叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 生命の境涯 十八

2006年11月17日 | 生命の境涯

  タイタニック号の最期 続き

 この船に乗っていた、タイタニック号のオーナーは、
婦女子をボートに乗せる作業を、手伝ったあと、
船から離れようとするボートに、飛び乗って逃げ、
一命をとりとめた。

彼は、

「自分の船を見捨てて逃げた、卑怯な男」

とののしられ、だれにも相手にされず、イギリスの片田舎で、
さびしく死んでいった。

女装して逃げようとした、三等水夫の男は、
恥も外聞も捨てた、畜生界の境涯をしめし、
自分のいのちを、投げ打って婦女子を助け、
船と運命をともにした、鉱山王の紳士は、天界の境涯だ。

ボートに乗る権利を、若いひとに譲って、
夫のところに戻った、退役軍人の夫人は、
夫婦愛の象徴で、人界の境涯だ。

船が沈むまで、演奏をつづけ、乗客の心を安らげた、
楽団のメンバーは、菩薩界の境涯であろう。

自分は船のオーナーだから、特別なんだ。
ボートに乗る権利があるんだ。と思いあがり、
乗客、乗員や船を見捨てて、逃げた男は、
傲慢で、社会の恩をしらない、
修羅界や、畜生界の境涯だ。

人間は、高貴で気高い行動の人を、尊敬し
醜く、卑劣な行為の人を、さげしむ。

それは人間の心が、本来、高貴て気高い、
ものであるからだ。

「人間とは、他の生きものを幸せにするために、
 進化した生きものだ。
 そして、人間の脳は社会に貢献するために、進化してきた」

という脳科学者もいる。

「人間は、自分以外の他のために、尽くすようになって、
 はじめて生きている、と言えるのだ」

という学者もいるのである。 つづく



 


人間賛歌 生命の境涯 十七

2006年11月11日 | 生命の境涯

  タイタニック号の最期 続き

 その後、この紳士は、船と運命をともにした。
タイタニックは、破れた船底から海水が入り、
船体はだんだん、傾いていった。

その甲板の一隅で、アメリカの退役軍人の婦人が、
ボートに乗る順番を、待っていた。
婦人は、夫の退役記念にヨーロッパを旅行し、
帰国の途中で、この災難にあったのだ。

乗船の番がきて、婦人はボートの縁に足をかけたが、
思いなおして、乗るのをやめた。

「私は、もうトシですからだれか若い人に、
かわってもらってください」

と言うと、甲板の一隅で寂しそうに婦人を見送っていた、
夫のそばに、戻っていった。
婦人は、
「いままでづっと、あなたと一緒にやってきたのですから、
これからも、あなたと一緒にいたいわ」

と言って夫と腕を組み、やさしく肩をならべた。

そのとき、傾いた甲板の船尾のほうから、
賛美歌の曲が、流れてきた。
タイタニック号の、楽団員たちが、
乗客の不安を、鎮めようと、演奏を始めたのだ。

浸水で、船体はますます傾き、
海面に、落ちそうになりながら
楽団員たちは、だれひとり欠落せず、
整然と、演奏をつづけた。

その健気な姿に、おおくの人たちは、勇気づけられ、
これから迎える、最悪の事態に、立ち向かえたのだ。

生き残った、ひとたちの証言によると、
船が沈むまで、かれらは演奏をやめなかった。
またかれらの内で、自分の持ち場を放棄したものは、
ひとりもいなかった。
と伝えられている。  つづく

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人間賛歌 生命の境涯 十六

2006年11月06日 | 生命の境涯
  タイタニック号の最期

 史上最大の海難事故  タイタニック号の最期は
ドタン場に追い込まれた 人間の本性を
むきだしにする  大ドラマでもあった

 一九一二年四月十四日夜 不沈を誇る
イギリスの豪華客船  タイタニック号は
処女航海で  アメリカに向かっていた

その途中  氷山に衝突し沈没寸前になった
悲鳴のように  汽笛を鳴らし
エスオーエスを 発信し続けたが
運悪く  近くを航海中の船はなかった


おおぜいの  乗船希望者の中から
選ばれて  タイタニックの乗客になり
船旅を  楽しんでいた人たちは
一瞬のうちに  パニックに陥った

このとき  タイタニック号が
積んでいた 救命ボートは
二千数百人の  乗員乗客に対して
半分にも満たなかった

われ先に  ボートに乗ろうとする
乗客を制して  船長は
婦人 子供から ボートに乗るよう指示し
乗員や男性客は それに協力するよう
要請した

 
ほとんどの男性客は  船長の要請にこたえ
婦人や子供を  ボートに乗せる作業に
おおわらわに  働いた

そのとき一艘のボートで 騒動か起きた
女装した男がひとり  婦人子供ばかりの
ボートに紛れ込んで  逃げようとしたが
女装がバレて   発見されたのだ

男は取り押さえられ  船上に引き上げられた
卑怯な男は  船の乗組員で三等水夫だった

三等水夫の男は  衆人の冷たい視線に
見送られ  船倉に連れて行かれた

甲板の一方では  ヨーロッパの鉱山王と
呼ばれていた  著名な紳士が
婦人や子供を  ボートに乗せ
海面におろす作業に 懸命だった

そのとき  ボートに乗ろうとした
貴婦人をみて  紳士は声をかけた
この婦人は  紳士の知り合いだった

「マドモアゼル もし私の妻にあいましたら
 私は立派に 義務を果たして行ったと
 お伝えください」

と頼んだ  つづく 


 

人間賛歌 生命の境涯 十五

2006年11月01日 | 生命の境涯
   ユーゴ空爆事件 続き

 動物の子殺しは  四月中旬
ベオグラード空爆が 激化してからだ
トラの親が  子供三匹を噛み殺した
母オオカミは  生まれた子
六匹のうち  五匹を殺した

ミミヅクは  子育てを放棄し
ヒナ五匹を  噛み殺した

動物の流産も あいつぎ シマウマ
コブウシ ライオンなどが
一回から四回  流産した

一頭だけで  オリにいたライオンは
自分の足を噛みつづけ
血だらけになっているのを 発見された

動物園の園長は

「オリの中の動物は どこにも避難できない
 かれらに罪はない 悪いのは人間だ
 空爆は即時に 中止すべきだ」

と訴えた


NATO軍による空爆  ハイスクール生徒の銃乱射事件
動物の子殺し
以上に共通するのは 弱いものに対する
強いものの  暴力行為という点だ

一頭だけオリにいた  ライオンは
もって行き場のない  ウップンをはらすため
自分の足に 噛み付いた

強者にへつらい  弱者をいじめる
畜生の境涯や  
自分は正しくて  相手は間違っている
だから
暴力を使ってでも 服従させようとする

傲慢な修羅界の  生命があることの
実例だ
そしてそれは   動物も変わりないのだ
 以上




人間賛歌 生命の境涯 十四

2006年10月26日 | 生命の境涯
 広島に原爆が落とされ、おおぜいの犠牲者がでたのを聞いた、
アインシュタイン博士は、

「人類はいままで持ったこともない力を手に入れた。
 解き放たれた原子の力は、すべてのものを一変させた。
 ただし、人間の思考方式をのぞいては...」

と言い、人類の前途を憂いた。さらに博士は、

「人類が集団自殺という愚行から逃れるには、
 東洋で興った大乗仏教「法華経」の思想に学ばねばならないだろう。」

と言い遺した。

小乗仏教は、自分だけの救いを求める教えで、法華経を説く以前の教え、
大乗仏教は、自分も含めおおぜいの人を救う教えで、法華経のことをいう。


 



  ユーゴ空爆事件

 一九九八年、ユーゴ紛争のとき、軍事力で圧倒的に勝る、
NATO軍「北大西洋条約機構軍」が、軍事力で劣るユーゴを
大空爆した。

連日の空爆で、ユーゴの首都ベオグラードも、たいへんな
被害をうけた。

一日も早く無謀な空爆をやめるよう、世界の世論は、
NATO軍を非難したが、攻撃はやまなかった。

そのころ、アメリカ、コロラド州のハイスクールで、
前代未聞の事件がおきた。
ハイスクールの生徒が、銃を持って学校に侵入し、
校舎にいた無抵抗の生徒に向かって、銃を乱射したのだ。

死者、十数名という大惨事となり、銃社会アメリカの
恥部を世界にさらす、大事件になった。


 同じころベオグラード近郊の、動物園で異変がおきた。
母トラや、母オオカミが生まれたばかりの、わが子を、
殺す事件が頻発したのだ。
空爆のあったつぎの日に、多発していることから、

動物園がわは、

「空爆で、動物が、精神に異常をきたしている」

と懸念した。  つづく









 













 

人間賛歌 生命の境涯 十三

2006年10月21日 | 生命の境涯
  戦争ッ子 続き 

 あとで知ったことだが、
八月六日の朝、広島に原子爆弾がおとされた。
爆発時の中心部温度、六千度c、地表で千五百度Cあった。

鉄を溶かす溶鉱炉の中が、千三百度Cというから、
地表でそれ以の熱さだ。

爆発のショックで起きた爆風は、秒速四百メートル、
台風の約十倍の速度だ。

爆心地でまともに光に当たった人は、瞬間に蒸発し、
跡形も残さず亡くなった。
爆心地から離れたところに、いた人も
光に当たった人は、全身に大やけどをした。



顔を焼かれて皮膚が溶け、それがたれさがり
鼻も口も見分けがつかなくなった、人々が

「水を、水を、水を飲ませて」

と求めさまよう地獄絵が、白昼の広島で起きたのだ。

ビルの近くでは、爆風で粉々になったガラスの破片が、
からだ中に突き刺さって、ハリネヅミのようになって、
死んだ人もいる。

一瞬にして十数万人の人が死ぬ、大惨事が、
戦場ではなく、一般市民のうえに起きたのだ。

広島の惨状にくらべると、ものの数にも入らぬが、
私が見た岡山の空爆でも、数千人の人が亡くなった。
市内の道路や、空き地は、死体で埋まり、
塀にもたれて、立ったまま死んだ人もいた。

焼け跡の、道路の側溝のフタを取ると、
一年経ったあとでも、被災者の遺体が出てきたという。

猛火に追われ、側溝に逃げ込み、
そのまま、亡くなった人たちだ。

戦争は、悲惨だ。
戦争は、恐ろしい。

二十数億年かけて、進化してきた、
人間のいのちを、奪うほど罪なものはない。
罪を犯したものが、どれほどの報いを受けるか、
だれも分からないのだ。

地獄は、死後あるのではない。この世にあるのだ。
いま、世界中で 起きている、悲惨なことが、
生命に地獄界があることを示す、現証だ。

境涯「因」を変える、絶対的必要を、 
訴えるゆえんである。  つづく



人間賛歌 生命の境涯 十二

2006年10月14日 | 生命の境涯
  戦争ッ子

 戦争の時のことを思い出すのは、つらいものである。
ものごころついた頃から、敗戦まで戦争の中で子供時代を送った
モノにとっては、ひとしおだ。
だが空爆を何回も経験し、原子爆弾が落ちた広島の隣の県にいた、
私にはそのときのことを言い伝える義務があるような気がして、
この記事を書いた。
戦争ッ子というのは、戦時中に子供時代を送った子の意味である。


 昭和二十年、私が小学校五年のころわが家は、岡山市近郊の
農村にあった。
太平洋戦争の末期で、米軍機による空爆が日常化し、敵機が近
づくと、警戒警報のサイレンが鳴った。

警報が鳴って避難しても、敵機がそれて警報がはづれることが、
よくあった。
それを口実に、私はサイレンを無視し、遊びにいったりして、
防空濠にはいるのを嫌がった。

このじぶん父親はすでに亡くなっていたので、
母親と子供四人でくらしていた。私は母親のいいつけに、
あまり従わない子供だったようだ。


 それが八月六日を過ぎたころから、
母親の態度が厳しくなった。

「お隣の広島に、新型の爆弾が落ちてのう、
 ぎょうさん「たくさん」の人が、死んだそうじゃ、
 どうやら広島の町は、燃えて全滅したらしい。

 ピカドンという、恐ろしい爆弾だそうでナ、
 ピカツと光ったのに当たると、
 おとなも子供も、みんな殺されるんぢゃけん、

 これからは、サイレンが鳴ったら、
 ゼッタイ外に出てはいけんぞ、分かったか。」

と言われた。

おとなも子供も、ピカッと光ったのに当たるとみんな死ぬ、
と聞いて、とても恐ろしかった、
それからは、母親の言いつけを守ったように記憶している。
 つづく



人間賛歌 生命の境涯 十一

2006年10月08日 | 生命の境涯
  幸島のサル物語 続き

「イモを洗って食べるとオイシイ」
このうわさはたちまち島中に伝わって、この島のサルで、
知らないものはなくなった。

やがて島のほとんどのサルが、
イモを洗って食べだしたのである。

ところがオスのボスザルだけは、ガンコに昔からのやりかたに、
こだわっていた。

「近頃、若いモンのあいだでヘンなことがハヤっているようだが、
 ワシはやらないぞ」
と、がんばっていたのだ。

ところが何日もたたないうちに、イモを洗わずに食べるのは、
自分だけだと気づき、このボスザルもとうとう洗って食べだしたのだ。
このボスザルが、イモを洗って食べだした島のサルの百一匹目に、
当たったので、百一匹目のサルとして学者のあいだで知られている。


幸島のサルがイモを洗って食べだしてから、
ほどなく不思議なことが起きた。

海をへだてた大分県の高崎山のサルが、
イモを洗って食べだしたのだ。

さらに不思議が続いた、イモを洗って食べる食習慣が、
遠く離れた本州のサルにも広がっていったのである。
人間と違ってサルには、情報を伝えるテレビや電話がないのに、
どうして情報が伝わったか、ナゾになっている。


学者たちが種々研究したが分からず、
「テレパシーの一種ではないか」
と言って、お茶をにごしているようである。


ところで仏教は時の大事さを教えている。時といっても日常使う、
一時とか十時という時間のことではない。

物事の始まる潮時とでもいう時点のことだ。
たとえば、鳥のヒナがタマゴのカラを破って誕生するとき、
内からヒナがカラをツツクと同時に、親鳥が外からツツいて、
固いカラが破れるのだが、
時計で計ることのできない、不思議な時点のことをいうのだ。

法華経は宇宙自体が慈悲の心だ、と教える。
慈悲の心は生命に元々ある善(幸福になる因)と、
悪(不幸になる因)のうち、悪をなくし善を育てる働きをし、
常により優れたものを目指して進化している。

まるで宇宙は、人間を生かすために存在しているようだ。
と宇宙人間主義を主張する天文学者もいるほどだ。


私の推測だが、サルに進化する潮時がきていた。
と言えるのではないだろうか、

幸島ノサルも、本州ノサルも生命にかわりないから、
同じ時点で進化の時をむかえた、
と言ってもリクツが合わないワケではない。

事実、人間の運命に影響を与えるような、大きな発見や、
新しい思想の出現は、ある地点で現れると地球上の、
他の複数の場所でも同じようなことが起きる、

これはよく知られている事実なのだ。  おわり






人間賛歌 生命の境涯 十

2006年10月02日 | 生命の境涯
 勝手をしていました。幸島のサル物語からスタートしたいと思います。
野生のサルがとった以外な行動が、国中に広まっていく不思議な現象を
テーマにしたもので、研究者のあいだで有名な話です。 

  幸島のサル物語 

 九州.宮崎県沖に幸島という島がある。
もともと無人島で、野生のサルの群れが住んでいるが、K大の霊長類研究所が、
野生のサルの生態を調べるため、この島のサルに餌つけをしだした。

サルの大好物であるサツマイモを与えるのだが、
この島のサルに異変が起きるのだ。
研究所の人が、いつものとおりサツマイモを持って上陸し、
待っていたサルたちににイモを与えた。

サルたちはイモをつかむと、それぞれ自分の気に入った
場所に行って、イモを食べはじめたが、
一匹の若いメスザルが、別の行動をとったのだ。


若いメスザルは、イモをつかむと何を思ったのか、
ガケを伝って、海岸に降りて行った。

 「ハテ、なにをするのだろう。」

ほかのサルたちは、不思議そうに彼女サルの行動を
見ていたが、
イモを食うのに夢中で、そこを動くものはいなかった。

海岸に降りたメスザルは、ザブザブ音をたてて、
海に入っていった。

「へんなことをするなあ、だじょうぶか、」

とみんなが思っていると、彼女ザルはイモを海中につけて、
洗いだしたのだ。
イモについていた土や砂が落ち,きれいになったところで、
彼女は洗ったイモを、食べだしたのである。




次の日、また研究所員かイモを持ってきて、
サルたちに与えると、くだんの彼女ザルはまた、
海に入ってイモを洗いだしたのだ。
きれいになったところで、食べるのはきのうと同じだ。

三日目のことだ。
彼女がいつものとおり、ガケを降り海に入って、
イモを洗い出すと、

二三匹の仲間サルが、彼女に見習って同じことを、
やりだした。

若い仲間ザルは、彼女の行動を見ていて、

 「おもしろそうだなあ、オレもやってみるか」

と好奇心にかられた、
そこで彼女ののあとをつけ、海に入りイモを洗いだしたのである。

土や砂をよく落とし、きれいになったイモを口に入れ、
ガブリとやると、
これがなかなかイケルのだ、

砂がなくて食べやすいし、塩味がほどよくついて、
なかなか旨いのだ。

 「ウン、これはいける」

ということで、彼女を先頭に数匹のサルがイモを洗って、
食べだしたのである。  つづく






人間賛歌 生命の境涯 八

2006年09月15日 | 生命の境涯
 前回のあらまし

 悲惨な事件が続いて、皆さんもさぞうんざりされているでしょう。
凶悪な男からの教訓を学んだあと、次回から趣向を変えおもしろい展開に
したいと考えています。


 怒りが昂じ  憎しみとなり
相手を害して  恨みを晴らそうと
情念が生じると 自分ではどうしょうもない
怨念の暴流に  押し流される
地獄の境涯の特徴だ

 周りやあとさきの  分別もつかず
ブレーキの壊れた  自動車のように
破滅えの道を  突き進むのだ

 暴力は破壊だ  国どうしが
暴力で争うのが  戦争だ

 「憎しみは 憎しみをもっては なくせない
  憎む心を なくすことで なくせる」

と賢人は言う  だが憎む心を
なくすことは  容易ではない
人を憎む心を  人を不幸にする悪を
憎む心に変えることが
暴力を生む 憎しみをなくすのだ

 これが非暴力主義で 最も勇気のいる行為だ

悪を憎む心は  心を磨き境涯を変えれば
だれにでも  育てられるのだ


 話を死刑判決を受けた  男に戻そう
男はなにをやっても  旨くいかず
人には嫌われ  頼れる親族友人もない
八方塞がりの人生を  送っていたに違いない
 欲望のおもむくまま  女性を犯し

 捕まって   監獄に入れられ
不自由な境涯を嘆き 自分のせいなのに
分からず  相手が悪いと逆恨みし
憎み  やがて復讐心が燃え上がる
その結果  自分も他人も
破滅に追い込んだのだ

男は暴力で欲望を果たし 従わなければ殺す
爬虫類型脳の遺伝情報に 大きく影響を受けたようだ
 
 人間が赤ん坊のとき  なんでも口に入れるのは
爬虫類のときの  名残と言われる
成人するにつれ  卒業するが
男の場合  卒業が遅れたようだ
畜生界の境界のままで
人間らしい  新哺乳類型脳は
一度も使わずに  終ったのだろう
 以上