日 蓮
「 おのおのがた、大事な罪人をひとり残して、いずれに行かれたか。
はやく戻って首を切られよ、夜があけると見苦しかろう。
< いそぎ戻って首を切るべし >」
と、高らかに呼びかけるが、だれも戻ってくるものはいなかった。
兵士らは、先刻の光景が脳裏に焼きつき離れなかったのだ。
青白い閃光に照らされ、東天に向かって悠然と座っている日蓮の姿が、
うやうやしく、ただの人とは思えなかったのだ。
日蓮の処刑に失敗し、なすすべもない平 頼綱に、
このとき熱海にいた執権北條時宗の使者が、下知状(命令書)をもって、
とんで来た。
下知状には、
「この僧の首を切ってはならぬ。命に背けば罪を得るであろう」
としたためてあった。
執権の命令に背けば、死罪にするとの厳しい達しである。
これで日蓮の処刑は取りやめとなった。
こののち、流罪地佐渡に向かって旅だつか、ここでは省略する。
師の無事を見届けた四条頼基は、弟たちと屋敷に戻り、熊王はひき続き日蓮の供をした。
文永八年(1271)九月十二日、ウシの刻(午前一時から三時) 日本国、
相州竜ノ口で起きた事変だった。
劇 終わり。
注釈
「 未萌を知るを聖人といい、過去、現在、未来の三世を知悉するを大聖という、よつて以後日蓮上人を日蓮大聖人と呼ぶ 」
続く