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身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

都市に住む現代人であっても地球への敬意を大切に。 松田 照之

自然環境はほんらい私たちの身の回りにある環境

2019年05月22日 09時49分31秒 | その他
自然環境はほんらい私たちの身の回りにある環境です。
それは当たり前のことなのですが、私たちが水と緑の生命の星、地球に住んでいるからです。
特に私たち日本人は、元々は自然と共存し、その自然を愛でる文化を持った民族で、この横浜でも昭和40年代50年代まではそのような生活が残っていたといいます。

ただ、それはもう昔の話と言わざるを得ない状況になっています。
そのため世の中の一般的な流れとして、より便利な都市的環境を追い求めるあまり、大切なものを見失ってしまっている印象を受けます。
その大切こととは、地球の水や緑や生きものたちとのつながりがなければ生きてはいけないという、この地球に生きる生命の一つとしての立場。そしてその立場からの目線、認識です。
このことは、下記の記事にも書いておきました。

・町に自然(身近な自然)は必要ないか(2018年3月13日)
・自然環境とは何か(2018年3月16日)

これからヤゴ救出のシーズンとなります。
これらの企画は、自然環境はほんらい私たちの身の回りにあるはずの環境だということ。
私たちの身の回りに時を同じく一緒に生きている生命があるのだということを体感していただくために行なうものです。
ぜひ、下記の記事も合わせてご覧ください。

・ヤゴ救出も身近な自然にふれる機会です(2019年5月15日)
・身近な自然にふれよう!(2019年5月10日)
・自然や自然のいきものたちにふれるということ(2019年5月10日)

自然や自然のいきものたちにふれるということ

2019年05月10日 05時48分48秒 | その他
当然のことながら、この世界は人の作ったものばかりではありません。

空気(大気)、空、太陽、月、そして地球、海、大陸や島々、そこに生きる生きものたち、そしてそれらが作り出している地球上の自然。
私たち人類もそうした地球の自然の中に誕生しました。
人は技術を開発して都市を築き、経済を築いて今の国々がありますが、水や緑や生きものたちによって作り出されている生命の星、地球上に住んでいることは変りありません。
日本人もまた長い間農耕民族であり、山や海の恵みを受けて、また田畑で農作物を作って暮らしてきました。

私たちが地球上の生命の一つである限り、地球上の自然の恵みがなければ生きてはいけないことは、時代が変わっても変わりません。
今のように都市化便利化が進み、身の回りから自然環境がどんどんなくなっても、それは変わりないのです。
自然や自然の生きものたちをふれるということは、そういう正しい認識を導いてくれます。

人間の作ったものばかりにふれて、自然や自然の生きものたちにふれることがないと、こうした認識を非常に持ちにくくなります。
だから自然や自然の生きものたちにふれること親しむことは、とても大切なことなのです。
ただ社会でうまく生きる方法だけを身につけられれば良いというのでは、地球に生きる喜び、地球の自然の恵みを受けられる幸せを感じられないと思います。

この地球に生を受けた一人の人間として、自然の恵みを受けることによって生きられる幸せ、地球に生きる喜びを感じられるよう、身の回りの自然や生きものたちとふれあい親しみながら暮らしていきたいと思います。
そして、それを分かち合いたいと考え、私は自然観察会などの活動を行なっているのです。
少しでも、それが伝われば、とても嬉しいです。

ヒキガエルについて

2019年05月08日 22時32分20秒 | その他
ヒキガエルは地上性のカエルで、落ち葉がある程度積もっていて、小さな凸凹や倒木のある森林や緑の多い人家の地上部に生息します。
昼間に動くこともありますが基本夜行性です。
以前、三ツ池公園で真夏の夜の自然探検を行なったとき、森に隣接した芝生広場の外灯の下に何匹かの小さなヒキガエルがエサを求めて歩いているのを見たことがあります。

私も幼いころ、よく、ヒキガエルのおたまじゃくしを捕獲して子ガエルにまで育てたものですが、その後の飼育は難しいため自然に返していました。
大きくなったヒキガエルを自宅の庭で捕獲して飼育したこともあります。
その時はゴキブリやナメクジを与えていました。
それは小学生のころの国語の教科書だったと思いますが、ヒキガエルがゴキブリやナメクジを食べて、家の中や農作物にとっての害虫を退治してくれるという話が載っていたので、その姿を実際に見てみたかったためです。
ですがエサの確保は容易でなく、その様子の観察が済むと元いた庭に返しました。

昔は隣どうしの家の敷地境界に、よく垣根(木や竹の杭による柵や植木による生垣)が用いられていました。
そのため、エサを追い求めたり冬眠の場所や産卵の場所に行き来するためにカエルたちの移動経路が妨げられることはありませんでした。
ところが今は、ブロックを土台とする柵が主流となったとともに、庭を舗装して地面をなくしてしまう人家が多くなったため、ヒキガエルは庭から消えていきました。
その上、公園などでも森を明るくした方が良いなどと、落ち葉を残さず綺麗に掃き捨ててしまったり、下草を綺麗に刈り上げたり、木々を切ったりするこごが多くなってきたため、ヒキガエルたちはますます町なかから姿を消していっています。

私たちのライフスタイルが変化したことが大きな原因ではありますが、私たち自身がそういうライフスタイルを選択しているのです。
それは自然との共存を捨て去ることを意味していると同時に、生きものたちを絶滅へと追いやる選択をしているのだという認識を持つ必要があると思います。
たかがヒキガエルで?と言い切ってしまって良いものでしょうか?
メダカも昔は当たり前にいたのに、今では絶滅危惧種です。
そんな状況を放っておいて良いとは、私は決して思わないのですが、世の中はなかなかそうはいきません。
おたまじゃくし救出もその一つでしたが、私は私のできることをしていきたいと思います。

2019年5月5日のウグイスカグラ

2019年05月06日 09時26分24秒 | その他
1週間前の4月28日には赤く色づき始めていたウグイスカグラ。
5月5日には、赤くなった実の数が増えていました。
星型でピンク色の小さなかわいい花を咲かせている様子も魅力的な低木ですが、こうして赤い実を付けている姿も魅力的です。


1週間前と比べて赤くなった実の数が増えていたウグイスカグラ

花が咲いていた時と同じように糸のような細い柄の先に赤い実を付けている様子がなんともかわいいです

光に種子が透けて見える様子も繊細で透明感があり美しいです

自然や生きものの話ではありませんが・・・2019年5月よこはまパレード

2019年05月03日 18時54分53秒 | その他
生まれたのは母の実家の方の病院と聞いていますが、幼少期から横浜で育った私。
その頃から両親に連れられて見に行っていた横浜国際仮装行列(よこはまパレード)。
今年も見に行ってきました。一人ででですけど・・・><。

横浜で育った私にとって新緑の並木道のを行進するこのパレードは、すっかり春になってこれから初夏になっていく今の季節を感じさせられます。
夢があり、元気づけられる感じがします。
今年も笑顔と元気と前向きな美しい(正しい)後ろ姿、飛躍、厄払い・・・そういった姿とマーチングバンドの力強い生演奏に元気づけられました。
1人ででしたが、見に行ってきて良かったと思います。


力強い笑顔と元気

ジャンプ!(飛躍)

立ち上げる龍

中国獅子舞が厄払いをしてくれました

行進が止まってもダレることなく足踏みし、美しい(正しい)姿勢を維持して、自分のやるべきことをやり続ける。
・・・そんな印象を受けました。
私もそんなふうに生きたいな。

昨日2019年4月22日の出来事

2019年04月23日 10時25分00秒 | その他
近々に紹介させていただきますが、25年くらい前に港北区役所から「港北区の自然とわたくしたち」という本が出版されました。
私もその執筆者の一人として、名を連ねさせていただいています。
また、その後、続編として「港北フィールドガイド」という港北区内の身近な自然のガイドブックも出版されています。

昨日、その頃の先輩に道でバッタリ会い、このような話をされました。
「以前は港北区にも身近な自然を大切にするための活動をする人が何人もいたが、今ではいなくなってしまったようだ。」
「役所の担当者がそういう人たちを集まる場を作っていたのだけど、そういう担当も役所からはなくなってしまったようだ。」
「・・・松田君、ガンバって!」
協力できることはしてくれるという意味合いで言ってくれたのだと思います。

身近に自然や自然の生きものたちが残っている限り、そしてそれらと親しむことを楽しみにしている方たちがいる限り、私はガンバります!
それは身近な自然も水と緑の地球の自然の一部であり、その中に生きる生きものたちも生命の星地球に生きる生命の一部だと思うからです。
私たちは地球人として、また古い時代から自然と共存する文化を持ってきた日本人として、これらの自然や文化を先人たちから受け継ついでいるのだということ。受け継いだ私たちが次世代へと伝えていく必要があると固く信じています。

サクラの花が散っても

2019年04月21日 08時16分57秒 | その他
サクラの花が散っても、新緑が綺麗です。
ウワミズザクラも咲いていました。
昨日2019年4月20日に三ツ池公園内で撮影しました。


まだ葉を広げ切っていない初々しい新緑が綺麗です。
左の赤みがかったものがクヌギ、右の明るい緑がコナラです。


クヌギの新緑


コナラの新緑


ウワミズザクラも咲いていました。


オドリコソウ


ホタルカズラ


カキドオシ


カラスノエンドウ


アゼスゲ

サクラだけしか見ないのでは春は短く感じるかもしれませんが、こうして、いろいろな春の野草たちが花を咲かせているのを見ると、春はけっこう長いです。
そして次第に初夏の植物へと移り変わっていきます。

都市的生活と田舎的生活

2019年04月21日 07時15分54秒 | その他
私たち人間も地球上の生命の一つ。だから、自然環境がなくては生きてはいけません。
このことは、このblogの中でも繰り返しお話してきている大事なことです。

自然環境と共存するということは、その中の様々なものを利用・活用して生活するわけです。
だから、手つかずの自然環境ということにはなりません。
ですが、自然環境の持つ働きや得られるものの価値を大いに認めて、大事にしながら利用・活用してきたのですね。

こうした生活は昭和の時代までは横浜にも残っていたと聞いていますし、今でも山奥や離島で暮らす人々は、このような生活様式を持っているのではないかと思います。
都市的環境に住む私たちは、こうした生活を送る人々とは、自然環境に対する姿勢・態度が大きく違うのではないかと思います。

それでも、都市的環境に住んでいても、ほんの少ししかできないかもしれませんが、自然環境と共存しようとし大切にしながら生活することは不可能ではないと思います。
たとえほんの少しでも良いのです。大事なのは少しでも良いから行動してみること、そして大切にしようとするその姿勢や態度が大事なのですから。

今年度(2019年)の活動予定の概要

2019年04月06日 08時58分29秒 | その他
新年度となりました。
今年度は早めに予定を立てておこうと思い、私の関わる自然観察会などの活動予定をざっと立てましたので、お知らせいたします。

●初夏
6月はプールのヤゴ救出があります。
篠原園地だけ日程が決まっていて、6月1日の10時からです。
その他のプールでは最低限、綱島公園だけは行なう考えです。
昨年初めて行なった三ツ池公園での「水生植物の自然観察会」は、昨年は8月に行ないましたが、今年は初夏に行なうつもりです。

●夏(真夏)
毎年恒例となっている篠原園地の「夜の自然探検」は今年も行なうこととなると思います。
昨年は岸根公園、綱島公園で初めて「夜の自然探検」を行ないましたが、今年は昨年よりも早めの日程で行なうつもりです。

●秋
昨年初めて行なった三ツ池公園で「ドングリの自然観察会」は今年も行なう予定です。
今年は綱島公園でも行ないます。
また三ツ池公園では「秋の野草の自然観察会」も行ないます。

●冬
自然観察会ではないのですが、三ツ池公園で植物を使用したクラフト教室を他の方に講師をお願いして、構想中です。

●その他、自然観察会等に関するお知らせ
篠原園地はプールが閉鎖されるため、今年が最後となります。
来年以降は、近隣の六角橋公園プールや菊名池公園プールでやっていこうと考えています。
なお団体様から依頼されて、一般の方の参加はできない活動もありますが、それも事後に報告だけはさせていただきます。
来年度は三ツ池公園で「春の野草たちの自然観察会」も行いたいと考えています。


ゴールデンウィーク中に団体様から自然観察会の依頼を受けています。
これから、その下見・打ち合わせに出かけてきます。


ウグイスカグラの木の下で

2019年04月05日 21時08分38秒 | その他
ウグイスカグラはサクラなどと同様に春の植物。すなわち春に花を咲かせる植物の一つです。
大きくなっても2~3メートルの高さにしかならない低木で、花も直径1cm程度と小さく、近くまで行かないと花を付けていることがわかりません。

けれども私は、この植物がとても好きです。
この低木は春になると赤みがかった縁取りの若葉を広げ、星型のピンク色の花を咲かせます。
細くて長い柄の先に下向きに咲くこの花の何とかわいらしく美しいことでしょう!
特に大きく育ったこの木の下からその様子を眺めると、青い空とのコントラストや若葉に陽光が透き通る様子も合わせて、たいへん魅力を感じます。

このように大きく育ったウグイスカグラがたった1本だけ生育している公園が、私の家から徒歩20~30分ほど歩いたところにあります。
今日はその公園にこのウグイスカグラの様子を見に行ってきました。
この木には思い出もあり、毎年眺めながら写真を撮るのを楽しみにしているのです。

写真を撮っている時に眼鏡をかけた男の子と出会いました。
私が何を写真に撮っているのか関心があったようで、その男の子も携帯電話で私のそばで写真を撮り始めました。
きっと私が何を写真に撮っているのか、この低木が星型でピンク色のかわいい花が咲いているのに気が付いていないのだろうなぁと思い、「この木にね、ピンク色の星型の小さな花が咲いているんだよ。」と話しかけました。
「あ、本当だ!」「カメラマンさんなんですか?」と男の子。
私はプロのカメラマンなわけではないので「カメラマンじゃなくても、みんなカメラを持っているからね。」と答えました。

そして「僕が中学生のころはね、この公園(そのころは公園になはっていなかったのですが)には水が湧いてて小川が流れてて、カニさんがいたんだよ。」
「昔はもっと広かったんだけど、向こうにあるマンションを建てるために壊されて、この場所だけが残ったんだよ。」
と昔の様子を教えてあげました。
男の子は「それじゃぁ、自然破壊だね。」と言っていました。
「そうだね。」と私。

「今日撮った写真は 菊名エコクラブ っていうブログに載せておくから見てね。」
「プールのヤゴ救出や自然観察会もやるから、その予定もブログに載せるからね。」
とお話して、別れました。

小学4年生で理科が好きという、この男の子。
ヤゴ救出や自然観察会などで、また会えればいいなと思っています。
私も子供のころ、このような大人とのふれあいがあったのです。
私はまだ結婚もしておらず、子供もいませんが、親の代から伝えられてきた大事なことを次の世代へと伝えていきたいと思っています。




お花見と本来の春らしさ

2019年04月01日 06時45分39秒 | その他
桜は確かに綺麗だとは思うし、お花見の会場、名所に出店している屋台なども含めて、その楽し気な雰囲気が好きなことは好きです。
けれども、春に咲く花はサクラだけではありません。
それなのにサクラだけにしか目を向けない風潮が世の中に蔓延していることに対して残念な気持ちでいます。

なぜなら春は様々な植物たちが花を咲かせ、緑が萌えるのですから。
私たちの身の回りにはもともと色々な植物が生育しているものです。
サクラだけしか生えていない、生やさせないというのは、とても不自然なことです。
僕はサクラが見れなくても、これらの植物とふれあえれば春だと感じますが、逆にこれらの植物たちとふれあうことなしにサクラを見ても春という感じは薄く、淋しい感じさえするのです。

しかしながら、昔は家の近所の道端や空き地や土手で、こうした植物たちが普通に見られましたが、今ではどんどん空地も土手も消失し、地面も舗装されて、見られなくなってきてしまいました。
非常に残念なことに緑の多い、地面の残っている公園でさえも自然の草花はいらないと言われ、これらの野草たちは抜き取られたり刈り取られたりすることが多く、残っていかないケースさえ見られるのです。

そこで我が家では、こうした植物たちをコレクションしていて、これらの植物たちとふれあって春を楽しんでいます。
自宅の庭に植えた、元々私たちの身の回りで普通に見られたようなこれらの植物たち。
実物を見ても、こうして撮った写真を見ても、本来サクラというのは、春に見られる色々な植物の中の一つに過ぎないということ。
春は花だけでなく、緑の萌える季節なのだということがわかります。
この本来の自然環境の姿を身近に取り戻したくて、庭にこれらの植物たちをコレクションしたのです。

念のため書き加えておきますが、我が家のこうした植物の中には、僕の幼少期から近所では見られなかった植物も含まれています。


我が家の庭にはサクラも植えてはあります。
5年くらい前に高尾駅の京王線構内のお花屋さんで購入した、フジザクラ(富士山の麓に自生するという在来種)の実生苗です。
本当は地元にも自生するヤマザクラの花の咲く実生苗がほしいと思っていたのですが、野生種の実生苗はあまり流通しておらず貴重なため購入しました。


この春に購入したサクラソウ(日本サクラソウ)です。
昔(僕の幼少期)に近所に地元に生育していたわけではありませんが、日本の代表的な春の野草。
現在では全国的に絶滅危惧種となっています。


スミレも花を咲かせはじめました。
右が町なかでもよく見られるタチツボスミレ、左は判別が付かないのですがエイザンスミレか、ヒゴスミレだと思います。
タチツボスミレは雑草扱いされて引き抜かれてしまうため、公園の花壇からいただいてきました。
左のスミレは昨年植木市で販売されていたハナイカダと一緒に生えていたので、このスミレほしさに購入したものです。


ウラシマソウです。
これは僕の幼少期から、近所でもみられました。
しかしながら本文で書いたように、どんどん見られなくなってきました。


ホウチャクソウ。
ホウチャクソウも近所の野山や野山環境の公園でよく見られますが、刈り取られてしまい、毎年は見られない公園もあります。
見られないと、その年だけ見られないだけなのか、それとも本当に消失させられてしまったのかがわからず、心配になります。


昔は近所の土手などでよく見られたキランソウです。昔からある地面が次々と消失したり舗装され、見かけなくなってきました。
この株は元農家の知人のお庭から分けていただいたものです。


ワスレナグサに近縁の日本の野生種キュウリグサです。
これは植えたものではなく、自然に我が家の庭や敷地内の地面に生えています。
ワスレナグサのミニ種のような花が栽培しているわけではないのに、野草として自分で生育してくれているのって、ステキなことだと僕は思います。
小さいですが、ブルーの花が綺麗です。


一昨年に植木市で購入したモミジが小さな花を咲かせています。
モミジの魅力は紅葉だけではありません。
今の時期の新緑、萌える姿も魅力的です。


謹賀新年

2019年01月01日 13時09分47秒 | その他
新年明けまして、おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年撮影している初日の出と富士山の写真、2019年版です。
今年は雲間から放射線状に射す陽光が美しい初日の出となりました。
富士山と波は、昨年は曇っていて富士山がくっきりは見えませんでしたが、今年は良く見えました。




ブログ更新遅れます

2018年12月25日 11時25分04秒 | その他
次回のblog更新、先週末にするとお伝えしていたのですが、すみません。
遅れて、年末年始になります。
大掃除、お片づけを早めに終わらせようと思い、始めてしまったためです。

今、私は自宅での野草を大切にした庭づくりに力を入れたいと考えています。
この庭づくりは2~3年前から始めました。
不要物の処理、昔から植わっている低木の植え替えや土入れ、土留めなどの作業をほぼ一人で行なっていること。
また、技術的な問題のほか、レイアウトも詰めがしっかりしておらず、なかなか完成しない状態が続いています。

しかしながら、現在三ツ池公園で進行中の野草の名札付けや保護活動、来年計画している野草の観察会などとも連動して行いたいという強い意向があり、来年1月中には8割程度の完成させたいと考えていいます。
そのためには、今年のうちにその準備として大片付け・お掃除をまず終わらせておく必要があり、始めてしまったのです。
冬鳥(冬の渡り鳥)が渡ってきているので、そうした自然観察も行いたいところなのですが、春に芽吹く植物たちのため、この冬は庭づくりに専念するつもりです。

そういうわけですので、すみません。
年末年始には更新しますので、もう何日かお待ちください。
みなさん、良い年末年始をお過ごしください。











昨日の活動報告

2018年10月07日 11時21分08秒 | その他
昨日10月6日(土)は鶴見区にある神奈川県立三ツ池公園で、水生植物の自然観察会を行ないました。

参加者は5名とそう多くはなかったのですが、みな私の目を見たり、うなづいたりしながら興味深く話を聞いてくださり、大変良い感じの自然観察会となりました。
自然観察会は自然観察指導員(自然観察ガイド)の声が届かなかったり、参加者全員が同時に同じものを見たりすることができないため、少人数で行なった方が良いのです。(ただし参加者の方が多い場合、それなりの方法はあるかと思います。)

私の幼少期も含め、昔は小川や池や水田などの水辺の自然環境がああり、そこに水生植物も生育していたものです。
しかしながら、住宅密集地のさらなる密集地化で、そのような環境はほとんどなくなってしまいました。

ヨシはよしずに、ガマの穂の綿毛は布団の綿として、ミソハギはお盆用のお花として、ショウブはしょうぶ湯に、セリは山菜として・・・いくつも挙げらるくらい、水生植物は元来私たちの身近にあり、生活の中で使われてきました。
私たち人間も、地球上の有機生命体である限り、自然はなくてはならないもの。
もともとは生活の中で必要だった自然や自然の植物たちが、今では使われなくなり、反対に邪魔者や悪者にされているのは大変残念でなりません。
今のように何でもお金で買って済まそうとする生活では、自然の恵みや大切さが感じられないのです。
今一度、こうした水生植物たちを見直してみるという内容で、観察会を進めました。

今度の活動は10月20日(土)に13:30から、三ツ池公園で、どんぐりの自然観察会を行ないます。


写真は観察会を終えた後の仲間たちとのお茶会です。
ほしかった木の実もいただきました。

日本人が自然を愛でる民族だったのは昔の話と言わざるを得ないのではないでしょうか

2018年09月06日 14時42分09秒 | その他
日本人は自然を愛でる民族だと、外国の人たちから言われてると聞きますが、そのようなこと言われて良い気になっていたら、いけないと思います。

なぜなら、はっきり言って、日本人が自然を愛でるだなんて過去の話と言わざるを得ない現状だからです。

・落ち葉が出るし見晴らしが悪いから木はいらない。切っちゃえ!
・虫・カエル・ヘビ・・・気持ち悪いからこの世からいなくなってほしい。こいつら殺虫剤でも食らえ!
・雑草、草ボーボーで汚らしい。除草剤蒔いちゃえ!
・土も汚らしいから舗装しちゃえ!
・町なかに自然や自然の生きものなんていらない!いなくなってしまえ!絶滅しちゃえ!

少なくともこれが、今の日本の人口の集中する特に都市部(市街地、町なか)での現状じゃないでしょうか。
こうした人々が多数派になっている日本。
年にたった一度だけお花見をするくらいで、普段はこのようなことを思ったり言ったり、実際にやったりしている。
このような今の日本人が、自然を愛でる民族だなんて言えるわけないと私は思います。

でも、昔の日本人はこんなこと言わなかったのです。
親の代の人たちから、そんなこと聞いた記憶ありません。
もし、そんなことを言い出そうものなら「そんなこと言うものではない。」「それは間違っているよ。」と両親をはじめ、周りの大人たちから注意されたのです。

子供のころ、自分の親や近所の農家の方から、このように聞きました。

「地面を舗装しちゃうのは本当は良くないことなんだ。なぜなら土も生きているから。」
「土の中にミミズやセミの幼虫など、いろいろな生きものたちがいるのに舗装などしたら、地表に出れらなかったり呼吸できなかったりして、死に絶えてしまうから。」
「土壌自体、目には見えない微生物が無数にいて、だから土が生きている。」
一度舗装したら、こうした微生物が死んでしまい、土が死んでしまうことになる。
舗装を取り除いても、そんな土壌が回復するためには何年もかかる。」

今これらの言葉を思い出すと、日本人が農耕民族として土をいかに大切にしてきたかがうかがえます。
こうして土の中の小さな生きものたちや落葉、里山・里地の循環を大切にしてきたのです。

「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」は人気があるけれど、その中に描かれている自然や自然の生きものたちと仲良くしようとする姿勢は、みんなどこにやってしまっているのでしょうね。

こんな日本、日本人になってしまったことをたいへん残念に思います。
こうした点を反省したいものです。
そして日本人の自然を共存してきた心を何度でもふりかえり、少しでも取り戻し、次世代へと繋いでいくことに貢献したいと考えています。