叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 「新・仏教教室」 三十二

2008年09月29日 | 新・仏教教室
ジッチャン、

「先週はちょつと体調をくずし、教室がお休みになってゴメンね。
今週からまた始めますのでよろしく頼みます。
 ケイタくん、
「人間は何をしに来て、どこえ行くのか」の朗読を長いあいだ
ご苦労さまでした。
朗読がたいへん旨いと、褒める人もいるので伝えておくよ。」

山本さん、

「先生、再開早々ちょっと質問があるんですが宜しいでしょうか。」

ジツチャン、

「どうぞ、どうぞ、休みのあいだに何か考えることがあったので
 すか。遠慮なく聞いてください。」

山本さん、

「専門的なことはよく分かりませんが、
源頼朝はたしか征夷大将軍になって国を統治したと聞いています。
征夷大将軍が国を統治するというのは、鎌倉幕府から始まったの
ですね。

もともと征夷大将軍は朝廷の官職の一つでありますが、
それが朝廷(天皇)に替わって国を統治し、
しかも七百年も続いたのですからちょつと異状ですね。

徳川十八代の征夷大将軍である徳川慶喜が、大政奉還で政権を朝廷
に返したというのもうなずける気がします。

 そのあいだに、

聖徳太子以来続いた法華経中心の思想は途絶えてしまうのですか。
それと、鎌倉時代に日蓮大聖人がお生まれになった意義はなんだ
ったのでしょうか。」

ジッチャン、

「山本さんいいことを聞いてくれましたね。
うれしくなりますよ。それを言いたくて待っていたのですから、
だが日蓮大聖人が、
鎌倉時代にお生まれになった意義を理解するには、当時の時代背景
を踏まえていないと分からないと思います。

しかし、それを話すと長くなりますので、
護国三部経の一つ金光明経に出てくる経文が、当時の背景をしる手
がかりになりますので、経文の要旨を取り上げてみましょう。

その前に、日蓮大聖人がお生まれになった前後の年表を表示します
ので参考にしてください。


 1185(文冶元年) 源頼朝 鎌倉幕府を開く。

 1222(承久四年) 日蓮大聖人 安房、小湊に生まれる。

 1260(文応元年) 日蓮大聖人 「立正安国論」を北条時頼に
           提出して幕府の政治をいさめる。

つづく   

人間は何をしに来て、どこえ行くのか 二十六

2008年09月27日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか
 後日談・最終回

この原稿を書き終わったとき、次のような新聞報道があった。

「前世療法」で有名なアメリカの精神科医。ブライアン・エル・
ワイス博士の来日と、そのインタビュー記事である。

ベストセラー「前世療法」の著者でユダヤ教徒の博士は、
インタビューのなかでこう語っている。

 「以前の私自身が、前世といったたぐいの話にたいしては、
  非常に懐疑的でした。

  しかし過去二十年で三千人に及ぶ事例を集め、輪廻や前世の
  実在を確認しました。」

 注
 
輪廻とは輪廻転生のこと、仏教思想のひとつで、人間の生命は今世
だけで終わるのではなく、
過去、現在、未来と転生(生まれかわること)を繰り返しながら永遠
に続いているという思想。


 博士によるとアメリカでも、

輪廻転生を信じる人の割合は増えているそうで、時代は序序にだが
精神的、霊的価値を見直す方向にすすんでいるとみられる。
と述べている。

「人間は何回も生まれ変わりながら、
 愛や慈悲などを学び、自らをち高めていく存在です。
 死は決して終わりではない。
 肉体は洋服みたいなものですが、私たちの魂は不死なのです。」


     二千一年五月、Y新聞より、以上。


  おわりに。

 「人間は何をしに来て、どこえ行くのか」という難しいテーマに
長いあいだおつきあいくださった方々に敬意を表します。

 今から三千年ほど前に、釈迦はこのテーマの答えを見つけて、
自分の悟った事実を人々に伝えました。それが仏教の始まりです。
 注 生命の真実を悟った釈迦の最初の言葉が「不死は得られた」
   であったと伝えられています。

いまでは世界の各大学でも、生死の問題を研究するようになりまし
た。それはキュブラー・ロスの、
 「死は存在しない」宣言が大きく影響しています。

ところでロスはなぜアメリカに行ったと思いますか。
 理由はカンタンなんです。
ロスが学んでいた医学校に、アメリカから留学していた学生と恋愛
し、結婚して渡米したのです。

 夫という縁がなければ、ロスがアメリカに来ることはなかったか
もしれません。
仏教ではすべての結果には、元になる因があるが、因は縁がなけれ
ば現れないと教えています。

 ロスの才能を想像以上に開花させた夫は、ロスにとって善い縁の
人だったに違いありません。

  

人間は何をしに来て、どこえ行くのか 二十五

2008年09月21日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

 朗読続き「ロスの晩年」

 ロスが面接した臨死体験者のなかには、こんな話をするものが
いた。
彼らは死を体験するなかで、

 「あなたはいままでに、他の人の役にたったことを
   なにかしましたか。」

と、だれかに聞かれたような、あるいは自問自答であったような
気もして、その点ははっきりしないが、
たしかにそのようなことがあったことは覚えている。

 聞かれた人が黙っていると、

 「それではもう一度やり直してきなさい。」

と言われて、この世に戻された。というのである。
それも少々の人ではなく、体験者の中のかなりな数の人が、同じ
ような体験をしているのである。

ロスは死後の世界、すなわち永遠の生命を信じない人には
こう言っている。

 「この問題は信じるとか、信じないとかの問題ではなく、
  知るか知らないか、ということだけです。
  もし詳しく知りたいと思う人がいれば、よく分かるように
  説明してあげます。

  いずれにしてもこの問題は、みなさんが死んでみれば
  分かることですから。」


 スイスの恵まれた家庭で、三つ子の姉妹のひとりとして生まれ
たロスは、波乱に満ちた人生をアメリカの地で送った。

 二十世紀の聖女・マザー・テレサにも匹敵する人類愛を貫いて生
きたキュブラー・ロス博士に感謝のことばを述べてこの稿を終わり
たい。

 ありがとう、 エリザベス・キュブラー・ロス

 死をタブー視していた、私たちの目を覚ましてくれた

 あなたのことを、人類は永遠に忘れない。

                       完


 ひとこと

 祖国スイスをだれよりも愛し、世界一美しいレマン湖畔で育った
ロスは、遠く離れたアメリカの地で生涯を終えた。

ロスが晩年をすごしたアリゾナ州は砂漠の多いところだと聞いてい
る。砂漠を貫くハイウエイから、
ロスの家に来る道路の入り口には、目印にスイス国旗が掲げられて
いたそうだ。

 世界中から訪ねてくる人たちのためと、医学生時代をすごした
レマン湖を想い出すためだったのかもしれない。

 レマン湖畔を、

いつも灰色のコートを着て散策していた心理学者のユングと、よく
出逢ったが、話す機会がなかったことをロスは残念がっていた。

最終回につづく  








 


人間賛歌 「新・仏教教室」 三十一

2008年09月19日 | 新・仏教教室

ジツチャン、

「ケイタくんの質問の答えがなかなか出なくてごめんね。
要は、奈良.平安時代の日本は、上は天皇から下は庶民に至るまで仏教
の教えがいきわたり、
 人々が心のよりどころを持っていたということだね。

だから奈良に大仏建立というような大事業もできたし、
大仏の開眼供養には全国から一万人以上の僧侶が参加して、盛大に
法要が行われたというから、大イベントだったのだね。

 見物人だけでも何十万人も集まったのではないだろうか。

 国が発展するから、国民も元気がいいし、
信仰に基づいた良心に従って、平和で幸せな生活をしていたことが、
歴史の勉強をするとわかるのだ。


 ところが十二世紀の終わりごろからおかしくなるんだ。
ちょうど仏教でいう末法に入ったころ、源頼朝がクーデターを起こし、
朝廷を倒して軍事政権を鎌倉に立てたころから、様子が変わるのだよ。

法華経、金光明経、仁王経の護国三部経はあったが、それを支えていた
朝廷が力をなくし、
頼朝は政権を取ったあとは禅にこって、寺院を建てて禅宗に肩入れして
いる。

 鎌倉幕府に続く軍事政権(武家政治)は足利の室町時代から、
戦国時代を経て、徳川幕府えと移つていったが、

織田信長の比叡山焼き討ち以来、法華経はすたれ、護国三部経も有名
無実になってしまったようだね。

山本さん、
「先生、徳川幕府は政権を朝廷に返しましたから、武家政治は終わった
のではないでしょうか。」

ジッチャン、

「表面上は天皇制復活で朝廷政治が始まったようにみえるが、
実際には徳川にかわって薩摩と長州の連合による武家政治の延長だった
ように私は考えるね。

その証拠に、明治以降、日露戦争、日清戦争、太平洋戦争と
戦争ばかり続いたから・・・
憲法も、議会もあったが、太平洋戦争に敗れるまで、軍事主義政権が
続いていたように思うね。

つづく   


 

 


人間賛歌 「新・仏教教室」 三十

2008年09月17日 | 新・仏教教室
ジッチャン、

「前回、聖武天皇がつくった国分尼寺の紹介をしましたね。
これは、当時女性の地位が低くみられていて、仏道修行をしても
成仏(仏になること)することが出来ないとされていました。

それが法華経 第五巻のダイバダッタ品で、悪人のダイバと、女性の成仏
が証明されるのです。
 仏教の熱心な信仰者であった光明皇后のすすめで国分尼寺は、
つくられたように伝えられています。



 この時点で男女平等の思想が確立されていたのですから、
 それをみても当時の日本が進んでいたことが理解できます。
 日蓮大聖人は「法華経は女性のための経である」と言われています。


 源氏物語を書いて世界的に知られている紫式部も、
法華経の信仰をしていて、たまたま五月晴れの良い日に、藤原道長邸で
行われた法華経講義に出席しました。

 その日の講義が第五の巻、ダイバダッタ品だったので紫式部は、

 「時は五月のよき日に、女性の成仏を明かした、
  第五の巻を聞けるとは、なんと幸せなことだろうか、
  自身の福運と、御法(法華経のこと)のありがたさに、
  ただただ感謝します。」

という意味の和歌を詠んでいます。

備忘録に和歌を書いておいたのですが、百冊近いノートの中から探しだ
すのが困難なので、残念ながら和歌は省略します。

ついでにというと悪いのですが、清少納言は、

 「経は ほけきょう いとおかし」

という文を残しています。
おかしというのは、おかしいという意味ではなく、経の中で一番すぐれて
いるという意味なんですが・・・ 


 法華経賛歌みたいになりましたが、この時代は有名人だけでなく、
市井の名もない一般人のあいだでも、法華経が広く信仰されていたことが
和歌にたくさん残されています。
 余談ですが、
いまの政治家の中でもきわだっている石原東京都知事は、
「法華経に生きる」という著書を出したくらいですから、熱心な法華経の信
者であると思います。

経済界では故人ですが、元経団連会長の土光敏夫が熱心な法華経信者
であったことが知られています。
土光の著書「正しいものは強くあれ」は法華経の正義をたたえた本である
と言えるでしょう。

つづく  



人間は何をしに来て、どこえ行くのか 二十四

2008年09月14日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか
 朗読続き 「ロスの晩年」

 ロスは夫のつくった借金のために、
せっかく建てた ホスピスを失うが、やがてそれを再建した。しかも前よりも
もっと大規模で、設備も整ったものを別の場所につくった。

講演活動とホスピスの運営と、順調に進んでいるロスをさらに大きな試練
がおそう。

 ロスは当時アメリカ社会で問題になっていたエイズ患者の遺児たちを、
ホスピスに引き取って育てようとするが、
そのことが地域住民の猛反発をうむことになった。

住民は自分たちの住む地域に、エイズ患者の遺児たちが来ると、エイズに
感染すると思いこんだ。
ロスは州議会に働きかけて住民の無知を改めようと努力するが、失敗に終
わった。

 ヨーロッパでの講演旅行から戻ったロスの目の前で、
暴徒によって放火されたホスピスも、ロスの居宅も残らず灰燼に帰したので
ある。

ホスピスの立ち退きを求めて訴訟を起こしていた住民たちが、
裁判所の煮え切らない態度に業をにやし、強行手段に訴えたのだ。

 喪失の対処法を身につけているロスは、
受容するのが早く、すぐにホスピスを再建しようとするが、
これ以上住民を刺激するとロスの命が危ないのを子供たちは心配した。

 そこで拒むロスを強引に説き伏せて、自分たちの住んでいる州に移す
のである。


ここでロスは晩年をすごすが、持病であった糖尿病が悪化して病床に伏
すことが多かった。
遺稿と思われていた「 人生は廻る輪のように 」 を、
このような状況のなかで書いたのである。ロスはこの本の終わりのほうに
次のような文章を書いている。

「人生は見方によれば、つらいことのほうが多いと思う。
 しかし、より高い世界に移るための鍛えととれば、耐えることが出来るし、
 耐え切れないほどの試練もやってこない。」

つづく   

人間賛歌 「新・仏教教室」 二十九

2008年09月12日 | 新・仏教教室
ジッチャン、

「ケイタくんの話が大きくなったが、
いまとちがって昔の日本の指導者は、釈迦の教えに従って正義にもとる
ことはしないと誓っていたのだね。

 話は変わるが当時の京の都では、戸締りをせずに暮らせたといわれ、
死刑制度はあったが二百年近いあいだ、死刑が執行されなかったと言わ
れるから、治安もよかったのだろう。」

ケイタくん、
「カギをかけずに生活できるなんて、いまでは考えられないですね。
それにしても日本の国は素晴らしい文化国家だったのですね。」

ジッチャン、

「後年のことだが、国学者 本居宣長の撰といわれる和歌があるので
紹介しよう。

  名にしおう やまとごころを ひと問はば
    朝日ににほう 山桜花

というのだよ。記憶だよりなので字句に違いがあったらごめんね。

作者名ははっきりしないが、華やかで、凛として、美しい心が見える
ような気がするね。
いまの日本人にはあまり見られないのが残念だけど・・・

 そういうば金メダリストの北島康介が、

   「勝った。 泣いた。 やまと魂だ。!」

と言ったと聞いたが、やまと魂だなんて、ずいぶん懐かしい言葉だね。
感激したよ!」

山本さん、

「先生、昔は一万円札のことを聖徳太子と言っていましたが、
聖徳太子というおかたは立派な人だったのですね。われわれ日本人が
誇ってよい人物だと思いますが、どうでしょうか。」

ジッチャン、

「そう、超一流の人物で、われわれ日本人の先祖なんですよ。
日本人もこの辺で引き締まらないと、昔の人に笑われますね。
 聖徳太子は遺訓で、

 「 もろもろの善きことをのみなせ 悪しきことをばなすなかれ 」

と言われたと伝えられているが、日本の指導者層のひとたちは太子の
ツメのアカでも飲んだほうがよさそうだね。」

 注釈 

 善きこと  他人に奉仕する利他の行い。
 悪しきこと 他を犠牲にしてでも自分の利益を求める利己主義者のこと。

つづく   

人間賛歌 「新・仏教教室」 二十八

2008年09月09日 | 新・仏教教室
山本さん、

「先生、ケイタくんの質問が歴史的な展開になりましたね。
ところでお話の途中ですが、金光明経というのはどんな経なんですか。」

ジッチャン、

「ケイタくんの質問が思わぬ展開をして、ケイタくん自身が目をシロクロして
いるのではないかねえ。
山本さんのご質問の金光明経ですが、正式には金光明最勝王経といいま
す。

 国王が法華経を信じ、この経(金光明経)を護持すれば、
四大天王や諸天善神がその国を守り、災害を防ぎ、国が安泰で国民が
平和に暮らせるというこを教えた経典なんです。

前回もふれましたが、
奈良時代から平安時代にかけて仏教がおおいに栄え、日本で仏教文化の
華が咲き誇りました。

 「民族の興隆は、新しい思想の興隆による」

ということは歴史が証明していますが、聖徳太子がマいた法華経のタネが
大きく育ち、広がって、日本始まって以来の平和で繁栄した時代になった
のです。
法華経に、いまの金光明経、それに仁王経を加えた三つの経を、
護国三部経として尊崇し、奈良時代から平安にかけて、おおくの人に信仰
されたのです。


特に法華経の教典は、生身の釈迦如来(仏のこと)として尊敬を集め、
大事にされました。
安芸の宮島で有名な厳島神社は、全盛期の平家一門が、金銀を使い贅を
尽くして製作した法華経の経典を納めたことで知られています。

当時の有力者は、
先祖゛の供養や、自家の繁栄を祈念して、法華経の経典を仏のごとく敬い
大切にしていました。

 源 頼朝が、源氏再興と、家臣に殺された父 義朝の霊を弔うため、
法華経八卷を千回読むことを決意して実行したことは有名な逸話です。

一説によれば頼朝は法華経を八百回読んだところで、平家打倒の兵を起
こし、千回は読めなかったようです。


 注釈 仁王経
法華経の教えがすたれ、思想が乱れると、悪業のために七つの難が起き
ることを教えた経。護国三部経の一つ。

つづく   

人間賛歌 幸運を呼ぶ法則 十八

2008年09月07日 | 幸運を呼ぶ法則

 恐怖心がツキをなくする 前回の続き、

 「○○さん、お話はよく分かりました。あなたが厳しい状態におかれていることも理解できます。ついては今のあなたに一番適切なアドバイスができる人が一人います。今その方をご紹介しますが、その方はたいへん無口な方ですので、あなたからよく話しかけて、何でも相談してください。

 その方は勇気のある人で、どんな困難にもくじけないで、勇敢に立ち向かっていく方ですから、きっと満足のいく答えが得られると思います。
相談が終わったらもう一度ここに来てください。私もあなたにアドバイスできることがありますから。」

 相談員はそう言って男を別の部屋に案内した。

 その部屋は何もないガランとした部屋で、中央に椅子がひとつ置いてあり、椅子の正面の壁にカーテンがかけてあった。
相談員は男を椅子にかけさせると、カーテンを開いて、

 「○○さん、遠慮はいりませんから、いつまででもご納得のいくまで話し合ってください。」と言って男を残し、部屋を出て行った。

 しばらくぼんやりしていた男が、顔をあげてみると、カーテンを開けたところに一人の男が、自分と向き合って座っていた。

 どこかで見たことがあるなあと思ったが、相手が何も言わないので、不審にかられ、さらに目をこらして見ると、自分と向き合って座っている男は、鏡に写った自分の姿だった。カーテンの後ろの壁に、大きな鏡がはめてあったのである。

かなり長い時間がたったあと、男は部屋を出て相談員のところに来て言った。

 「相談員さん、ありがとうございます。私が間違っていました。考え直してもう一度やりなおしてみます。」

男は礼を言うと、来た時とは別人のようなしっかりとした足取りで相談所を出て行った。

 ベテランの相談員は男が立ち直ることを知っていた。

 それから数ヶ月たったころ、男は見違えるような立派なみなりで相談員を訪ねてきた。

 「相談員さん、あれから新しい仕事につきました。これもあなたのおかげです。本当に感謝しています。お礼にあなたのお役に立つことを何かしたいのです。もし私にできることがありましたら、何でもお申し付けください。私もあなたのように、人に感謝されることをやってみたいのです。」と丁重に礼を言い用件を告げた。

 男は鏡の中のもう一人の自分と何を話したのだろう。鏡の中の自分と対面しているうちに、自分の失敗を他人のせいにしている自分に気がついたのだ。本当の原因は自分にあったのに、他人を恨み恐れ、どうせ自分なんか何をやってもダメなんだ、と人生に対する恐怖心が心を占め、男の能力を眠らせていたのだ。

 恐れ、不安、憎しみ、嫉妬などの消極的な心になるとツキをなくする。
 やる気、希望、勇気、快活などの積極的な心は、ツキを呼び込むのだ。

心理学上からも、脳生理学からいっても、消極的な心と積極的な心が、人間の心を同時に占めることはあり得ない。故に、常に前向きで積極的な心を持ち続ければ、後ろ向きな消極的心の入り込む余地はないのである。

   






人間は何をしに来て、どこえ行くのか 二十三

2008年09月05日 | 人間は何をしに来て、どこえ行くのか

 朗読続き 「死は存在しない」

医者で心理学者でもあるロスは、人が死を受容するまでに通らなければ
ならない五つの段階は、死に限らず何か大きな災難に出会ったときに、
人が通る段階でもある。と言っている。

愛する家族の死とか、
会社が倒産するとか、
自分の家が火事になり、一瞬のうちに全財産をなくする。

というような大きな不幸に直面すると人は、

一 怒り、 なんで自分がこんな目にあわなければならないのかと思う。

二 否定、 現実の出来事を受け入れられず、苦しさを酒にまぎらわし
        たり、他人のせいにして憎んだりする。

三 取引、 不幸や失敗の原因を環境や他人のせいにして、自分の非
        を認めようとせず、他に助けを求める。こんなときに限って
        神仏を頼み、これからは信仰に励むので、
        どうかこの場は助けてくださいと、祈ったりする。

四 抑鬱、 考えたことがみなダメで、家族に当たったり、自暴自棄にな
        ったりする。

五 受容、 ある程度の冷却期間を過ぎ、他ばかりを責めていたが、
        自分にも過ちがあったと認めるようになり、以後は自分の
        やりかたを改めようと思いだす。

 五の段階までくると、何か立ち直るきっかけをつかんで災難を受容する
ようになる。


 人間が受ける一番大きな試練は死である。

死を受容できる心の鍛練が出来ている人は、そのほかの試練もたやすく
受け入れて、次の段階に向かって前向きに進む。

 これは信長や秀吉、松下翁などが、
どんな困難に出会ってもそれを受け入れ、悠々と乗り越えてきた事実を見
ればわかる。このような人を器量が大きい人という。

人間はみな無限の力を持って生まれているが、
それを発揮できないのは恐れる心があるからである。そして恐れる心を生
む根源が死えの恐怖である。

死えの恐怖心を克服することが今後の人類の課題なのだ。

法華経を広めた日蓮大聖人は、

 「人は先ず臨終のことをならって、後に他事をならうべし」

と言い残している。
この言葉のもつ重大な意味を、我々は謙虚に学ばなければならない。

つづく