叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」百十七

2010年03月20日 | 新・仏教教室

 妙を隠している経 *

山本さん、
「先生前の回で、仏界と九界が同時に具わっている不思議な法があって、
それを妙法蓮華経と云うのだと言われましたが。。。
そうしますと、たふん九界の凡夫である私のような者でも仏界の果がある
という意味ですか。」

ジツチャン、
「山本さん、その通りです。。
九界を因とし仏界を果とする不思議な法である妙法蓮華経が、みんなの本
来の姿なのです。。

 これを悟っている人を仏といい、これを知らずに迷っている人を凡夫と言
います。
これを悟るには自分の命(心)に仏界という素晴らしい命があることを信じ
て、南無妙法蓮華経と唱えれば隠れていたのが現れてくるのです。。。

ナムというのは帰命するという意味で、妙法蓮華経という宇宙の法に従う
という意味であります。
もっと正確に言いますと日蓮大聖人が書き顕されたご本尊に向かって唱え
るのが正しい仏道修行のありかたです。

 先に方便品第二から法華経二十八品の説法が始まったと言いましたが、
方便品の方便のことを秘妙方便といいまして、フツウに使う、ウソも方便と
云う方便とは意味が違うのです。。。

秘妙方便とは、妙を秘す(隠す)という意味で、妙を悟った仏は知っています
が、そうでない人は知らないので妙を隠していることになります。。

 妙を隠している九界の凡夫も。。。
 妙を悟った仏も。。。
生命活動をする場合は、次の十の方式にのっとって活動すると方便品は
教えています。
 十の方式といいますのは。。。

一,相(外見) 二、性(性質・心) 三、体(相と性となって現れる生命本体)

四、力(生命の持つ力) 五、作(外界に及ぼす影響) 六、因(九界のこと)

七、縁(因が果となるのを助ける) 八、果(仏界のこと) 九、報(むくい・それ
ぞれの因果に応じた報を現す)

十、本末究境等(ホンマツクキョウトウ・・一の相から九の報まで過不足なく
性質が一貫している状態のこと。。
たとえば仏界は一から十まで一貫して仏の性質(歓喜)であり。。。
地獄界は一から十まで一貫して地獄の性質(苦悩)であることを言います。

 以上を十如是(ジュウニョゼ)といい方便品の中で一番大事なところである
と言われています。

続く   

 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十五

2010年03月19日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十五

 それにしても、とのは随分お変わりになられたものだ。悪源太と言
われていた若い頃からお仕えしているが、その頃から家臣には思いや
りの深い方だったが、短気で乱暴もされたのが今では円満なお方にな
られた。

 彦四郎は、小源太にいわれて名越の北条時安邸に使いに行ったとき
のことを思い出した。
彦四郎を使いに出したことを忘れて、小源太は馬を飛ばして名越に行
き用事を済ませて出てきたところで、丁度着いた彦四郎とばったり出
会ったのだ。

「彦四郎、なんでここにおる。」 

小源太に言われて彦四郎は驚いたが

「はい、とののお使いで・・」

と彦四郎が言うと小源太は、はっと気がついて、

「いやあうっかり忘れていた。すまんすまん、用事はもう済んだから
一緒に帰ろう」

と大笑いしながら帰ったのだ。あの時のとののばつの悪そうな顔とい
ったら、今思い出してもおかしくなる。と、彦四郎は思わず顔をほこ
ろばした。

「源八、早駆けするぞ。」 彼は振り向いて言うと馬に鞭をいれた。

    「ハッ」

源八の声が聞こえたと同時に馬は松葉ヶ谷を目指して一目散に走って
行った。

続く
 


人間賛歌 幸せに生きる 十二

2010年03月17日 | 幸せに生きる
 一日差の奇蹟 *

 S軍曹は出征前、御本尊様に、激戦地には行かないよう祈って出発しま
した。。
結局、戦争が終わって日本に引き揚げて来るまで、自分の銃の引き金に
一度も手をかけることなく、願いどおりの軍隊生活を送ったのです。。  

 さらに驚愕する出来事がありました。。

S軍曹が、米軍によって開放された仲間とともに和歌山港に着いた時でした。
おりしも南太平洋の別の島からの引き揚げ船が港に着いていました。
そこでS軍曹はソロン島で一緒だった仲間の一人と出会ったのです。。。

 仲間は懐かしそうに彼を見つめて声をかけました。

「おまえは運の強い男だなあ。。
おまえがソロン島を発った次の日に、敵の飛行機が島に不時着してな。。
場所が通信隊の基地内だったので、隊員たちが飛行機に乗っていた三人
の敵兵を捕虜にしたんだ。。
 通信隊では捕虜の取り扱いに困って、たびたび本部に、どうすればよい
か。。指示を求めたが返事が無かったのだ。。

仕方がないので彼らは捕虜を銃殺して埋めたのだか、これか連合軍にバ
レてね。。
 通信隊員の主だったものは、戦争犯罪人としてオーストラリアに送られ、
軍事裁判の結果全員が死刑になったのだ。。。
 おまえが島を出るのが一日遅れていたら、今こうして生きてオレと話して
いないと思うよ。。ご先祖様に感謝したほうがいいと思うね。」

 と言ったのでした。

 S軍曹は体が硬直しそうな衝撃を受けました。。
あの島にいたら通信隊の責任者として処刑は免れなかっただろう。。。

 ご本尊様ありがとうございました。
なぜソロン島からアンポイア島に転任になったのか、いままで分からなかっ
たのですが、いま気がつきました。ぜんぶご本尊様のおはからいだったの
ですね。このご恩は一生忘れません。。

 Sは妻が待っている東京に帰る予定でしたが、予定を変更し、富士の山
に御安置されている大御本尊にお目にかかり、お礼を申し上げてから帰省
しました。
Sは、その後学会の副会長になって草創期の発展に寄与しました。。
そして立派に使命を果たし、御本尊に恩返しをして一生を終わったのです。

続く  




「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十四

2010年03月15日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十四

 そのころ小源太の家臣斉藤彦四郎は、由比ヶ浜通りを東に名越坂に
向かって馬を駆けていた。
由比ヶ浜通りは西に行くと大仏坂を通って京に行く道に通じているの
で、まだ人通りがあった。人通りを避けて海岸を行こうかと思った
が、時間がかかるのと馬の疲労を考えて街道を行くことにしたのだ。
    
 郎党の源八が後ろに続いていた。早駆けすると通行人を驚かすので
若宮大路を過ぎるまでは馬の足のままに任せていた。
月は無く星明りの下に三善邸の大きな屋根が左にみえてきた。

 彦四郎がそろそろ早駆けしようかと思ったとき、ちょうど道は橋に
かかった。馬の前足が橋にかかった時だった。突然、

  ザブッ、
と水をはねる大きな音がして何やら白いものが川の上に飛び跳ねた。
音に驚いたのか馬が一瞬立ち止まった。

  何だろう。

星明りのもとで橋の下に目を凝らしていると、ザブッ、と前よりも大
きな音をたてて、真っ黒いものが水の中にもぐっていった。

  なんだ、鯉だったのか。

さっき白く見えたのは鯉が腹をみせてはねたのだ。ふと彦四郎は妻の
白い顔を思い出した。小源太に命じられてすぐに飛び出したので妻に
言う間がなかったのだ。

 とのの事だから使いを出して事情を話しておいてくださるだろう。

 彦四郎はそう思いすこし安心した。

続く


人間賛歌 幸せに生きる 十一

2010年03月13日 | 幸せに生きる

 戦場の楽園 *

 一ヶ月ほど入院しているあいだに、平成霊異記のことをすっかり忘れてい
ました。体調も良くなってきましたので、霊異記の続きをまた書いていきます。

これから私がここに書くことは、古い学会員ならたいていの人が知っている
有名な信仰体験です。。。
今では二世、三世の学会員が多くなり、
昔のことを知らない人もいますので、本稿では、それらの貴重な体験を記
録していきたいと考えています。。。

 昭和十八年の夏の頃、
戦争の敗色が濃い南太平洋のソロン島に転任してきた、一人の職業軍人
がいました。。名前をS陸軍軍曹といい、通信隊の所属でした。
S軍曹はソロン島の通信基地で、敵の通信の妨害をしたり、日本軍の情報
中継地の役目を担っていました。。

 Sは創価学会に入って法華経の信仰をしていました。。

「自分は職業軍人だから、激戦地の南太平洋に派遣されてもそれは致しか
たない。ただ法華経を信仰している身だから、出来れば自分も殺されず、
敵も殺さなくてすむような任地に行きたい。」

という虫の良いことを御本尊に願っていたのです。。

 ソロン島の通信隊の責任者として軍務になれたころ、突然、そこからはる
か南のアンポイア島に転任するよう命令が出ました。
「ここでも敵は多く、味方が少ないたいへんな所なのに、ここよりはるか遠
い小さな島では、敵に攻められたらひとたまりもないだろう。。」

 と思いましたが命令には背けず、小さな漁船を借りて一人で、任地に出
発しました。。
 南太平洋の青い海と。星が落ちてきそうな夜の空。。
敵に見つからないよう日中は緑したたる島に上陸して身を隠し、夜になる
と漁船を動かして、四、五日かけて任地に到着しました。

 「あんな楽しい旅はなかったよ ! 」
と本人が述懐していましたが、戦争とはまったく関係ないのんびりした観光
旅行を官費でやったのです。。。

着任したアンポイア島は、平和な島でした。
敵の影ひとつなく終戦まで一発のタマを打つこともありませんでした。。。
朝晩は近くの丘に登って日本の方を向かい、勤行唱題をするのが日課に
なりました。
 島の住民はおとなしく親切で、果物と魚は取り放題という。。。
夢のような軍隊生活を終戦まで送ったのです。

 続く  



 


 

  


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十三

2010年03月12日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十三 

「さようか。それもこれも頼朝公以来の幕府のご威光のおかげじゃ。
ところで、今度の蒙古の申し出には幕府はどう対処されるおつもりじ
ゃ。」

「はい、京の朝廷にもお伺いはたてているようですが、まだ如何に対
処するか決め兼ねているようです。
いずれにしても幕府が一丸となって国難に立ち向かわねばならないと
覚悟はしていますが。」

「そうじゃ、執権どのはまだ若年ゆえ、そなたたちがよく補佐して遺
漏の無いように頼み申すぞ、隠居はしていてもこの時昭いざとなれば
筑紫まで馳せ参ずる用意はできているのでな。」

 小源太は残っていた盃の酒をうまそうに飲み干すと盃を伏せて置い
た。かねが、

「御前、もう少しおすごしなされては」 と留めるのを、

「いや、すっかりご馳走になった。時節がら余りのんびりともしてお
れない。これで失礼する。奥方も一度大学どのともども我が家に参ら
れよ。」
 
と言って立ち上がった。

 斉藤彦四郎は、由比ヶ浜通りを東に名越坂に向かって馬を駆けてい
た。由比ヶ浜通りは西に行くと大仏坂を通って京に行く道に通じてい
るので、まだ人通りがあった。
人通りを避けて海岸を行こうかと思ったが、時間がかかるのと馬の疲
労を考えて街道を行くことにしたのだ。

続く
    

 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十二

2010年03月08日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十二

「左様でござったか。天皇も帰依し日本一の名刹といわれる叡山でも
そのような所なのかのう・・」

小源太が言ったとき、三郎の妻女かねが酒肴を用意して座敷に入って
きた。

「御前様、急なことで何もできませんが、どうぞお召し上がりくださ
い。」

と言ってかねは、小源太の差し出す盃になみなみと酒をついだ。

「これは奥方かたじけない。」

小源太は盃を押し頂き、口に持ってくると味わうように酒を口の中に
含んだ。なんとも言えぬよい匂いが口中に広がった。

「うむ、これはよい酒じゃ。」 彼はさも旨そうに飲み込んだ。

「ところで大学どの、近頃の京の様子はどうかの。さびれているとい
う噂だが」

「はい、との私も自分の目で見たわけではありませんが、承久三年の
変で朝廷方が義時公に亡ぼされてからは、火が消えたような淋しさだ
と聞いております。」

「やはりそうか。」

「街道も鎌倉に来る道は、人や馬で賑わっているそうですが、京には
行き来する人も少なくなり、商家もやっていけなくて閉めたところも
多いようです。それに比べて鎌倉の繁盛ぶりは、京の人が見て驚くほ
どのものだそうです。
江ノ島の辺りには大船が並んで錨を降ろし、鎌倉にむかう街道や川の
渡し場は、人や馬であふれていると申しますから。」

 続く


人間賛歌 「新・仏教教室」 百十六

2010年03月07日 | 新・仏教教室

 即身成仏とは ?

山本さん、
「先生、法華経を説く前の爾前経では歴劫修行しなければ成仏(仏界を開
くこと)出来ないとされていたのが、
法華経に来て即身成仏(その身そのままで仏の境涯になること)できるのは、
ナゼなのですか。」

ジッチャン、
「爾前経は、仏の悟りを直接教えても、みんなが理解できず逆に疑う心を
起こしますので、みんなの能力に応じて分かる範囲で説いた教えです。
だから、修行も長い歴劫修行が説かれたのです。。

しかし法華経を聞いて理解できるまで能力を高めた衆生には、仏の悟りで
ある法華経をそのまま説きました。。
これを随自意(仏の真意を説いた)の教えといい。。
爾前経は随他意(衆生の能力にあわせて説いた)の教えと言います。

 釈迦は法華経の説法をする直前に無量義経という経を説きます。。
無量の義、無量の現象は妙法蓮華経の一法より生じることを明かした教え
です。
それに続いて、
妙法蓮華経方便品(ホウベンボン)第二の説法が始まりますが、その冒頭
で、諸仏が悟った智慧は甚深無量で、衆生の想像をはるかに超えており、
その智慧を得るのはたいへん難しいと言います。。

 では釈迦を始、諸仏はどうしてその智慧を得たかといいますと。。
無数の仏に仕えて修行した結果、妙法蓮華経を悟って無量の智慧を得た
のだ。。と明かすのです。

妙法蓮華経をひとことで言い表すことは出来ませんが、日蓮大聖人の御書
の中に、

 「至理は名なし、聖人理を観じて名をつけるとき、因果具時・不思議な
 一法を妙法蓮華経と名付け給う」 (趣意)

の御文があります。。。

因果倶時不思議な一法とは、九界の因と仏界の果が同時に具わっている
ことです。別々に有るのではなく、どちらを現しているかの違いで・・
 九界の因を現しているのが凡夫であり・・
 仏界の果を現しているのが仏であります。。。

 妙(仏界)法(九界)蓮:華(華=因と実=果が同時なので因果倶時を表す)経
 (比類のない最高の教え)

という意味であります。
 続く  

 

 


 

 

 


 

 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十一

2010年03月03日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十一

 当時の酒はにごり酒が普通で、澄んだ酒(清酒)というのは珍重さ
れていた時代だった。
時頼が京から珍しい清酒を手に入れて、こんな旨い酒を一人で飲んで
は面白くないと思い、北条宣時に使いをやって、夜分だがすぐ参るよ
うに、と伝えた。
突然のことで宣時が何を着て行こうかと途惑っていたところ、再度時
頼から使者が来て、夜分だから着る物は何でも良い。早く参れ、と促
したという話が残っているくらいで清酒は北条一門でもなかなか手に
入らない貴重なものだったのである。

 鎌倉の町には今で言う居酒屋のような、酒を飲ませる店がすでにあ
ったほどで、酒を売る店は各所にあった。時頼が建長四年の凶作のと
きに禁制を出し、鎌倉中の酒の販売を禁止したことがあった。その時
の調査で鎌倉中の民家にあった酒壷は、三万七千二百七十四個にのぼ
ったと「吾妻鏡」に記録されている。

当時の人々にとっても酒は必需品として日常生活に欠かせないものだ
ったのである。

 「大学どのは京では随分ご苦労されたことであろう。お察しいた
す。」

小源太がしみじみした口調で言った。

「それはもう比企の家が亡んで、幸か不幸か私は正室の子ではなく屋
敷には住んでいなかったので難を逃れました。命からがら母に抱かれ
て京に逃れたのです。
嫡流でないことでお見逃しになったのでしょう。命だけは助かりまし
た。」

 三郎はそう言って遠くを見るような目付きをした。

「初めは仏門に入って亡くなった方々のご冥福を祈ろうと思い、叡山
に入門しました。それが仏門とは名ばかりで学問どころか、寺同志の
勢力争いに明け暮れ荒みきっていました。そこで私は、寺を抜け出し
学問の道を志したのです。」

続く 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十

2010年03月01日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十

「それはありがたい。おって使いの者をよこすのでその節は頼みもう
す。ほかに用むきもあるので今日はこれにて失礼しよう」

と小源太が立ち上がろうとするのを三郎はあわてて止めた。

「との、幕府の動きにつきましては、今日に今日のことですから平の
頼綱どのの動きもないようでしたが、変わった動きがあれば私のほう
からお知らせします。

 ところでとの、私が以前いました京都から珍しい酒が届いておりま
す。
お差支えなければご一献差し上げたいと思いますが」

「ほう、酒には目がないので、それに京の酒とは珍しい。
暗くなるのを待って飛び出してきたので、いささか腹もすいてきた。
ご馳走になろうかのう。
それに大学どのに頼みがあるのだが、供の者も腹をすかせていようか
ら湯づけでも振舞ってやってくれぬか」

「承知しております。家内に申し付けていますので馬の世話がすみま
したら、あちらで夕餉を差し上げるよう手配しております」 

 「それはお気遣いありがたい。大学どのは、長らく京にお住まいだ
ったから、京の様子もよくお分かりだろう。京の話を肴に上方の酒を
馳走になろうか」

と言って小源太は座り直した。

大学三郎能本(よしもと)は、頼朝によって亡ぼされた比企能員(ひ
きよしかず)の子で、比企家没落後は京都に逃れて学問に励み、今は
小源太の推挙もあって幕府に用いられ儒官として仕えていた。

続く