野鳥と野鳥写真(観察と展示)

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2024春の彼岸・・・(3/17日~23日)

2024-02-21 13:05:49 | 野鳥写真

 

第二十二回東京多摩野鳥写真クラブ 写真展開催案内ポスターとハガキ・・・(4月開催)

開催案内ポスター・・・(TAKAO 599 MUSEUM写真展)

開催案内ハガキ・・・(日程確定)※郵便番号欄は入っている

野鳥写真展のご案内・・・(4月開催)

開催期間:2024-4-6()~12日()(7日間)

開催場所:TAKAO 599 MUSEUM 2Fギャラリー

開催時間:8:30~17:00(初日:9:30~、最終日~16:00)入場無料

主催者:東京多摩野鳥写真クラブ 写真展 テーマ:多摩と全国の野鳥達-Ⅱ

展示作品サイズと点数:A3ノビ 65作品

写真展の特徴あまり見たことのない全国の野鳥達を展示しています。

展示施設の特徴:フードコートがあり、見学の前後に揺ったりと談笑が出来る施設となっています。

こんな作品が展示予定となっている・・・(参考)

野鳥達の仕草(生態)・・・(次期写真展のテーマ作品10点←候補15点)

 前回は「飛ぶ」がテーマの作品群を展示しましたが、次回は「仕草(生態)」がテーマの作品群を出展することにしたいと、現時点(ほぼ決定)で思っているが、まだどうなるかは分かりません。※10点出展予定としているが、(食べる・飲む・探す・咥える・捕まえる・鳴く・囀る・踊る・集める・求愛・争う等)の野鳥達の生態や仕草の行為の作品を出展する。

 展示作品等に、もし興味のある方は会場が公共施設(売買行為が出来ませんので、写真展終了後に施設外でお渡しします)なので、申込書を置くことにしており、写真展終了後に連絡します。

食べる・・・(さくらんぼを食べるコムクドリ)

飲む・・・(川の水を飲むキレンジャク)

咥える・・・(大きな魚を食えるダイサギ)

捕まえる・・・(オイカワを捕まえたササゴイ)

探す・・・(林道脇で見連れるとヤツガシラが餌探しをしていた)※旅鳥

鳴く・・・(求愛時期に鳴き交わししているアカショウビン)

 10m以内の至近距離からの撮影でしたので、普段はなかなか撮れない距離なので、近過ぎてジャスピンを出すのに苦労しました。

囀り・・・(繁殖時期を迎えていたノゴマ)

 6月の道北大雪山の山の上はガスがかかり、三回もケーブルカーに乗って撮影することになってしまいました。

踊る・・・(求愛ダンスをするタンチョウ達)※国の天然記念物

集める・・・(巣造り中のヤイロチョウ)

 日本では主に本州中部以南に繁殖のため夏鳥歳て渡来し、また日本でのみ本種の確実かつ継続的な繁殖が確認されている

求愛・・・(仲良しブッポウソウ達)※国鳥

争い・・・(縄張り争いのキジ達)

山口線SLの貴婦人・・・(おまけ)※津和野駅を出ると直ぐの撮影スポット 第二弾!

 俄かに山口線(山口駅と津和野駅を土日に運航している)を走る貴婦人の山口号が人気となっているという、全国各地のSLの営業運転が週利用しているため、注目されているようです。※カメラ三台(三脚に二台・手持ちで一台)で撮影した。

山口線の在来線を走る懐かしいジーゼルカー・・・(現在は使われていない)

異常な雪不足・・・(温暖化の影響によるものなのか)

 彼岸とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ※最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(或いは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。※俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

 サンスクリットのpāramの意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā )の意訳「至彼岸」に由来する

 悟りに至るために越えるべき渇愛や煩悩を川(暴流)に例え、その向こう岸に涅槃があるとする(三途川とは無関係。但し、「波羅蜜」の解釈については異説が有力であるが、浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。※昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきた。※現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。※それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。 

 後期高齢者になると、若い時と違い時間は充分在り、こんな時に今まで出来なかったことなどを人生を思い起こしながら振り返り又今後の余生を設計することも必要なのかも知れないと考えてもいいと思っている。※前だけ向いて突っ走て来た若い時代が誰もがあっただろうし、幾度かの人生帰路(就職・結婚・子育て・定年退職・老後の人生等)に立ち、諺の「光陰矢の如し」と、月日の過ぎていくのは、飛ぶ矢のように早いものと感じられるのが前後期高齢者の未来かも知れません。※人生100年と言われている昨今は未だ現役だとおっしゃる方も少なくないと思われるが、頭はともかく体の衰えは儘ならない筈であり、少しでも元気なうちに残り少ない人生を有意義(典型的な自己主義者の言い分)に暮らしていきたいものです。※自分のことながら猛省し、単細胞に趣味(死ぬ前に頑張っても単なる自己満足の他なんでもないことを少しでも早く知るべである)に明け暮れるだけでは子供や家族に迷惑を掛けてしまうことになります。※まだ仕事をされている方々も居られると思いますが、残り少ない人生(もう直ぐ全ての欲もなくなり、断捨離の時が近づいているため、大事な残りの時間をもっと有効的に使うべきと思います)をお金のためだからと、大事な時間は二度と戻ってこないので、趣味や余暇のために航海のないように過ごされるべきと、個人的には考えている。※こんな歳になり、残りの人生を少しで他人のためや後進のために役立てたりしている人だが、そんな志を持っている人達が大勢いるため、そんな人達を見ると頭が下がります。※仕事嫌いの自分にはこんな歳で仕事をするなんて、考えも及ばないが、あまりお金に執着(何のために生きて来たのか、現役だけで仕事は充分と思う人間もいる)がないので、気の置けない仲間達と楽しく生き延びることだけを考えている。

 人間は死ぬと普段何も考えていない、お寺さん(仏教の信仰のないまま大抵の場合、仏教のお寺の世話になる)のやっかいなり葬儀や埋葬されるが、好むと好まざるに拘わらず死人に口なしで、親族の残された者の意思により、仏前や神道・キリスト教(生前クリスチャンでなければあり得ないが・・・)で葬儀や埋葬されることになる。※こんな時だからこそ生前(どうな葬式にするとか、お墓はどうするのかとか)に家族でどうするのかと、話しておくと残されたものが苦労しなくてよいことになる。※奥さんや子供達も経験したことのないことするため、大変苦労することになるので、親としての義務の一つとしてちゃんとしておくべきです。※お寺(宗派のこともあったりする)と墓地(近年は葬儀については家族葬で行い、墓碑も建てずに樹木葬等が人気があり、一般的だとも言われている)さえ決まっていれば、残された家族が苦労することなく、順調に葬式が出せることになる。※遠いお墓(富士山が見えるからと、又風光明媚だからと遠くにお墓を買ってしまうと、家族が大変なことになる)は後から家族がお彼岸等の墓参りに大変なので、生前によく話し合っておく必要がある。※自分の死期(外出せずに楽ばかりの生活で、全く疲れていないため、ここ数日休養充分過ぎるのか眠られず、寝不足(「春眠暁を覚えず」を実践しているようです)で頭がフラフラしていたので、そんなことを考えてしまいました)を考えることが、増えてきたように思えるため、他人は「死ぬまでしか生きられない」と、冗談を言っている歳ではなくなりました。

 


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