前回の続き *
ここで御書を拝読しましょう。
「実相というは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経ということなり、
( 中略 )
仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、
万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりという事を諸法実相とは
申すなり。」 諸法実相抄 御書 1359ページ
注釈 諸法実相
諸法とは森羅万象のことで、実相とは真実の姿のこと。森羅万象の真実
の姿を明かした文。
だれの命も唯一の生命( 妙法蓮華経=仏の命 )の現れであると観じること
には、重大な意味があります。
それは、生命には本来、自他彼此( ジタヒシ )の区別はなく、みんなが仏
の命であるということです。
自分と他人の差異にこだわる心が、人間どうしのいがみあいや、争い事
のもとになりますので、釈迦は、
差異にこだわる心を、心にとがった一本のトゲとと呼び、だれの心にもあ
るこのトゲを抜くことが仏道修行の目的であると指摘しました。
自他彼此の差別をなくし、自他ともに幸せになるために仏の命である
仏界を現すことを教えたのです。
仏道修行をして仏界の命を現すことは容易なことではありませんが、それ
を可能にしたのが日蓮大聖人です。
日蓮大聖人は、
自身の仏界の命を図に書いて現し、これを御本尊と定められました。
日蓮大聖人の信徒はこの御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱える
ことで、己心の仏界の命を現すことが可能になったのです。
釈迦の滅後、二千二百余年にこの御本尊が始めて日本国に出現された
ことは、未曾有なことであると、大聖人ご自身が述べられています。
たとえようもなく会い難い御本尊に会い、唱え難い法華経の題目を唱える
ことは、決して偶然そうなったワケではありません。深い意味があることで
すから、山本さんもここのところは心にきざんでおいてください。」
山本さん、
「先生ありがとうございます。肝に銘じて承りました。」
つづく