トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

無常観を感じされる二つの作品 その1

2010-05-25 01:39:10 | 芸術
百年の家 (講談社の翻訳絵本)
J.パトリック・ルイス,ロベルト・インノチェンティ
講談社

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 日本の文化の底を流れていた「無常観」は、現代の日本人の心の中の記憶に刻み込まれているのであろうか。日本の古典文学を読むと、そこには、無常観がいつも潜んでいる。源氏物語も、方丈記も、作者とその時代に生きた人々の無常観を読み取ることができる。

 この大事な感覚は、大事にしたいものである。生ばかり強調され、死を無視すること傾向に進む現代の日本の社会から忘れ去られるのは、残念なことである。是非、時間があったら、先祖たちが残した文化遺産を読むようにしてもらいたい。特に、若い人たちに。きっと、まだ、記憶の深層には、無常観が流れているかもしれない。

 アメリカ人の書いた絵本「百年の家」は、古い家が語る物語である。家のたどってきた一生を描いた作品で、時代と共に変化していくものと、変化しないものが、定点観測のような絵も加わって描きだされている。
 この古い家が、最初に建ったの1656年。世の中にペストが蔓延していた時代だ。最初は、石と木から作られて簡単な作りの家であったが、時代と共に、しっかりした作りの家に変わっていった。しかし、廃墟となってしまった。物語は、その廃墟となった古い家を、1900年に子ども達が発見して、彼らの家族がその家も修復して住むことから始まる。
 ページをめくりながら、同じ場所ではあるが、家を含めて、その人間がいる風景が変化していくのだ。古い家の100年の歴史が、家自身の言葉で語られる。
 その家に住んだ一家の歴史も、家の視点から語られる。娘が、煉瓦職人と結婚したのは、第1次世界大戦の年。花婿は兵士でもあった。人々の平和の願いに反して、若き夫は、戦死してしまう。結婚式の場面を見ることになった読者に対する気持ちは如何。やがて、彼らの子どもが生まれる。厳しい自然環境の中で、ブドウ栽培を続ける家族の姿。そして、1942年、第2次世界大戦の年。その家は、戦争を避けて逃げてきた人たちの居場所となった。家は問う、「千の太陽がきらめく戦争は、だれの戦争なのだろうか?」と。戦争中も、農民は、農作業を続けた。抵抗運動の兵士たちが、時たま、彼らの作業を手伝ってくれた。そして、終戦。彼女の息子は、街へ出ていった。1967年、母親である彼女のお葬式。雨が降っていた。1人、この家に残った未亡人の死。そして、古い家は無人の家となっていった。古い家は、感じる。やがて、自分の身体も壊れていくことを。しかし、古い家の意識だけは、残っていた。自分というものの存在を感じていた。古い家のあった場所には、100年目に新しい別の家が建った。しかし、「つねに、わたしは、わが身に感じている。なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と」

 


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