身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

by NACS-J認定 自然観察指導員 松田 照之

瀬谷の花博計画地での自然観察会に参加。春の七草を探して。

2024年02月18日 12時17分27秒 | 新カテゴリー:6.里山環境と里山文化に関して

昨日2月17日、瀬谷区にある花博計画地で定期的な自然観察会が行われる日だったので、参加してきました。

この日は旧暦で1月8日。七草がゆの行事が行われる1月7日の翌日です。もし日本社会が今も旧暦で営まれているなら、一昨日、新暦の2月16日が七草がゆの日だったのです。

そこで、春の七草の中でも近年なかなか見ることのできなくなったセリやホトケノザ(現代名ではコオニタビラコといいます)を見ることができるかどうか、観察会のリーダーに尋ねてみました。

見られるかもしれないとのことで、期待感を膨らませながら観察会に参加しました。

花博の計画地として整備が進められている瀬谷区の米軍跡地ですが、米軍施設があるのはほんの一部分だけで、ほとんどは畑や田んぼ、樹林地となっています。また、2015年には「生物多様性の保全上重要な里地里山」として環境庁に選定された土地に含まれています。

計画地は広範囲が柵に囲まれており、ゲートから中に入っていきます。ここでは地元の方々が中心の自然環境保全ボランティア「瀬谷環境ネット」のみなさんが、地権者から土地を借りて田んぼの活動や自然観察会を行なうなど、里山の大切さを次世代へと伝えていこうと2006年から活動しているです。

埋蔵文化財の発掘調査が行なわれていました。花博会場整備の工事をしていて、何かが発見されたのでしょう。

冬で落葉しているクワの枝先にガ(蛾)のまゆのようなものが付いています。カイコの原種と言われるクワコのまゆらしいです。

ホトケノザ(左)やヒメオドリコソウ(右)の花が咲いていました。どちらもシソ科の小さな草なので似ていますが、よく見ると花も葉も形が違います。

このホトケノザは、春の七草の一つとして呼ばれる ほとけのざ とは別の植物です。春の七草の一つの ほとけのざ は古代名で、現代ではコオニタビラコという名前になっています。

昔から、ふきのとうと呼ばれ、早春の山菜として親しまれているフキの花芽。

 

ヨモギの若芽。5月になると草餅(ヨモギ餅)の原料として使われます。天ぷらにしてもおいしいです。フキもヨモギも林縁や畑に生育する野草で、田畑や雑木林などの風景とともに親しまれてきました。

ハコベ。春の七草の一つとしての呼び方は、はこべらです。ハコベは地面さえ残っていれば一般的な公園などでも見ることができます。

ホトケノザ(現代名)などと一緒に花を咲かせているナズナ。ナズナも一般的な公園でも普通に見ることができると思います。

ハハコグサ。春の七草の一つとしての呼び名(古代名)は、ごぎょう です。ハハコグサも一般的な公園でも見ることができると思います。

田んぼの畔に生えていたセリ。セリは香草野菜として栽培されることもありますが、本来はこのように湿地や畑の畔に生育する野草です。セリは身近なところでは、なかなか見ることのできない野草になってしまいました。

これがコオニタビラコ。春の七草の呼び名(古代名)では ほとけのざ と呼ばれています。
同じ仲間のオニタビラコとヤブタビラコは一般的な公園でも土の地面の残っているところなら見かけるのですが、コオニタビラコは春の七草の中でも最も見ることができない野草となってしまいました。

これで春の七草5種類です。残りの2種類はカブとダイコン、古代名では、 すずな と すずしろ です。この二つの野菜については、毎日のように食べたり、お店でご覧になっていると思うので、とりあげません。

私が子供のころは、セリは自宅の近くにも見かけたような記憶があります。それが、小規模な宅地造成や道路舗装など都市的な整備の推進のために、湧き水環境や周辺の湿地を埋め立ててしまい、生育環境もろとも姿を消してしまったのです。

春の七草たちの見られた冬の田んぼと畑。

日本には元々、正月に若菜摘みを行なう風習があり、それに奈良時代に中国から伝えられた行事とが合わさって、日本独自の七草がゆの慣習になったと言われています。

このことからもわかるように昔の人たちは、現代のように春の七草をお店で買ったりなどせず、身近にある田畑や雑木林あるいは草地などの里山環境で、自分で見つけて摘んでいたのです。食べることだけではなく、自分で摘むということも慣習、行事の一部だったということもうかがえます。野草たちの生えている環境に出て早春、新春を感じ、それを楽しんでいたのでしょう。名前も知っていて、見分けることもできたでしょう。

野草は、園芸業界では「山野草」と呼ばれていますが、野外で普通に見られるものは商品価値がなく、個体変異で珍しい形や模様となった株が売られているのだそうです。

けれども、もしある野草が希少で数えるほどしか生えていなかったら、少し摘んだだけで絶滅してしまいます。そうではなく、たくさん生えているからこそ、摘んで飾ったり食べたりすることができるのです。

そんな状態にならないうち、たくさん生えているうちから、その環境と一緒に守っていく必要があると私は思います。

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