トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

今年の伝統芸能の公演

2009-11-16 00:35:32 | わが街と近隣
 11月15日、第7回八王子車人形と民俗芸能の公演を観に行く。

 八王子には、8つの獅子舞が伝承されている。箱根から北にみられる、独り立ち3匹獅子舞の形式をとる。
 オープニングは、石川町御岳神社龍頭の舞保存会による棒使いの演技だが、文化庁支援事業「伝統文化こども教室」成果発表ということで、小学6年生4人による演技であった。伝統芸能の伝承が若い世代によって担われることが大切なことである。

 演目1は、狭間獅子舞保存会による「洞入りの舞」。最初に、子どもによる棒術から始まった。新撰組で名が知れるようになった天然理心流の流れをくむ型である。演目2は、田守神社獅子舞保存会による「終庭(しまいにわ)」。高校2年生3人による獅子舞。やはり、若い世代による伝承ということだ。
 八王子に残る獅子舞は、各地域により、獅子頭や花笠、舞の仕方がそれぞれ特徴がある。狭間獅子舞では、南蛮から渡った獅子、ライオンの系譜が歌の内容からもうかがわれる。インドからはるばる日本に伝わってきた獅子たちが、村人に祝福を与えるという形式をとったものなのだろう。
 田守神社の獅子頭は、龍頭である。激しい舞で、天の竜神に雨乞いをするために舞われたという。
 興味深かったのは、両者ともに伝承される「雌獅子隠し」の舞である。2匹の雄獅子が1匹の雌獅子を争うものである。激しい争いに、昔の人の素朴な性に対する思いが感じられた。子孫繁栄や、豊穣を祈る行為がその根底にあるのだろう。最後は、和解で舞が終わる。

 演目3、今回は、車人形と説教節の会の共演で「日高川」(「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」 )の渡しの場の上演であった。車人形は、戦前は説教節(薩摩派)と共に演じられたが、現在は、義太夫節で語られる機会も多くなっているので、説教節で演じられる機会は楽しみにしていた。
 現在の車人形は、効果的な照明の使用など、本来のものよりも洗練されているのだろう。もともとは、農家の庭先などで演じられることもあった。人形も小さいmの名ので、小さな会場での講演の方がふさわしい。
 演目は、道成寺物の安珍清姫の、清姫が蛇体に変わるまでの嫉妬の話である。仏教の語りでは、執心の否定ということになるのであろうが、現代では、清姫の心情の受け止め方が変わっているのかも知れない。
 人形なので、川を泳ぐ所や、頭が蛇身に変わるがぶという見せ場がある。

 薩摩派の説教節は、消滅の危機もあったが、今では、しっかりと後継者にも恵まれて、その伝統を伝えている。書物の中でない、生きた説教節がこれからも続くことが期待される。なお、「日高川」は、説教節というよりは文楽の演目としての印象が強い。説教節といえば、小栗判官や山椒大夫がまず思い浮かぶのであるが。









 狭間獅子舞の獅子頭と、軍配。北条氏照が獅子頭と軍配を下賜したのが、始まりだとの伝承が残っている。





 田守獅子舞の高校生の舞手。若い世代の伝承がされている。



 会場では、各団体による解説とワークショップが行われていた。



 身近な郷土芸能に親しむということは、大事なことであると思っている。わざわざ、教育基本法を改正して、愛国心を強制することはないのである。本当の愛国心は、自然と起こるものでなければなるまい。郷土を愛する気持ちも、権力によって強制されるものではないのである。

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