叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 幸せに生きる 十二

2010年03月17日 | 幸せに生きる
 一日差の奇蹟 *

 S軍曹は出征前、御本尊様に、激戦地には行かないよう祈って出発しま
した。。
結局、戦争が終わって日本に引き揚げて来るまで、自分の銃の引き金に
一度も手をかけることなく、願いどおりの軍隊生活を送ったのです。。  

 さらに驚愕する出来事がありました。。

S軍曹が、米軍によって開放された仲間とともに和歌山港に着いた時でした。
おりしも南太平洋の別の島からの引き揚げ船が港に着いていました。
そこでS軍曹はソロン島で一緒だった仲間の一人と出会ったのです。。。

 仲間は懐かしそうに彼を見つめて声をかけました。

「おまえは運の強い男だなあ。。
おまえがソロン島を発った次の日に、敵の飛行機が島に不時着してな。。
場所が通信隊の基地内だったので、隊員たちが飛行機に乗っていた三人
の敵兵を捕虜にしたんだ。。
 通信隊では捕虜の取り扱いに困って、たびたび本部に、どうすればよい
か。。指示を求めたが返事が無かったのだ。。

仕方がないので彼らは捕虜を銃殺して埋めたのだか、これか連合軍にバ
レてね。。
 通信隊員の主だったものは、戦争犯罪人としてオーストラリアに送られ、
軍事裁判の結果全員が死刑になったのだ。。。
 おまえが島を出るのが一日遅れていたら、今こうして生きてオレと話して
いないと思うよ。。ご先祖様に感謝したほうがいいと思うね。」

 と言ったのでした。

 S軍曹は体が硬直しそうな衝撃を受けました。。
あの島にいたら通信隊の責任者として処刑は免れなかっただろう。。。

 ご本尊様ありがとうございました。
なぜソロン島からアンポイア島に転任になったのか、いままで分からなかっ
たのですが、いま気がつきました。ぜんぶご本尊様のおはからいだったの
ですね。このご恩は一生忘れません。。

 Sは妻が待っている東京に帰る予定でしたが、予定を変更し、富士の山
に御安置されている大御本尊にお目にかかり、お礼を申し上げてから帰省
しました。
Sは、その後学会の副会長になって草創期の発展に寄与しました。。
そして立派に使命を果たし、御本尊に恩返しをして一生を終わったのです。

続く