叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十四

2007年05月02日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き

日 蓮

「 おのおのがた、大事な罪人をひとり残して、いずれに行かれたか。
 はやく戻って首を切られよ、夜があけると見苦しかろう。

 < いそぎ戻って首を切るべし >」
 と、高らかに呼びかけるが、だれも戻ってくるものはいなかった。


兵士らは、先刻の光景が脳裏に焼きつき離れなかったのだ。

青白い閃光に照らされ、東天に向かって悠然と座っている日蓮の姿が、
うやうやしく、ただの人とは思えなかったのだ。

日蓮の処刑に失敗し、なすすべもない平 頼綱に、
このとき熱海にいた執権北條時宗の使者が、下知状(命令書)をもって、
とんで来た。

下知状には、

「この僧の首を切ってはならぬ。命に背けば罪を得るであろう」

としたためてあった。
執権の命令に背けば、死罪にするとの厳しい達しである。

これで日蓮の処刑は取りやめとなった。
こののち、流罪地佐渡に向かって旅だつか、ここでは省略する。
師の無事を見届けた四条頼基は、弟たちと屋敷に戻り、熊王はひき続き日蓮の供をした。


文永八年(1271)九月十二日、ウシの刻(午前一時から三時) 日本国、
相州竜ノ口で起きた事変だった。

 劇 終わり。

注釈

「 未萌を知るを聖人といい、過去、現在、未来の三世を知悉するを大聖という、よつて以後日蓮上人を日蓮大聖人と呼ぶ 」

続く

 

人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十三

2007年04月25日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き、

 首切り役人が太刀のサヤをはらい、大上段に振りかぶった。
「いざ、首を打たん」
と身構えた、そのときである。

東南の空に異変がおきた。
漆黒の闇のなかから、 月のように光るものが現れ、
刑場を照らした。 たちまち互いの顔が見えるほど、明るくなる。

「はて、面妖な、なにごとならん」

おもわず兵士たちは、空を見上げた。
そのとき、刑場は、昼のようにほの白く、変化した。

青白い閃光が、矢のごとき速さで、刑場を襲ったのだ。
太刀を振りかぶった、首切り役人は、閃光に目を射られ、
その場に倒れ伏した。
役人の手を放れた太刀が、青白い光を放って、地面をころがる。


 「 ウワアーツ ! 」

と、どよめきの声が起こった。

兵士たちは恐怖に眼をひきつり、悲鳴をあげ、木立の中へ逃げ込む、
馬上で腰をぬかし、馬の背にはいつくばる者、

一丁ばかり先まで逃げて、地べたにひれ伏し、日蓮に手を合わす者もいる。
なにを思う間もない、一瞬のできごとであった。
さしもの軍勢が、日蓮と頼基の師弟を残し、ひとりのこらず姿を消した。
おもだっ役人や、平 頼綱の姿も見えない。


日蓮は微動もせず、なにごともなかったように端座したままだ。
東天に向かって、

「 南無妙法蓮華経 」

と題目をとなえる声が、静寂を取り戻した刑場内に、ひびきわたる。
カガリ火に照らされた日蓮の影が地に写り、炎がゆれるたびに巨大な影が動く、

日蓮は唱題をやめ、ムシロのうえに立ち上がった。

続く


 

人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十二

2007年04月19日 | 鎌倉竜ノ口事変

 第二幕 続き

「いよいよの時なり」
四条頼基は胸のつまる思いで、馬上の日蓮をあおいだ。日蓮はなにごともないようすで、平然と馬を進める。

このへんは浜から離れているので、波の音はしないが、
ザワ、ザワ、と風で鳴る樹の音が激しくなった。

兵士たちが、にわかに忙しく動きだした。
首の座の四隅にカガリ火をおき、その中に荒ムシロを重ねてしいた。

頼基の弟や熊王は、囲みの外に連れて行かれる。
木立を背に、刑場の正面には、幕府のおもだった役人や、総大将の
平 頼綱の姿も見える。


日蓮は馬から降りた。
そばにいる頼基が師のからだを、いたわるように支える。

日蓮
「頼基どの、さらばじゃ、ご舎弟や熊王にはそなたから伝えてくだされ。
いずれの地であれ、日蓮が生死の縛を切り、久遠の仏のいのちを現すところは、
釈迦が悟りを開いた地とおなじ寂光土(ジャクコウド)じゃ。

のちの世のために、日蓮が振る舞いをしかと見届けるようお願いする」

日蓮は言い残し、ムシロをしいた首の座に歩み寄った。
正面に向かって一礼し、東を向いて端座した。日蓮が幼少をすごした故郷安房の方角である。

周りを囲む兵士たちは、しわぶきひとつ立てず、カタズを飲み、なりゆきを見守った。


 林を通りぬける風の音が、あたりの静寂を破って、
 過ぎていく。
 首切り役人が大刀を手にし、日蓮の背後に立った。
 日蓮は懐中から数珠をとりだし、両手にかけ合掌すると、

 「南無妙法蓮華経」

と声高く三唱した。

「ただ今なり」
四条頼基はその場に座り、日蓮にむかって合掌した。

続く

 


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十

2007年04月07日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き

四条頼基
「上人さま、四条頼基お知らせをたまわって、ただいま参上しました。
弟たちも一緒に参っております」
と日蓮に言う。

馬上の日蓮は、

「おお頼基どのか、夜分おそいのによく来てくだされた。
ご舎弟たちにもご足労をかけて痛み入る、この通りじゃ」

日蓮は馬上で頭をさげた。

「頼基どの、そなたにかねてもおしていたように、日蓮はこれから首を斬られにいく、
その前にぜひそなたに会っておきたいと思い、熊王を使いにだしたのじや」

四条頼基

「上人さま、たいせつな師匠をこのような目にあわせ、不覚な弟子と四条頼基まことに、もおしわけなく存じおります」

日蓮

「頼基どの、なにをもおされるか、日蓮がこの数年があいだ願ってきたのは、このことじや。
日蓮は無始以来、数え切れないほど生死を繰り返してきた。
そのなかには法華経を修行し、仏になる寸前まできたこともあった。

それが仏にもならず、今生で貧窮下賎の身で生まれたのは、
過去世で妻子や所領のため、いのちを惜しみ法華経を捨てたためであった。

それ故、今生でまた法華経をたもつに当たって、今度こそどんなことがあっても退転せぬ。
途中で退転するぐらいなら、始めからたもたぬ、と固く誓ったのじや。

その誓いが本物かどうか、いま試されているのだ。
みなわが身よりでたこと故、そなたが案じることではござらぬ」

兵士たちは一言も発せず、日蓮と頼基のはなしに聞き入った。
いつのまにか頼基は日蓮の馬のそばを歩いている。頼基の弟たちも兄に続き、熊王もそのなかにまじって、遅れまじと足を進める。


 海岸に大波が打ち寄せ、そのたびに、トドッ、トドッ、と大地を叩く
 音がとどろく、
 兵士の持つタイマツが、炎をあげ、馬上の日蓮と、
 並んで歩む頼基の姿を、黄金色の明かりでつつんだ。

 闇夜の月のごとく、まわりを照らしながら、行列は進んだ。

 続く    


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 九

2007年03月31日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き

 登場人物追加

四条頼基  日蓮上人の弟子、北條一族江間氏に仕える武士で、
武術にすぐれ医学の心得もあった。鎌倉在住信徒の中心的人物で、長谷に住んでいたといわれる。


一行が長谷の御霊社をとおりすぎ、由比ケ浜に出たときだ。
行列を追って疾駆する騎馬の一団があった。それも一騎や二騎ではない。
数頭の馬がヒヅメの音をあわせて、一直線に近づいてくる。

「すわ、くせものが現れたか」

兵士たちは色めきたち、隊列を組みなおして身構えた。そこえ先頭の一騎が駆け寄った。
馬上のサムライは手綱をしぼり、馬をとめるとヒラリと下馬した。

え帽子、ひたたれ姿に威儀をただした屈強の武士だ。
武士はホコリをはらって身を整え、兵士たちの前に立った。

「おのおのがた、しばらくお待ちくだされ、
それがしは江間北條家につかえる四条頼基ともおすものである。けっして怪しいものではござらぬ。

それがしが日ごろ師事する日蓮上人がこのなかに居られるときいて、一目あいにまいったのだ。
うしろにいるのは、それがしの弟たちで、けっして乱暴をするものではない。
故に、上人に四条兄弟があいにきたと、お取次ぎくだされ」

と言った。

頼基の弟たちも馬をおり、頼基のうしろにひかえた。
使いに出た熊王もそのなかにいる。

四条頼基の名は、鎌倉中に知れ渡っていた。
武勇のほまれ高く、かって主君の江間氏が幕府にムホンの疑いをかけられ、窮地にたったとき、

領地の伊豆の山中から、一晩中馬を駆けどおしで鎌倉にかけつけ、江間氏を守ったのだ。
このことは鎌倉武士のあいだで、美談として有名だったのである。

「ほほう、このかたがあの有名な四条頼基どのか、
これほどの武士の言われる事だ。ロウゼキすることはよもあるまい」

兵士たちはうなづきあい、道をあけた。

「かたじけない」

頼基は馬を引き、行列のなかほどにいる日蓮に近づいた。
この出来事で行列はとまったままである。

続く


 

人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 八

2007年03月25日 | 鎌倉竜ノ口事変

  第二幕 続き

 この日、八幡大菩薩に隣接する北條時宗邸で、不吉な事件があったが、これから起きることに比べると、ささいな事なので省略する。

行列は鎌倉街道、ユイガハマ通りを西にすすんだ。
このまま行くと七里ケ浜に出、そのさきが竜ノ口刑場だ。

「竜ノ口でクビをきるつもりだ」

馬上の日蓮は、平 頼綱の意図をよんでいた。鎌倉幕府の役人の中にも日蓮を慕い、
法華経を信じるものが多くいた。

佐渡流罪は表向きで、竜ノ口で斬首するのが幕府の意向だ。
という内部情報を日蓮に伝えたものがいてもフシギではない。

八幡大菩薩に向かって、
「日蓮は今夜、首をきられにまいる」
と断言したのも、事前に知っていたことは充分考えられることだ。

一行が長谷に通りかかったときだ。
馬上の日蓮が警護の武士に声をかけた。

「すまぬが、いまいちどここで馬をとめてくれぬか」

と言う。

源 頼朝以来、鎌倉武士が畏怖する八幡大菩薩を叱咤するほどのものだから、
兵士たちはひそかに日蓮を恐れていた。
行列は直ちにとまった。

日蓮は馬のそばについて供をしている熊王を呼んだ。

「熊王、四条頼基殿の屋敷が近くにある、すまぬが頼基どのに、日蓮はいま竜ノ口の刑場に行くところである。
 今生の別れがしたいので、ご足労願えまいか、と伝えてくれぬか」

と言った。

「はっ、行ってまいります」

熊王はこたえて駆け出す、小さなからだがすぐ闇の中に消えた。

「かたがた、お待たせもおした。それではまいろうか」

日蓮のことばで再び行列は動きだした。   続く

 


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 七

2007年03月20日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き

日蓮の口上を聞いていた兵士たちは、ドギモをぬかれた。

「恐れを知らない、この僧はいったいなにものなのだ」

われらが死後をたよる阿弥陀仏を、実体のないまぼろしのホトケ
といったり、いまはまた、われらが守護神、八幡大菩薩を自分の
家来のように叱りつけている。

阿弥陀仏にアダをなす悪人ときいているが、それにしては少しも
臆するところがない。

まるでこちらが罪人であるかのように、叱られてばかりいる。
そういえば先刻、松葉ケ谷で、

「平 頼綱、狂ったのか、そのほう達は日本の柱を倒しているのだぞ」

と総大将の平 頼綱をイッカツした日蓮の叱声が兵士たちの耳にの
こっていた。
さしもの平 頼綱も、そのときひとことも発せず、黙ったままであ
った。源平の合戦いらい戦乱のつづく世だ、

兵士たちはいつ戦場でいのちを落とすかわからない身の上だ。
かれらは武運を八幡大菩薩の守護にたより、もしいのちを落とすこ
とがあれば、後世は阿弥陀仏に救ってもらおう、と願っていた。

ムシのよい身勝手な信仰であるが、それが当時の風潮だった。

兵士たちが頼りにする二つともが、
日蓮の獅子吼でコッパミジンに砕かれたのだ。

かれらは心の奥で思った。
死んだものでこの世にもどったものは一人もいない、
坊さんが言うように、本当に極楽浄土におうじょうできるのか、

だれも見たことがない極楽浄土は本当にあるのか、
ひょっとすると、日蓮御坊が言うように、阿弥陀仏は架空のホトケ
で、極楽浄土というのは話だけの、まぼろしではないのか、

日蓮御坊がいうのが本当で、自分たちはだまされているのではない
か、
と兵士たちの胸にぎねんがしょうじたのだ。

「お待たせもおした、用はすんだので行ってくだされ」

日蓮のひとことで行列は再び動き出した。

続く



人間賛歌 竜ノ口事変 六

2007年03月14日 | 鎌倉竜ノ口事変

 第二幕 続き、

源 頼朝が鎌倉に幕府をひらいたとき、京都の旧源氏邸にあった八幡
大菩薩の神体をここに移し、鎌倉幕府の守護神としてまつった。

京都から移転したあたらしいヤシロなので、若宮とよび関東武者の守護
神として厚く信仰された。
八幡宮にいく道を若宮大路といい、乗馬での通行は禁止されている。

若宮大路に面して将軍家や、執権の館もあり、
ここで下馬したので下馬ヨツカドとよばれた。若宮大路と鎌倉街道がまじ
わるところだ。


武士たちは罪人の日蓮が八幡大菩薩になにか願いごとをするのだろう、
強がっていても僧は僧だぐらいに、軽くうけとめたのだ。

日蓮は馬からおりると八幡宮にむかってスックと立った。
「なにをするのだろう」
と、いぶかる武士たちを尻目に、大音声を発した。

「八幡大菩薩にもおしたいことがある。
ここにおわす八幡大菩薩はまことの神であるか、古くは和気のキヨマロ
がクビをはねられんとせしとき、タケイチジョウの月となってあらわれ、
キヨマロを救いもおした。

日蓮は日本第一の法華経の行者である。
そのうえ罪を問われる世間のトガは一分もなし、ただ日本国のことを思
い、タミを救わんがため正直捨方便(ショウジキシャホウベン、正直に
方便の教えを捨てる)
の経文のまま、法華経を広めているのである。

いまの八幡大菩薩は釈尊が法華経を説きたまいしとき、その場にいて、
未来の法華経の行者を守る、と釈尊に誓ったのではなかったか、

日蓮は今夜、首を切られて釈尊のおられる寂光土(ジャクコウド、仏の
すむ国土)におもむく、
そのとき八幡大菩薩は仏前の誓いをわすれた不実な神である、
と言上するがそれでよいのか、

それが痛し(つごうが悪い)と思えば、いそぎ来たりてシルシをたれるべし」

と言ってふたたび馬にまたがった。
八幡宮はおろか、離れた北條時宗の館まで届きそうな大音声だ。

続く


 


 


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 五

2007年03月08日 | 鎌倉竜ノ口事変

 日蓮と竜ノ口法難

 第二幕

場所 鎌倉街道が若宮大路と交叉する下馬ヨツカドの近く、
時  文永八年九月十二日深夜。

 登場人物

日 蓮
熊王 日蓮の弟子で身の回りの用をする少年僧
鎌倉幕府のサムライたち、

松葉ケ谷の草庵で日蓮を召し取った平 頼綱の軍勢数百人は、竜ノ口の
刑場で日蓮の首を切ろうとはかり、日蓮を馬に乗せて連行した。

日蓮のそばには、まだ幼い熊王がついているだけで、他のおもだった弟子
たちもこのとき、召し取られていた。

この日、夜になって吹き出した風は時がたつにつれ激しくなった。
風をまともにうけながら、闇をついて鎌倉街道を西にむかう兵士の一団が
ある。

兵士がもつタイマツの炎が強風にあおられ、
ときとき、バチッ、バチッ、と音をたてて燃え上がる。そのたびに火の粉が
散った。

行列のなかに、前後を武装した兵士に囲まれた日蓮が、馬に乗って進ん
でくる。
そばに、まだ幼い弟子の熊王が馬におくれまいと懸命についている。


身におぼえのない謀反の疑いで逮捕された日蓮は、
二十年ちかくすごした松葉ケ谷の草庵をあとにした。行き先もつげずに
連行されているが、日蓮にはだいたいの見当はついていた。

行列が若宮大路にさしかかったときだ。日蓮はそばにいる武士に声をか
けた。

「かたがた、ここでしばらく馬をとめてくれぬか、
八幡大菩薩にもおしたいことがあるので、それがすむまで、
ここで待たれよ」

と言った。

武士たちは、

「この僧は八幡大菩薩の知り合いのようにもおすが、どうしたものか」

と互いに顔を見合わせていたが、目くばせをしてうなづくと馬をとめた。

続く、