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身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

都市に住む現代人であっても地球への敬意を大切に。 松田 照之

2023年12月の活動から:三ツ池公園での餅つき(田んぼ活動の締めくくり)

2024年02月04日 18時23分11秒 | 新カテゴリー:6.里山環境と里山文化に関して

昨年12月、三ツ池公園で餅つきの活動があったので取材に行ってきました。

三ツ池公園では毎年6月に園内の小さな田んぼで田植えの活動が行なわれます。その稲穂を10月に刈り取って1ヶ月間乾燥させた後、11月に脱穀作業を行ないました。今回は、そのお米でお餅を作るという約半年間の活動の締めくくりです。

三ツ池公園での餅つき

 

私たち日本人は、元々農耕民族です。里山と呼ばれる、人が暮らしやすくするために改変した自然環境の中で古い時代から暮らしてきました。

AIの描いた里山環境のイメージ

 

この里山環境と里山でのライフスタイルこそが人と自然とが共存する環境であり、持続可能なライフスタイルです。そして田んぼも里山環境の一部であり、お餅つきも里山文化の一つです。

人が暮らすためには、もちろん自然環境の改変が必要となります。里山環境も人の手つかずの自然環境なのではなく、人が改変した環境であることには変わりありません。

都市の開発も自然環境の改変ですが、手つかずの自然環境を里山環境に改変するることと都市の開発とは、どう違うのでしょうか。

都市開発は森を伐採し、山を崩して沢や湿地をを埋めて立て、更地(平らな不毛の地)にしてから建設行為を行います。自然環境を全否定し、不用なものとして処理するのです。

これに対し里山での自然環境の改変というのは、山や谷の地形はそのまま生かし、森や湿地も残して活かします。手つかずの森林を間伐したり、下草狩りを行なったりして雑木林に改変し、湿地を整備して池や水路や田んぼを作るのです。このようにして、人が自然環境から生活に必要な物資を得やすくするように改変をするのですが、そのために自然環境はなくてはならないものとして扱い、都市開発のように森林全てを伐採したり湿地を埋め立ててしまったりしないのです。

都市開発が自然環境を全否定しているのに対し、里山環境づくりは自然環境を人の生活になくてはならないものとして活かせるように改変しているのです。

これはとても当たり前のことだけれど、とても大事なことなので何度でも繰り返しお話ししていきますが、人間もこの地球の生命の一つですので、地球の水と緑と生きものたちから成り立っている自然環境がなくては生きてはいけません。

都市開発が進めば進むほど自然環境は壊され、地球の水と緑と生命の星としての環境は失われていきます。

 

地球規模で環境破壊や環境汚染が進んでいると言われる今の時代、ほんらいならば私たちはこうした環境と文化とを守っていかなくてはならないはずなのです。ですので、自然観察をしながら田んぼの活動をするという三ツ池公園での活動は大事な活動だと思います。

 

脱穀した後の稲わらで、しめ縄づくりも行ないました。

しめ縄づくりにはいろいろな作り方があるようで、これは何年か前の活動の時の写真です。

 


後ろを振り返ってもしかたがないので前を向いて歩いていきます

2024年02月04日 09時01分00秒 | 新カテゴリー:8.私の活動やこのブログについて

カテゴリーを組みなおしている関係で、このブログの一番初めの記事から見はじめています。

このブログは2006年から始めました。当時は篠原園地での活動を盛んに行なっていたようです。篠原園地は今では地元自治会が深く関わっていますが、当時は関わっておらず愛護会も発足していませんでした。

環境活動を誰にも無断で行なうはずもなく、私は当時、市や県の公園管理担当部署とも連絡を取っていました。こうした部署から活動の承認も得ていました。昔のことなので行方不明ですが、担当部署の方からコメントもいただいた資料も作成していました。

深く考えたくないことなので、あまりお話ししませんが、私は裏切られました。こうした活動をしていて当然の如く裏切られた経験は他にもあるし、うすうす感づいていたことではありました。

世代も変わり、時代も変わってしまったのです。たまたま私についての悪い噂を聞く機会があり、はっきりと裏切られたことが分かったと同時に、悪意を持たれていることもわかりました。その噂話が全く事実ではなかったからです。

人々は、街に自然環境が残っていたり自然の生きものたちとふれあうのは汚らしい、危険だ、気持ち悪い、みすぼらしい。もっと綺麗で歩きやすい舗装を。綺麗な植栽や園芸植物を。と考えるようになってしまいました。こんなふうに人々が価値がないと考えている自然環境を守ろうとする私は、悪意を持たれることがあります。

新型コロナウイルス感染症の影響で色々なイベントが中止となり、このままでは文化が危機だと言われていましたが、それ以前から危機的な状況となっている文化があります。

里山文化が里山環境とともに危機的な状況になっています。人々が自然環境と共存しようとする姿勢を捨て去ってしまったのが大元の原因です。

でも、前を向いてやっていくしかありません。自分にやれることをやっていきたいと思います。