今日は、今年1回目のランドセル地蔵の御開帳の日です。地元にいても、未だに行ったことがなかったので、是非、お地蔵さまに会いに行かなくてはと、透析の帰りに会いに行きました。
クリニックの近く、ダイエーそばの停留所から、松枝住宅行きのバスに乗り込みました。約30分ほどで、花川という停留所で下車しました。相即寺は、バスの中からもよく見えたので、迷うこともありませんでした。
このお寺の地蔵堂は、もともとは、豊臣秀吉によって落城した八王子城の戦死者たちを供養するための、150体の石のお地蔵さんが安置されています。
今日は、八王子城が落城した日なので、地蔵堂の扉が開かれます。
ランドセル地蔵のいわれが書かれています。
地蔵堂の中に安置された石地蔵達。
1945年7月8日、東京・品川の原国民学校から疎開していた4年生の神尾明治(あきじ)君が、米軍の戦闘機の銃撃により命を落としています。八王子も安全ではなかったのです。我が子の死の知らせを聞いて東京からやってきた母親は、疎開先の隣保館近くの相即寺の地蔵堂の中のお地蔵さんの中に、我が子に似たお地蔵さんを見つけ、遺品のランドセルをしょわせました。寺の住職には、毎年、お参りに来ると約束して帰りましたが、母親もその半年後に、我が子の後を追うように亡くなってしまいました。
地蔵堂は、6月23日の他に、明治君の命日の7月8日と、子どもたちが夏休みに入る8月8日に毎年、扉を開け、ランドセル地蔵の姿を見ることができます。
いつもは、扉を閉ざしている地蔵堂の前には、新しい石のランドセル地蔵がいました。お隣には、延命地蔵が祀られていました。
このお話は、地元の児童文学者の古世古和子さんによって掘り起こされました。古世古さんは、毎年、明治君の命日にお参りに来るそうです。
なお、御開帳の時間は、3日とも8時から18時です。
私達は、このランドセル地蔵の話を後の世にも伝えていく必要があります。愚かな戦争と、平和の尊さとともに。
クリニックの近く、ダイエーそばの停留所から、松枝住宅行きのバスに乗り込みました。約30分ほどで、花川という停留所で下車しました。相即寺は、バスの中からもよく見えたので、迷うこともありませんでした。
このお寺の地蔵堂は、もともとは、豊臣秀吉によって落城した八王子城の戦死者たちを供養するための、150体の石のお地蔵さんが安置されています。
今日は、八王子城が落城した日なので、地蔵堂の扉が開かれます。
ランドセル地蔵のいわれが書かれています。
地蔵堂の中に安置された石地蔵達。
1945年7月8日、東京・品川の原国民学校から疎開していた4年生の神尾明治(あきじ)君が、米軍の戦闘機の銃撃により命を落としています。八王子も安全ではなかったのです。我が子の死の知らせを聞いて東京からやってきた母親は、疎開先の隣保館近くの相即寺の地蔵堂の中のお地蔵さんの中に、我が子に似たお地蔵さんを見つけ、遺品のランドセルをしょわせました。寺の住職には、毎年、お参りに来ると約束して帰りましたが、母親もその半年後に、我が子の後を追うように亡くなってしまいました。
地蔵堂は、6月23日の他に、明治君の命日の7月8日と、子どもたちが夏休みに入る8月8日に毎年、扉を開け、ランドセル地蔵の姿を見ることができます。
いつもは、扉を閉ざしている地蔵堂の前には、新しい石のランドセル地蔵がいました。お隣には、延命地蔵が祀られていました。
このお話は、地元の児童文学者の古世古和子さんによって掘り起こされました。古世古さんは、毎年、明治君の命日にお参りに来るそうです。
なお、御開帳の時間は、3日とも8時から18時です。
私達は、このランドセル地蔵の話を後の世にも伝えていく必要があります。愚かな戦争と、平和の尊さとともに。
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戦争は 理屈なしに いけない人間の罪です
絶対に繰り返してはならない
そのためにも こういった話は
ずっと語り継いで行かなければと思います