決めた,かつてベクトルと呼ばれたその何かは,日本では「有向線分」と呼ばれている。

平面図形へのベクトルの応用においては,気ままな放浪者であるベクトルと,地元に縛り付けられた不自由な有向線分とを要領よく使い分けなければならない。

ひょっとすると,ベクトルの単元が苦手な学生の中には,無意識のうちに,同じ矢印でも動かせるベクトルと動かせない有向線分の区別があり,それらをごっちゃにして取り扱うことに対して無自覚的に大きな抵抗を感じてしまっているため,苦手意識を感じている者もいるのかもしれない。

このような,位置ベクトルもしくは有向線分と,自由なベクトルとの区別をはっきり付けた形でベクトルを取り扱えないのか,また,そうすべきではないのか,といった考えが,塾講師のアルバイトで高校生相手にベクトルを教えることになった,かれこれ 30 年近く前から私の中ですうーーーーーーっとくすぶり続けている。

位置ベクトルなるものは,ベクトルの成分なるものと密接に関りを持っている。それが根底にあって,成分表示されたベクトルを見て,それが点の座標なのか,ベクトルの成分なのか,訳が分からなくなる。

ここでも,学ぶ側と教える側との間で共通の了解事項が現れる。それは次のようなものである。

ベクトルの成分なるものは,そのベクトルを位置ベクトルと見たときに,その矢印が指す点の「座標」のことでもあり,その矢印を原点から解き放って自由に羽ばたかせたときの矢印そのものの属性として使える「成分」なるものでもあることだよ。

要するに,いちいち「座標」とか「成分」だとか区別せずにごっちゃにしてええんやで,という,実に緩い取り決めである。

これはちょうど動けないはずの位置ベクトルと,それが幽体離脱して自由に動き回れるようになった自由ベクトルの二重性と対応しているといえよう。

ところで,座標というのはあくまでも一点の位置情報を示した,いくつかの数の組に過ぎない。それに対し,ベクトルの成分というのは,ベクトルの演算規則に従って加工することができる。しかも,成分が分かっていると,ベクトルの大きさ(長さ)やベクトル同士の内積の値が簡単に求まるので,成分は大変便利である。

それでは,ベクトル同士の和だと思っていた成分同士の計算を,点の座標同士の間の計算だと解釈したらどんなことになるだろうか。

例えば,広いグラウンドに,私 K と友人 G が離れたところに立っていたとしよう。その我々 2 人を「点」と考えたとき,私たち二人を「足し合わせる」とは一体どんな操作であるべきだろうか?

どちらか一方を動かして他方のところまで移動させる?もしそうだとしたら,どちらをどちらに向かわせるか,何らかの取り決めが必要となろう。

離れ離れの点同士の「和」をイメージすることは,私にはとてもできそうにない。

状況をもっと単純化して,私 K 一人だけがポツンとグラウンドにいるところを思い浮かべてもよい。

「私」という「点」を「私」に足し合わせるとしたら,何をどうすればよいだろうか?

ベクトルの場合は,2 本の矢印の始点を揃えてできる三角形だか平行四辺形だかを利用して,それらを足し合わせた「和」を定めることができた。

ところが,平面上にポツンとシミのようにじっとしている「点」に,よその「点」を足し合わせる,といった操作に相応しいイメージが,私には何一つ思い浮かばない。

このようなわけで,昨日あたりから,私は次のような立場を取るに至った。


点と点は足せない。


ゆえに,足し算が良い感じに定義できる「ベクトル」なるものは,決して「点」ではない。


だがしかし,「座標」や「成分」といった,数値化された位置情報を利用すると,点と点を足し合わせることができる。

さらには掛け合わせることなんかもできちゃったりする。

平面にぽつぽつと点在する無個性な点たちに「座標付け」という作業によって「座標」という数値データを付与した途端,それらの数字データが独り歩きして思いもよらなかった世界を描き始め,無色だった世界が急に色づき始めるのである。

Euclid の原論では,座標の考えを全く使っていないはずはない。例えばある線分を 1:3 に内分する点は,その線分上においてのみであるが,ある意味,座標付けされたと見なして差し支えない。

Euclid の原論においては,そういった,考察の対象としている図形上においてのみ,そして必要に応じてのみ,「局所的な」座標を導入して,それらをやりくりして図形に関する何らかの性質が成り立つことをきっちり示していく,といった座標の使われ方をしているのであろうと推察される。私は原論をろくに読んだことがないので憶測以上の何ものでもないが,その無知識の状態のいま,勝手にそう信じ込んでいる。

Descartes は図形の性質の探求方法を原論のやり方のさらに先へと明確な自覚を持って推し進めたのだろう,と,やはり Descartes の『幾何学』を全く読んだことがない私は勝手にそう信じている。

Leibniz は Descartes が切り開いた道をさらに拡大,もしくは伸ばそうとしたのだろう,と勝手に想像している。

そして Leibniz が夢見た幾何学の新しい境地は何といっても 19 世紀全体を通じてとてつもない規模で花開いたように思われる。


私は中学時代,平面幾何の証明問題はどちらかというと好きな方であったように記憶しているが,実のところ,得意なわけではなく,むしろ今では苦手な気さえしている。

図形に線をあれこれ引いて考えているとぐちゃぐちゃになってきて訳が分からなくなっちゃうんだよねー。

平面幾何などが得意な人たちっていうのは,そういったぐちゃぐちゃな線の中から,これだ!と光るかぐや姫みたいなのを見事に見つけて問題を解く,画伯みたいな人たちなんだろうね。

そんな幾何学オンチでも,否,だからこそ,かな,「点と点を足せるか否か」などと,どちらかといえば哲学的な薫りの漂う問いを立ててあーだこーだと考える楽しみを味わうことができる,といった前向きなお話でした。
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この時期恒例のことといえば。

2024-03-16 18:57:28 | 爺ネタ
私は花粉症である。特にスギとヒノキの花粉にやられる。

今はちょうどそんな花粉シーズンの真っ盛りであるが,5 年ほど前から参加し始めた世界的なイベントがある。

それは TeX Live の更新/インストールイベントである。

年に一度,おおむね 3 月中旬に正式リリースされる TeX Live は,今年も 2024 年版がインストールできるようになっていた。

2 月ごろにソワソワして公式サイトで日程を確認したところ,3 月 10 日が X デーだと勘違いした。

まあ,サイトのアナウンスは英語だから,私の理解力が足りないのはしゃーない。

それよりも問題なのは私の PC のハードデスクの容量不足である。

二重三重,否,n 重に重複している私の PC の基礎をなす無駄ファイルについて,応急処置的ではあるが,ちょっと整理した。

おかげで TeX Live 2024 をお迎えする準備は調った。

3 月 11 日だか 12 日あたりは,pretest に参加しようかなーという軽い気持ちでいたが,軽い気持ちでいたが故,インストールがほんの少しだけ面倒そうに感じられて,結果的に放置していた。

気がついたら 3 月 15 日で,ネットインストールがマウスを数回ポチポチすれば済んでしまうお手軽モードになっていた。

夕方 17 時半ごろからネットインストールを開始したのだが,23 時が近づいても進捗状況が半分にも達していない。

とある施設を利用していたが,その日の使用期限は 23 時までだったので,やむなく中止ボタンを押す羽目になった。

気を取り直して,16 日の今日,お昼過ぎから再インストールに挑戦した。

昨日,半分くらいコピーが済んだと思われる残滓が私の PC に残っていたが,インストーラーから

「インストールしようと思ってるフォルダになんかすでにファイルがあるんですけどー。

このままだとトラブルの予感しかしないよ?」

という感じのエラーメッセージが来たので,慌てて 5 GB 超のファイルを全部削除。

そうやって過去をキレイにしてからもう一度交際ならぬインストールの依頼をした。

インストール先のフォルダの生成時刻を見たところ,12 時 41 分から 15 時 52 分まで,3 時間 11 分ほどかかったらしい。

今回は昨日の轍を踏まぬよう,ファイルをもらってくる先を自分でちゃんと選んで,北陸先端科学技術大学院大学 (jaist.ac.jp) の CTAN にした。

インストール後の texlive フォルダの容量を調べてみたら,

サイズ 8.33 GB (8,944,683,583 バイト)
ディスク上のサイズ 8.75 GB (9,402,740,736 バイト)

とゆー,全く違いの理解できていない 4 通りの数値が表示されたのだが,ともかくローカルに 10 GB の空きがあればだいじょぶなんじゃね?ということだけは伝わると思われる。

実は私は数年前から Overleaf のお世話になっており,その後,一年ほど前から Cloud LaTeX に鞍替えした。

そういうクラウドサービスの便利さに慣れてしまった私は,手元の PC にインストールした LaTeX をほとんど使っていない。

それでもこうして TeX Live をインストールするのは恒例の年中行事という位置付けなのである。

その Claud LaTeX の方で,ここ 1 か月半ほど,内容がほとんどない文章をダラダラと綴っているのだが,それが A5 サイズで 200 ページを超えている。

私のお気に入りの設定等をてんこ盛りのその日誌をダウンロードして,TeX Live 2024 で無事にコンパイルできるかどうかテストしてみた。

クラウド系に移行した後,少し遅れて LuaLaTeX に鞍替えした。コンパイルのエンジンをちゃんと LuaLaTeX に変更して,いざポチっとな。

お初のコンパイルだで,少し時間はかかったものの,エラーで止まったりとかそーゆー問題は発生せずに,無事 PDF プレビューを確認できた。

これで環境が調ってしまったので,新楽器に向けて薄い本の製作に取り掛かれてしまうわけだな。
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プライム教布教活動メモ。

2023-05-05 23:43:09 | mathematics
William Prager という連続体の物理学の研究者(おそらく大家といってよいのではなかろうか)が 1961 年に出版した "Introduction to Mechanics of Continua" は 1980 年に共立全書の一冊として日本語訳が出された。

訳書の 6 ページの中ほどに,「ダッシュのついた座標とダッシュのない座標」という言い回しにひっかかり,先を読めなくなってしまった。

残念ながら手元に原書があるわけではないのだが,幸いなことに Dover 版を Google Books で一部閲覧できた

それによると,ちょうど原著 7 ページの末尾あたりが該当箇所であるが,"the primed and unprimed coordinates" とある。

もっとも,それが 1961 年当時の記述そのままかどうかは保証の限りではない。Google Books の Dover 版は 2004 年に発行されたものらしいからである。

なお,Birkhäuzer から 1961 年に出たドイツ語版では英語版と同じく 7 ページの下の方に "der gestrichenen und ungestrichenen Systeme" とある。

訳は「プライム」で良いはずであるが,日本で当時広く使われていた「ダッシュ」をわざわざ訳語として採用した訳者の配慮は理解できるものの,それから 43 年も経った令和の現在であっても高校数学の教育現場で未だに「ダッシュ」と教えているのかと思うといたたまれない。

通常の用法とはずれているであろうが,私はこの現象を「ガラパゴス化」と呼びたい。

かつてコンピュータ上で動作するプログラムを「ソフトウェア」,略して「ソフト」と呼んでいたのが,スマホの普及とともに「アプリ」(アプリケーションの略であろう)という呼び方に取って代わられてしまった。このフットワークの軽さというか,腰の軽さを教育現場でも発揮できないものだろうか。記号の読み方をわざわざ記している教科書は少なく,口伝で継承されてしまうため,改変は非常に難しいのだろうか。

いや,今のご時勢ならばむしろ数学解説系人気 YouTuber が「プライム」と連呼していればより若い世代に浸透しそうな気がする。
こう考えれば未来は明るいといえるのかもしれない。

余談であるが,古くはソフトウェアに「紙物」,ハードウェアに「金物」という訳語を充てようという試みがみられたのだが,それらは定着せずに終わったようで,今では古文書でしかお目にかからない。

言葉というのは我々ヒトにとってコミュニケーションの根幹にかかわるものだけに,小うるさいことをネチネチ言い続けると人々の機嫌を大きく損なう恐れがあるのだが,私はせめて自分の担当授業の中ではプライム教を布教し続けていく覚悟である。

ビー・ダッシュなんて読んだら,加速してどっかに飛んで行っちゃいそうでしょ?

え,ファミコンゲームの B ボタンダッシュをご存じない・・・?

こりゃまた失礼いたしました~!(© 植木等)
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A parent function.

2023-05-04 03:46:43 | mathematics
奥村晴彦さんの『LaTeX 2e 美文書作成入門 改訂版』(2000 年)あたりだったか,JIS では例えば数学の定数である自然対数の底(Naipier の数)e はイタリック体ではなくローマン体で記すといった情報が載っているのを見て強い違和感,より率直に言えば「なんじゃそりゃ」と反感を覚えた記憶がある。当時,敬愛する研究室の先輩との話の中でもそんな話題が出たような気がする。

それから 20 年以上経過した昨年,ふとそんな話を思い出してネットでググってみたら,そもそもの元凶(?)は ISO であることを知った。あれから歳を重ねて丸くなった(体型も髪型も)のか,もともと権威に弱い性質のせいか,たまたま交流を持つようになった物理の M 先生から伺った SI 単位系の話題もタイムリーにあいまって,なるべく ISO に沿った数式の記述を心掛けるようになった。

とはいえ,行列を太字のイタリック体(ないしは斜体)で書くのは実はまだ心理的抵抗が大きくて ISO に染まり切れていない。M 先生の情報によれば,化学分野では IUPAC という組織が昔から単位や数学記号の記法について細かい取り決めを出版しており,化学学会では統制がとれているようだとのことであった。

現在ではいろいろな文書がインターネット経由で無償で手に入る。そんなありがたいサービスの一つに J Stage があるが,そこでは『日本物理学会誌』や『大学の物理教育』といった種々の学会の機関誌のバックナンバーが(ある程度古いものであれば)学会の会員でなくとも,J Stage に登録してなくとも手軽に閲覧できる。おかげで大量の日本語で読める興味深い記事にたくさん出会えているが,単位の書き方に関連した記事を検索している中で,2023 年 3 月の『日本物理学会誌』に「きちんと単位を書きましょう」と題する記事を発見した。

ところがこれはさすがにまだ公開期間前のもののため,旧友の gk 氏の研究室に突撃してこちらの思惑通りに記事を閲覧することに成功した。それは東京化学同人から出ている中田宗隆,藤井賢一両氏による共著の書評であった。さっそくとある図書館で借りることにした。その図書館に件の『日本物理学会誌』も雑誌コーナーに並んでいたので,gk 氏のリモート会議の邪魔をせずとも済んだようだったのは,また別の話である。

『きち単』(同書の表紙に,どこかで聞いたことのあるような略称(愛称?)がこう記されていたので,使わせていただく)の内容で私が最も関心を抱くのは第 2 章の「数学記号の書き方」である。それは実は国際単位系 (SI) とは無関係な部分であって,IUPAC の Green Book と呼ばれる冊子の第 4 章ないしは ISO 80000-2:2019 の内容である。そしてここは肝心なところであるが,『きち単』では「~と書いてはならない」とか「~とは書かない」といった厳しい表現が目に付くが,IUPAC の Green Book であっても "recommended" (おすすめの,望ましい,藤井氏も訳者の一人として参加されている Green Book の日本語版では「推奨されるている」と訳されている)であって,何が何でもそれに従わなければならない決定事項といった強制力は感じられないことである。こういった側面が同書を手に取るであろう初学者に誤解されるのではないかと気がかりである。もっとも,私は化学に関してはずぶの素人であって,主要な学会や論文誌の投稿規定でむしろ遵守すべき厳然たるルールとして採用されているというのなら,「こう書かなければならない」といった表現の方が妥当であろう。

ちなみに,個人的には偏微分演算子である ∂ はイタリック体というか斜体というか,それがデフォルトであって,しかもこの文字はそもそも演算子(作用素)としか使われないように思われるので,無理に立体にしなくともよいのではないかという気がしている。その点はギリシャ文字の π や δ とは事情が異なり,これらは円周率という数学定数もしくは Kronecker のデルタや Dirac のデルタ関数,変分演算子等を表す際には立体で,平面のラベルやとある正の実数などを表す際には斜体で記すといった,役割に応じて使い分けることにすれば,みだりに新しい文字を消費する必要がなくなって便利である。∂ に関しては Green Book を見てもどういう扱いなのか私にははっきりとは分からなかった。同種の演算子である d, D と同様の扱いで立体にするという解釈が常識的であろうが,ISO でどうなっているのかも確認する機会をもちたいところである。

こんな風に批判めいたことを書いておいてなんだが,今では LaTeX で立体の ∂ を実現するのは容易なようなので,使用を前向きに検討する所存である。

さて,前置きが長くなりすぎたが,ここらでようやく本題に入ろう。

それは逆三角関数の記号を解説した Green Book の記述で,"parent function" という語句を目にしたことである。

これは私にとって初めての術語であった。日本語訳ではそのまま「親関数」と訳されている。

私が授業で逆関数を取り上げる際,「元の関数」という言い回しを用いていた。それに対し,「親関数」という用語は新鮮に感じるせいかわずかに簡潔で使いやすいような気がする。

英語圏でどれくらい浸透している用語なのか気になって "parent function 意味" で検索したところ,Yahoo! 知恵袋でこの語句の意味を質問している人がおり,それに対する回答は導関数の逆の概念である原始関数,もしくは逆微分のことであるというものだった。

実際にそういう意味でも使われているのかもしれないが,それならば普通に antiderivative だの primitive function だのという用語で済む話であって,parent function という用語は必要ない気がする。そこで "parent function inverse function" というキーワードで検索し直したところ,YouTube の解説動画を始め,まさに逆関数の文脈で parent function が使われているらしい証拠を複数見出すことが出来た。

知恵袋の質問では言葉の意味を聞く質問だけが記されており,どういった文脈で現れた用語なのか背景が全く記されていないためこれ以上の詮索はしようがないが,逆関数の単元にしろ,不定積分の単元にしろ,対となる概念と共に使用されているはずであるから,文脈から何らかの意味での「元の関数」であるという当たりがついたのではないかと思わなくもない。"Parent" というからには何がしかの「子」があっての話であり,その「子」が逆関数ならば元の関数,導関数ならば微分する前の関数が「親」に当たるわけである。

導関数と対になるのは「原始関数」や「不定積分」といった用語が用意されているので,私はこの文脈で親関数という言葉を導入するつもりはない。

けれども,逆関数の対になる用語は「元の関数」くらいしか思いつかないので,敢えて「原関数」だの「元関数」だのという聞きなれない独自の用語を導入するのは気が引ける。ちなみに,前者も後者も音読みするならば「げんかんすう」であるが,前者は原始関数と紛らわしいのでできれば避けたい。後者は「元の関数」を縮めた表現とも取れるので,「もとかんすう」と読むと柔らかい印象になるが,それなら「おやかんすう」にしても良いかなという気がしている。

蛇足であるが,『きく単』では逆正弦関数 arcsin を sin-1 と書いてはならない,なぜならば sin という記号は関数の名称であって,その逆数なるものは存在しないから,といった説明がなされているが,乗法の逆元としての -1 であるというよりは,逆写像や逆演算子を表す -1 であろうから,私にとっては不思議な気持ちになる説明であった。そもそも一般の関数 f について(それが逆関数を持つとして)その逆関数を表すのに f-1 と記すのが数学では伝統的かつ標準的な記法なのであるから,これを「関数 f の逆数」などと言われては困ってしまうのである。逆数と紛らわしいと言う指摘であるとみればそれはもっともであるが,逆関数を表すのに例えばわざわざ inv(f) などと書くのはものものしすぎて気が進まない。

ISO では一般の関数 f の逆関数をどう表すのか調べてみないといけないが,私の知る限り逆三角関数などの「名前持ち」の関数については arcsin と書かれるのみであって,sin-1 という表記は一切なかったようである。sin-1 と書いてはならない,という注意書きすら無かったと思う。完全にアウトオブ眼中ということなのであろう。

最後にもう一つ。ISO の組み合わせの数(二項係数)の表記を見てびっくり仰天したことがある。日本では高校で nCk という記号で「n 個の異なるものから k 個を取り出す組合せの数」を表すと習うが,ISO ではこれを Cnk と書くと記されていた。全体の個数 n と部分の個数 k の上下が逆なのではないかと誤植を疑ったが,とあるフランスの有名な組合せ論の本 (Claude Berge の本)を確認したところ,組合せの数を表すのに,縦書きベクトル型の,上に n, 下に k の記法が用いられていたが,順列の記法として Pnk が用いられていた。

場合の数の比としての分数を想起すれば,全体の数 n は分母で下に,部分の数 k は分子で上に書きたい気持ちは分からなくはない。

ところが,Green Book では Cnk とあって再びびっくらこいた。これはまさしく私が最も恐れていた事態に他ならない。

フランスで本当に Cnk が用いられているのか気になって検索しようとしたところ,英語版の Wikipedia の "Combination" の項目に Ckn と Cnk のどちらの流儀もあって,後者はフランス,ルーマニア,ロシア,中国,そしてポーランドのテキストでは標準的だと記されていた。

組合せ論の論文は目にしたことがないが,もしその方面で論文を書く機会があれば,C 表記は避けて縦書きベクトル風の記法を用いるのが無難であろう。

話がとっちらかって収拾がつかなくなったついでにもう一つ。

国際単位系 (SI) では真空の誘電率と真空の透磁率はそれぞれ電気定数,磁気定数としても知られる (as known as) と書かれているので,どちらを用いても問題ないであろうが,前者をメインとして使用するのか,後者をメインとするのか,どちらが良いのだろうか。

どちらを用いても良いらしいわけであるから実にどうでもよい疑問であるが,私は教条主義というかなんというか,アタマがカチコチに硬い傾向のパーソナリティの持ち主でもあるので,どちらか一方に心を定めたい思いが募ってならないのである。

最新の SI では

真空の誘電率(電気定数)
真空の透磁率(磁気定数)

という表記が見られるので,私としては「真空の」派に組したい。それはもしかすると物理派ということかもしれない。

IUPAC の Green Book 第 3 版では逆に

電気定数(真空の誘電率)
磁気定数(真空の透磁率)

といった扱いである。SI 第 9 版は 2019 年,Green Book の第 3 版第 2 刷は 2012 年であるから,SI 第 8 版が鍵を握っているのかもしれない。『きち単』はどうも Green Book を根底に据え,それに SI の最新版を取り込んでできているようなので,「定数」派である。それはもしかすると化学派ということかもしれない。

話題があちこちとんでしまったので最後にまとめというか,教訓というか,私が今後どうするつもりかという宣言を記しておく。

・逆関数を考える元の関数を「親関数」と呼ぶことにする。
・逆三角関数は極力 arcsin, arccos などの名称を用いる。(ただしこれは授業の指定教科書との兼ね合いもあるため,さっそくそうするかどうか迷っている。言い訳がましいが,私はもともと arc 派であった。その後,教科書の表記に合わせる方が学生にとっては負担が少ないと考え,sin-1 に宗旨替えしたという歴史がある。)
・偏微分演算子の ∂ は立体を使うことにする。
・組合せの数は縦書きベクトル風表記を使う。(これはすでに概ね実施しているが,担当科目ではめったに使用しないし,日本では高校数学との兼ね合いもあるので,ほどほどにしている。)
・電磁気学で用いられる物理定数(不確かさを含む実測値)の μ0 と ε0 の名称としては,それぞれ真空の透磁率,真空の誘電率を推す。

どうも選挙と同じで,現状に不満があるなら自分で教科書を書くほかなさそうである。日本の高校数学の検定教科書風の,薄くてあっさりテイストの微積の教科書くらいならそんなにしんどくないかなぁ。工学系の学生向けに,一周目ないしは二周目の「数 IV 方式」(©前原昭二先生?)版で実現する方向で検討してみるとしよう。本当に書きたいのは高校数学風に言えば教科書ではなくて参考書なんだけどねぇ。昔の大学風ならば教科書こそ分厚くて何でも書いてあるという,一家に一冊あれば孫子の代まで使える treatise なのではあるが。日本に限って言えば,藤原松三郎氏の『微分積分学』,杉浦光夫氏の『解析入門』がそれにあたる。そういえばほとんど中身は見ていないが,金子晃氏の『微分積分』は二冊本+演習書アリのかなり重厚なテキストのようなので,休み明けに覚えていたら見てみよう。
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Simpson 則で数値積分。

2023-05-03 22:38:46 | mathematics
世間並みに,いや,それ以上に GW な日々を過ごしている。ところによっては 5 月 1 日と 2 日は平日扱いであったろうが,私はその 2 日間が休みになっただけでなく,週末の 6 日も併せてまるっと一週間,否,期間の両端の日曜日を含めれば実に 8 日間もお休みという,名実ともにゴールデンなウィークを享受している。

私は GW が始まる前から寝正月ならぬ寝ゴルウィクを過ごすと心に決めており,今のところその計画は順調に実施できている。

とはいえさすがに起きている時間がないわけではないので,森口繁一,伊理正夫,武市正人編『Full BASIC による算法通論』(東京大学出版会)に掲げられたお題で,私にもできそうなものに手を付けて見ることにした。

この本は 1991 年に出版されたもので,「まえがき」によると東京大学教養学部の第 4 学期に,工学部へ進学予定の学生向けに開講された科目「算法通論」のための教科書として作成されたとある。

主要コンテンツは第 I 部と第 II 部で,合わせるとちょうど 15 週分の授業内容になっている。今でも東大は 1 学期の授業週が 15 週なのかどうか知らないのだが,かつての 90 分授業ではなく,1 コマ 100 分で 14 週という流行りの授業形態だとそのまま使用するわけにはいかず,アレンジが必須となる。

それはさておき,かねてよりとある連立微分方程式の数値趣味レーションをするのに,Euler 法を卒業して Runge-Kutta 法に鞍替えしようと願っていたが,ウォーミングアップに定積分の数値計算法の一つである Simpson 則で腕試しをしようと,この書の § 6 関数,6.0 数値積分法に目を付けた次第である。

ところが,この本はどうやら森口先生の『JIS FORTRAN 入門 [上]』第 3 版が手元にないとどうにも使いづらい仕様になっている。そちらのテキストの例題の Full BASIC 版のプログラムを『算法通論』の方で例題として示しているからである。そのため,例題でどのような関数の数値積分を行うかはプログラムを読まないと分からないようになっており,仕方がないので自分で勝手に関数をでっち上げてその近似計算を行うことにした。

使用する処理系はもちろん白石和夫先生の十進 BASIC である。久々なのでバージョンアップしていないか公式サイトを見に行ったら,案の定手持ちのもの (7.8.5.4) より新しいバージョン  (7.8.6.4) がリリースされていた。

さっそくインストーラなしの ZIP ファイルをダウンロードして展開し,BASIC を立ち上げてヘルプで関数定義の仕方を確認しようとしたところ,目次は表示されるものの肝心の本文が表示されない。

公式サイトに記されたトラブルシューティングを参考に,解凍したフォルダ内の BASIC.chm をダブルクリックして「常に確認する」のチェックを外し,一旦ヘルプと BASIC 本体を閉じて再度 BASIC を立ち上げ直したらヘルプの本文も無事に表示されるようになった。わーい!

今回のプロジェクトの主眼は,『算法通論』に記された Simpson 則の公式の捉え方があっているかどうかの検証である。そこには,和の最初の 3 項と,最後の 4 項が記されているが,中間の一般項がどのような規則で定められているのか,自分で類推するしかない。どうやら区間の両端の f(a) と f(b) は重み 1 で,区間の分割数 n は偶数とし,区間の両端をそれぞれ第 0 項と第 n 項とすると,中間の項のうち,奇数項は重み 4 で,偶数項は重み 2 で足し合わせるらしい。

今現在,私の身の回りには数値積分の公式が記載されている書籍が何冊かあるし,ネットで検索しても山ほどヒットするだろうが,この類推があっているかどうかを,結果が分かっている定積分で検証してしまおうというワケである。

せっかくなので円周率でも求めようと思い,1/(1+x^2) の不定積分が arctan(x) であることを利用することにした。
今この瞬間にようやく気付いたことであるが,0 から 1 までの積分が円周率の 4 分の 1 であるから,すべてが有理数の範囲内で済む話であるが,休みボケのせいか,1/√3 から √3 までの積分を使おうとしており,そうすると無理数の √3 があちこちに出てきてヤダなと日和り,スケール変換をして √3 を一回だけ乗じる形に書き換えた形で計算することにした。この記事を書き終えたら区間 [0,1] での積分にソッコーで直そう・・・。

拙いソースコードは以下の通りである。
初めは分点の個数を 2^10=1024 個で様子を見たのだが,調子が良さそうだったのでお気楽に 2^20 個に増やして実行したら結果が出るまでしばらく待たされた。
単純に考えて,1000 倍の手間が掛かることになったわけだから,計算時間は 1000 倍になったはずである。しかも分点を増やした方が精度が下がるという現象まで起きる始末であった。

原因は私にはさっぱりわからないが,きっとデフォルトの桁数では 2^20 では細かすぎて却って精度が落ちたのだと考え,十進 BASIC の便利機能の一つである 1000 桁モードに変更して実行し直してみた。

ついでに,ヘルプを参照して TIME 関数を応用した実行時間の計測も行うこととした。

参考までに,1000 桁モードで n=2^10 としたときの実行時間は 0.3 秒だったのに対し,n=2^20 だと 39.5 秒かかった。1000 倍になるという理屈は当たらずとも遠からずである。
十進 BASIC の組み込み定数としての PI の値と比較すると,小数点以下 24 桁までしか合っていない。

実はこっそり区間 [0,1] 版に変えてみたのだが,n=2^20 で実行時間が 60.46 秒で,小数点以下 35 桁くらいまでは合っているようだった。

誤差が大きいのか小さいのか私にはまるで見当が付かない。『算法通論』には理論的に予想される誤差の表式も与えられているが,使用した関数の 3 次導関数もしくは 4 次関数を必要とするため,ちょっとやる気が起きない。ただ,今回使用した f(x)=1/(3+x^2) ないしは f(x)=1/(1+x^2) は導関数の漸化式を作れば要領よく計算できそうなので,そういった方面からの検証もよい演習になりそうである。

ちなみに,答え合わせ(?)として『通論』のプログラムを見てみると,私のものよりうんと洗練されたプロの香りが強く漂う(その道の大家である森口先生やそのお弟子さんの手になるものであろうから,こんな感想を述べる事すら恐れ多いことであるが)。

ちらっと頭をよぎったことではあるが,和の中間項はやはり奇数項と偶数項をセットにして足し合わせるのね。そして第 n-1 項と第 n 項は最後に別で処理するわけね。
お手本を参考に手直しすれば実行時間が短くなる可能性を感じる。伝説の大先生方の胸をお借りして改良しようと思う。

というわけで,プログラム名に "draft" という釈明を忍ばせておいた。

REM Simpson's Rule [draft]
LET t0=TIME
DEF f(x)=1/(3+x^2)
LET n=2^20
LET a=1
LET b=3
LET h=(b-a)/n
LET S=f(a)
FOR k=1 TO n-1
   LET p=MOD(k,2)
   LET a=a+h
   LET S=S+(2+2*p)*f(a)
NEXT k 
LET S=S+f(b)
PRINT S*h/3
PRINT 2*SQR(3)*S*h
PRINT PI
PRINT TIME-t0;"秒かかりますた。"
END


[付記:2023 年 5 月 5 日]
戸川隼人『数値計算』(情報処理入門コース7,岩波書店,1991 年)8-2 では Simpson 則(シンプソンの公式と呼んでいる)をより一般的な Newton-Cotes の公式の特別な例として取り上げている。そこでは計算例として f(x)=4/(1+x2) の区間 [0,1] における定積分が挙げられており,あらかじめ関数 f(x) の分子に 4 を掛けておくという実にもっともな取り扱いがなされていた。

上記の私の拙いプログラムをそのように修正して末尾の PRINT 文のうち不要になったものを省いて 1000 桁計算したところ,59.92 秒で小数第 37 位まで正確な数値を得た。分点はもちろん 220 のままである。

戸川氏の本ではプログラム例は FOTRAN で示されているので,一応それも学んだ上で,拙プログラムを改良するのに参考になる点があれば取り入れたいと思う。
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今日は猫の日。

2022-02-22 22:22:22 | 爺ネタ
古い知り合いから教わったのだが,2 月 22 日は猫の日だそうだ。

そういえば今日は 2022 年の 2 月 22 日である。

それを記念して記事でも投稿しようかと思っていたのだが,2 時 22 分と 20 時 22 分はすでに過ぎ去ってしまった。

ということで,自動投稿機能を利用して,まだギリギリ間に合う 22 時 22 分付けで投稿される手はずにした。

22 が「ニャンニャン」ということなのかにゃ?
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今一つのクオリティだが。

2021-04-01 10:35:10 | 爺ネタ
本日,WHO は新型コロナウィルス COVID-19 の呼称を

コロスケナリ・ウィルス

と改めるというキテレツな決定を発表した。












・・・。嘘です。ごめんなさい。
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