叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 賢聖の境涯 二

2006年11月29日 | 賢聖の境涯

 前回の続き

 帝の再三の要請に、太子は断りきれず、
かしこまって、帝の相を観じた。
その結果太子は、

「まことに申し上げにくいことですが、
帝のお顔には人に殺められる相がでております。」

ともおしあげた。
帝はそれを聞き、顔色を変えて、

「なにを根拠に、そのようなことをもおすか。」

と下問した。
太子は、

「帝のお目の中に、赤い血筋が出ております。
目に赤い血筋があるのは、人にあだまれ恨みをかう相なり、
と観相学にあります。」

ともおしあげた。
帝はさらに、

「それでは太子、それを防ぐにはどのようにすればよいか。」

と仰せられた。
太子は、

「これを防ぐ方法はありません、
ただ、菩薩の修行法を説いた「六ハラミツ経」の中に、
忍ハラミツというのがあります。忍耐心を養う事を教えたものですが、
これを行うことが、災いを防ぐ唯一の方法であると思います。」

ともおしあげた。

注、六ハラミツ経とは、菩薩になる条件、布施、自戒、精進、忍にく、
禅定、智慧を得るための修行法を説いた経。

帝は、ひごろから短気で通っていたが、忍ハラミツを守って、
気に入らないことがあっても、すぐには面に出さず、
忍耐するよう努めた。
そのせいもあって、暫くのあいだは何事も起こらずに過ぎた。


あるとき里人が、いのししを捕まえて帝に献上した。
四ッ足を棒に縛られ、身動きできないいのししは、
帝が近づくと、恐ろしい顔をしてキバをむき、噛み付こうとした。

これを見て怒った帝は、いきなり刀を抜くと、
いのししの目をブスッと突き刺した。
ますます怒り狂ったいのししは、
歯をむきだし、帝に向かおうとする。

「おのれ、にくいヤツめ」

と帝は口走って、いのししが動かなくなるまで、
いのししの目に、刀を刺しつづけた。

「ウヌ にくいヤツめ、にくいヤツらはいずれみな、
このような目に、あわせてくれようぞ」

帝は、地べたに横たわったいのししの死骸を見下ろして言った。
まわりにいた者たちは、帝のすざましい形相に息をのみ、
声を出すものはいなかった。
つづく


                   

 


人間賛歌 賢聖の境涯 一

2006年11月23日 | 賢聖の境涯

   賢聖の境涯

 生命の真実を悟り、無明を破った人で、小我を克服し、
大我に生きようとする人の境涯。
「声聞、縁覚、菩薩、仏、を四賢聖という。」


  聖徳太子 (574ー622年)

 奈良県高市郡飛鳥地方は、大和朝廷発祥の地だ。
奈良盆地の南に位置し、北は大和三山と呼ばれる 、
アマノカグヤマ、ミミナシヤマ、ウネビヤマでさえぎられ、
中央を飛鳥川が流れる。

日本文化の興ったところで、
藤原宮跡、聖徳太子の生誕地、橘寺や、岡寺など、
重要文化財が各所に点在する。

西暦710年、元明天皇が平城京に移るまで、この地に皇居があった。

当時日本の各地では、有力な豪族が台頭していた。
中央では、それらの新興勢力と手を結んだ蘇我氏が頭角を現す。
578年、蘇我の馬子が、
物部の守屋を滅ぼしてから、馬子が朝廷の実権を握るが、
天皇の権力を強化しようとする動きもあった。


そんななか、
第三十三代、スジュン天皇は、ある日。
甥の上宮太子( 聖徳太子の幼名)を皇居に招いた。

上宮太子は幼少のころから、聡明で聞こえ、
詩経、易、天文の諸学問に通じ、
並ぶものがないと、評判されていた。

帝は、そのような太子に尋ねたいことがあったのだ。
詔勅を受けて太子は、スジュン帝の前に出仕した。

帝は、

「そなたの聡明な評判は、私も聞いている。
ついては、そなたは人の顔相をみて、運勢をよく当てると、
言われているようだが、私の顔相を観てくれないか。」

と太子に言った。
太子は、

「これはおそれ多いこと、若輩者の私などが、
帝のような高貴なおかたの観相など、とても出来る事ではありません。
だれか、他のものにおおせ付けください。」

と固辞した。
だが帝は諦めず、再三にわたって観相を要請した。
 つづく 

 

 


人間賛歌 生命の境涯 十八

2006年11月17日 | 生命の境涯

  タイタニック号の最期 続き

 この船に乗っていた、タイタニック号のオーナーは、
婦女子をボートに乗せる作業を、手伝ったあと、
船から離れようとするボートに、飛び乗って逃げ、
一命をとりとめた。

彼は、

「自分の船を見捨てて逃げた、卑怯な男」

とののしられ、だれにも相手にされず、イギリスの片田舎で、
さびしく死んでいった。

女装して逃げようとした、三等水夫の男は、
恥も外聞も捨てた、畜生界の境涯をしめし、
自分のいのちを、投げ打って婦女子を助け、
船と運命をともにした、鉱山王の紳士は、天界の境涯だ。

ボートに乗る権利を、若いひとに譲って、
夫のところに戻った、退役軍人の夫人は、
夫婦愛の象徴で、人界の境涯だ。

船が沈むまで、演奏をつづけ、乗客の心を安らげた、
楽団のメンバーは、菩薩界の境涯であろう。

自分は船のオーナーだから、特別なんだ。
ボートに乗る権利があるんだ。と思いあがり、
乗客、乗員や船を見捨てて、逃げた男は、
傲慢で、社会の恩をしらない、
修羅界や、畜生界の境涯だ。

人間は、高貴で気高い行動の人を、尊敬し
醜く、卑劣な行為の人を、さげしむ。

それは人間の心が、本来、高貴て気高い、
ものであるからだ。

「人間とは、他の生きものを幸せにするために、
 進化した生きものだ。
 そして、人間の脳は社会に貢献するために、進化してきた」

という脳科学者もいる。

「人間は、自分以外の他のために、尽くすようになって、
 はじめて生きている、と言えるのだ」

という学者もいるのである。 つづく



 


人間賛歌 生命の境涯 十七

2006年11月11日 | 生命の境涯

  タイタニック号の最期 続き

 その後、この紳士は、船と運命をともにした。
タイタニックは、破れた船底から海水が入り、
船体はだんだん、傾いていった。

その甲板の一隅で、アメリカの退役軍人の婦人が、
ボートに乗る順番を、待っていた。
婦人は、夫の退役記念にヨーロッパを旅行し、
帰国の途中で、この災難にあったのだ。

乗船の番がきて、婦人はボートの縁に足をかけたが、
思いなおして、乗るのをやめた。

「私は、もうトシですからだれか若い人に、
かわってもらってください」

と言うと、甲板の一隅で寂しそうに婦人を見送っていた、
夫のそばに、戻っていった。
婦人は、
「いままでづっと、あなたと一緒にやってきたのですから、
これからも、あなたと一緒にいたいわ」

と言って夫と腕を組み、やさしく肩をならべた。

そのとき、傾いた甲板の船尾のほうから、
賛美歌の曲が、流れてきた。
タイタニック号の、楽団員たちが、
乗客の不安を、鎮めようと、演奏を始めたのだ。

浸水で、船体はますます傾き、
海面に、落ちそうになりながら
楽団員たちは、だれひとり欠落せず、
整然と、演奏をつづけた。

その健気な姿に、おおくの人たちは、勇気づけられ、
これから迎える、最悪の事態に、立ち向かえたのだ。

生き残った、ひとたちの証言によると、
船が沈むまで、かれらは演奏をやめなかった。
またかれらの内で、自分の持ち場を放棄したものは、
ひとりもいなかった。
と伝えられている。  つづく

  お知らせ
私のホームページで「法華経が教えるもの」を日記で連載しています。
興味のあるかたはお訪ねください。
このページの左側にある、プックマークで、私のホームページをクリックすると、
ホームページが開きます。



 

 

 


人間賛歌 生命の境涯 十六

2006年11月06日 | 生命の境涯
  タイタニック号の最期

 史上最大の海難事故  タイタニック号の最期は
ドタン場に追い込まれた 人間の本性を
むきだしにする  大ドラマでもあった

 一九一二年四月十四日夜 不沈を誇る
イギリスの豪華客船  タイタニック号は
処女航海で  アメリカに向かっていた

その途中  氷山に衝突し沈没寸前になった
悲鳴のように  汽笛を鳴らし
エスオーエスを 発信し続けたが
運悪く  近くを航海中の船はなかった


おおぜいの  乗船希望者の中から
選ばれて  タイタニックの乗客になり
船旅を  楽しんでいた人たちは
一瞬のうちに  パニックに陥った

このとき  タイタニック号が
積んでいた 救命ボートは
二千数百人の  乗員乗客に対して
半分にも満たなかった

われ先に  ボートに乗ろうとする
乗客を制して  船長は
婦人 子供から ボートに乗るよう指示し
乗員や男性客は それに協力するよう
要請した

 
ほとんどの男性客は  船長の要請にこたえ
婦人や子供を  ボートに乗せる作業に
おおわらわに  働いた

そのとき一艘のボートで 騒動か起きた
女装した男がひとり  婦人子供ばかりの
ボートに紛れ込んで  逃げようとしたが
女装がバレて   発見されたのだ

男は取り押さえられ  船上に引き上げられた
卑怯な男は  船の乗組員で三等水夫だった

三等水夫の男は  衆人の冷たい視線に
見送られ  船倉に連れて行かれた

甲板の一方では  ヨーロッパの鉱山王と
呼ばれていた  著名な紳士が
婦人や子供を  ボートに乗せ
海面におろす作業に 懸命だった

そのとき  ボートに乗ろうとした
貴婦人をみて  紳士は声をかけた
この婦人は  紳士の知り合いだった

「マドモアゼル もし私の妻にあいましたら
 私は立派に 義務を果たして行ったと
 お伝えください」

と頼んだ  つづく 


 

人間賛歌 生命の境涯 十五

2006年11月01日 | 生命の境涯
   ユーゴ空爆事件 続き

 動物の子殺しは  四月中旬
ベオグラード空爆が 激化してからだ
トラの親が  子供三匹を噛み殺した
母オオカミは  生まれた子
六匹のうち  五匹を殺した

ミミヅクは  子育てを放棄し
ヒナ五匹を  噛み殺した

動物の流産も あいつぎ シマウマ
コブウシ ライオンなどが
一回から四回  流産した

一頭だけで  オリにいたライオンは
自分の足を噛みつづけ
血だらけになっているのを 発見された

動物園の園長は

「オリの中の動物は どこにも避難できない
 かれらに罪はない 悪いのは人間だ
 空爆は即時に 中止すべきだ」

と訴えた


NATO軍による空爆  ハイスクール生徒の銃乱射事件
動物の子殺し
以上に共通するのは 弱いものに対する
強いものの  暴力行為という点だ

一頭だけオリにいた  ライオンは
もって行き場のない  ウップンをはらすため
自分の足に 噛み付いた

強者にへつらい  弱者をいじめる
畜生の境涯や  
自分は正しくて  相手は間違っている
だから
暴力を使ってでも 服従させようとする

傲慢な修羅界の  生命があることの
実例だ
そしてそれは   動物も変わりないのだ
 以上