真理を悟った釈迦は、
私は滅したり生じたりせず 常にここに居て
迷いの衆生を救うために 説法教化している
私はいつもこのように思う
西を東と見 東を西と見る 顛倒した人々を
自分と同じ悟りの境地に導き 苦から開放させるため
どのように教えたらよいかと。
法華経に、
為度衆生故(イドシュジョウコ) 方便現涅槃(ホウベンゲンネハン)
而実不滅度(ニジツフメツド) 常住此説法(ジョウジュウシセッポウ)
の経文がある。
人々を救うため 方便として死の姿を現すのだ それは
釈迦が死んで 自分たちを救ってくれる人がいなくなったと
人々を悲しませ 釈迦を渇仰する心を起こさせるためだ。
だが本当は滅していないのだ
人々を悟りの境地に入らせるための 方便(手段)で
釈迦も歳をとり からだも不自由になったので
いったん死んで 新たに生まれ変わってくるのだ。
と述べているのだ。
釈迦の言葉どうりだとすると 悟りの生命はだれにでもあるので
(知っているか 知らないかの差はあるが)
私たちもどこかよそから来て どこかえ行くのではなく
常にこの世界にいるのだ。
有名な仏法の言葉に、「仏法は体のごとく 世間は影の如し」
とあるが、
影だけ見て体を知らない人には 信じられないだけのことだ。
釈迦の最後の言葉は、
「この世は美しい 人のいのちは甘美なものだ」
そして、
「すべてのものは過ぎさっていく
己をより所とし 法をより所として 他をたのむな」
であった。
注、法とは南無妙法蓮華教(仏界の生命)のことを指す。
この稿 終わり。