トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

国語に関する世論調査

2008-07-25 20:10:58 | 国語・言葉・言語・外国語
 今年も文化庁24日に「国語に関する世論調査」(2007年度)を発表しました。

 昨日、一軒の本屋が街から姿を消しました。三省堂書店の閉店後に入った本屋ですが、長く持ちませんでした。別の大型書店も今年閉店しています。新たに、駅ビル内に書店が開店しましたが、頑張って営業を続けてもらいたいものです。
 活字離れが進んでいるという事は、当然国語力も低下しているということでしょう。言葉は、その国の文化の基礎をなしています。また、数学や自然科学を理解する上でも、文章の読解力が必要とされるのは、自明の理と言えるでしょう。

 毎年、発表される前述調査結果から、ある程度の国語の置かれている状況を推し量ることができます。文化庁のホームページに、調査結果の要点が載せられていますので、是非参照してみてください。

 その要点から、言葉の理解に関する問題を見ていきたいと思います。なお、07年度の調査は3月に面接方式で実施されました。全国から抽出した16歳以上の3445人のうち、1975人から回答を得た調査です。

問19 どちらの言い方を使うか。()内は回答の割合。

⑴「全力で物事に取り組み事」を
   心血を傾ける (13.3%)
   心血を注ぐ  (64.6%)

⑵「論理を組み立てて議論を展開すること」を
   論戦を張る  (35.0%)
   論陣を張る  (25.3%)

⑶「何かがきっかけになって、急に物事の本質が分かるようになること」を
   目から鱗が取れる(8.7%)
   目から鱗が落ちる(80.6%)

⑷「卑劣なやり方で、失敗させられること」を
   足下をすくわれる(74.1%)
   足をすくわれる (16.7%)

⑸「胸のつかえがなくなり、気が晴れること」を
   留飲を晴らす(26.1%)
   留飲を下げる(39.8%)

問20 どちらの意味だと思うか ()内は19年度、《》内は15年度

⑴ さわり 例文:話のさわりだけ聞かせる。
   話などの最初の部分のこと     (55.0%)《59.3%》
   話などの要点のこと        (35.1%)《31.1%》

⑵ 煮詰まる 例文:七日間に及ぶ議論で、計画が煮詰まった。
   (議論が行き詰まり)結論が出せない状態になること (37.3%) ―
   (議論が出尽くして)結論の出る状態になること   (56.7%) ―

⑶ 憮然  例文:憮然として立ち去った。
   腹を立てている様子       (70.8%)《69.4%》
   失望してぼんやりとしている様子 (17.1%)《16.1%》

⑷ 檄を飛ばす
   元気のない者に刺激を与えて活気付けること        (72.9%)《74.1%》
   自分の意見や考えを、広く人々に知らせて同意を求めること (19.3%)《14.6%》

⑸ 琴線に触れる
   怒りを買ってしまうこと     (35,6%) ―
   感動や共鳴を与えること     (37.8%) ―

 いずれの答えも、二行目の文が正解である。
 なお、⑵の「煮詰まる」については、世代間で意味の取り方に大きな差が見られた。若年層(16から19歳、20代、30代)では、「結論が出せない状態」と答えた割合は(76.3%、69.5%、73.0%)だった。一方、高年層(50代、60代以上)で「結論の出る状態」(本来の意味)で答えた割合は(77.3%、73.1%)だった。※40代は、ほぼ半数ずつの割合で答えている。


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5 コメント

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問20の4番 (ななの小町)
2008-07-25 20:43:44

間違っちゃったです・・・

日本語~ちゃんとお勉強しないとねっ。わたし

私も本が好きなので、本屋さんに行くとうれしくなる~のでした。

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修行をしなくては (トッペイ)
2008-07-25 21:12:44
 この問題に、足をすくわれてしまいました。
日本語を大事にしなくてはと思いつつ、修行が足りない自分に反省しています。
返信する
問20の4番 広辞苑でも。。。 (芙蓉峰)
2008-07-25 23:38:31
広辞苑の第6版には、【②俗に、元気のない者に刺激を与えて活気づける】とあります。
「俗に」という但書があるにせよ、ここまで来ると、ななの小町さんも間違っちゃっていないんではないでしょうか。

ついでに広辞苑の初版を調べたら、「檄を飛ばす」という慣用句の説明が載っていません。

ぼくの憶測ですが、第6版で「イケメン」が採用されたように、初版の頃と比べるとこの慣用句を使う人が増えたのではないでしょうか。

だとすると、一般的な日本人の知的レベルはむしろ上がっていることにならないでしょうか。

以前ぼくが、トッペイさんは時々人を軽んじているのではないかと思うことがある、と疑問を呈したのは、実はこういう点なのです。
あれほど科学を重んじるトッペイさんが、こういう問題になると、何故かくまでマスコミの論調に乗せられてしまうのか。

ぼくが問題だと思うのは、一般人の知識・文化レベルの低下ではなく、知識階級と呼ばれる人たちのレベルの低さです。

ぼくの両親などは、明治・大正生まれなので義務教育もろくすっぽ受けてません。
当然、「檄を飛ばす」などという難しい言葉は知りません。

誤解されると困るのですが、グローバル化の中で日本が一頭地を抜くためには、何人の超天才を生み出し育てて行けるかが重要だと、ぼくは考えています。
野球で言えば、野茂やイチローのような。

ぼくは超天才どころか、普通の天才にもなれないので、超天才のような女王蜂のためなら自分は働き蜂になっても良いと思っています。

それは決して自分自身を貶めることではなく、奴隷になることでもありません。
もちろん、日本という「国家」に隷従するものでもありません。
逆説的な言い方になりますが、自分の能力の限界を知ることで、誇りを持って仕事に励めるということです。

トッペイさんがコールド・リーディングの話をされていましたが、今回のような調査結果も、ぼくには似たり寄ったりのものに思えてなりません。

ぼくの両親のような昔の一般的な日本人が、今の人より正しい日本語を話していたとは、ぼくには到底信じられないことです。
こういう問題こそ、科学に基づく合理的な証明をしてもらいたいものです。
ここにも、トッペイさんの嫌う非合理主義が隠れ潜んでいるのではありませんか。
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そうですね (トッペイ)
2008-07-26 00:26:00
 実は、言葉は変化するものであるという視点を今回は敢えて論点に入れなかった事が、問題を顕在化させたのでしょう。
 日本語も歴史的に見れば、使用法も意味合いも変遷を続けてきたし、今も変化が進行形の形で続いています。
 古文を読んでみれば十分確認が出来ます。
今使っている科学や医学用語も江戸時代以降の造語が少なくないようです。

 文化庁の調査は、あくまでも一つの定点観測として理解されるものだと思われます。
 ただ、言葉の変遷との兼ね合いを判断することは、大変難しいものも孕んでいます。日本語が豊かになるためには、我々の先人が新たに言葉を作り出した功績も忘れることはできませんが、先人たちには十分な文化的な言語力という下地があったのでしょう。

 ただ、現在一部に見ることのできる、語彙の減少化傾向とは区別しなければならないと思われます。

 言葉は生きているという事です。この先、日本語もどんどん変化していきます。

 我々市井の人間の先輩が使っていた言葉は、また、話し言葉という別の次元の問題と関連してくることでしょう。

 人間同士がコミュニケーションするための言葉と、学問するために使用する言葉は、道具性という観点からも、違いが生じやすい傾向にあります。専門用語を、日常で使う機会はあまりありません。必要が無いというのが、本当の所でしょう。

 これから、資源のない日本が、知的財産権で食べていけるように、新しい世代への「学問のすすめ」のほんの少しのおせっかいだと理解していただければ幸いだと思う次第であります。

 

 

 
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思いは同じです (芙蓉峰)
2008-07-26 09:22:12
資源のない日本が、知的財産権で食べていけるように、というトッペイさんの意見に諸手を挙げて賛成します。

そのためにも、超天才の生成化育が不可欠であるという思いから、昨日のコメントをしました。

手塚治虫という超天才のおかげで、今の私達がどれほどの恩恵を受けているか想像もつきません。
と同時に、そのような天才を受け入れるだけの文化レベルを持った庶民がいたことも忘れてはならないと思います。

女王蜂と働き蜂のたとえは、そういう意味を含んでいます。

今の日本は、人々が余りに平均化し過ぎているのではないか、と常々思っているもので。

ぼくは、周りに会社員という者が一人もいない環境の中で育ったので、特にそう思うのかも知れません。

自分の望む通りの仕事に就いた者もいれば、やむを得ずその職業を選んだ者もいますが、各自がその仕事にに誇りを持ち、それを楽しんで、それぞれの一生を終えました。

今のように、仕事でうつになる社会は、やはりどこか狂っているとしか、ぼくには思えません。

最後に、資源のない日本が食べて行くために、知的財産権と並んで金融資産の有効活用が不可欠と考えています。

1500兆円の個人資産の運用を、今のまま役人に任せて置いたのでは大変なことになります。
人格的にも技術的にも優れた、超天才的なファンド・マネジャーの育成が喫緊の課題と考えています。
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