叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十九

2010年04月27日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十九

 <上人はまだ起きておられるようだ。今のところは静かで何事も起
きる気配はないな、>と彦四郎はつぶやいて立ち止まった。

 数年前に念仏の信徒たちが徒党を組んで庵を襲ったときは、山伝い
に逃れられてご無事だったので、今度は山越えで襲って来ることも懸
念されるのだ。

「源八、裏の山のほうで見張ろう。あそこなら庵にくる道のほうも一
目で見渡せるし、山越えで襲ってきてもすぐ分かるのでな」

 彦四郎は源八にささやくと身軽に山に入って行った。
星の明かりが樹の間をくぐりながら山肌を這うように登っていく二人
の姿を照らした。


 小源太は彦四郎の使者源八の口上で、

「上人はご無事で今のところ不穏な動きが起きる気配はないようで
す。」
という報告を受けると、
「念のため暫くそちらで様子を見るように」
と指示をしておいて大学三郎に使いをだした。

「それがしは仏門に入った手前もあり、古くなっていた法華堂を建て
直したので内々にしゅん工祝いをしたいと思っている。
 ついては粗肴を差し上げたいので、今月二十一日に奥方ご同伴でご
来駕願いたいがご都合はいかがであろうか、家内も奥方にあえるのを
楽しみにしているので、奥方にも是非にとお伝え願いたい。」

 という内容だった。そして、このあいだの京の酒はおいしかつた。
これは出来合いのものだが、酒の肴にでも、といってアワビの干した
ものを土産に届けた。

 続く  

    
 


人間賛歌 覚え書

2010年04月26日 | 覚え書き(信仰)

 おことわり *

 最近の記事には、所感が多いと思われる方もいらっしゃると思いま
す。実は一ヶ月余り入院しているあいだに、病室で書いた原稿が多か
ったせいで(新聞その他の情報が入りにくかったため)、どうしても記
憶に頼る部分が多くなったのです。。。

 そんなワケですからどうかご了承ください。。
`これのほうが面白い"と云う向きもあるかもしれませんが、、、

 体調の回復と、天候の正常化を待って、除じょ
に以前のスタイルに
戻していきます。。

 尚、「目覚める人」は史実を元にした小説で日蓮大聖人の伝記では
ありません。
目覚める人とは、自分本来の仏性に目覚める人のことで、当然ながら
日蓮大聖人の弟子檀那の中の物語です。。。

もうすこし多く書きたいとも思いますが、、、
体調を見ながら投稿していますので、この点もご了承ください。。
 小説として佳境に入って来るのはこれからですから、ご期待くださ
い。

自賛のようですが、
病室で原稿を書いている私を見に、なん人もの看護士さんがのぞきに
きました。。
 `真剣に書いている患者さんの姿を見ると、元気がでる"
という理由からです。
中には「人間賛歌」のファンになると言い出した医者もいました。。

「病気であっても広宣流布は出来る。」「師匠ならどうされるか。」
と思いながらの戦いでした。
面映い気持ちですが、書かねば本当のことを隠したことになりますの
で、あえて書いた次第です。。

 以上   

 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十八

2010年04月24日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十八 *

「上人さまに何かあったのですか」

りようはさっきから気にかかっていたことをもう一度聞いた。

「はい、とのが言われるには今度の蒙古のことで、上人さまが幕府や
平の頼綱どのにお手紙を出されたのだそうです。
前のこともあり幕府がまた押しかけるかもしれないので、私たちでそ
れとなく見張るように申しつかったのです。」

 蒙古が攻めてくるというウワサは鎌倉の町でもだいぶん広まってい
たので、りようも耳にしていた。やはりウワサは本当だったのだ。そ
れでなぜ上人さまに危害を加えようとするのだろう。
と思ったが彦四郎が急いでいるので聞かなかった。

「そうでしたか、それで夕ご飯はまだでしょう。」

「いやそれなら屋敷を出るとき弁当を用意してきましたので、あちら
についてから食べますのでご心配なく、」

と彦四郎は言った。

「それではなんのおかまいも出来ませんが、明日の朝は早く起きて暖
かいものをつくっておきますから、源八さんでも取りによこしてくだ
さい。」

と言いながらりようは彦四郎たちを送り出した。

 山の裾にそった道を二人が小走りに行くと、急に道は右に折れて目
の前かパット開けた。前方に見える丘のふもとに大きな屋根が見え
て、板戸の隙間から明かりがもれいる。
 屋根を覆うように亭亭としたケヤキの大木が天を突いて立ってい
る。伝教大師以来、名はあっても実をなくしていた仏教を蘇らせた法
華経の行者.日蓮上人の庵であった。

 続く  

  


人間賛歌 幸せに生きる 十三

2010年04月23日 | 幸せに生きる

 トム・ワトソン一家の奇蹟 *

 トム・ワトソンは世界的に有名な、インターナショナル・ビジネ
ス・マシン( IBM )社の創業者です。。。

アメリカ人ですから、仏教徒ではなく、マジメなアメリカ人に多い
ピューリタンであったと聞いています。。
平成霊異記に登場するのは、ちとおかしいのではないかと思うかもし
れませんが、IBM社ができた因縁談になりますのでご紹介します。

 トム・ワトソンは、、、
生まじめで、仕事熱心で、家族を大事にする。。典型的なアメリカ人
でした。。
彼は息子を連れて列車に乗るとき、
「他人に奉仕する生き方」を息子に教えるため、次のことを実行しま
した。。

 列車のトイレに行ったとき、手洗いを使ったあと、汚れが残らない
よう念入れに掃除することでした。。

「こうしておけば後から来た人が気持ちがいいだろう。。
 必ずビカビカにしておくんだよ。。。」
とワトソンジュニアに躾けたのです。(これはユダヤ人の家庭に共通
する美点であると、日本マクドナルドの創業者藤田伝から聞いたこと
があります。) 


 子煩悩なトム・ワトソンは、ある天気の良い日曜日に、当時はやり
だした遊覧飛行を経験するために飛行場にやってきました。。
天気が良いのと、休日のせいか、、遊覧飛行機に乗る人が長い行列を
つくって待っていました。。。
 ワトソン一家も行列の後ろに並んで待っていましたが、、、
やっと搭乗する順番がきたとき、突然! ワトソンジュニアが。。。

「アイスクリームがたべたい。」とぐずりだしたのです。
なだめてもきかないので、、しかたなく、
 ワトソンは飛行場の入り口ある売店まで、息子をつれてアイスクリ
ームを買いにいきました。

アイスクリームを買ってもらってゴキゲンな息子をつれ、順番待ちの
行列に再び戻ろうとしたときでした。。。
 突然! 飛行場のサイレンがけたたましく鳴り出しました。。
アナウンサーが上ずった声で、、、

「只今、事故があって遊覧飛行機が墜落しました。よって本日の飛行
はこれで取り止めになります・・・・」

と、何回も、何回も、繰り返して放送したのです。
ワトソン夫人は、順番がきて搭乗をすすめられましたが、家族が買い
物から戻っていませんから、どうぞお先に乗ってください。。。
 と順番を譲ったおかげで、、無事でした。。。

ワトソンジュニアはこうやって家族の命を護ったのです。
後に、父がつくったIBM社を世界中に広め、有名な社是をつくったの
もワトソンジュニアでした。

 つづく  

 追、
「心の一法より国土世間も出来するなり」と日蓮大聖人は仰せです。
  (趣意)



 

 


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十七

2010年04月18日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十七 *

「これはおりよう様、こんな夜分におじゃまします。とののお申し付
けで上人さまのご様子を伺うように言いつかったものですから..」

 彦四郎は辺りをはばかるように小声で言った。

「それはご苦労さまです。上人さまになにか変わったことでもあった
んですか、寒いですからともかく中にお入りください。」

おりよう様といわれた女は言った。物音を聞いて母屋から離れたとこ
ろにある長屋から、小柄な男が母屋にやってきた。

「おりよう様、夜分にどなたか客人ですか」と声をかけて入り口をの
ぞいた。

「ああ、じいや、彦四郎どのがとのの御用でおいでになったのです。
源八どのもご一緒のようです、馬の世話を頼みますよ」

と言って彼女は戸を閉めると二人を土間の奥のほうに案内した。

「おじょう様はもうおやすみですか」

「先ほどまで起きていましたが、ちょうどやすんだところです。どう
ぞ寒いですからイロリのほうに来て火に当たってください。」

と、りようが言うのに彦四郎は、

「上人さまのことが案じられますので、馬を預かっていただいたらすぐ行きますから、どうぞおかまいなく、」と言った。

続く  
    

    


人間賛歌 所感 十九(社会)

2010年04月16日 | 所感
 子殺しが意味するもの・・*

 子が親を殺す事件がひところはやりましたが、今は自分が生んだ子
を母親が殺す事件が頻発しています。。
しかも虐待したうえで・・・実の母親が、
「子供が父親に似ていて好きになれなかった。」という単純な動機で
虐待死させるのです。

(心理学者も理解し難いと云い、
社会にそういう心理の親がいることは恐ろしい。と評しています。)

 いまから六、七千年ぐらい前の人間は、
親と子の関係が認識できず、メスである母親を取り合って実の父子が
血みどろの争いをしていました。。

これでは種の保存も難しく、協力して外敵に向かうことも出来ないの
で、人間は前途を危ぶまれていました。。
 そこに聖人が現れました。。。

 聖人は人々に親子関係や、兄弟の絆を教えて、家族が仲良く団結し
て暮らせる智慧を授けたのです。。
聖人の名は中国史上で有名な、尭、舜、卯の三賢人で、その教えは今
も受け継がれています。

 ちかごろの日本に三賢人のような指導者が現れたかどうか、定かで
はありません。。
島国(小さな小島)で、ドングリの背比べをしているのが、私を含め、
わが同胞の姿ではないでしょうか・・・

 日本人ならだれでも尊敬し、親しみを感じる天皇家があります。。
世界でも例のないご一家です。。
天皇家は二千年以上も続いている名家で、天皇ご一族の・・・
 「平和を愛し、人を尊敬する」振舞いは世界の人から尊敬されてい
ます。。。
 私は、天皇主義者ではありませんが。。
日本に天皇家があったことが、どれほど幸運であったか、歴代の天皇
の史蹟をみれば分かるというものです。。

最近、皇太子妃をめぐって興味本位の報道がされていますが、、
天皇家のことに関しては、
 日本人の尊敬の対象であることに配慮した慎重さがいると思いま
す。
天皇家はある意味で、私たち日本人の家族観の模範になる存在である
ことを、念頭に置いておきたいと思います。。。
 
「麻畑に生えるよもぎはまっすぐに伸びる。」
これは私が信奉する日蓮大聖人のお言葉であります。。。

 以上     

人間賛歌 「新・仏教教室」 百十八

2010年04月14日 | 新・仏教教室

 妙法蓮華経を知らない人 *

ジツチャン、

「人間のもつ最大の欠点の一つは、理解し難いことを信じようとしな
 いことである。」
これは哲学者で大実業家であったアンドリゥ・カーネギーの言葉であ
ります。。。

 前回、妙法蓮華経方便品第二で・・・
方便品とは妙法蓮華経の妙を隠している経であると言いましたが、み
んな妙法を理解できないから信じようとしないのです。。

 その点、今現在、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えている人
が、いかに福徳ある人であるか・・・
 百千万言を使っても説明しきれません。。

 宗祖、日蓮大聖人は、題目を唱える人を、

「天子のむつきにつつまれ、大竜の子の始めて生ぜしがごとし。」
と述べられています。(趣意)

 現在の姿がどうであれ、たとえば病気であったり、貧乏で苦しんで
いたり、家庭不和で泣いている人であっても・・
 いずれは天子になり、大竜の力を持つことは決まっているから、
決して恐れたり、嘆いてはならない。。
 と激励されています。。。

ですから縁深くして御本尊様に出会えることは、難事中の難事であり
ますから、絶対に安心し・・希望をも燃やし・・
題目をあげきってくださいますよう、私からもお願いします。。

 尚、
今、信仰していない人であっても、法華経に出会うことは稀有なこと
であると経典には書いてあります。
   (一眼の亀のたとへ)
どうか機が熟して信仰するときがきますので、法華経を嫌わずに・・
信仰している人を善い友人として付き合ってくださいますようお願い
致します。。」

山本さん、
「お話を伺っていますと、すごい信仰のように思いますが・・・
どうして素直に信仰する気になれないのでしょうか ? 」

ジツチャン、
「それは先程も言いましたが、
信じ難く、解し難いのがこの信仰の特徴ですから、分かってから信仰
しようと思っても、それはムリだと思いますよ。。。
 その点につきましては次回に詳しく述べたいと思います。」

続く   


  


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十六

2010年04月10日 | 小説「目覚める人」

 ご挨拶

 気分一新のためにブログのデザインを変えました。
今までの部分表示から全体表示になりますので、戸惑うかたもいると思い
ますが慣れてくださいますようお願いいたします。



 「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十六

 北条小源太 十六

 小源太が家中の者に常々言い聞かせていたことがあった。それは、常に
二人で行動せよ、という事である。
かりに暴漢に会ったとしても二人でいれば、襲ってくる事は少ないが、一人
でいると確実に襲撃される。それも同僚と二人でいるよりも、自分の配下
の者と一緒のほうがよい。同僚だととっさの場合に意見が分かれる事があ
るからだ。
そして常に声を掛け合い呼吸を合わせることが大切だ。と教えていたので
ある。

 小源太のこの方針は、特に戦場で威力を発揮した。
日頃から二人一組で行動する習慣を身につけている北条軍は、戦場でも
その習慣を生かした。
一人の敵に二人で向かっていく戦法は、血迷って突進してくる敵を確実に
討ち取るのにおおいに役立った。
激戦になればなるほど効果を発揮したのである。

 戦えば必ず勝つ、という自信を北条軍は持つようになり、悪源太どのの
軍は強い、と恐れられていた。

三善邸を過ぎて名越坂に近くなると、所々に丘がある勾配のきつい道にな
った。何回か坂を駆け上ったり降りたりしている内に、黒々とした山が前方
に現れそのふもとの辺りに、民家の明かりがぽつんぽつんと見えてきた。

彦四郎は馬の手綱をゆるめて速度を落とすと蹄の音をたてないようにゆっ
くりとそのなかの一軒の家に向かって行った。
家のそばまで来ると馬を降りて、植え込みで囲んだ民家の門の中に入っ
た。板戸の隙間から明かりがかすかにもれている。

    「夜分におじゃまします、彦四郎でございます。」

 入り口の板戸を叩きながら彦四郎が低い声で言うと、ガタンとつっかい棒
をはずす音がして板戸が少し開いた。

    「まあ、彦四郎どの、こんなに遅くなにか変わったことでも・・」

戸をあけて出てきたのは髪の長いまだ若い女だった。

続く