チョコラ! - goo 映画
もう久しく渋谷を訪れることがなかったが、今日は、109の横を通ってユーロスペースへと道を急いだ。初めての映画館で、最初は道がよく分からなかった。何とか、無事、第1回の上映に間に合いそうだった。ドキュメンタリー映画『チョコラ!』を観るために、非透析日の今日、遠出をしてみた。小林監督も、今は透析患者だ。この映画のためのケニアへの長期取材は、シャントを作っての命がけのものであった。透析患者としての興味も、この映画の上映に足を運ばせた理由の一つだ。調子の悪い時は、翌朝、無事に目覚めることができるだろうかなどと思うことのある透析ライフだが、生きることを否応なく考えさせられることがある。
生きるために、屑を拾って生きていくストリートチルドレンの生活を観ることで、何らかの生きるエネルギーがもらえるような気がした。
子どもたちは、したたかに生きていた。生きるためといえばそれまでだが、決した悲壮感に満ちた生活ではなかった。子ども同士が助け合って生きていた。監督の視線が、至る所に感じられた。
彼らのピラフパーティの場面は、観ている立場の自分を圧倒した。彼らのお祭り。できたての熱いピラフを仲間で分け合う。そして、歌い、踊る。
空き缶をたたきながら「チョコラ」の歌を歌い、踊る。
「今から99年も昔のこと 僕は小さな子どもだった その頃 街をうろつくことを覚えた 貧乏はつらいけれど ビニールシートで作った僕の家は 役所のヤツらに取り壊された もう僕には寝場所がない トラックの下が僕の寝床さ 僕のからだに寒さが襲いかかる 警察には泥棒って言われ 人々からは”チョコラ”と罵られる
本当に貧乏はたまらない そんなときに出会った人が 僕をセンターに連れてきた」
ここで、子どもたちは、センターというところを”モヨ”に変えて歌った。
「モヨは僕たちの家…… たばこはやめたよ シンナーもやめた ドラッグも全部やめた モヨは僕たちの家 踊れ 踊れ! みんなで踊ろう のってるかい のってるかい 革靴で踊れ」(小林茂編著「チョコラ! アフリカの路上に生きる子どもたち/岩波ブックレットより引用)
彼らのお祭りの中に、生き続けて行くエネルギーと希望を見出す。
※モヨとは、ストリートチルドレンのデイケアと、孤児院を運営している松下照美さんの運営しているモヨ・チルドレン・センターのことである。
ストリートチルドレンを生み出した原因の一つには、親の世代のエイズの蔓延がある。映画でも、スラム街で二人の子どもを育てるシングルマザーを取材している。彼女の娘が食事の時の祈りで、「コバさんの病気がなおりますように。」という一節を加えていた。この内容は、監督が帰国して編集作業の時に気が付いたという。チョコラ達も小林監督のことを心配してくれたそうだ。自分たちの境遇からも、他人を思いやる気持ちは忘れない。
遠く日本を離れたケニアのティカで今も懸命に生きるチョコラ達。僕たちをどこかでつながっている。
※リーダー格のマウラも映画に出ているが、その後急死したという。前述の本を読んで知った。
もう久しく渋谷を訪れることがなかったが、今日は、109の横を通ってユーロスペースへと道を急いだ。初めての映画館で、最初は道がよく分からなかった。何とか、無事、第1回の上映に間に合いそうだった。ドキュメンタリー映画『チョコラ!』を観るために、非透析日の今日、遠出をしてみた。小林監督も、今は透析患者だ。この映画のためのケニアへの長期取材は、シャントを作っての命がけのものであった。透析患者としての興味も、この映画の上映に足を運ばせた理由の一つだ。調子の悪い時は、翌朝、無事に目覚めることができるだろうかなどと思うことのある透析ライフだが、生きることを否応なく考えさせられることがある。
生きるために、屑を拾って生きていくストリートチルドレンの生活を観ることで、何らかの生きるエネルギーがもらえるような気がした。
子どもたちは、したたかに生きていた。生きるためといえばそれまでだが、決した悲壮感に満ちた生活ではなかった。子ども同士が助け合って生きていた。監督の視線が、至る所に感じられた。
彼らのピラフパーティの場面は、観ている立場の自分を圧倒した。彼らのお祭り。できたての熱いピラフを仲間で分け合う。そして、歌い、踊る。
空き缶をたたきながら「チョコラ」の歌を歌い、踊る。
「今から99年も昔のこと 僕は小さな子どもだった その頃 街をうろつくことを覚えた 貧乏はつらいけれど ビニールシートで作った僕の家は 役所のヤツらに取り壊された もう僕には寝場所がない トラックの下が僕の寝床さ 僕のからだに寒さが襲いかかる 警察には泥棒って言われ 人々からは”チョコラ”と罵られる
本当に貧乏はたまらない そんなときに出会った人が 僕をセンターに連れてきた」
ここで、子どもたちは、センターというところを”モヨ”に変えて歌った。
「モヨは僕たちの家…… たばこはやめたよ シンナーもやめた ドラッグも全部やめた モヨは僕たちの家 踊れ 踊れ! みんなで踊ろう のってるかい のってるかい 革靴で踊れ」(小林茂編著「チョコラ! アフリカの路上に生きる子どもたち/岩波ブックレットより引用)
彼らのお祭りの中に、生き続けて行くエネルギーと希望を見出す。
※モヨとは、ストリートチルドレンのデイケアと、孤児院を運営している松下照美さんの運営しているモヨ・チルドレン・センターのことである。
ストリートチルドレンを生み出した原因の一つには、親の世代のエイズの蔓延がある。映画でも、スラム街で二人の子どもを育てるシングルマザーを取材している。彼女の娘が食事の時の祈りで、「コバさんの病気がなおりますように。」という一節を加えていた。この内容は、監督が帰国して編集作業の時に気が付いたという。チョコラ達も小林監督のことを心配してくれたそうだ。自分たちの境遇からも、他人を思いやる気持ちは忘れない。
遠く日本を離れたケニアのティカで今も懸命に生きるチョコラ達。僕たちをどこかでつながっている。
※リーダー格のマウラも映画に出ているが、その後急死したという。前述の本を読んで知った。
生きるという意味,ふと考えること,ありますよね。
もちろん,生死というセットでです。
いろんな思い,ありますが,人とのつながりに感謝しながら,今を精一杯生きたいものです。
通りすがりですが,ふと,分を読ませていただきながら,日常考えていることをコメントさせていただきました。では失礼します^^
日常の中にも、ふと、生き死にを考える瞬間があります。直に忘れて、また、普段の生活に戻ることも多いのですが、残像が長いこと残ることがあります。
どうか、お仲間におひろめくださいませ。
「チョコラ!」へ至る道がほんの少しですが、本を読むことで共有できた重いです。でも、監督の生き方は、平凡な僕からははるかかなたのものでした。
再び、旅行透析で、監督がケニアに訪れることがありますね。そして、新たな作品が生まれることを期待しながら、今も、透析をしながら本を読んでいます。
ウガンダの子どもたち、学童保育の子どもたちの所を読みました。写真も見ながら。