叙事詩 人間賛歌

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「目覚める人・日蓮の弟子たち」 十一

2010年03月03日 | 小説「目覚める人」

 北条小源太 十一

 当時の酒はにごり酒が普通で、澄んだ酒(清酒)というのは珍重さ
れていた時代だった。
時頼が京から珍しい清酒を手に入れて、こんな旨い酒を一人で飲んで
は面白くないと思い、北条宣時に使いをやって、夜分だがすぐ参るよ
うに、と伝えた。
突然のことで宣時が何を着て行こうかと途惑っていたところ、再度時
頼から使者が来て、夜分だから着る物は何でも良い。早く参れ、と促
したという話が残っているくらいで清酒は北条一門でもなかなか手に
入らない貴重なものだったのである。

 鎌倉の町には今で言う居酒屋のような、酒を飲ませる店がすでにあ
ったほどで、酒を売る店は各所にあった。時頼が建長四年の凶作のと
きに禁制を出し、鎌倉中の酒の販売を禁止したことがあった。その時
の調査で鎌倉中の民家にあった酒壷は、三万七千二百七十四個にのぼ
ったと「吾妻鏡」に記録されている。

当時の人々にとっても酒は必需品として日常生活に欠かせないものだ
ったのである。

 「大学どのは京では随分ご苦労されたことであろう。お察しいた
す。」

小源太がしみじみした口調で言った。

「それはもう比企の家が亡んで、幸か不幸か私は正室の子ではなく屋
敷には住んでいなかったので難を逃れました。命からがら母に抱かれ
て京に逃れたのです。
嫡流でないことでお見逃しになったのでしょう。命だけは助かりまし
た。」

 三郎はそう言って遠くを見るような目付きをした。

「初めは仏門に入って亡くなった方々のご冥福を祈ろうと思い、叡山
に入門しました。それが仏門とは名ばかりで学問どころか、寺同志の
勢力争いに明け暮れ荒みきっていました。そこで私は、寺を抜け出し
学問の道を志したのです。」

続く